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レスティア物語  作者: マリア
第二章 王都センスティア
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トラウマとの戦い

「じゃあ、自分でも色々試した後なの?」

「……つーか、まぁ、裏の連中にちょっかい出されたの、この前のが初めてじゃないからな。睡眠とか催眠とか……後、催淫系も…………大体経験済みだ」

 今度こそ心の中だけではなく、ヒルダは片手で頭を抱えて項垂れる。裏社会にとって天敵とも、正反対ともいえるカイルだが、生きていたところは影。光よりもずっと闇に近い場所だった。それで、目を引かないわけがない、手を出されていないわけがなかったのだ。


 経験を積むごとに、逃れられたり回避できたりする確率も可能性も上がっていくのだろうが、少なからぬ被害もまた受けてきたのだろう。そうした状態異常系の魔法や薬は、相手の自由を奪いたい者達にとって必須であっただろうから。

「それで、クロに?」

 ハンナもまたヒルダと反対側のカイルの隣に来て質問してくる。今度こそ見逃すことのないように、ちゃんと言葉にできないことだろうと理解できるように。

「まぁ、な。それほど頻繁じゃなくても、糧は必要だし……自傷行為すんのもな……キリルや親方達に頼むのも気が引けるし」


 自分で自分を傷つけて気絶させるようなことをしていては、どこかおかしくなるような気がした。それが癖になってしまうような、辛いことや消化できないことがあれば自分を傷つけて解消しようとしてしまうようになる気がした。クロにも止められたし、カイルを大切にしてくれる家族にあえて自身を傷つけさせるようなことをさせられないとも思っていた。

「わたしなら、最小限のダメージで気絶させられる」

「や、でも……」

「毎日クロに頼る方が負担が大きい。クロだってそれは望まないはず。カイルがちゃんと寝られるようになるまで、わたしが寝かす」

 ハンナはぐっと握りこぶしを作って任せろというように頷く。それを見てカイルは苦笑を浮かべる。


「……最後だけ聞くと、すげぇ手のかかる子供みたいだな、俺。でも、まあ、それなら頼んでも、いい、のか?」

『本人が言っておるのだから構わぬだろう。それに、実際主は何かと手がかかるし、まだ子供でもあろう』

「クロには色々世話になってるから、反論できねぇ」

 クロとしても頼られたり、あてにされることは喜ばしい。だが、それでも一人で震えていたり、泣いて飛び起きる様を見るのは辛い。


 震えが収まるまで側にいたり、涙を拭いてやることは出来る。それでも、妖魔であるクロは人の心の傷を癒す方法を知らない。どうすればその震えを、涙を止められるのか分からないのだ。

 カイルにとっては予定外だったのだろうが、こうして仲間でもあり、人でもある者達に知られたのはよかったのかもしれない。クロには分からない、できない方法でカイルを救えるかもしれないのだから。

 だからこそ、カイルが隠そうとしたことでもクロが明かした。同じようにカイルを思い、大切にしている彼らなら傷を癒す方法を知っているのかもしれないと考えたから。

 そして、それが出来ることがカイルがクロに本当に自由を与えている証明でもあり、自身でも克服したいという考えがあることを意味している。信頼できる仲間になら、明かしても構わないかという、無意識の甘えによって。


「任せる。一撃で、仕留める」

「……ちゃんと明日迎えられるよな?」

「心配いりませんわ、わたくしもおりますもの」

「それって、無事に済まないこともあるって意味じゃ……まぁ、仕方ないか」

 無理をして動けなくなるよりは、強引でも体を休める方を優先すべきなのだろう。確かに、寝てない日はいつもより神経がささくれ立つ。

 知られたからには今までより自制が甘くなるだろうし、八つ当たりするような真似はしたくない。未だ弱みを見せることには抵抗があるが、カイルを思ってのことなら逃げるべきではないのだろう。


 こうして支えようとしてくれているし、カイルの夢に付き合ってもくれる。これから出かける場所は、確かにカイルにとって重要な地になるのであろうから。

 それからは、いつものような他愛のない会話も戻ってきた。まだ少しぎこちないところがあるのは、カイルとの距離を測りかねているからだろう。

 そばにいたのに気付けなかったという自責の念もあるのかもしれない。そうした意味でも悪かったかなと感じる。

 誰かが隣にいて支えてくれるということは、よく分かっていても長らく遠ざかっていた感覚でもあるのだから。物心ついて以来、人生の半分以上一人だったのだから。




 旅路は通常通り昼は軽く、夜は野営をしての自給自足だ。何とヒルダは空間属性を持っていたようで、カイルの勉強のための本や旅に必要なものもいろいろ持ってきていた。

「カイル君も空間属性があるのね。魔法でも教えられることがありそうだわ。旅の間にも練習しましょう」

 などと張り切っていた。ハンナやアミルの二の舞になりそうで、カイルは苦笑いで応じる。空間属性というものは極めればとても便利なのだという。


 距離や魔力量にもよるが、一度行った場所ならイメージ次第で空間扉ゲートを開いて行き来できるらしい。つまり、帰りはやろうと思えば王都まですぐに帰れるということだ。

 カイルもそれなら父や母の墓参りもできるようになるかもしれない。ただし、上級上位の第七階級の魔法のためそうそう簡単には使えないだろう。カイルはまだ、下級上位の第三階級までしか使えないのだから。


 夜は結界の魔法具を使うのだが、それでも獣除けや見張りのため火を起こす。自覚する前もそうだったが、自覚してからは余計に火に対する忌避感は強くなった。特に狩ってきた獣などを焼く様子は直視できない。

 基本とはいえ、クロエの料理指南で焼き物から始まったのはある意味試練だった。何度吐きそうになって手元を狂わせたことか。

 クロエも何か気付いた様子だったが、何も言わずに教えてくれた。やはり出会いには恵まれているのだろう。


「カイル、辛いのか?」

 相変わらず火のそばに寄れず、直視もできない様子に近づいてきたのはキリルだった。兄としても接すると言った通り、家族が寄せてくる心配を感じられる。

「まぁ、な。鍛冶で使う高炉みたいに炎が出てなけりゃ、ちょっとはマシなんだけど……」

「……何があったか、聞くのはやめておいた方がいいか?」

「悪い、もうちょっと、待ってくれ。もう少し心の整理がついて、ちっとはマシな生活できるようになれば……話せると、思うから」

 カイルが今までに話してきた過去は、辛くても自分の中で折り合いをつけてきた、乗り越えてきたものだ。


 でも、これはまだ現在進行形であると言える。傷を負った時期は古いが、原因を忘れていた期間も長い。その分、すぐには改善できない。乗り越えずに、記憶を封じて後回しにしてきたものだ。

「その手伝いは、俺達にはできないのか?」

「……俺が、どんな無様を晒したとしても、見捨てないでいてくれたら、それが一番の助けになる。今の俺も、大概格好悪いだろ? 精神力総動員しなきゃ、火見ただけで体が震えて息が苦しくなるし、近寄れもしないんだから」

「いや、今まで気付いてやれなくてすまない。だが、何があろうと見捨てたりはしない。絶対にだ」

「ははっ、キリルの絶対は信憑性あるなぁ」

 震えの止まらない手を握りしめるカイルに、キリルが断言する。ドワーフの血を引く誇りにかけても、身内を見捨てたりはしない。

 親方達や祖父さんからも頼まれている。カイルのトラウマを知り、激怒しながらも託してくれた。

 カイルもキリルの頑なさはよく知るところなので、少し心が軽くなる。いずれは原因とも向き合わなければならないのだろうが、その時にもきっと隣にいてくれるのだろうと思えたから。

 ちなみに、ハンナによる寝かしつけは、宣言通り容赦なかったと言えよう。一瞬花畑が見えて、気付けば朝だった。




 旅程が進むにつれ、例の町に近づくにつれて、カイルはどこか落ち着かない気持ちになった。期待や緊張でというものとは違う。

 どこか、ここから先に進んではいけないような気がして歩が進まない。度々具合が悪くなり、発作のようなものが起きてカークから落下しかけるということもあった。

 カイルは町で行う火を使うという祭りに過剰反応が起きているのだと思っていた。そのため、休憩中に仲間達が、どんな顔でカイルを見ていたのか、間に合わせるため昼中もカイルを寝かせてから移動するという案に込められた意図にも気付けなかった。

 代わりに夜の不寝番を長くすることで対応した。クロは妖魔であるためか睡眠を必要とせず、常にカイルに付き添っていた。

 あと一日もすれば町に着くという。楽しみなような、どこか恐ろしいような気持ちが同居する胸を押さえて、カイルは半ばクロに縋りながら焚き火の炎を見つめていた。




 カイルは体をゆすられる感覚に目を覚ます。顔を上げると、キリルが見える。

「目が覚めたか? 町に着いた。もう手続きは済ませて町の中に入っている」

「町に入るなら起こしてくれりゃよかったのに……カークやクロは?」

「カークは預けた。クロは……囲まれている」

「! 何で? バレたのか?」

 まさか、クロがしゃべりでもして妖魔と分かり囲まれているのかと顔色を変えるカイルに、キリルは首を振る。


「違う。この町の守り神の姿に似ているから、拝まれてるんだ。クロも戸惑っていた」

「何だ、それならいいんだ、けど……」

 カイルはほっとしながらも、何か心に引っかかるものがあった。クロに似た守り神、それを奉じていた町を、カイルは知っている。

 忘れられない、今も疼き続けカイルを苛む傷を受けることになった町だ。まさかあそこなのか? 仲間達が連れてきてくれたのは、あの町なのだろうか。


 カイルの疑念はすぐに確信に変わった。見覚えのある町並み、見覚えのある人々。まだ全然克服できてもいないのに、よりによってこの町に来ることになるなんて。

 仲間達は知っているのだろうか、それとも知らずに連れてきたのか。話していないのだから、知っているはずがない。ならば、この町で孤児の救済が行われるようになったのは、もしかすると……。

 そういえばいつからその町ではそうなのか聞いていなかった。町の名前さえも、トラウマを知られたことの衝撃が大きくて、その後も昼中も寝ていたことで会話をする暇があまりなかった。


「カル……トーラ」

 カイルにとって、夢のための第一歩を歩み始めた町であり、叶わない約束をした、町。忘れられない出会いと別れ、道理と理不尽に気付かされた町だ。

「知っているのか?」

「あ、前に……一度、住んでたことが……ある」

 キリルの手を借りても立ち上がるのが難しいくらい、体が震えてしまう。もうあんなことは起こらないと、この町は変わったのだと思っても、どうしようもない恐怖が足元からせり上がってくる。


 逃げ出したくなる、顔を背けて、背を向けて。荒くなる呼吸と、崩れ落ちそうな体を支え、カイルの目は無意識にクロの姿を探していた。そう遠くない場所に、レイチェル達と共に膝立ちの町の人々から礼拝を受けるクロを見つける。

 だが、クロのそばに行くことができそうにない。なぜなら、クロに礼拝を捧げる人々は、かつてカイルを処刑台に上げ、殺そうとした人々だから。熱心に祈るあの姿が、恐怖と怒りと憎悪にかられどのように歪み声を荒げるのか、知っているから。


 仕方なしに礼拝を受けていたクロだったが、カイルが目覚めたことに気付くとすぐにこちらにやってくる。足元に寄り添うクロに手を当て、カイルはようやく呼吸ができるようになった気がした。だが、向けられる視線に顔をうつむけてしまう。見ることができない、彼らの視線が怖くて仕方なかった。

<どうしたのだ? なぜ、そこまでおびえておる>

「クロ……ここなんだ。この、町なんだ。俺が、あいつと、前の、クロと出会ったの……」

<なんだと! で、では、この町の者達が、先ほどの者達が主を!>


 クロは思わず威嚇しそうになるが、震えて崩れ落ちそうな体を、クロに触れることでどうにか耐えているカイルを置いて、彼らに飛びかかることなどできなかった。

 真っ青を通り越し、真っ白な顔で、いつも前を向いている顔を上げることもできないカイルを仲間達は歯噛みしながら見る。やはり、この町はカイルと関係があるのだと。カイルに消えない傷を刻んだ町であるのだと、確信が持てた。


 カイルはクロに触れたのとは別の手で、胸を押さえて動悸をこらえながら今日が何日だったかを思い出す。そうだ、あの頃は月日など気にせず生きてきた。けれど、確かにこんな時期だった。初夏の陽気が町を包み始めた頃、それよりもさらに熱い炎が……。

 考えないようにしようとしても、勝手に甦ってくる記憶が、光の速さで移り変わりこらえきれなくなったカイルは、近くにあった路地に入る。光が届かない場所まで来ると膝をついてえずく。胃の中身を全部吐き出しても収まらない吐き気に涙がにじみ、震える腕は汚れた口元をぬぐうこともできない。


「カイル……」

 いつの間にかそばに来ていたアミルがカイルが吐き出したものを浄化して消し、綺麗な布で口元を丁寧に拭いてくれる。レイチェルも同じようにひざまずき、カイルの背中を撫でてくれていた。

「……この、町、なのか? みんなが、言ってた、の。祭り、って」

 確かにあんなことがあれば、孤児に対する見方も対応も変わるのかもしれない。だが、それがカイルの参考になるようなことなのか。体制自体はいい、でもそこに至る経緯は真似できるようなものでも、二度と起こしていいものでもない。それに、祭りとは何なのか。守り神を祀るお祭りなのだろうか。しかし、同じ時期にいたカイルはそんな祭りなど見たことがなかった。


 例え路地裏で生活していようと、カイルは他の子供達よりもずっと町中に出ていた。だから、そんな祭りがあったら聞いたことがあるはずだし、見たことだってあるはずだ。

「ええ、そうよ。この町よ、カイル君にとっても……なじみ深い、ね。祭りは……この町の罪を忘れないため、勘違いと偏見で犠牲になった者達への追悼祭よ。分かるでしょう?」

 ヒルダの言葉に、カイルは素早く振り返る。そしてその表情や目に浮かぶ感情を見て、悟る。

「知って……たのか? この、町の事。俺のことも……知ってて、連れて、来たのか?」

『貴様ら! 無理強いはするなと言っておったであろう! なぜこのようなことをした!』


 クロだけはカイルの口からこの町で何があったのか、どんな目に合ったのかを聞いている。だからこそ許せない。それを知っていてなお、克服しようとしていることを知っていてなお連れてきたことが。

「時期やタイミングが重なったのは……偶然ですわ。ですが、カイルの傷を知り……克服するためにも必要だと考えたのですわ」

「だから、みんな様子が……でも、俺は、まだ……」

 まだ心の準備などできていない。何一つ乗り越えられていない、覚悟ができていない。そんな状態でこの町に来ることがあろうとは思っていなかった。

「カイルには、時間がない。すまないとは思ったが、悠長にもしていられないと、判断した」


 聖剣と契約して剣聖となり、例の組織や裏社会、常識といった強敵と戦わなければならないカイル。強くなるために時間をかけていられない状況に追い込まれている。何より、その傷に苦しむカイルを長く見ていることもまた辛い。

 ショック療法であろうと、強引であろうと、どうしてもカイルに過去と向き合ってもらわなければならなかった。乗り越えて、立ち直ってもらわなければならなかったのだ。

「出来る限り、俺達も支える。辛かったり苦しかったら、俺達に当たっても構わない。結果的にせよ、お前を騙して連れてきた。それくらいの覚悟はしている」

 手を差し出しながら行ってくるダリルに、カイルは奥歯をかみしめると手を差し出し体を引き起こしてもらう。一体これから何度こうやって助け起こされるのだろう。それでもレイチェル達はきっと、何度でも手を差し伸べてくれるだろう。そう信じて、カイルは暗がりの中から光の当たる場所に向けて一歩を踏み出した。

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