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水の戯れ  作者: 花歌
第1章 君や来し
6/7

闇、風、水

 何が起きたのか千秋にはさっぱり理解出来なかった。

 禍ツ物に触れた。怖かったけれど、その点についてはすでに覚悟を決めたのだ。うだうだ言うのは嫌だった。

 神様の『伴侶』とやらになることは、最終的には自分の意志で決めたことだし、例え嫌がらせをされても、拷問されても、自分で決めたことは最後まで遣り遂げたいというのが、千秋の心情だ。

 だから、触れることに躊躇いはなかった。なかったつもりだった。

 ――それともあったのかな……。

 爆発に近い音が響き、視界に破片の輝きが反射する。一瞬の出来事のはずなのに、スローモーションのように流れていく光景を目前にしながら、千秋はふとそんなことを思った。

 禍ツ物に触れた瞬間、確かにそれは「浄化」されたのだろう。だが、影が薄くなり、消える、と思った瞬間に今度はこう来たものだ。

 何かやり方を間違えたのか、と思いながら、全身に走るであろう衝撃と痛みに備えて、ギュッと目を閉じる。出来る事なら顔を腕で覆いたかったが、どうやらそんな時間もなかったらしく、体はうまく反応してくれなかった。

 血、出るかな――と、遠くで聞こえるクラスメイトの悲鳴を聞きながら、千秋はふと思った。窓の近くにいたのは千秋だけだったから、他の生徒に怪我はないとは思う。己に関して言えば、これだけガラスが飛び散って、怪我しないわけがないのは十分承知していたし、怪我人一人という状況に収まるならあまり大きな問題にならずに済むと思う。けれど、血は面倒だから嫌だった。あの臭いも色も温度も、気分を害すものでしかない。

「……?」

 様々な感情が一気に流れ、しかし、来るはずであろう衝撃はいつまでたっても来なかった。

 むしろ、あったのは全身を包む何かだった。涼しげなのに確かに温かいその感触が、自分を庇っている――抱きしめられているのだと気づくのには少し時間を要して。

「ス、スイ!?」

 視界を覆っていたはずの、散っていくガラス破片の数々は、いつのまにか柔らかい水色の衣に変わっていた。

 千秋を隠すように懐深くに閉じ込め、がっちり掴んでいる。彼の香りが――柔らかい水の香りが彼の香りであると千秋はすでに気が付いていた――その香りが、濃く千秋を攫った。

「怪我は?」

 いつもよりも低く堅いトーンの響きに、まさか、と千秋の脳裏に嫌な考えがよぎった。思わずスイの衣をギュッと握る。

「何してんの!このバカ神!怪我は?怪我……ガラスが……背中は――」

「怪我は?」

 質問以外の言葉を許さない、そんな口調だった。いつものような澄ました様子も全く見られず、明らかに彼の中で何かが警戒の色を立てている。そのせいか、千秋には彼が切羽詰まっているように見え、だからこそ怪我をしているのだと悟った。

 格好付けてんじゃねぇよ、といういつものような言葉すら言えず、何も言えなくなった千秋を、スイは一瞬だけ見た。その一瞬で、千秋が無傷であることが分かったのだろう、抱きすくめている状態から解放すると、禍ツ物に向き合った。もちろん、千秋を背で庇いながら。

「迂闊だった」

 間合いを保ちながら、スイは静かに言う。彼の背中にガラスによる傷はない。衣も水色のままだったし、血の赤い染みもなかったが、一瞬だけ、つんとした鉄の臭いが千秋の鼻をかすめた。――やはり、怪我をしている。

「罠だ」

「罠――?」

 とりあえず落ち着かねば、と、千秋はスイの言葉に耳を傾け、先程まで禍ツ物がいたその場所を見て、今度は絶句した。

「……何なのこいつ!」

 黒い影どころではない。日の光を遮り、教室中に暗い影を落とす巨大な化け物。能面のように表情のない顔は、明らかにこちらを凝視していた。

「ちょ、こいつなんかあんたのこと狙ってない!?こっち見てる!」

「いや」

 言うな否や、スイは千秋を再び抱き寄せる。今度は千秋の方にも反抗する余裕があった。

「ぎゃー!ちょっとこの非常事態に何すんのこの――」

 変態、という前に、今度は千秋の方からスイに盛大にしがみついていた。あろうことか、スイは窓際に人ならぬスピードで走り寄るなり、いわゆる「飛び降り」をやってのけたのだ。

「ぎゃぁぁぁぁぁ!」

 可愛らしさのかけらもない悲鳴をあげて、千秋は、迫ってくる地面を見てさらにスイにしがみついた。千秋の教室は学校の四階にある。たかが四階、されど四階。既に千秋には、なんだってこんなことになっているのか分からず、お得意の半現実逃避を始めていた。

 ――ってかこいつ、どうせ抱き寄せるならお姫様だっこでもしやがれってんだチキショー!

 瞬間、ふわり、と体が浮く。水に包まれるような、屋上に瞬間移動したときのようなあの感覚に体が包まれる。

 ストン――、と地に足をつけるがしかし、千秋は己の力のみで立つことが出来なかった。スイに支えられたまま、しがみついたまま、ただひたすら放心していた。

 ――なんだろう……。

 こんな切羽詰まった時であるにも関わらず、何かに包まれるような今の感覚が、ただ好きだ、と千秋は漠然と思った。こんな緊急事態に何を、とは思う。だが、妙に速くなる鼓動やズキリと痛む頭を止めることはおろか、どうして健康そのものの自分にこんな不具合が生じるのか、それすら全く分からなかった。

「……千秋?」

 突然黙り込んでしまい、支えていなければそのまま地に座り込んでしまいそうな千秋を、スイは心配そうに見た。

「どうした?」

「……ううん」

 それしか言えず、千秋は代わりに胸に手を当てる。

 ――今はそんなことより、あの化け物を……。

 ぐっと足に力を入れて、支えてくれていたスイの手を、大丈夫、の言葉を添えて、しかし強く払う。怪我人に世話を焼いてもらうなんて、そんなこと出来ない。

「千秋……?」

「なんでもないから。気にしないで」

 未だ気遣う様子を見せるスイに、ピシャリと言い放つと、千秋は校舎の四階を見あげた。校庭からは休み時間を利用して部活練習する生徒や、遊んでいる生徒が。そして校舎の窓からは教室でそれぞれ話したりくつろいでいたりしていたと思われる生徒が、それぞれ窓ガラスが砕ける音にひかれて、窓から身を乗り出し、千秋のクラスを見ていた。そして、四階から一人飛び降りてピンピンしてる千秋の姿もまた、集まる視線の対象だった。

「話が違うじゃんか。なんなのあの化け物。あれも禍ツ物だっていうわけ?」

 窓からこちらを見下ろす黒い影を見上げながら、千秋はスイに言う。

「あれで気配が小さいとかいうんだったら私、一生気配の強い禍ツ物、倒せないと思うわ」

 スイからの返答はない。千秋の皮肉に答える余裕もないのだろうか。厳しい表情を浮かべるスイを一度見たあと、千秋は校庭にいる生徒に向かって声をかける。

「こっちに近づいてきちゃダメだからね」

「え?でも鈴木さ――」

「千秋!」

 背後で響いた声に、千秋は振り返る。視界に入ったのは宙に浮かぶ――いや、飛びあがり、地面へと迫ってくる禍ツ物だった。

「んなっ!」

 運動神経だけは天性の才能を持つ千秋は、間一髪、その場を飛びのいた。さっきまで千秋がいたその場所は、禍ツ物の体重――そんなものがあればの話だが――のせいで大きく地面がめり込んでいた。校庭にいた生徒から悲鳴があがる。千秋とスイ以外に禍ツ物は見えないのだから、彼らからしてみれば、突然地面がめり込んだことになる。誰だって驚くだろう。

 千秋以外の生徒は、その場から一斉に遠ざかった。千秋にしてみれば、禍ツ物はスイを狙っているので、そうしてくれた方が怪我人がでなくて済むのでありがたい。しかし、もしあの下に自分やスイがいたまんまだったら、と思うとぞっとした。

「こいつも私が触れれば倒せるわけ?ってか罠って何なの」

「そなたに……」

 禍ツ物が腕を大きく振りかぶる。千秋は慌てることなく、それを見据えた。

「千秋!」

「大丈夫。私も死にたくはないから。それに逃げるのだけは昔から得意なんだ」

 それより早く説明してよ、と千秋が言うのと、巨大な腕が千秋めがけて振り下ろされるのは同時だった。

 別段、激しい動きをするわけではない。ただ紙一重で交わし、それからスッ――と音もなくその場から離れる。誰に教わったわけでもないのだが、千秋は相手の攻撃をかわすのが最も得意だった。ドッヂボールでボールに当たったことなど、生まれてこのかた一度もない。ある種伝説と化している千秋の運動神経の良さの根源は、実はその「避け」の上手さにあったりするのだ。

「安心して。絶対こいつの攻撃当たらないから」

 自ら近づいていくのは、多少の恐怖はあるし、それがこんなわけのわからない怪物相手だったら尚更だけれど、避けるとなると話は別だ。十七年間ほとんど怪我という怪我をしたことがない千秋の自信と実力は、絶対のものがある。今度は真横から地面と平行に、一定のスピードで近寄って来る腕を屈んで避けた。チラリ、とスイの方を見ると、それを見てある種の安心を得たのか、スイは今にも千秋の方に走り寄ってきそうな体勢を、今度はしっかりと禍ツ物に向けた。

「わたしがそなたに真名を与えたことに気付いている。だからそなたが特殊な力を持ったことを知って狙っているのだ。先程の小物はこやつのおとりだ」

「はあ!?なんでそれだけで私が狙われなきゃ……って!こいつ私を狙ってんの!?あんたじゃなくて!?」

「……そうだ。千秋を狙うのは千秋が人間だからだ。特殊な力を持つ人間は、喰えば莫大な力となる」

「はあぁぁぁ!?」

 今度は両手で蚊を潰すように千秋を潰そうとしてきた禍ツ物の攻撃を、ひょい、と後退してかわしながら、千秋は叫ぶ。

「冗談じゃないっ!私は今喰われそうになってるわけ!?話に聞いてないし!あんた触れて浄化するだけでいいって言ったじゃん!」

 言った瞬間、千秋はスイの言葉を思い出して心の底からうんざりした。真名を与られれば、多少の神力がつく――というあの言葉。

 ――神の力?んなの……。

「あんたみたいな気色悪い生き物が見えるようになっただけなんだけど!」

 全くいいことないわチキショー!と、叫びながら、千秋は地面を蹴る。伸びてくる禍ツ物の腕をかいくぐって、走り寄り、今度は千秋が禍ツ物に向かって手を伸ばした。スイに会ってから一体全体自分は何度ヤケを起こしただろうか。そう自問しながら、始めはあった恐れを今や怒りに変え、千秋は禍ツ物に触れた。つまり、消滅させようとしたのである。何で自分ばかりがこんな目に、とか、こんな化け物に向かっていくことが出来る自分すごすぎ、とか、見返りは何もないに等しいじゃないか、とか。そんなことはもう微塵も思わなかった。むしろ、この闇に住まう生き物とすら言えないモノが、酷く哀れに思えた。なんだってこんな状態で、人や力を求めるのか、そこに意思はあるのか――。

 千秋が触れたのは、目の前の化物の右腹近くだった。触れた瞬間から、先程教室にいたあの小さな禍ツ物(小さいのかどうか千秋には分からないが、少なくとも今目の前にいるヤツに比べればミクロ単位だと絶対に叫べる)に触れたときと同じような感覚が走った。

 人の皮膚と同じような感触なのに、弾力がないそれ。触れた箇所は熱く、くどい炎をまとっているようで、気味が悪い以外のなにものでもない。

 ただ、指先から掌、腕、肩を通って身体に染み込んで来る「何か」は、さらさらと流れる湧き水を彷彿とさせた。これが「浄化」なのだろうか。そう感じるあたり、普段の私の血液はどんだけドロドロなんだ、と自分でも意味不明だと分かっている突っ込みを入れながら、千秋は無意識に目の前の闇を見上げた。

 身動き一つしない。スイ曰く、元は神だったというのだから、世の中分からないものだ。分からないと言えば、浄化した力は千秋の中でどうなるのかも謎だ。これ以上、今までの千秋の平々凡々そのものであった生活を乱されたくはない。浄化といえば聞こえはいいが、この化物の力を自分が持っている状態が続くなんて、恐ろしすぎる。

 触れている感触が消えるまで身体に清らかな流れを感じつつも、千秋がしかめっ面を整えることはなかった。


「……へぇー」

 少年は屋上からの光景に、感嘆の声を漏らす。

「案外やるじゃん」

 最初から拝見させていただいた。大きくても雑魚であることに変わりないが、初めて禍ツ物を相手にしたにしては、上出来だろう。それにしてもたかが人間であるにも関わらず、なかなかの運動神経をしている。

「っていうかあれもうサル並みでしょ」

 けらけらと笑って、今度は、呆然と少女を見つめている青年を見やる。

 ――ま、あれだけのスピードで浄化しちゃったことに驚くのは分かるけど。

 アホ面してるってことに気付いてないねあれは、と随分と場にそぐわない格好をしている人ならざるものを、フェンスに肘をつきながらじっと眺めた。神にしては随分無防備だ。こちらに気付いてもいない。

 消えゆく禍ツ物を、疲労の様子を全く見せずに見つめる少女に今度は視線を移す。いたって普通の娘なのに、あれが神に選ばれたというのだから、おもしろい。

 少年は、クスリと笑った。

「楽しませてよね。鈴木千秋」

 風が流れる。少年の髪が柔らかく揺れた。

 そして次の瞬間、彼は消える。

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