表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
レスティア物語  作者: マリア
第二章 王都センスティア
98/275

カルトーラの追悼祭

フラン→カイルサイド

 澄み切った空を見上げながら、フラン=アルカスは今年もやってきたこの日を沈鬱な顔で迎える。普段は無理してでも笑えるが、この日だけは笑うことができそうにない。決して消えない罪を刻んだこの日だけは。

「フラン、今日も……行くのかい?」

「ああ、ちゃんと見てないとな。俺達の、罪を」

 フランはこの時期になると決まってうずく足をさすりながら自責するような暗い声を出す。母には随分迷惑をかけている。自分の我儘で自警団に入ったのに、勤め上げることもできず途中で投げ出してしまった。

 娘になることを期待していた女性とも添い遂げることができず、未だ独り身であり人より手のかかる息子の面倒まで見させてしまっている。


「あれから、六年だよ? そろそろ自分を責めるのを辞めたって……」

 フランの母親はあれ以来、自責の念に押しつぶされそうになっている息子を見ていられなかった。自分達の罪は自覚している。それでも、過去は変えられない。あの日には戻れないのだ。もう少し自分を許してやっても、労わってもいいのではないか。

 その気持ちはフランにも伝わっている。伝わっているからこそ、フランは自分を許すことができなかった。今、こうして自分がのうのうと生きていることが自分への罰だと思ってきたから。


「まだ六年だ! あいつは、あいつは十歳だった。生きてても十六だ、まだ、ガキじゃねぇか。それなのに、俺達がその未来を奪ったんだ。ひどいやり方で、話も聞かずに、苦しませて……殺した。町の連中の中には主の怒りを鎮めて、報復を避けるために祭りを行っている奴もいる。でも、俺は、俺はあいつを、あいつらを弔ってやらなきゃならないんだ」

 あの出来事があって翌年、追悼祭が執り行われることが決まった。王国だけではなくレスティアでは死んだ人を弔う方法は火葬が一般的だった。

 火によって肉体を土へと還し、風と舞い上がる煙と共に魂が冥界へと導かれる。葬儀の最後、墓に水をかけて現世での痛みや悲しみ、未練が流れて来世で新たな生を送れるよう冥福を祈る。


 火に焼かれて死んだ彼らを、火で弔うことに反対意見もあった。だが、遺体を弔うことのできなかった町の人々にできる追悼の方法が他に思い浮かばなかった。

 そしてまた、それは町の外にいてこちらをうかがっているはずの主に対する意思表示にもなるだろうと。

 これまで通り変わらない主への敬意と畏怖、そして贖罪と懺悔の意を込めて。


 だが、生前関わりのなかった者は罪の意識はあっても、主の報復の方を恐れた。

 いつ襲撃があるかと戦々恐々として日々を過ごしていた。この恐怖から逃れられるならと、信仰ともいえる主への祈りに傾倒していった。

 フランだって襲撃への恐怖と不安がないわけではない。だが、もし報復されることがあっても受け入れるつもりでいた。だが、あれから六年、いまだこの町は存続している。


「……そうだね。あんなに可愛い子だったのに、必死で頑張って生きてたのに。みんな、台無しにしちまったんだね」

「きっと生きてりゃ、すごい奴になれるはずだった。ガキのくせに、俺より度胸や根性があって、強がって……だけど、ガキらしい弱さや可愛げだってあった。なんで、信じてやれなかったのか……」

 それを思うと、足の古傷と同じでズキズキと胸が痛む。いつだってまっすぐフランを見てきたあの目を、どうして疑ってしまったのだろうか。

 弟のように思っていたのに、そんな風に接してきたのに、突然の変心をどう思ったのだろうか。


 あの小さな体で、たった一人で町を主の怒りと報復から守ってくれていたなど思いもしなかった。自覚がなかったのかもしれないが、確かにあの孤児が町を救ってくれていたのだ。

 孤児にしては綺麗な子だった。女の子と間違いそうなくらい可愛らしく整った容姿もそうだが、いつだって清潔な服を着ていた。古着をさらに着古した服でも、丁寧に繕って着ていた。


 何よりその心が、生き方が綺麗だと思わせた。子犬と元気に町を走り回り、小さな仕事でも頭を下げて一生懸命働く。ちょっとおまけしてやったり、食べ物を与えると、花が咲いたように笑う。

 自身の境遇に卑屈にならず、精一杯人として生きようとしていた。眩しいくらいに、真っ直ぐ立っていた。


 だからだろうか。疑惑が持ち上がった時、誰もが否定の声を上げることができなかったのは。眩しすぎて、ちゃんと見てやれなかったのか。

 それとも、偏見と先入観があんな存在はあり得ないと囁いたのか。綺麗すぎる生き方が、美しい心が、逆に疑惑を確かなものにしてしまったのか。


 見下してきた孤児に、排斥してきた流れ者にあんな生き方が出来るはずがないと、美しい心が持てるはずなどないのだと。

 何かあるのではないかと、何か企んでいるのではないかと。フランだけは最後まで信じたかった。あんな笑顔が嘘だとは思いたくなかった。


 だが、当時フランが交際していて、その関係で孤児とも仲良くしていた女性が疫病に倒れた。突然現れなくなった女性に首をかしげていた子供。

 それは演技には見えなかった。けれど、苦しみ抜いて恋人が死んだ時、フランの中で子供の笑顔がひび割れて、砕けた。

 火を放たれ、熱さに身をよじらせて涙を流して叫ぶ子供を見て哄笑した。あの時のフランはどれ位狂った醜い顔をしていたのだろうか。


 全て見届けるつもりだった。一つ残らず見て、死んだら死体を踏みにじって唾を吐き、恋人の墓に花と一緒に土産話にするつもりだった。

 だからこそ、フランは見た。死に際に見せた偽りのない人の本質というものを。自らを顧みず、大切なものを救おうとする強さを。


 それを見て、フランの心に冷たい氷が差し込むような悪寒が走った。何か決定的な間違いを犯したような、そんな予感がよぎる。

 炎の中でもかすかに聞こえていた子犬の声が聞こえなくなった頃、町の周辺を治め守り神ともされていた主が広場に飛び込んできた。

 狂乱していた人々を一声の元に鎮め、唸り声と共に発動した魔法が処刑台で燃え盛っていた火を消していく。


 主の登場と行動に混乱しつつも、次第に人々は事情を飲み込み始めた。主が、子供を子犬を助けようとしていることに。子犬の遠吠えが、主を呼ぶものであったことに。

 火が消えて見えたのは、惨憺たる有様の子供とその足元に横たわる、似たような惨状の子犬の姿。

 全身が焼け焦げ、炭化した皮膚が剥がれ落ちたところは赤黒い肉や酷いところは骨まで見えている。煤で真っ黒になった顔に柔らかだった髪は焦げて縮れている。


 主は子犬の体を鼻で揺らし、次いで子供の頬を舐める。しかし、どちらもピクリとも反応しない。低い唸り声を上げながら、主は遅れてやってきた番に子犬を託すと、自らは子供の体を咥えて走り去っていった。

 最初の混乱からは抜け出した人々だったが、主が去った後にまた別の混乱が起きた。主の行動は明らかに迅速すぎた。子犬が最初の遠吠えを上げて十分も経っていない。町のすぐそばにいなくてそこまで速く駆け付けられるだろうか。


 また、去り際に町の者達を睥睨していったあの目には、明らかに憤怒の色があった。手を出さない限りは穏やかで、時に町を守ってくれたりもする主が、明らかに町の者達に激しい怒りを感じていたのだ。

 フランはますます別の意味で震える心を抑えきれなかった。まさか、と、飛び出しそうな声を押さえるので精一杯だ。そんなことがあるわけがない、あっていいわけがない。もしそうなのだとすれば、自分達がやったことは何だというのか。


 しかし、そうやって自己弁護するフランを打ち砕く報せが届いた。慌てふためき、髪を乱しながら、ギルドの受付嬢が広場に飛び込んできた。そして、告げられた事実。自分達が見てこなかった真実があった。

 この町に立ち寄り、次の町に向かった傭兵達が、次の町にて疫病に倒れた。そして、それはこの町に広がっていたものと同じ病であったという報せが。その瞬間、説明されなくても誰もが真実にたどり着いた。本当に疫病を持ち込んだのが誰で、流行らせたのが誰だったのかということに。


 子犬の正体と主との関連性に。なにより、自分達が疑い、罵り、痛めつけて殺しただろう子供が、全くの無実であったことに。そればかりではなく、その子供がいたからこそこの町が主の報復を免れていたのだろうということに。

 気付いて愕然となり、誰もが呆然と処刑台の残骸に視線を向ける。あそこで、無実の罪を着せられ、真実を叫びながら誰にも信じてもらえずわずか十歳で命を落とした子供がいる。それが夢であればいいのにと思いながら。


 だが、いまだに広場に漂う肉の焼け焦げる匂いや、くすぶる処刑台がそれを許さない。あれほど狂乱していた人々はあまりの罪深さに涙を流し、吐く者も少なからずいた。フランはしびれたような頭で、どこで間違ってしまったのか考え続けていた。

 あの笑顔を信じられなくなった時に間違ってしまったのか、それとも最初から間違っていたのか。子供を一人の人としてではなく、流れ者の孤児と認識してしまった時点で、すでに間違ってしまっていたのだ。


 フランの恋人はあの傭兵達に言い寄られていた、病をうつされたのはその時なのだろう。偶然、子供と子犬が立ち寄った場所に疫病を持つ犬達の素材があっただけなのだ。あるいは、主の子であるなら探していたのだろうか。最期まで自分を守って散っていった犬達を、せめてもの弔いとして。

 楽しそうに町中を歩き回っていた一人と一匹の姿が浮かんできて、フランは恋人を亡くした時かそれ以上の喪失感を味わっていた。生意気でも、真っ直ぐに親愛を向けてきたその眼も、笑顔も、最後に見た悲痛な眼と表情にとってかわられる。


 フランは次々と浮かぶ思いを噛み締め、顔を上げる。

「……行ってくるよ」

「行っておいで。わたしの分も祈っておいておくれ、わたしは顔向けなどできないからね」

 フランの母であり八百屋の女将でもある女性もまた、子供と親しくしていながら手酷く裏切った一人。あれ以来快活な笑顔は失われてしまっていた。今もなお広場に残る処刑台を見ることもできない。


 広場に残された処刑台は、町の人々の罪の象徴として壊されることなく現存している。ただ、普段はあまりにも悲惨な出来事を思い出してしまうため、周囲に支柱を立て天幕をはって見えないようにしている。

 ただ、追悼祭の日だけ天幕が取り払われ、そのそばで組み上げた木で火をたく。せめて子供達の魂が浄化され、冥界へと旅立つことができるように祈りを捧げる。

 今年一年、無事に過ごせたことを主に感謝して、同時に自らの罪を懺悔しながら、それを見届けるのだ。


 いつも、この祭りの後には主の遠吠えが聞こえてくる。同じように追討をしているのかもしれない。子供と共に死んだ主の子を悼む意味を込めて。

 主からの返信とも取れるそれがある間は一定の均衡が保たれるのだろう。あれ以来、テリトリーへの立ち入りは前以上に厳しくなったが、町の外でも襲われたという話は聞かない。

 だが、もし町の者があの出来事を忘れることがあれば、主は町を襲うのだろう。それが町にいる者達の共通の認識になった。だからこそ、あれ以来毎年追悼祭は続けられ、孤児達に対する扱いも変わっていった。


 せめてもの償いにと、あの子に出来なかった分情愛を持って孤児達を育てるようになった。初めは問題も多くあったが、次第に孤児達も普通の子供達のように笑顔と素直さを取り戻していった。そのため、あの子供は孤児達からは守り神のように拝まれていた。自分達を救った悲劇の英雄として。


 不自由な足で、杖を突きながら普通の人よりもゆっくり広場にたどり着いたフランは、いつもと少し雰囲気が違うことに気付いた。誰もがある方向を見ている。つられてフランもそこを見て、愕然となった。

 まるで、あの時の子犬が大きくなったのかと思わせる体躯の魔獣。その魔獣が寄り添うのは、死んだ子供と同じ茶色い髪をした少年。まるで、あの出来事がなければこうなっていただろう未来の姿を想起させる光景だった。

 うつむいているため顔は見えないが、なぜかフランは誘われるようにしてそちらに向かっていた。何人もの心配そうな顔をした仲間達に囲まれている、その少年の元に。




 路地を出ても、どこか現実感がなくフラフラと町を歩いていたカイル。どこを見ても、どこを歩いても当時の記憶や思いが甦ってくる。現実の光景に過去の光景が重なり、何度も人にぶつかってはよろめき、レイチェル達に支えられていた。


「カイル、無理はするな。この町に連れてきただけでも、無茶だと思っている」

「っ! で、も……必要、なんだろ?」

 息苦しさと、治まらない目眩。頭痛のする頭の中に反響してくるレイチェルの声に、どうにか答える。クロを連れているためか、カイルの容姿が記憶を思い出させるのか、あちこちから突き刺さる視線がまた動悸を激しくさせる。


 普段なら視線なんて適当に受け流せるし、気にしないでいられる。でも、この町では違った。どうしても思い出してしまう。どうしても気になってしまう。

 訳が分からなかった。昨日まで普通だったのに、今日になると突然変わってしまった人々。無言の圧力に押され、広場へと追いやられた。あの日の再現をするように、カイルは視線に追い立てられて広場へと向かっている。


 行きたくなんかないのに、見たくなんかないのに。この視線にも耐えきれずに足を止めることもできない。周りの状況を確認することもままならず、腰のあたりに感じるクロの温もりだけを頼りに歩を進める。

 これが、必要なことなのだと。夢をかなえ、クロや仲間達と共に歩むために、何より自分自身のために必要なことなのだと己を奮い立たせながら。


 息継ぎをするように何度も路地裏に入っていった。あの時とは違い、もう路地裏に子供達の影はない。へたり込んで足腰が立たなくなりそうなカイルを、何度も引き上げてくれるレイチェル達。

 ありがたく思いながらも、どこか申し訳なく情けなくなる。この出来事以降にも同じような、似たような悲惨な目にあったことはある。それなのになぜ、この出来事だけがこんなにもカイルの心に残っているのだろう。なぜここまで深い傷として残っているのか。


 忘れてしまっていたからだろうか。傷を負った時にちゃんと向かい合って乗り越えなかったせいで、後回しにしてしまったせいでここまで深く残ってしまったのだろうか。違う……気がする。きっとこの出来事があったから、カイルはその後の出来事を乗り越えられた。


 何があっても生きることを諦めず、自分を曲げたり投げ出したりすることがなかった。けれど、その理由を考えようとすると眼もくらむような頭痛が起きて、思考が霧散してしまう。届きそうで、届かない答えがある。

 辿り着かなければ解決できないのに、心のどこかでそれを拒絶している。


 その答えにたどり着くことができないまま、カイルは広場にたどり着いてしまった。もうすぐ追悼祭が始まるのか、多くの人々が集まり、それゆえにクロと自身に視線が集まるのを感じながら、カイルは未だ顔を上げることができずにいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ