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水の戯れ  作者: 花歌
第1章 君や来し
3/7

ストーカー

ものすごく可愛いかといえばそうではない。だからといってブスでもない。いたって普通の女の子である千秋は、痴漢とスリを撃退したことはあったが、ストーカーを退治したことはなかった。むしろ、ストーカーされたことすらなかった。

 スイはその容貌に反してしつこかった。(千秋の中ではなんとなくサッパリとしたイメージだったのだ)他人には見えないのをいいことに、朝、学校に行くため家を出ると、もうそこには無表情のまま立っていて、通学中も、授業中も、昼食時間も、さらにはトイレに行くときまで傍にくっついて来たので、さすがに蹴り飛ばしてやった。(トイレに行くということは知らなかったらしいが、そんなことはどうでもいい)

 幽霊ではないことは分かっているけれど、ある意味それよりもしつこくくっついてくる気味の悪い男。彼の「伴侶」とやらになるのは既に断っている。なのに千秋の視界内に必ずいるのは、やはり諦めていないからだろう。その証拠に、授業中であるにも関わらず、

「そなたにしか頼めないのだ」

 とか、

「そんなに難しいことではないから」

 とか、何度も何度も背後から声をかけてくるので、イライラのあまり激しく貧乏揺すりをしていた千秋は、隣の席の男子にひどく恐れられた。(鈴木さん……いつもに増して怖いよ)

 ある時は、引っ付いてくるんじゃねぇよ!と言葉汚く怒鳴り、ある時は無視し、ある時は適当にあしらう日々が続いたのだが、何故かそのストーカー行動が始まってから五日後、スイは突然姿を消した。

 やっと邪魔者がいなくなった、と嬉しい反面、自分にしか出来ないということを断ってしまったので、実を言えば心境は複雑だった。けれど、彼の言う「神殺し」が生半可な覚悟で出来るものではないということは理解している。神とやらを信じたことは高校受験の時ぐらいしかなかったが、目の前にそれの端くれが現れたのだ。力を失っているにも関わらず、自分を拘束出来るほどの力を持つ存在。それに近いもの――いや、更に恐ろしいものに立ち向かわなければならないだけでなく、もしもスイが禍ツ物になってしまった場合、千秋は彼を殺さねばならなくなるのだろう。あの瞳は随分優しい翡翠色だったから。

 そして、次にスイが現れたのは、一週間遅れの千秋の誕生日パーティーが行われた後の、自室だった。

 もう色んな意味で――ヤケクソだった。

 

「で?」

 腕を組み、足を組み、椅子にふんぞり返って座りながら、千秋はスイを睨みつけた。

『伴侶』を受け入れたことにほっとしているのか、スイの表情は穏やかだった。その対比よろしく、スイの方は床に正座して座っている。もうこうなると神も人間も幽霊も妖怪もなかった。

「良かった。そなたが受け入れてくれて」

「あのね、突然自分の部屋に出てくるような恐ろしい神様と張り合うほどね、私バカじゃないの。お分かり?」

「ああ」

 ――そんなすんなり肯定すんなよ。

 仮にもあんた神様だろ、と心の中で呟く。妙に緊張させられるやつかと思えば、拍子抜けするような態度も平気で取るし、ストーカーだし、いまいち掴めない。

「……神殺しって、具体的には何すんの?」

「そなたの場合は……」

 急に真面目な表情になるスイ。やっぱりそれだけのものなのだろう。

「触れるだけでいい」

 触れれば、とスイは言う。

「禍ツ物の力を奪える。奪えば必然的に彼らの負の力は正へと変わる。わたしはその力を得て、神としての力を取り戻し、宿り場を再び見つけだすことが出来る」

「え、ちょっと待ってよ」

 下の階まで聞こえないよう、極力小さな声で千秋は遮った。

「禍ツ物とかに取り込まれちゃったらやばいんでしょ。私近づきたくないし。なんかこう……弓矢とか剣とかないわけ?呪文とか、魔法の杖とか」

確かファンタジーにそういうものは付き物ではないのだろうか。それとも、神様の相棒になる、ということはファンタジーじゃないのだろうか。

「そんなものはない」

 隠しもせず、千秋は嫌そうに顔を歪めたが、ポンッと手をうつと、次の瞬間には(自称)女神のような微笑を浮かべた。

「でも私、そういう系のもの何も見えないから~」

 語尾にハートマークをつけんばかりの猫撫で声である。今度はスイが気味悪そうに顔を歪めた。

「……あー、いや、そのことについては心配ないよ」

 せっかく『伴侶』の立場を受け入れてもらえたのに、ここで「気持ち悪いからやめてくれ」とか言って、憤激されれば元も子もない。スイはあえて突っ込まず、綺麗に流した。

「見えるように出来るから」

「!?」

 バババッ、と椅子をひっくり返して、千秋は壁際まで下がる。

「ま、まさか……それって幽霊とかも見え、見えて……?」

「もちろん」

 千秋、撃沈。つづいてムンクの叫び。もう女捨ててるとかそういうレベルを越える表情だった。

「いはいはー!ははひひゅーへいはんてひはいー!」

「うん。それは初めて会ったときに嫌と言うほど知った」

 イヤイヤー!わたしユーレイなんてキライー!

 頬にこれでもかというほど手を押し付け、言葉になってない言葉を吐く千秋に、スイはいたって普通に返答する。

「……しかし妙なのだ」

 ムンクのまま、千秋はスイの方を向く。

「はひは?」

「わたしが見えるのに、霊の類が見えないことだよ。霊感、というのはよく聞くだろう?」

 千秋は頷く。

「人の霊、動物の霊――そういったものが見える者は多い。それでも普通は見えないものだけれど、神の姿まで見える程の者になると、そこから更に絞られる。ほんの一握りなのだよ。そして本来は、人、動物の段階を踏んで、神の姿が見えるようになる。低い神から順番に。地位が高ければ高い程その姿を人の目で捕らえることは出来ない」

 ようやく千秋はムンクをやめた。何やら難しい話になってきている。

「……そなたは妙だね」

 実に考え深くスイは言った。

「初めて会った時に、わたしに名を明かしただろう?あれは本当に真名?」

「もちろん」

『鈴木千秋』以外のものになった覚えはない。千秋は大きく頷いた。

「そなたが受け入れてくれたからこそ言うけれど、わたしは始め、そなたの真名を知った時点で、そなたを縛るつもりだった」

「……意味がよく……」

「無理やり伴侶にさせる気だったということだ。操るなりなんなりして」

 千秋の面が一瞬にして引き攣った。初めて会ったあの日、千秋の額を触ったあれは、そういうことだったのか。

「あんた……それって……?」

 わなわなと震えながら、千秋は詰め寄る。

「私の人権は無視?無視なわけ?あんたいつの時代の神様か知らないけどね、今の世の中じゃ自己決定権ってもんが存在してんの。明らかに今の世の中から逸脱してるあんたが、一般ピーポーながらも必死に生きてる私を自由に操ろうなんて、よくもまあそんなおバカな考えが――」

「意味が分かっていないようだから言っておく」

 少しも悪びれた様子を見せず、スイは言った。

「そなたの真名が別にあるということは、そなたの名は『千秋』ではないということだ」

 この七日間神としての矜持も何も捨て、必死になってそなたに頼み込んでいたのは、とスイは言う。

「そなたの真名が分からず、そなたを縛れなかったからだ。そなたから離れた二日の間に、真名の知れた人間を何人か縛ってみた。そなたの言うように、この時代の人は真名を簡単に明かし、誰にでもその名を呼ばせる。随分と不用心になったものだね」

「縛ったって、あんた何したの!?」

 自分の名が千秋ではないのかもしれないという衝撃はさておき、人に何かしたのか、そっちが心配で(例えばこの間の千秋の時みたいに閉じ込めたとか)思わず千秋は叫んだ。下の階に親がいることなどすっかり忘れていた。

「妙なことしたんじゃ……」

「いや」

 スイはいたって冷静だった。

「耳鳴りを聞かせたり、視界を一瞬だけ曇らせたり。それだけだよ」

 千秋とはえらい違いだ。まったく、もう少し自分にも優しくしてほしい。

 ほっとすると同時になんだかムカついて、千秋はブスッとしたまま倒した椅子をもとに戻し、もう一度そこに座った。

「……私の名前、千秋じゃないの?」

「だと思う」

「じゃあなんていうの?」

「分からない」

 つかえないなあ、と千秋が言うと、知らないほうがおかしいのだ、とスイはごく当たり前のことを言った。

「うーん。分かった。じゃあ名前のことはお母さんにあとで聞いてみる。それで話を元に戻すけど、禍ツ物を見えるようにする為にはどうすりゃいいわけ?」

 ヤケクソで『伴侶』になることを承諾したのだから、それだってヤケクソで許可するしかない。もう一週間、目の前のスカした野郎とやり合う気力はさすがの千秋にもなかった。

しかし、ここに来て初めて、スイは表情を曇らせた。迷い、という言葉がピッタリとくるその面に、千秋の機嫌は更に傾く。

「ちょっと、私はあんたに色々協力してやるって言ってんのに、なんであんたがそんな顔するわけ?悩んでいいのは私でしょ?本当は幽霊だって見えるのやだし、そんな化け物に近づくのも本当ならごめんなんだからね。見返りだってないんでしょ?」

「……わたしが神に戻れば、わたしの守護が得られるが……いらないだろう?」

 またストーカーするのか!?と、顔に書いてある千秋を見て、スイは言葉を続けた。

「いらんわ」

「その方がわたしも楽でいい」

 ――それが人にものを頼む態度か?

 代わりに何かくれるとかないわけ、とよっぽど言いたかったが、それでは一向に話が進まないので、千秋はその言葉を飲み込んだ。

「……を」

「何?聞こえない」

「真名を――」

 俯いていた顔をスイは上げ、千秋をじっと見つめた。

「真名を明かす」

 決心した表情のスイ。澄んだ瞳でこちらを見ているスイを、千秋もまた見つめ返していた。長い沈黙が場を走り、一瞬でも動けばそれが何かを呼び覚ますようで、自然緊張が二人を繋いでいた。しかし。

「だから何」

 千秋は生粋の現代人だった。

「それだけで禍ツ物が見えるようになるわけ?」

「……そなたなは……!」

 突然、雪みたいに綺麗で白い肌をほんのりと染め――と言えば美しいが、まあようするに、スイは怒りで顔を赤くして突然立ち上がった。あまりの勢いと、今まで冷静沈着を貫いていた男の豹変ぶりに、千秋は驚いて目を見張った。

「真名を明かすとはどういうことか先日説明したばかりだろう!?」

 もう忘れたのか、との言葉に、慌てて千秋は返す。

「お、覚えてるよ!その者を縛る――」

「つまり、わたしはわたしの全てをそなたに捧げると言っているのだ!」

「……はあ!?」

 ビックリを通り越して卒倒もんである。

 なんで会って間もない、しかも人間でもない男から、怒り任せに下手すりゃプロポーズとも取られないセリフを受けねばならんのだ。捧げられてもちっとも嬉しくない。むしろぞっとする。

「あんたを私がもらう!?いらないし!」

「わたしだって好んで捧げるわけではない」

 見えないのだからしょうがないだろう、と、今度は諦めきった表情で、部屋の窓から月を眺めるスイ。その遠くを見つめる憂いを帯びた表情が何故か妙に哀れで(のちに千秋はスイのこの演技に何度も騙されることとなる)、自分が申し訳なくて、おそるおそる声をかけた。

「あの……なんかごめん。そんな大事な真名を……。あれ。でも真名もらってなんで見えるようになるわけ?」

 千秋の無理解ぶりに、スイは遂に溜息をついた。(のちにスイは教えたことを全く持って理解していない千秋に果てしなく苦労していくこととなる)

「わたしを捧げるということは、多少の神力が付くということになる」

「え!?」

 途端、千秋は眼を輝かせた。

「じゃあ私にも結界とか瞬間移動とか出来るようになるわけ!?」

 遅くまで寝てても遅刻しなくてすむかもしれない、とか結界を自分の周りにだけ張ってみんなから見えないようにただで映画館に入って、とか、ウキウキといいことばかりを考えていた千秋だったが、しょせん現実は現実だった。

「いや。そなたはあくまでも人間だからね」

「……ちっ」

 随分損な役回りだと思う。禍ツ物とかいう化け物を倒し、大嫌いな幽霊が見えるようになり、奪った負の力を正にのものに変え(もっともこれは勝手に変わるらしいが)それをスイに与える。対して千秋が得るものといえばスイの名前だけだ。

「で、なんていうの名前」

 千秋が聞く。スイは千秋を見つめていたが、やがてハッキリとその音を口にした。

「天水和比古神」

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