トラウマの重さ
久方ぶりに夢を見ることもなく目を覚ましたカイルだったが、枕元にいた人達を見て首を傾げる。いつも通りギルドで仕事を受けるような格好なのだが、それにしては荷物が多いような気がする。
「おはよう、カイル、よく眠れた? なら準備をしなさい、出かけるわよ」
「は、え? いや、出かけるってどこに? 今からか?」
「ええ、そうよ。ちょっとした遠出ね。勉強も兼ねているから、わたしも同行するの。ほら、着替えなさい」
「ええ? いや、ちょ、どういうことだ?」
起きたところでまくし立てられ、着替えを持たされて隣の部屋に放り込まれたカイルは、混乱する頭で昨日のことを思い出す。いい休日になると思っていたのに、思わぬトラブルでみんなに心配をかけてしまった。
店に帰ったらまた親方達にどやされるだろう。だが、それなら出かけるとはどういうことなのか。それに、昨日なぜバレリーはあんな強引な手段でカイルとクロを眠らせたのか。あるいはクロはおまけでカイルを眠らせたかったのか。
なんとなく理由は分かるが、それだけでは説明がつかないような気もする。言われたとおりに持たされた服に着替え、防具を身に付けて剣を腰に下げる。寝室に戻ると、すっかり旅支度を終えている面々が迎えてくれる。
「昨日、あの後でなんかあったのか? 俺もクロも寝ててってより眠らされててよく事情が呑み込めないんだが……」
「バレリー君はね、心配性なのよ。カイル君が平気だと言っても、強引にでも休ませたかったの。そういう気持ち分かるでしょう? それと、出かけるのはね……勉強も兼ねているんだけど、昨日あんなことがあったでしょう? 魔人が関わっていたのだとしても、騎士団の引き締めと犯人の追及とか、いろいろやらなくちゃいけないのよ。その間はカイル君に構ってあげられないし、万が一同じようなことがあってもいけないでしょう? だから、少しの間王都を離れるの」
ヒルダはカイルが尋ねたいことを先回りするようにまくし立てる。少し不審なものを感じるカイルだが、寝起きなことと急な予定に頭がうまく回らない。そこにハンナの援護も入る。
「お祭りに行く。きっと、カイルのためになる」
「俺のためになるお祭り? なんだそれ」
「そこでは町ぐるみで孤児達の救済が行われてる」
「! そんなところが、あるのか? 俺も色んな町行ったけど、覚えはないなぁ」
「全部の町を回ったわけじゃないから仕方ない」
「そりゃそっか。でも、それとお祭りとどう関係するんだ?」
「町が変わるきっかけになった出来事を、忘れないためのお祭り」
「ちょうど今日王都を出発すれば、そのお祭りの日に間に合いそうなのよ。いい機会だから行ってみようかと思ったの」
「ふーん、まぁ、そういうことなら。で、みんなも準備してると」
「そうだな。カイルが行くなら当然わたしも行く」
「レイチェルが行くならわたくしもですわ」
「当然。お祭りも見てみたい」
「ま、付き合ってやろうかなって」
「道中でも修行ができるだろう」
「心配しなくても、親方や祖父さんには話を通してある」
「そりゃ助かるけど……」
どこか腑に落ちないものを感じていたカイルだったが、次の瞬間のハンナの唐突な行動にそれどころではなくなった。突然、目の前に天井に届きそうな火柱が上がる。その炎を見て、その熱を感じた瞬間、カイルの脳裏によみがえってくる光景があり、自分でも意識しないで体が動いた。
その炎が自身を傷つけるものではないと、魔力感知でも魔法を使った者からも分かっていたのに。瞬間的に無属性の魔力を纏い強化した足で炎から遠ざかる。背中に感じた衝撃で壁にぶつかったことを知った。
手足が震え体から力が抜けそうになる。頭痛と目眩が襲ってきて、息が苦しくなり吐き気がこみ上げ、何より肌を焦がす痛みがよみがえってくる。崩れ落ちそうになる足をどうにか踏ん張り、ついてきたクロに手を置き支えにして耐える。
いきなりこんなことをしたハンナに対して湧き上がる苛立ちをぶつけそうになるがどうにか呑み込んで、目線で疑問を投げかける。
ハンナ達は不意を突いたとはいえ、予想以上に過敏な反応を見せ、今も冷や汗が止まらない顔色の悪いカイルの視線を受けて疑念が確信に変わる。同時に、それまで気づけなかったことにも恥じ入る。これほどまでの忌避感や恐怖をどれほどの精神力で抑えてきたのかと。
「……やっぱりカイル、火が怖い?」
ハンナの言葉に、カイルは壁に背を預けたままずり落ちて床に膝を立てて座り込む。まさかバレるとは思ってなかったし、こんなふうにして確かめられるとも思わなかった。ハンナなら真っ直ぐ聞いてくると思っていたから。
心配そうにのぞき込んでくるクロの首に手を回し、その体に頭をうずめてどうにか震えや恐怖を抑え込もうとする。悪夢を見て飛び起きた時も、起こされた時もこうしてクロにしがみついていた。いつだってクロは、それを受け入れてくれた。何も言わずに、そばにいてくれた。
「なんで……なんで、分かった? 俺、結構うまく隠してたろ?」
なんでこんなことをしたのか聞くつもりはない。確かめるためには必要だったのだろう。でも、なぜ暴く必要があったのか。カイルなりに考えて、克服しようと努力は始めていた。自分で火を起こしてはトイレに駆け込んで吐くことを繰り返しても、クロエの提案に乗って火の扱いに慣れようとしたりして。
無理矢理押さえ込んでいても、料理が終わる頃には疲れ果てていた。それを悟らせないためにも、直前の準備を手伝ったりもしたのに。純粋な好意だけでもなかったそれに感謝されて、内心では苦い思いもしていたのに。だからこそ、騎士団本部から帰る頃には疲弊していたし、あの子のおかしな様子を見ても深く追求しようという気になれなかった。
「なんとなく、兆候はあったから……どうして?」
「…………悪い、俺の中でも、まだ整理がついてない。でも、何で今……」
「その、これから行く町のお祭りでは……火を使うそうですわ。わたくし達も半信半疑だったのですけれど……」
この様子を見る限り、かなり重度であることは間違いない。
「どうする? やめるってんなら、俺達もそれでもいいけど……」
「…………行く。どうにかしなきゃいけないとは思ってたから……。くそっ、まだ、全然駄目だなぁ」
『無理はするな。徐々に慣れていけばいい。貴様らも無理強いはするな、カイルは努力している』
クロの牽制にどきりとした面々だが、どうにか取り繕うことができた。また、クロより鋭いだろうカイルは未だクロの体に顔をうずめたままで見ていない。手がかすかに震えているので、まだ抑えきれていないのだろう。その顔を、その感情を見せたくなくてああしているのだ。
「カイル君、そうなったきっかけは憶えているの?」
「ん、つい最近まで忘れてた……けど、思い出した。忘れてた間も、火はあまり使えなかったけど」
忘れてしまっていても無理はない、むしろ思い出さなくてもいい記憶なのかもしれない。ヒルダも労し気な顔をしたが、それでも追及する。
「思い出したのはいつ? どんなことがあって? それから体に異常は?」
「なんでそんなこと聞くんだ?」
「トラウマの克服には必要なことなの。答えられる範囲でいいわ、それともわたしが……わたし達が信じられない?」
ずるい言葉だとは分かっている。それでもヒルダはカイルの性格を利用する。利用してでも聞き出さなければ、傷の深さも大きさも分からない。せめて町に着く前に、少しでも軽くしておきたい。
カイルはしばらく沈黙を保っていたが、立ち上がって部屋を出ていこうとする。拒絶されたかと手を伸ばそうとしたヒルダだったが、それよりも早くカイルが口を開く。
「……出かけるんだろ? どうせ、移動時間は暇なんだろうし、その時に話す。全部は、話せないかもしんないけど」
こうやって、いつだって応えようとしてくれる。確かに出発してからの方がいいと考えた面々は、聞き出したい気持ちをぐっとこらえて離宮を後にし王都を抜けて西門から外に出る。その間あまり会話はなかったが、それぞれカークに乗って出発してから少ししてカイルが口を開く。
「思い出したのはキリルと出会ってすぐ、レイチェル達とは出会う前だな。警備隊庁舎に捕まって初日だった」
思っていたよりもはるかに最近だったことに、レイチェル達は驚きを隠せない。まさか、あんなトラウマになるような出来事の最中に、別のトラウマの記憶がよみがえったのか。トラウマになるほどのことをされたからこそ、記憶が呼び覚まされたのか。
「まだ一か月も経っていないのか……」
それならば、トラウマの原因を自覚してからの克服がまだ全然進んでいないことにも納得がいく。その後もいろいろあったし、何よりずっとレイチェル達と行動を共にするようになっていた。キリルも最初の出会いでカイルが炎を使ったのを見たが、あの時にはカイルの様子を確認することもなかったし、記憶も戻っていなかった。
だが思い返せば、カミーユの魔法を防ごうとしたのもあるようだが、ずいぶん自分から離して発動させていた。あれが限界だったのだろう。思い出してからは、その原因が分かったために克服しようとしていたのだろうが大きな成果は上がっていないということだ。
「何がきっかけで記憶が戻ったの?」
ヒルダはカイルと並んでカークを走らせながら目線を向ける。カイルは少し遠くを見る目をしてから答える。
「濡れ衣着せられて捕まった子の代わりに、刑罰を受けて……背中を、焼かれた時に……」
ヒルダは思わず口元を手で押さえる。刑罰というにはあまりにむごい仕打ちもそうだが、封じた記憶を想起させるような追体験をしてしまったということに対してもこみ上げてくるものがある。背中を焼かれたことだけではなく、濡れ衣やそれでもなお行使される刑罰もまたキーワードになったのだろう。自身がかつて受けたことだから。
「そう……火で、怖い思いをしたのね?」
「まぁ、そうだな。それ以来、火は駄目でさ。忘れてても、どっかに残ってたのか火を見るとあんなふうになってな……。ちゃんと覚悟してりゃ、使えないこともないんだけど……」
適性による得手不得手はないが、そうした意味で火は使うのに覚悟がいる属性だった。使ってもつい神経質になってしまい、そのあたりでハンナに気付かれたのだろう。それでも、自身の近くで火を使うことには未だ慣れてはいない。
「それ以外に異常はない? 特定の行動をすると体調がおかしくなるとか、普段の生活に関わることとかで……」
「ん、……俺、クロに過剰なとこあるだろ? 分かってても抑えられない時があって……何でなのか考えるといつも頭痛がするんだ。理由は知ってる、と思う。ただ、それを認めたくなくてそんなふうになるんだと、思う。それを認めると、心のどっかが壊れちまう気がして……怖いんだ」
『主は主の責任ではないことを抱え込み過ぎなのだ。我は最高位の妖魔であるというのに』
カイルが自身でもクロへの過剰なまでの献身に気付いていることを知り、同時にその理由に関してもなんとなく理解ができた気がする。一度失ってしまっただろう相棒を、自分のせいで死なせてしまったと考えているのかもしれない。そして、それはカイルの心が壊れてしまうほど、辛いことなのだろう。
クロの言う通り、カイルの責任ではないだろうに。クロならばそう簡単に死ぬことなどないだろうに。それでもカイルにとってはそう簡単に割り切れる問題ではない。
「日常生活では? 食欲がなかったりとか、眠れなかったりしない?」
「食欲は、まぁあるよ。食べられるだけありがたいし……夢見て起きたりはするかな……」
ヒルダは日常生活に支障をきたすほどの症状は出ていないと知り安堵のため息をつく。しかし、それを覆したのは相棒であるクロだった。
『本当のことを言った方がいいのではないか? 食欲はともかく、修行で体を苛め抜いても、つかの間の眠りしか取れておらぬであろう。時折我が寝かせねば、体を壊しておるわ』
「どういう、ことかしら?」
「クロ……思い出して以来、強制的に寝かされるか気絶しない限り、自然には寝られなくなった。転寝しては夢見て飛び起きて、うなされてはクロに起こされて。一睡もできないことも珍しくない」
『限界が来る前に、我が糧を得るついでに寝かせておるのよ。一気に魔力枯渇を引き起こしたり、貧血で気絶すれば眠れるであろう?』
レイチェル達も思ってもみないほど深刻だった症状に絶句する。野営をしていた時にはクロやカークに挟まれて眠っていたように見えたが、あれは目を閉じていただけだったのだろうか。昨日強引でも眠らされたのは正しい処置であったのだろうか。
朝訪ねていっても、カイルはいつだって元気そうに見えた。しかし、一睡もしていなかった日がどれだけあるのだろう。それなのに加熱するレイチェル達の修行もこなしていたというのか。
「…………どれくらいの頻度で、寝かしてもらっていたの?」
「三日に一度くらいか? 何とか自分でも眠ろうとしたり、どうせ寝れないなら夜の間に火を克服しようとかしたりしてたけど……」
「カイル君……あなたが頑張り屋だってことも、意地っ張りなことも分かったわ。でも、もう少し人に頼ることも覚えなさい。トラウマの克服は一人じゃ無理よ、この調子だとクロがいなきゃ日常生活も送れないわ。それと、夜は毎日眠りなさい。しかも、なぜそんな危険な方法をとっているの? 魔法でもあるでしょう? 眠れるものが」
ヒルダは予想外に深刻だった症状に頭を抱えたくなる。クロの存在がなければ、カイルは外を出歩くことも難しかっただろう。また眠りたいなら、催眠系や睡眠を促す魔法もある。それらを使えば、もっとうまくできるのではないか。補助魔法に長けたアミルに習っていて知らないとは思えない。
「あー、たぶん、俺の体質だと思うんだけどな……状態異常系の魔法とか……毒や薬とか、あと病気なんかも、一度かかったり飲んだりすると、その耐性ができて次から効かなくなるんだ。俺異常回復も解毒も使えなかったし、もちろん快癒も使えなかったけど、その体質のおかげでどうにかなってきたってところもあるし。病気は元々かかりにくいしな」
初めて聞く驚きの体質に、ヒルダは目を白黒させる。それから、口をパクパクさせた。
「ま、まさか、あなたがわたしの薬を飲むのをためらわなかったのって……」
「新薬ってんなら意味ないだろうけど、飲んだことあれば効かないからな。そうすりゃヒルダさんもほんとに新薬になるか分かりやすいだろうとも思ったし。裏社会の時みたいに、薬で身動き封じられることもあるなら、色々飲んどきゃ後で助かるかとも思って。だから”魔力遮断薬”とか昨日の薬も、もう効かなくなってると思うぞ? 回復薬とかは問題なく使えるんだけどな。”魔力増幅薬”は微妙なラインかな」
まさに規格外だが、状態異常に強いとも言われる龍の血を引いているなら、そういうこともあるのかもしれない。一度経験すれば体がそれを学習し耐性を生み出す。
「あなた……本当にいい度胸をしてるわ。それに強かね」
「裏通りで生きるためには必要だったからな。失望するか? 俺は、口に出してる言葉通りの誠実な人間じゃない。裏に隠してる思惑だって色々あるし、隠し事だって山ほどある。口にする言葉に嘘はないけど……本音を全部言ってるわけじゃない」
「……馬鹿ね、そんなの当たり前のことよ。人に言いたくない秘密があったり、相手を思っていたり、自分のために本音を隠すことは必要なことよ。口にした言葉に嘘がない人がどれだけいると思っているの? むしろ、わたしは感心しているわ。あなたはわたしが思っているよりよほどしっかりしていると分かったもの」
ただ綺麗なだけではない、眩しいだけではない。しっかりと己に根付き、人らしくも正しい在り方。表面を見ているだけでは見えてこない、カイルの強さを支えるもの。流れ者の孤児でありながら生き抜いてこれた理由の一端が見えた。




