第一話
とにかく冷たい夜だった。屑鉄でできた荒野の上を一台の歩行トラックが走っていた。六本の足は細かな起伏の多い荒れ野でも荷台と運転席を完璧な水平に保ち、悪路しかない大地を一直線に駆け抜ける。
彼方に、小さな村の民家から漏れ出る灯りがまるで鬼火のように見える。歩行トラックはそれを目指していた。他に荒野に光は無く、分厚い雲に空も隙間なく覆い隠されて、深海によく似た暗闇に世界は沈んでいた。
やがてトラックは村にたどり着き、その足を止めた。すると荷台の幌の下から数人の男たちが待ちかねた様子で地面に降りたった。彼らは皆銃を携えていた。
最初に降りたのは、大柄で、髭面の男だった。いくつもの修羅場を潜ってきた凄みがギュッと結ばれた口元に宿り、瞳は威圧的に周囲を見下ろしていた。彼は一丁の拳銃をさげていた。
男は自分の部下たちが皆荷台から降りたのを見渡すと、一番最後に運転席から降りてきた少年に向かって怒鳴った。
「オルガ、お前は見回りだ! 村の周りをまわって、盗賊団の見張りがいないかたしかめてこい!」
オルガと呼ばれた少年はびっくりした様子を見せる。
「半日も運転してたんですよ!?」直後、男が拳銃を構えたので、オルガはとっさに地面に伏せた。銃弾は彼の後方の地面に着弾し、周囲の部下たちがゲラゲラと笑った。
「新入りのクセにナマ言ってんじゃねぇぞボケが! お情けで入れてやってんだ、てめぇなんざいつブチ殺してもかまわねぇんだぞクソが!」
「わ、わかりましたよ、ボス……」
「さっさと行ってこい!」
オルガはよろよろと立ち上がり、村の夜闇に走りこんで行った。その背中が消えたのを見、ボスはフンと鼻を鳴らすと、乱暴な足どりで近くの建物に向かった。酒場の看板がかかった金属扉を押し開き、部下たちとともに空いてる椅子に座りこむ。カウンターの向こうでグラスを拭いていた店主の男が、怯えた様子で彼らを見た。
「オヤジ! こいつら全員にジンをひと瓶だ!」
店主の男は慌てて瓶とグラスを持って駆けつけた。
「我ら『赤コウモリ団』に、狩りの成功を!」
ボスと男たちが酒瓶をあけ、床がボタボタと濡れるさまに給仕の女性が顔をしかめた。店にいた他のわずかな客たちはそそくさと出ていき、あっという間に店内は赤コウモリ団たちの乱痴気騒ぎの会場になりかけた。
騒ぎがいよいよ盛り上がりはじめたころ、ふと、彼らのボスが、酒場の片隅のテーブルに、静かに座る人物に気づいた。その人物は老人のように小柄で、マントについたフードを深くかぶったまま、ベーコンとオムレツの夕食をとっていた。他の客は皆出ていったが、その人物だけ我関せずと言わんばかりの態度に、ボスの眉間にシワがよった。
「おい、そこの爺さん! 今夜は貸し切りだ、さっさと出てけ!」
怒鳴りつけても、フードの人物は黙々とナイフでオムレツを切りわける。部下のひとりが席をたち、老人のところに歩く。
「耳が遠いのか、アァ!?」
部下が、老人のテーブルを蹴り飛ばした。テーブルは横倒しになり、オムレツが床に散乱する。老人は片手にオムレツのかけらが刺さったフォークを持ったまま、不愉快そうに部下を見上げた。そのとき、彼は気づいた。
「あれ、おまえ――」
「ちょっと、何するんですかぁ〜!?」
いきなり、老人が素っ頓狂な声をあげて立ち上がった。
「まだ半分以上残ってたのにぃ〜! べんしょーしてくださいよべんしょーぉ!」
赤コウモリ団は皆驚いた。老人だと思っていた人物のフードの下から現れた顔は、少女のものだったのだ。金色の髪は肩まで長くサラサラで、大きな両の青い瞳には、涙がたっぷりとたまっている。薄い唇にはケチャップがこびりついていた。肌はなめらかで、シミやキズひとつない。まるで人形のように美しかった。が、鼻水がたれていた。
「おぉ、コイツは……」ボスが舌なめずりした。
「ねぇ! オムレツべんしょーしてくださいよオムレツ! 今朝から何も食べてなかったのにぃ〜! がえじでよ~! わだじのオムレヅ〜!」
「わ、わかった、悪かった」脱力するほど情けない表情でつめよる少女に、部下がヒいた。
「おい、嬢ちゃん!」
ボスが店の奥から呼びかけ、少女は彼を見た。
「部下が悪かったなぁ、嬢ちゃん。こっちに来いよ。オムレツなら山盛りおごってやる」
「断らないほうがいいぜ」部下が少女の肩に腕をまわそうとし、少女はすっと頭を下げてかわす。
「えぇと……でもみなさんで楽しく飲んでるところ悪いですしぃ……お気持ちはうれしいですけど――」
「『けど』じゃねぇ、さっさとこい!」ボスがテーブルを拳で叩き、ジャーキーの皿が浮き上がった。ジンの瓶が床に落ち、割れる。酒場の店主が何か言いたげに少女を一瞥。給仕の女性が目をつぶり、唇を結んでうつむく。
「ボスが呼んでる、来い!」
さっきかわした部下が後ろから少女の体に両腕をまわした。彼女が驚いているあいだに、彼は持ち上げようとする。男はぎょっとした様子を見せた。
「こいつ……!?」
「あの〜……」少女は困惑して立ち尽くす。
「どうした? そんなチビ女のひとり持ち上げられねぇのか!?」
「ち、違うんですボス! こいつ、なんだか、めちゃくちゃ重――ッ!?」
「いいかげんにしなよッ!」予期しない方向から怒声が飛びこんだ。
少女と男たちは声のしたほうを見た。叫んだのは給仕の女性で、彼女は赤コウモリ団をじろりの見回すと、両手を腰にやって、精一杯に威嚇する。
「大の男がガン首揃えて、女の子のひとりムリヤリにしないとダメなのかい!」
「バカ、おまえ――」店主の男が青ざめた。
「――いや、店主さん。そのとおりだ」
静かに言ったのはボスだった。店主と給仕の女は意外そうな顔をした。部下が、少女から静かに離れた。
「俺が間違っていた。嫌がる相手をムリヤリに誘っちゃよくない。そのとおりだ、間違いだ」
「……そ、そうかい。わかってくれれば――」
「間違いは正さなきゃいかん」
銃声が響いた。ボスが素早く拳銃を抜いていた。店主も給仕の女も震え上がった。
床に倒れたのは、少女だった。
「女はいなかった。これで解決だ」ボスが鼻をならした――「痛っだぁ〜〜〜〜〜!!!!」
素っ頓狂な声が店内に響いた。その場の全員が目を丸くして、信じられないものを見ていた。
撃たれたはずの少女があっさりと立ち上がっていた。まるでちょっと躓いて転んだだけのように、涙ぐみながら腹を片手でさすっているだけだった。
「テメェ……」ボスが凄みをきかせて睨んだ。拳銃もまた彼女を睨む。
「ちょ、ちょっと落ちついて――」また銃声がして、少女の頭がのけぞり、弾かれた弾丸が天井に穴を開けた。
少女は今度は倒れなかった。眉間を痛そうにさすりながら涙を浮かべるだけだった。ボスが叫んだ。
「テメェら抜けッ!! こいつは――!」
部下たちが拳銃を抜いた直後だった。銃声が一発だけあって、彼らの銃が宙を舞った。ボスの拳銃すら金属音とともに握っていた手から離れ、彼の鼻面にぶち当たって、「うぴょっ!?」という間抜けな声と鼻血を出させた。
代わりに、少女の手には彼女のリボルバーがあった。それは少女の手に持つには似つかわしくないほど大きい。弾倉は空になっていて、銃口からは煙があがっていた。
男たちが、少女が銃声がひとつに聞こえるほどの素早さで銃弾を撃ち、自分たち全員の銃を弾き飛ばしたのだと気づくまでに、数秒かかった。
「ボ、ボス、こいつは……!?」部下のひとりが震えた声を出す。
「チクショウッ! こいつはフルサイボーグ、しかも戦闘用だ!」鼻血を拭いながら怒声をあげるボス。
「なんですって!?」
「クソったれ、やってられるかボケッ! クソボンボンの人形野郎が!」
ボスが椅子を蹴って立ち上がり、入り口に向かう。それを見た店主が慌てた様子で「ちょっと待ってください」と叫ぶが、男たちは耳を貸さなかった。彼らはあっという間に出ていった。店の外から、歩行トラックが遠ざかっていく音がした。
気まずそうに、少女がマントを持ち上げて腰のホルスターにリボルバーを納めた。
「あの〜……」申し訳なさそうな笑みが出た。
「なんてことをしてくれたんだ……」店主の声は震えていた。
「す、すいません、お店は弁償しますから! あ、でも今持ち合わせがなくて――で、でもでもきっとすぐに返しますから!」
「そうじゃない」店主がキッと少女に向きなおり、カウンターに肘をついて額をおさえた。給仕の女性は椅子に座ってうなだれた。
「この村はもうおしまいだ……なんてことを……」
「おしまいって?」
「ボス! 大変です、俺たちのトラックがなくなって――!」いきなりひとりの少年が店内に走りこんできて、重苦しい雰囲気に動きを止めた。
「あ、あれ、ボスは?」彼はきょろきょろあたりを見渡す。
「あー、えっと……お仲間さんたちは、みんな帰っちゃいました……」少女が苦笑しながら頬をかく。
「帰った!?」
少年が信じられない顔をしてよろけ、なんとか近くのテーブルにすがりついた。
「あんた、赤コウモリ団の人間か?」店主がけわしい顔を見せた。少年は頷いた。
「じゃあ仕事をやってくれ。あんたたちにはもう安くないカネを払ってるんだぞ」
「ひとりで? 無茶だ、死んじゃいます!」
「おまえたちはカネを受け取ったんだろう!」
今にも武器を持ち出しそうな店主の剣幕に、少年はすっかり縮み上がって、泣き出しそうな顔を見せる。
ふたりのあいだにひとつの影が立った。
少女だった。少年は彼女の背中を見た。自分よりも小さな背中のはずなのに、何倍も大きく感じられた。
「あの〜……すいません、事情は存じませんが、その、こうなった責任は私にもありますし、もしよかったら、そのお仕事を手伝わせてもらっても……」
「ああ当然だ。このまま逃しはしないからな!」
「いやほんと、すいませんでしたほんと」
「赤コウモリ団に頼んでいたのは、この村の近くの盗賊団の退治だ。奴らをふんじばって、隣町の保安官に引き渡してくれ」
「その保安官さんは?」
「『本部からの応援を待て』だとよ。二ヶ月前からずっとそう言ってる……俺たちが貧乏だからって、助ける価値がないと思ってるんだ、そうにちがいない。やつらに任せたらどうなるか。やっぱり盗賊団は殺してしまったほうがいいかもな。どうせ人間のクズだ」
「殺すのはダメだよ……」つぶやく少女の顔に一瞬暗い影が落ちて、また明るい印象の顔に戻った。肩をすくめる。
「まぁまぁ、そのへんは任せてくださいよ」
「でも、君は女の子だろ?」少年が少女の隣に立ってそう言った。少女は頭をかいた。
「発想が地球世紀だよ。君はこの星の生まれ?」
「そうだけど、関係あるかよ。女の子は危険だ」
「君のボスとお仲間をやっつけたの私なんだけど」
「……えっ!?」
「大丈夫、怪我はさせてないよ」
少女はそう言って体を少年に向け、満面の笑みを浮かべた。
「私はコッペリア。君の名前は?」
「……俺は、オルガ。名前のせいでよく間違われるけど、男だ」
「そっか。よろしく! オルガ!」
「うん、よろしく」
少女と少年は、ぎこちない握手をかわした。
冷たい夜のなか握りしめた互いの手は、ふるえるほどに熱かった。