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第十話

 薔薇棺が頭をもたげ、入り口の階段を見やった。彼女はじっと静かにしていたが、ベルは二度、三度と鳴り、やがてドアを強く叩く音に変わった。

 コッペリアは黙っていた。叫んで助けを呼びたい思いもあったが、目の前に狂ったロボットが立っているのだ。彼女がどうすべきか悩んでいるうちに、銃声らしき音があって、ドアが蹴破られる音がした。

「警察だ!」遠くから聞こえた声に、コッペリアは安堵と恐怖の両方を感じた。

(――パパッ!? なんで!?)

「……ああ、来ましたか……」

 薔薇棺は棺桶を部屋のわきにやると、拳銃の弾をこめなおし、それからまた階段を向く。小さく咳払いした。

「ここだよ! 地下だ! 捕まってるんだ!」薔薇棺の声色はヴィオラそっくりだった。

 数秒後、慎重に、しかし素早く階段を降りてくる足音があって、とうとうエドガー・スミスが工房に現れた。彼は薔薇棺を見ると銃を向けた。

「誰だ!?」

「ここの主です」

 薔薇棺の答えを聞きながら、エドガーは作業台の上のローズの死体と、部屋のすみに拘束されたコッペリアに視線を飛ばす。

「逮捕する。武器を捨てて腹ばいになれ!」

「あなたになんの権限がありまして?」くすくす笑う。

「保安官だ!」

「それは人間のための法でしょう?」

 薔薇棺が腕を持ち上げ、エドガーを狙った。だがかすかな予備動作からそれを察したエドガーはとっさに床に飛び込み、同時に発砲する。薔薇棺の太ももが射抜かれた。

「ギャアッ!?」

 悲鳴をあげ、薔薇棺が倒れた。エドガーはさっと立ち上がると素早く彼女の背中に回りこみ、組み伏せ、銃を奪って手錠をかける。一瞬だった。

「他に女の子がいたはずだ! どこにいるッ!?」怒声に顔は真っ赤だった。

 薔薇棺が黙ったままなので、エドガーは舌打ちして立ち上がった。それから椅子のコッペリアに駆け寄る。

「もう大丈夫だ。よく頑張った!」

 微笑する父の言葉に、コッペリアは何も言えなかった。

「喋れるかな? もうひとり女の子がいるはずなんだ。わかるかな?」エドガーはそうしてコッペリアの手足の拘束を解きにかかる。

(……パパ……、私が、わかってない……!?)

 あらためて、おぞましい事実が腹の奥にねじこまれた。自分の姿はもう、自分や誰かの記憶にあるような姿ではないのだ。まるで高所からずっと落下し続けているかのような喪失感に、内臓がきつく縛り上げられる想いがする。

 答えられず、視線を下げた。

 ――そのとき気づいた。父の体ごしに見えるはずの、薔薇棺の姿がないことに。

「――パパッ!」

「――えっ?」

 直後、あっけにとられた顔をしたエドガーが何者かに後頭部を掴まれて、コッペリアの肩に顔面をつよく叩きつけられた。超重金属製の鎖骨がエドガーの頬骨を砕く。骨の破片が皮膚を突き破り、温かい血が飛び散って、動けないコッペリアの頬にたっぷりかかった。 

「がっ……!?」

 怯んだエドガーの頭を手前に引いたのは薔薇棺だった。彼女の手錠は引きちぎられていた。

「残念、ロボットなんですよ」薔薇棺は笑った。そしてすかさずもう一度、エドガーの顔をコッペリアの体に叩きつけた。彼女の体は父の鼻を潰し、さらに血を飛び散らせた。

「やめてッ! やめろッ! 死んじゃう! パパ死んじゃう!!」

 何度も、何度も、薔薇棺はコッペリアに男を叩きつけた。エドガーは三回目からぐったりとし、抵抗しなくなった。一回叩きつけるごとに油粘土のように変形していく父の顔面からコッペリアは目が離せない。血が飛び散り、そのしずくが目の中に入っても、まばたきすらできないほど恐怖していた。泣き叫び、いくら懇願しても薔薇棺はやめなかった。

 やがてエドガーの顔の造形が原型を留めなくなったころ――「あぁ、疲れた」――薔薇棺は渾身の力を込めて、エドガーの額をコッペリアの額にぶつけた。ぐしゃっという音とともにエドガーの頭はスイカのように砕け、中に詰まっていた血と脳漿がまるごとコッペリアの蒼白な顔に撒き散らされた。彼女の頭の半分は父親の頭の中にめり込み、彼女は父親の頭蓋骨の中から、その中に詰まっているものを見た。

「馬鹿な人……最初に頭を撃ってれば、死んでいたのは私なのに。ああ、汚い」薔薇棺は手にこびりついた血を面倒臭そうにハンカチで拭う。

 ビクビクとけいれんするエドガーの体の重さを全身で感じながらも、コッペリアはまだ動けない。手足の拘束は解かれていたが、まだ指先が少し動かせる程度にしか神経の接続が済んでいないのだった。しかしそれでも、胸に渦巻くどす黒いものが、彼女の口から溢れ出た。

「パパがバカだって……?」

 薔薇棺は手をとめ、コッペリアを見た。表情は、とても嬉しそうだった。

「――殺してやるッ! 殺す! コロスッ!! 殺してやる! 何度も殺してやる!! パパとローズを! よくも! パパを! 殺す! めちゃくちゃにしてやる! 何があろうとおまえを殺す! 死ね! 死ねッ!! 死ねぇッ!!!」

 喚き散らすコッペリアの前で、薔薇棺はていねいに頭を下げた。所作はとてもなめらかで、美しかった。

「お待ちしております。いつまでも、いつまでも……」

 薔薇棺はそう言うと、さっきわきに除けた棺桶型の冷凍睡眠装置を背負った。そして最後にもう一度コッペリアを一瞥した。

「またお会いできる日を楽しみにしていますよ」

 そうして薔薇棺は、さっさと地下工房から立ち去った。

 



 コッペリアが動けるようになったのはそれからさらに1時間ほど経ってからだった。

 彼女は父親の死体を頭から引き剥がすと、さらに中から床にこぼれた塊をむせび泣きながら必死に集め、両手いっぱいのそれらを父親の頭蓋骨の中に戻し続けた。

 それから立ち上がり、作業台の上のローズの死体を見てしばし茫然とした。また泣き出しそうになったので、床にしゃがみこんで、エドガーの死体をつよく抱きしめた。

 すると彼の体の骨が砕ける音があったので、コッペリアは悲鳴をあげて死体から離れた。それと同時に、彼女は自分の身体感覚が異常なまでに拡張されていることに気がついた。

 部屋に舞う埃のひとつひとつの形と軌道が完璧に理解できた。

 手を触れずとも、エドガーとローズの死体の温度を知ることができた。

 思わず握りしめたスパナのグリップが、自分の手の形に変形していた。

 そしてコッペリアは、恐怖のあまり放り投げたスパナが、ゆっくりと空中を横切り、ゆっくりと壁に当たって、予測した地点に予測通りの角度で落下するのを見た。何もかもがスローモーションだった。

 コッペリアは絶叫した。その場に体を丸め、耳を塞いで目を閉じた。絶叫をやめると、静寂がまた押しよせた。

 コッペリアは自分の体のスペックをよく知っていた。だから自分の体に何が起こったのかも理解していた。

 どうしてこうなったのか。

 コッペリアは知っていた。

「殺してやる……薔薇棺……ッ! 絶対に殺してやるッ!!」

 彼女はそうして父親の死体に近づいて、彼の持っていた銃を拾い上げた。少女の手には似つかわしくない、巨大な銀のリボルバー。表面に反射する自分の顔は、父親の血で真っ赤だった。

 コッペリアは父親のポケットから携帯電話を取り出して、警察署に電話をかけた。内容を告げずに住所だけを一方的に言い捨てると、彼女は裸で血にまみれたまま、工房から出る階段を上がっていった。

 静かな、真夜中の出来事だった。

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