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水の戯れ  作者: 花歌
第1章 君や来し
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昔の人と 今の人

アメノミナギヒコノカミ。通称スイ。水という漢字からその呼び名を取ったとスイは教えてくれたが、千秋にしてみれば一生スイはスイのままで終わるな、というのが見解だった。そんな長ったらしい名前、覚えられるわけがない。元々古典や歴史に興味のない千秋には(かといって数学や理科が好きかと言えばそうではない。体育さえあれば学校は成立するというのが千秋論である)、スイの名前が長ったらしいということしか分らなかった。

 スイに仰々しい真名を教えてもらった千秋だったが、別段変化はなく、もう遅いからという理由でその日は部屋から出て行ってもらい(気がつけばスイが千秋の部屋にいるのを発見してから、二時間以上が経過していた)、そして翌日の朝八時が今現在の時間である。

 髪を梳き、朝食を食べていつも通り外に出た千秋はげんなりした。

 早速千秋の家の前で腕を組んで待っている男を見て、思わずため息を吐く。『伴侶』になるのを許可したとはいえ、これでは先日のストーカー行為と変わらないではないか。

「どうした?」

 そんな千秋の心境に全く気付かないスイは、千秋の大仰な溜息に一応心配している様子を見せる。これが演技だったら承知しないからな、と心の中で捨て台詞を吐き、彼を無視して千秋は駅へと歩き始めた。千秋の通う高校は二駅先にあり、通学には三十分程度しかかからない。

「どこに行くのだ?」

「学校」

 すれ違う通行人に怪しまれないよう、極力口を動かさず、小さな声で千秋は言う。

「それは何をするところ?」

「勉強。あんたと初めて会ったところ」

 駅に着き、改札機を通り、電車に乗り(直衣姿の男が電車に乗っている姿はなんだか笑えた)駅を降りると、もうそこには制服を着た同じ年の子供達がちらほらと目に入る。

「どうして皆千秋と同じ衣をまっとっているの?」

「制服だから」

「……おなごがあんなに肌を出すなんてはしたな――」

「どこ見てんのあんた!この変態」

 前を歩いていた男子生徒が勢いよく振り向いた。やばっ、と千秋は愛想笑いを浮かべてそそくさと立ち去る。――そうだ。スイは千秋にしか見ることができない。

ようやくその男子の見えないところまで来ると、千秋はスイを睨みつけた。

「あんたが変なこと言うから!」

「そうか?わたしはあんなに素肌をさらけだすおなごを見たことがない。大体そなただって――」

「これが今の時代は普通なの!分かる?さすがあの女の子は――」

ちらりとそちらを見れば、パンツが見えるか見えないかというぐらい短いスカート。

「……ちょっと短いけど。でももうすぐ夏だよ。あんたのその姿の方がむさくるし――」

「ちーあーきー!」

 ガバッと、背後から抱きつかれて、千秋はひっくり返りそうになった。しかしこの声も行動も慣れたもの。幼稚園の時からずーっと一緒にいる親友(と書いて悪友と読む)美夏だ。

「おはよう千秋!」

「おはようみっちゃん。相変わらずのラブコール、ありがたいんだけど……」

 チラッと隣を見れば、スイがじっとこちらを見ている。美夏の抱きつき癖はよく知っているし、嫌ではないのだが、この男に見られていると思うと、なぜか背筋が寒い。美夏が傷つかない程度にそっと引き離す。

「もうすぐ夏だし、私よく動くから汗臭いし、止めた方が……」

「何言ってるの!私、千秋の匂い大好きよ!」

 今度は怪訝な顔をするスイ。なんだか嫌な予感がして、千秋は、とりあえず行こう、と美夏を促す。

 美夏は学校でも有名な女の子だ。成績優秀、スポーツ万能(スポーツだけは千秋には負けるが。というか千秋に敵う者がいたら拝んでみたいというのが美夏の口癖だ)いつもニコニコしていて、人にやさしい、言わばお嬢様タイプの女の子だ(でも悪友なのだ)。性格も良いし、容姿も良い。くりくりとした茶目っ気たっぷりの瞳に、別にパーマをかけたわけではないのにカールした髪が、どこぞのお姫様みたいで、影では「姫君」なんて呼ぶ男子もいる。そんなことを表だって言えば美夏のボディーガードよろしく、千秋にボコボコにされるのが分かっているので、誰もがあくまでも影でそう呼ぶのだが。

「昨日は楽しかったねぇ~!鍋パーティー!私、やっぱり春菊が好きでね――」

 この容姿とはギャップのありすぎる庶民的なところもまた、人気の秘密である。

「美夏、春菊しか食べてなかったもんね」

「だってそろそろ鍋の季節なんて終わりでしょ?だからいっぱい食べておこうと思って!」

 終わりというか、もう六月なのだが。

 千秋は苦笑して、私はそれよりもみっちゃんの作ってくれたケーキがおいしかったよ、と笑う。

「あんなにおいしいの作るなんてさすがだよね」

「ホント!?私、千秋の為に頑張って作ったんだよ!」

「うん。愛がこもってたよね、愛が――」

 いつものように冗談めかして笑おうとしたところで、またもや背筋がぞっとして、ちらりと後ろを振り返ると、さらに怪訝な顔を向けるスイの姿。何か言いたいくせに、わざと黙りこんでいるのが気持ち悪い。

「みっちゃん、ちょっと……」

「なあに?」

 にっこりと愛らしい笑顔。これだから男がわんさと寄って来るということを、美夏は全く気付いていない。だから守ってあげたくなるのだが。まあ最近は彼氏も出来たことだし。

「ちょっとね、用事思い出したから先行っても良い?」

「え?」

 先に行くと言っても、先にあるのは学校だけではないだろうか。それに、千秋が美夏を置いていくなどということは、今までになかなかない。完全にハテナマークを浮かべている美香に、千秋はとりあえず笑う。

「ごめんね!あとで教室で会おうね!」

 言うなり千秋は何かを掴んだように、美夏には見えた。ついでに小声で、

「ちょっと来い!」

 と言ったような――。

「千秋……?」

 らしくない親友に、美夏はただただポカンとしてその背中を見つめていた。


「どうかしたのか?」

 直衣の袖を掴んで校内へと走る千秋に合わせ、スイもそれなりに走りながら問う。体育だけには自信がある千秋が全力疾走しているというのに、なんでこの男はこんな軽々と――と考えて、こいつが神だったことを千秋は思い出した。

「うるさい!黙ってて!」

 ムカつく。なんで千秋が一生懸命やっていることをこの男はいとも簡単にやってしまうのだろう。――大体千秋が誰かに勝るものなんて運動しかないというのに。

「どこに……」

「誰もいないとこ!」

「分かった」

「は?」

 瞬間、浮遊感が全身に走り、千秋は慌ててぎゅっと目を閉じ、ぎゅっと掴まった。浮遊感、といっても嫌なものではない。ふわり、というのとはまた違うし、単に浮いている、というのとも違う。そう、あえていうなら水に包まれている感じだろうか。どこか心地良い感触が体を包んでいる。冷たいのに温かい息吹ともいうべきその一瞬が終わって、再び地に立った時、千秋は何が起こったのかを考えるより、一瞬だけ感じたその感触の余韻が忘れられなかった。

「……千秋?」

 ハッとして、千秋は声の元を見上げた。

 ふわり、と風が彼の髪と、自分の髪を揺らす。彼の優しさ含んだ微笑みに、無性に胸が締め付けられた。こんなことは初めてなのに、懐かしい気がするのは何故だろう。

「千秋、どうした?」

「……なんでもない」

 言って初めて、千秋はスイの腕にしがみついていたことに気がついた。一瞬、自分のすがっているものが理解出来なくて、固まってしまった千秋。その表情があまりにおかしかったのだろう。今度はスイがポカンとして、次の瞬間には笑い出していた。

「こ、これはっ!」

 スイが笑う、ということ自体、あまりないことは出会って間もない千秋でもなんとなく分かっていた。分かっていたからこそ、今現在肩を震わせているスイが、わけもなくムカついたし腹立たしかったし――でもやっぱり、ほんのちょっとだけれど、嬉しかった。

「不可抗力だ!絶対!いきなり何すんだこの野郎!」

 バッと力任せに掴んでいた腕を払い、キッとスイを睨みつける。顔を真っ赤にしてそんなことをしたって、別段恐ろしくも何ともないことに本人は全く気付いておらず、それがまたスイの笑いを誘うことすら、恥ずかしさの極値にある千秋には念頭に置くことが出来なかった。

 笑うスイも、優雅だった。もともとありえないくらい綺麗な顔つきだと千秋は思っていたが、彼の自分勝手な態度に接するうちに、そんなことはどうでもよくなって、最近は適当に扱っていた。しかし、やはりこうして見ると、人外のものであることを感じずには得られない。

 スイを観察することで落ち着いてきた千秋は、大分笑いの収まったスイに、何したの、と詰問する。なんとなく分かっていたが、案の定返ってきた答えは、

「移動した」

 だった。つまり、千秋を伴っての瞬間移動である。周りを見渡すと、一年生の時に授業で一度だけ来たことのある、立ち入り禁止の屋上であることが分かった。ここなら大っぴらに会話しても怪しまれることはない。

「そなたが誰もいないところに行きたいというから」

 その言葉に、一瞬何の事を言っているのかわけがわからなかった千秋だったが、美夏と戯れる千秋を見るスイの冷たい視線をふと思い出した。――そうだ。あの視線の真意を問おうとして――。

「あんた、さっきの視線何?」

「さっきの視線?」

「美夏と私が話してるとき、変な眼で見てたでしょ」

 その時のことを思い出したらしく、スイは再び怪訝そうな顔をした。

「いや、わたしにそなたの趣味をどうこういう筋合いはない……」

「……どういう意味?」

 まさか、と千秋の顔は引き攣る。案の定、スイは――。

「……女子おなごに気があるのでは……?」

 これまでの会話の中で、スイが昔の人――それこそ平安時代とか、その辺の人の習慣しか知らないのではないのか、と思っていた千秋。案の定、今の時代当たり前の女の子同士のじゃれ合いも、この男にはすさまじいものに見えるのだろう。大体、膝を出しているだけで、露出が激しいと言う、どこぞのおじさんみたいなことを言うやつだ。それは分かる。分かるのだがしかし――。

「お、おんなのこに……」

 そういう目で見られるのは例えどうでもいいやつからだろうと嫌だ。千秋と美夏はいたって普通の親友で(そりゃちょっと千秋は美夏に対して過保護だし、美夏も千秋に抱きつくのが好きだが)どっちも普通に男が好きだ。美夏にいたっては現在彼氏だっている。冗談でもそういうことは言ってほしくない。

「いっぺん死ねや」

「……違うのか?」

「いや、いっぺんならず何度でもくたばれ。このヘタレ神」

 快晴で、風も気持ち良くて、しかも普段は鍵がかかっていて入ることのできない屋上にいるというのに、よりによってこの男と二人きりで、しかもなんだって女同志でどうのこうのという話をせねばならんのか。まだ授業も始まってないのにお家に帰りたい――と、千秋はため息をついた。

「あ、そうだ。授業といえば、もうすぐ授業始まるわ」

 腕時計を見ると、ホームルームの始まりのチャイムが鳴る三分ほど前だった。いつもなら席についている時間だ。

「ねえ、瞬間移動するとき誰にも見られてないよね?」

 確か移動した際、千秋とスイは生徒の間を走っていた。

「ああ。誰も気づいていない。幻のように見えるだけだから」

「じゃあ教室に行っても騒がれることはないね。というかあんた、もしこれで見られてたとか言ってたらぶん殴ってやってたから。今度から事後承諾なしね」

「……分かった」

「うむ。素直でよろしい」

「そなた、本当にわたしのことを神だと思っている?」

 思ってる思ってる、と手を振り言い、教室に行こうと千秋はドアノブを回した。

 ガチャリ。

「……」

「……」

「あの~」

「……なに?」

「鍵開けて?」


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