第十一話
ウィリアム・ウェッソンが明け方早くという時間に友人のエドガー・スミスの家を訪ねたのは、他ならぬ彼から言いつけられていたからだった。
真夜中、ウィリアムがいよいよ寝床に入ろうかというとき、突然家の電話が鳴ったので慌てて出ると、彼に言われた。
「娘の職場から不審な電話があった。ヴィオラになにかあったかもしれない。様子を見に行くから、もしも朝まで連絡しなかったら俺の家に来てくれ。戻ってなかったら警察に通報してくれ」
ただならぬ雰囲気と有無を言わさぬ気迫に引き受けると、エドガーは「ありがとう、おまえは最高の親友だ」と言ってすぐに電話を切ってしまった。そのため、ウィリアムは明日の工房を臨時休業にすることを決め、明け方までじっと連絡を待っていたのだ。
しかし来なかった。だからウィリアムは、エドガーのことを殴るために――そうできればいいと願いながら――彼の家にやってきたのだ。
ウィリアムはエドガーの家の前に立ち、まずは周りの様子を窺った。街はまだ薄暗く、往来は無人で、静かだった。空気は冷たく、震えそうなほどに寒かった。
ウィリアムはポケットから合鍵を取り出した。これは万が一があったときのためにエドガーが彼に預けていたもので、今がその万が一に違いなかった。ウィリアムは鍵を挿しこんだが、違和感に気づいた。
鍵が回らない。一瞬、鍵を間違えたのかと思ったが、よくよく見ると、ドアノブが強い力で潰されたように壊れているのだった。ちょっと手で押したら簡単に開いた。
いよいよただごとではないと思い、ウィリアムは護身用の拳銃を抜いた。
「誰かいるな?」
ウィリアムは真っ暗な部屋の中に呼びかけた。慎重に歩を進め、居間にさしかかった。丸テーブルの上に飲みかけの水の入ったコップを見、この家の住民がこんなだらしのないことをするはずないという確信を抱いた。長く、息を吐いた。
そのとき、彼は静かな室内のどこかから、奇妙な音がするのに気づいた。息を潜めて耳を傾けると、それはすすり泣きに違いなかった。ウィリアムは聞こえる方に歩いた。
たどり着いたのはヴィオラの部屋の前だった。ウィリアムは充分に警戒しながら静かにドアを開いた。
「誰だ?」
部屋の一番奥にうずくまって泣いている人間がいた。目は暗闇に慣れていたので、その人物がどうやら女性で、しかも裸であるのがわかった。血の臭いを嗅ぎつけて、ウィリアムは警戒した。
「誰だ、答えろ!」
少し大声を出すと、女が頭をもたげてこちらを見たのがわかったので、ウィリアムは部屋の電灯のスイッチに近づいた。
「電気を点けるぞ、いいな?」片手でスイッチを弾いた。一瞬、目がくらんだ。
明るくなった室内にいたのは見覚えのない少女だった。彼女は部屋の一番奥で膝を抱えていた。美しい金髪は乾いた血で固まり、また体も血で汚れていた。
「誰だおまえは」
ウィリアムは冷静に照準を彼女に定めていた。
「パパが殺された」
少女はすすり泣きながら言った。
「誰のことだ」
「エドガー……」
「エドガー・スミスか?」
うなずく少女。
「あいつの娘はおまえじゃない」
すると少女はまたわっと泣き出した。無防備な様子に、ウィリアムはじりじりと近づく。
「おまえは誰だ? なぜここにいる」
「ここは私の部屋っ! 私の家っ! 私とパパのっ!」
「ここはヴィオラ・スミスの部屋だ――」怒鳴りかけて、ハッとした。
「――おい、なんだそれは」
彼が見たのは、彼女の足もとに置かれたリボルバーだった。それは彼が作って、親友にあげたものだった。彼は顔がかっと熱くなるのを感じた。
「その銃はエドガーのだぞ!」
「そうだよ、パパのだよ!」
「パパ、パパって、おまえは誰なんだ!?」
「私はヴィオラだよ!」
少女は顔をあげ、まっすぐにウィリアムを見た。ヴィオラ・スミスとは似ても似つかない顔つきにウィリアムは眉をひそめたが、思いなおして銃をおさめた。
「何があったか話してくれ」少女のそばに屈んだ。
ヴィオラから一連の出来事を聞いて、ウィリアムは愕然とした。信じられないことの連続だったし、自身も今すぐ飛び出して、薔薇棺を殺してやりたい衝動に駆られた。
だが彼はぐっと涙をこらえ、襟を正して立ち上がった。
「ヴィオラ、ひとつ訊きたい。おまえは薔薇棺をどうしたい?」
「……決まってる」彼女のすすり泣きはやんでいた。
「殺してやる」
「そうか。じゃあヴィオラ、服を着ろ。ここを出るぞ」
彼はクローゼットから適当なコートを引っ張り出した。
「もうすぐ警察がくる。彼らに捕まったらもう復讐なんてできない。おまえはあの場で死んだことにしたほうがいい」
「えっ……」意外な表情に、ウィリアムはうなずいた。
「復讐の権利は誰にでもある。それはおまえにも、俺にだってあるんだ。ウチに来い、かくまってやる。家内にはうまく言っとくよ。ヴィオラ、これからおまえはその身体の名を――『コッペリア』を名乗れ」




