表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
レスティア物語  作者: マリア
第二章 王都センスティア
95/275

始まりの町

「その、通りだね。わたし達が、わたしがあの子を見捨ててはいけなかった。やってみるよ、エリザや他の子達と一緒に」

「エリザ様か、あの人ならやれそうだよな。バースおじさんと違って、しっかりしてるし」

「なっ! わ、わたしだってやる時はやるんだよ? た、確かに奥様同盟とかっていうすごい情報網を持っているけど……わたしだって影がいるし……」

「ああ、クロエさんも入ってるって言う?」

「知ってるのかい?」


「今日、ちょっとさわりだけ聞いた。王都中に広がってるってあれだろ? 井戸端会議での情報交換も馬鹿にできねぇよな」

「そうなんだよ……。わたしが知らないことも知っていたりして、今日のことだって……カイル君がクロエさんに料理を習うって教えてくれたのはエリザなんだ」

「ああ、なるほど。なんであの場にいたんだろうって思ったけど……俺になんか用でもあったのか?」

 普通なら、いくら職務の時間は終わっただろうとはいえ王様がホイホイ出歩く場所でもないだろう。


「……君の体調のことも気になってね……それに、エリザとは今度お茶会もするんだろう?」

「あー、なんか招待状? 来てたな。ヒルダさんと一緒に、次の風の日だっけ?」

「ええ、そういうことも勉強になるって言われてね。確かに、カイル君にはこれから必要になるかもしれないけど……当然わたしもいくわよ? 勉強なら、先生がいないとね」

 レイチェル達は知らない間にカイルが王妃とも予定が入っていたことに驚く。トレバースはそれを知って、ならば自分もと偶然を装ってカイルに会いに行ったのだ。どうにも、レイチェル達の言った通り、カイルには人をひきつけ離さない魅力がある。


「……陛下に王妃様…………その、カイル君は何者です? 陛下をおじさんなどと親しげに呼び、ヒルダ様や王妃様ともそのような……。ほ、本当に流れ者の孤児で掘り出し物というだけなのですか? 他にも何か理由があるのでは……」

 この中で唯一カイルの事情を知らないバレリーは、これまでの情報をまとめてから声を上げる。どう考えてもレイチェルが引き抜いてきた掘り出し物というだけでは説明がつきそうにない。それだけで国王や王妃がそこまで気を使うだろうか。あのテッドがそれを許すだろうか。


「…………バレリーさんには言ってなかったのか?」

「……君が彼の指導まで受けるようになるとは思わなくてね。考えてみればレナードだけに任すのは無茶だったような……」

「当然です。前回の特訓なんて、何度団長を止めようとしたことか……それより、やはりあるんですね? 彼には、大声でいえないような裏事情が」

「それは……」

 トレバースが言葉を濁すが、カイルは肩をすくめてバレリーを見る。


「死んだ俺の父さんと母さんがちょっとした有名人でな。でもって俺も、まぁ、ちょっとやらかしちまって、早いとこ実力を身に付けなくちゃならなくなったんだ」

「君のご両親が? 何をやらかしたというんですか?」

「えっと、だな。俺の父さんは剣聖ロイド、母さんは癒しの巫女カレナで……俺、この間知らずに聖剣抜いちまってな、契約まで……しちまったんだ」

 バレリーはレナードでさえ見たことがないほど口をあんぐり開けて驚くと、レナードを、トレバースやテッドを見て、再びカイルに視線を移す。


「そんな……ご子息は死んだと…………そうか、敵の目から隠すために……それに、聖剣、ですか。では、今代の剣聖は……」

「俺ってことに、なるらしい。でもそのまま発表するわけにはいかなくて」

「証は、在りますか?」

 バレリーの視線に、カイルは目を閉じて偽装を解くと右手を前に突き出す。前よりもスムーズに光の粒子は聖剣の形をとり顕現した。前のような威圧はない。ただ、底知れぬほどの力を感じさせるだけだ。

 バレリーにはそれがかつて共に戦った剣聖ロイドが持っていた聖剣であり、王宮の保管庫に今もあるはずの物だと確信する。


 同時に、ロイドを彷彿とさせる鮮やかな銀髪と、カレナを象徴する紫の眼に目を奪われ、鞘から剣が抜き放たれたことで、次代の剣聖が誕生していたことを悟った。

『あのような不覚を取るなど、何故某を顕現して倒さなかったのでござる』

「いや、だからお前出しちゃ駄目だろ」

『なれば、力だけでも使っておればよかったでごさろうが! 最近某を抜きにしてやっているでござろう』

「拗ねんなよ。あん時は忘れてたんだって、それに力使うと、お前頭の中で愚痴言うだろ? あれ、結構鬱陶しいんだ」

『鬱陶し……そ、某の力を得て、使っておきながら何たる言い草か! この小童がぁ!』


「その小童が契約者になったんだから、いい加減ブチブチ言うなよな。こっちだってお前みたいな面倒事、好き好んで引き受けたわけじゃねぇんだし」

『ぐぬぬぬぬ、相変わらずかわいげのない小童でござる。あの時某がどれほど気をもんだと……』

「一応心配はしてくれてたわけか。悪いな、まだとっさの時にお前の力を使いこなせない。こんなんじゃ確かに剣聖は名乗れないよな」

『……いや、それは……そなたは、歴代でも類がないほど某の力に早く馴染んでおるでござる。使える力の大きさや幅も……そ、それは評価してやってもいいでござる』

「…………つくづく面倒くさい奴だよな、お前」

『な、なにを……』


 長くなりそうなので、カイルは聖剣を体の中に戻す。思考リンクはしたままなので、頭の中で文句は言っているが、前ほど拒否しているわけではなさそうだ。今は沈黙を保っているが、そのうち鞘もしゃべりだしそうだな、などと考える。どうも聖剣の力と鞘の力はそれぞれ独立しているように感じられるのだ。それでいながら互いを補い合い支え合い、そして二つで一つとして存在している。


 偽装フェイクをかけなおしたカイルを見ながら、バレリーは懐かしいともいえる聖剣と持ち主とのやり取りを見て、本当にカイルが聖剣の主なのだと知る。誰もが畏れ多く、また気安くなど会話できない聖剣と、あれほど親密な会話を交わせるなど剣聖以外にあり得ない。

 ロイドが特別なのかもしれないが、ロイドもまたああやって聖剣とやいのやいのと言い合いをしては互いの主張をぶつけ合っていた。その分、戦場においては比類なき力を発揮したものだ。互いをよく知る上の言葉にしなくても伝わる意思の疎通によって。


「……よく分かりました。なるほど、確かに大変なことですね、カイル君があの二人の……。及ばずながらこの身を賭して秘密は守りましょう。それに、君には指導をする約束もありますので」

「悪いな、バレリーさん」

「いいえ、少し課題も見つけましたので……失礼しますね」

 バレリーは懐から、五cmほどの細長い棒のような物を取り出すと、口に銜えて吹く。大きくはないが甲高い音が響くと同時に、覚えのある強烈な睡魔がカイルとクロを襲う。なぜそれを使ったのか、疑問に思いながらも、抗えぬ眠りの中に落ちていった。




『ぐっ、何を……』

「申し訳ありません。今日はもう休んでいてください」

 抵抗しようとしたクロだが、カイルに引きずられ、また自身も引きずり込むように、深い眠りに落ちる。

 クロにもたれたまま脱力して、肩に置いた手の上に落ちてきた頭を苦しくないようそっと戻しながら、ヒルダはバレリーを睨む。


「言っていることは最もだけと、少し強引じゃないかしら? 無理矢理眠らせるなんて」

 一瞬で意識を奪った魔法具の効果。妖魔のクロであろうと抗えない様子に、改めてカイルが晒された危機の大きさや悪意が感じられて不機嫌になる。

「申し訳ありません。体の傷を癒しても、疲弊して傷ついた心を休めるためには必要かと考えました。わたしの魔力では、どんなに込めても明日の朝までがせいぜいです。その頃には薬も抜けているでしょう」


 カイルがあまりにも普段と変わらなかったので、相棒の危機を見せられ、集団でリンチされて危うく殺されかけたことを誰もが忘れかけていた。

 本来であれば、恐慌状態になっているだろうし、無理矢理にでも休ませなければならないところだ。バレリーはその必要性にいち早く気付き、強引でも眠らせたのだ。

「いいわ、納得してあげる。それに、この子達に聞かせらせない話でもあるの? 課題、と言っていたけれど」


「さすがはヒルダ様ですね。わたしが気にかかっているのは、カイル君の捨て身とも言えるほどの献身です。それ自体は尊いことですが、こと使い魔、クロに関しては異常です。自身が瀕死でありながら、クロの治療を優先させるなど普通ではありません。クロの呼びかけが通じなければ、あのまま死んでいたかも知れません。恐らく無意識でしょうが、クロの行動を縛っているようでした」

「縛る?」

 あえてクロに自由を与えているカイルらしくない行動。ハンナは眠る二人を見て、バレリーに視線を移す。


「カイル君が自身を治療した際、クロが血の補充を行っていました。ですが、それが出来るなら最初からやっていたでしょう。そうすれば、失血死の可能性を回避できたのですから」

「クロは魔法が使えなかった。カイルが、無意識でもそれをさせなかった理由は?」

 ハンナは口に出して反芻しながら、すぐにその理由に思い当たる。今、自分達がカイル達にしているのと同じこと。強引でも傷や疲れを癒すために休ませたかったから。

 自身が助かる可能性を低くしても、カイルがそれを望んだということだ。矛盾しているとも言える現実にはそぐわない心の働きによって。


「カイル君の結ぶ絆の深さに時間はさほど関係ないことは分かります。それを差し引いても、並々ならぬ思い入れを感じるのです」

 バレリーの言葉に、トレバースはテッドと顔を見合わせる。このところ、カイルや王都の孤児達のこともあって、国内にそうした調査の手を伸ばしている。その中で一つ、気になる情報があった。王都からもさほど遠くはない、カークに乗れば七日ほどの距離にある町。そこにおける孤児達への特殊な対応や周辺を囲う主との関係性。そして、そうなったきっかけについて。


「……これはもう少し後に知らせようと思っていたんだけどね。もしかしたらカイル君の参考になるかもしれないと思って……でも、話を聞いているとどうやら逆かもしれない」

「何の話かしら?」

「王都から西に、カークで七日ほどの場所にカルトーラという町があります。町の周囲は草原に囲まれ、同時に主のテリトリーに囲まれた町でもあります。その主とは古くから共生関係にあり、半ば守り神のように扱ってもいます」

「元々主との関係は良好だったようだけどね、ここのところは特に信仰のように祀っているようなんだ。そして、その町では、町ぐるみで孤児達の保護を行っている。たとえよそから来た者であろうと、ね。孤児院もきちんと機能していて、養子というか引き取り手も多いという話なんだ」

 そういうことであれば、確かにカイルにとって参考になることは多いだろう。特に孤児院がまともに機能しているということが稀というより革新ともいえる。カイルも良好な関係を築くことの多い主も大切にしているようだし、ある意味理想ともいえるかもしれない。


「ですので、詳しく調べてみたのですが……どうやらそのような体制になったのは……六年ほど前からなのです」

「六年前? 逆って、まさか!」

「そう、もしかするとそこにカイル君も関わっていたんじゃないかとね」

「でも、カイルが孤児達の救済を始めたのって、確か十一の時からって……」

「ですから、無関係かとも思っていたのです。ですが、もしその町が始まりであったなら……可能性がないわけではないのです。元々カイル君がいたのは西のウルティガとの国境近くの辺境の町。そこから王都を目指していたなら、その町に立ち寄った可能性も十分あります」


 カイルとレイチェル達が出会ったのは王都の北にある町ペロードだが、辺境から王都を目指し東へ。ジェーンが亡くなり、体制が変わって王都へ行けなくなりあちこち放浪して最終的にそこにたどり着いたとするなら。早い段階ではその町辺りにいたことも考えられる。

「そうなったきっかけとは何ですの? あまり、良いことではなさそうですが……」

 アミルはどこか沈んだ表情のトレバースを見て、口元に手を当てる。もしかすると、それはカイルを眠らせていてよかったと思えるようなものではないかと。


 トレバースとテッドは代わる代わるその町について集めた情報を開示していく。話が進むにつれて聞いていた者は皆沈鬱な表情を浮かべる。あまりにも痛ましく、報われない、差別とすれ違いが生んだ悲劇だ。

 町の誰もが名前を語ることさえできず、けれど心の中にあって消えることのないだろう一人の孤児と一匹の魔獣がもたらした痛みと罪の意識が、カルトーラの町に変革をもたらした。


 だが、それはカイルにとって肉体的には痕が残っていなくても、消えない心の傷を残したのだろう。信じていた人達に裏切られ、処刑され、相棒を失ったという過去は。クロが、ある意味安易とも思える名に文句一つ言わないのは、その名に込められた思いを知っているためか。

 姉のように気にかけ、洞察力の鋭いハンナだけが気付いていた、カイルのトラウマ。火への恐怖。指摘されて思い起こせば、なるほどと納得してしまえる。カイルは火をあまり使わないのではなく、使えないのだということが。

「カイルも、たぶん自分でも気付いてる。忙しい中、休日なのに料理を習おうとしたのは、トラウマを克服するため。料理が苦手なんじゃなくて、料理にはつきものの火を使うことが駄目だったなら……」


 思えばおかしいのだ。あれほど器用で何でもこなすカイルが、孤児達にとって、もっとも大切だろう料理を苦手としていることが。

 料理できるほど材料や道具がなかったと言えばそうかもしれない。でも、それを努力と魔法で補ってきたカイルが妥協するだろうか。それができなかった別の理由があると考えたほうが自然だった。

 そして、カイルならトラウマに気付けば克服しようとするだろう。一人ではなくなったことで、余計それを実感したということもあるだろう。一人なら無意識に避けることでも、誰かと一緒なら避けられないこともあるのだから。


 本当に辛いことはいつだって自分の中に抱え込んで、滅多なことでは見せてくれないカイルらしいやり方と言えるだろう。

「……トラウマ、ですか。カイル君の見せたクロへの献身もそれなら納得できますね。あの時の言葉も……自身を優先させなかったことを怒るクロに、違うと分かっていても、忘れられないのだと言っていましたから」

 忘れられるわけがないだろう。そんなことがあったなら、カイルであるなら。違うと、大丈夫だと分かっていても、かつての相棒のことが頭をよぎり矛盾した行動に出てしまうことも頷ける。


 そしてそれは、カイルがそれほどの苦難にさらされたということ。それでも生き抜いて、変わらぬ生き方を貫いたということだ。

 本当に、カイルがここにいて生きていることこそが奇跡なのだと改めて思い知らされる。

「ならばなおのこと、それを克服する必要があるでしょう。今のままでは、お互い辛い結果を招きかねません。いっそ、一度その町に行かせてみれば……」

「そんな! ようやく苦手を克服しようとしておりますのに、トラウマの大元と向き合えと仰いますの?」


「克服しようとしているからです。幸い、今のカイル君は一人ではありません。支えるものがいれば、トラウマも乗り越えられるかと。いずれはやらなければならないことです。カイル君には時間がないのでしょう? ならば早い方がいいかと考えます」

 バレリーの言葉にトレバースは考え込む。一個人の心情とすれば、それほど辛い思いをしただろう場所に行かせたくなどない。未だに血を流し続けているだろう傷を、自身で治そうとしている傷をえぐるような真似は。


 だが、カイルの置かれている立場や将来を考えると国主としては行かせざるを得ないだろう。必要なら時に非情なる決断をしなければならないのが国王なのだから。恨まれたとしても、傷つけると分かっていてもやらなければならない。それがカイルのためにもなるのなら。

「確か、その町ではそれ以来処刑を行った日に……追悼祭を行っているらしいよ。そして、それは七の月七日。明日王都を出れば、ちょうどその日にカルトーラの町に着くはずだ。……まるで、あつらえたようだね」

 これこそがカイルの運命なのだろう。どれだけ避けようとしても、逃げようとしてもそれを許さず向き合うことを、立ち向かい乗り越えることを周囲と状況に強要される。偶然というにはあまりにも出来すぎている符合。


「今から準備すれば出発には問題ないが、……カイルにはそれを知らせるのか?」

 カイルなら、知らせなくても仲間達の様子からそれを感じ取ってしまうだろう。かといって、知らせてしまえばそこへ行くことを承知しないかもしれない。

「町の名前や場所は知らせず、町の概要だけを知らせましょう。経緯はどうあれ、あの町は確かにカイル君の目指すところに一番近いでしょうから……」


 テッドもまた、内心では苦々しいものを感じつつ提案する。今まで何度もこのようにして表向きの理由と内情を使い分けてきた。必要なことだからと、自身を納得させられた。それでも、今回ばかりはそう簡単に自分の内面を抑えきれそうにない。結果的に騙すということがこれほど苦痛な相手もいないだろう。無償の信頼を与えてくれる相手を騙すのだから。

「信頼を損なうなどと考えなくともいいだろう。カイルならばきっと乗り越え、感謝を示してくれる。そう信じるしかあるまい。それが、カイルという人間なのだろう?」


 いまいち賛同しきれない仲間達をレナードが諭す。守ると誓った相手を、一番傷つけたくない存在を自らの手で騙し傷つけなければならない。それは辛いことだろう。だが、それ以上に辛い思いをするだろうカイルを支えることの方が大切ではないのか。ただ追従し、貢献するだけが仲間なのではない。

 時に辛い決断をし、仲間を傷つけることになろうと必要な処置をとらなければならないことだってある。覚悟の問題だ。ただ、一緒にいて楽しい関係で終わるのか、辛いことや苦しいことだって共有できる関係にまでなるのか。


「…………それが、カイルのためになるのだな。カイルを、さらに強くするために……必要な、ことなのだな」

 自分達がカイルに救われ、触発されてさらに上を目指し強くなれたように、カイルにもまた救いが必要なのだろう。いつだって誰かを救ってきて、自身を後回しにしてしまうカイルを救う時なのだろう。

「何て運命を背負って生まれてきたのかしら……。だから、カレナちゃんはこの子に眼を与え、加護を託したのね。これまでは力になってあげられなかったけど……今はこの子の先生だもの。わたしも一緒に行くわ。子供達だけでは不安なこともあるでしょう? この子達隠し事も下手だし、ハンナちゃんだけでは手に余るわ」

 ヒルダは優しい手つきでカイルの髪を梳きながらトレバースに顔を向ける。


「そうだね。君が付いていてくれるなら安心できる。魔人の調査はこちらでやっておくよ、それにアレクシスや騎士団のことも。だから、君達はカイル君をお願いしたい。支えてあげてほしい、きっと一人では立ち上がれないだろうから」

 わずか十歳でそれほどの経験をして、トラウマになるほど深く傷を刻まれて、もしそれと直面してしまったならどうなるか分からない。普段はそんなことを感じさせないカイルだからこそ、恐ろしくもある。その傷がどれほど深く大きいのか、見ることも気づくこともできないのだから。


「そんなもん、一人で抱えて……馬鹿野郎が。……他にも、あるのか?」

 眠るカイルにトーマは小さな罵声を浴びせる。そして、自分達が見えない気付けない傷が他にもあるのかと問いかけざるを得ない。心が壊れてしまいそうなほどの傷が、魂が歪んでしまいそうなほどの記憶が、他にもあるのか、と。そうなってみないと気付けないのでは、助けられないではないか。

「カイルは、相手を見極めて、線引きする。どこまで踏み込んでいいか、踏み込ませていいか。わたし達はまだ、信頼が、足りてない。……悔しい、分かってる、つもりでいた」

 誰よりもカイルを理解できているつもりでいたハンナ。自身の目にカイルが弱いことも知っていた。隠し事ができないことも。それなのに、本当に大切なことは、重要なことは綺麗に隠されていた。魂を結んだクロにしか、打ち明けていなかった。


 それが悔しい。隠し事をされていたことではなく、それを打ち明け受け止め、一緒に解決へ道を探す支えとしてまでの存在にはなれていなかったことに。知らない人にどれだけ否定されてもくじけないカイルが、味方の、仲間からの否定にはひどく脆いことを知っていたのに。だからこそ、弱みを見せないようにしていると分かっていたのに。

「俺達に、気を遣わせたくもなかったのだろうな。ただでさえ守られていると考えているから、あまり気を遣われては対等でいられなくなる」


 親しい人とは隣にいたいと考えるカイルにとって、必要以上に気遣われることは苦しいことでしかないのだろう。確かに知っていれば、些細なことでも躊躇したり過保護になっていたかもしれない。そんな関係を望まなかった。普段の自分達の態度から、そうなってしまうことを推測して恐れたから、言えなかった。

 クロのように守られ守り合う関係ではない。一方的に守られる関係だったからこそ、キリル達には事情を打ち明けることができなかったのだ。


「俺を闇から救ってくれたのに、お前はまだ闇の中でもがいていたのか……なら、今度は俺がお前をそこから救い上げないといけないな」

 カイルは光の中にいるのだと思っていた。自分よりも眩しいところを歩いているのだと。だが、違っていた。カイルは自分よりも暗い場所で、自分が抜け出して後にしてきた闇の中で、今なお苦しんでいた。眩しくて見えなかったわけではない。そんな闇を、深く心の奥底に沈めているだろうからこそ気付いてやることができなかった。


「精霊達も言葉を濁すはずですわ。カイルの情報を徹底的に隠しているはずですわね。ずっと見てきたのでしょうから、カイルが傷つき、それでも立ち上がって生きてきたその道を。守りたいと考えて、愛して当然ですわ」

 精霊達の望み好む霊力。普通なら二目と見れないくらい濁り汚れていてもおかしくはない過去。そうでありながら、誰よりも何よりも美しく清廉であり続けた魂。それを愛さずにいられようか。守るために尽力せずにいられようか。加護などなかったとしても、多くの精霊達がその力を貸したであろう。


「その間に、わたし達も騎士団の引き締めを行いましょう。処分に関しては魔人の件もあり、すぐにはできないかもしれませんが……。団長もそうお考えでしょう?」

「そうだな。最近は俺の指導も少なくなっていた。これを機に、徹底的に騎士の何たるかを叩き込む」

 往復や町に着いてからのことを考えれば最低でも半月はかかるだろう。その間にできることはしておくべきだ。特にカイルに手を出したであろう者達、そして出すかもしれない者達を見極め必要ならば処分を、そしてやり直せるのであれば徹底的に叩き直すために。

「エリザにはわたしから話しておくよ。エルあたりが残念がるだろうが……ビアンカとクリフもか……ひどく楽しみにしていたから」

 たった一度の夕食会で、王家一家の心をつかんでしまったカイル。子供達との交流を歓迎するとともに苦労をかけてしまっていることを申し訳なくも思う。どうにもロイドといい世話になりっぱなしだ。

 各々明日の準備のため離宮を離れたが、ヒルダだけはカイルの手を握りずっとそばにいることを選択した。かつて床に臥せることの多かった教え子にそうしていたように。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ