王宮に潜む魔の者
だが、それを悪用してしまえば、対象の魔力を封じながら自分達は好き勝手ができるということにもなる。しかも自分達の魔力を消費することなく、対象を弱らせることもできるということだ。
「途中から魔力吸収はなくなったんだけど……」
「それは許容量を超えたためね。限度以上に魔力を吸収したらそれ以上は吸収しないようになっているはずよ」
「まさか! カイル君とクロで許容量限界までいったんですか?」
「あー、俺は無駄に魔力多いし、クロも……妖魔だからな」
二人とも魔力量においては規格外といえる。カイルだけでも並の魔法使い千人以上なのだから。それと同等以上のクロの魔力量も推して知るべきだ。
「それから、何があった? 何をされたんだ?」
身を乗り出すように聞いてくるレイチェルに、カイルは少し申し訳ない気持ちになる。せっかくのデートだったのに、いい思い出で一日を終わらせることができなかった。
「背中踏まれて、目隠しを取られたら……クロが。クロが鎖で地面につながれてて、体には何本も剣が突き刺さってた」
カイルに使い魔であるクロの有様を見せたのは、カイルがクロを相棒といってはばからないからだろう。それほど大切なら、傷つき死にかけているところを見せるだけで痛手だろうと。
『我も目が覚めた時には鎖でつながれ、魔力を眠らされ、カイルを確認する間もなく体中に剣を突き立てられた。あやつら、わざと急所を外しておった。その状態で我にカイルを、カイルに我を見せたのだ』
互いが互いを思い合い大切であればこそ、どうしようもない状況に傷つくことになる。体だけではなく心も。現にカイルはあの状況を見て頭が真っ白になった。その後の治療もクロを優先させてしまったのにはそうした理由もあるのだろう。
『あやつら、鎧を着て兜をかぶり顔を隠しておった。六人でカイルに殴る蹴るの暴行を加え、叫べないくらい痛めつけると口を封じた布をとっておった。何か聞きたいことでもあったのか、悲鳴がなくば物足りぬと考えたのか……』
レナード達は自分達が見た傷以外にも狼藉を働かれていたと知り、拳に力が入る。魔力を封じ、さらに枷で動きを封じた相手を集団でリンチするなど、騎士の風上にも置けない。人としても最低のクズだ。
「どうやって、逃げたの?」
もしレナードやバレリーが現場に踏み込んで助けたのであれば、捕えた騎士の尋問の方を優先させるだろう。それがここにいるということは、カイルが自力で逃げ出し現場にはもう犯人達が残っていないと判断されているということだ。
「魔力吸収がなくなったから、集中して集中して……どうにか魔力の器をたたき起こした。一時的なもんだったけど、魔法使って探知して地下だってわかって、で、目くらましをして枷を壊して、アミル直伝の拘束をかけてからクロのところに行ったんだ」
『あれには我も驚いた。我はあまり繊細な魔法の使い方はせぬからな。制御はしても精密作業には向いておらぬ。カイルが我の鎖も砕き、剣を抜いて傷を癒してくれたのだ。全く、主も骨の二本や三本折れておっただろうに。足も引きずっておったであろう。なぜ自身を癒してから我の元に来ぬのだ』
「悪かったって。クロのあんな姿見て、ともかくいかなきゃと思って……ああいう痛みには慣れてたし、骨折れてるくらいじゃ完全に動けなくなるってこともないからな」
リンチされる痛みに慣れ、骨が折れることをくらいで済ませられるカイルの過去。それがカイルの今の強さを育んだと言えるのだろうが、それにしてもあまりにも痛々しい。
「魔力休眠空間で魔法を使ったの……極度の集中と針を通す操作と制御。それでも難しいことでしょうに……」
「怪我、どれくらいだったの?」
「……まあ、そこそこかな」
「ちゃんと報告。全部、報告」
「…………分かったよ。えっと……上から行くと右の鼓膜が破裂してて奥歯が二本と顎の骨にひび。右肩は脱臼してて、左腕は肘のあたりで折れてたな。肋骨は確か三本くらいか? 腹も内蔵のどっかは出血してたと思う。あとは左足の大腿骨の骨が折れてたのと右足の靭帯が切れてた。それ以外は……全身の打撲かな」
次々と上がる被害報告にテッドは頭痛を感じたのか頭に手を当て、レナードの額に青筋が浮かぶ。なぜか笑みを浮かべるバレリーに、気絶しそうなくらい青い顔をしたトレバース。レイチェル達はそろって怒りの表情を浮かべ、カイルの肩を握るヒルダの手に力が入る。
痛みを感じてヒルダを見ると、なぜか微笑んで力が抜ける。あの顔はどう考えてもよからぬことを思いついていそうだった。
「おま……それだけで重症じゃねぇか。それはちゃんと治したんだよな?」
「ん、クロの後に。でもそれで集中力切れてまた魔法が使えなくなったから、クロの背中に乗って脱出しようとしたんだけど……地下の部屋の扉を出たところをいきなり刺されて……あとはあんまり……」
それ以降は朦朧としていて詳細はあまりよく覚えていない。
「刺された……どこを、どれくらい?」
「えっと……」
「心臓付近の右肺を背中から胸にかけてこの剣が貫通してクロに刺さっていた。この剣の半ば以上が刺さっていたので相当な深手だろう。また、刺した人物もそれなりの腕だと知れる。少しずれていたら……」
レナードの言葉の先を聞かなくても分かった。ずれていれば、カイルは死んでいたのだろう。そしてクロが身代わりになり、カイルに決して消えない傷を与えていた。立ち直れるかどうかさえ分からないほどの傷を。
レナードの持っていた、カイルに刺さっていた剣は未だにわずかながら血痕が残っている。敵の血で濡れることがあっても、このようなことで濡れることがあってはならない剣のはずだ。
「所有者は誰だい? 確か、騎士の剣はそれぞれ名が刻まれていると……」
「それが……」
「……古参の騎士の一人です。このようなことをするとは思えない人物なのですが……確かに腕はあります」
言葉を濁すレナードに代わりバレリーが報告する。レナードとしては古参の騎士にそのような人物がいるとは思えない、思いたくはない。しかし、こうした証拠が出てしまっている以上事情を聞かないわけにもいかない。
「……俺を刺したのはその人じゃない」
「! 見たのか? 相手を?」
「クロが影に潜るまでの一瞬だったけど……あれは、エゴール……だった」
カイルの言葉に、レイチェルは剣を手に部屋を飛び出そうとした。しかし、その腕をカイルがつかんで止める。
「なぜ止めるのだ、カイル」
「言ったろ? 証拠がなけりゃ、勝てない」
「だが、カイルは見たのだろう?」
「見た。でも、騎士であるあいつの言葉と流れ者で孤児だった俺の言葉。事情を知らない奴ならどっちを信じる? 手を出せば、レイチェルも処分を受けることになる。あんな奴のために、レイチェルの経歴に傷をつけるな。それに……たぶん、あいつ相手にレイチェルだと分が悪い」
「わたしがあの男に及ばないということか?」
少なくとも、レイチェルは若手の中では一番の実力者であろうと自他ともに認められている。
「いや、違う。実力なら確実にレイチェルの方が上だ。でも、あいつなんかが後ろについてる。それに騎士達も、どっか変だった。なんていうか……狂気に支配されてる感じで。あの場所で、あのタイミングで俺に手を出せば、どうなるか分からないはずはないだろ? それなのに、自分の破滅もまるで考えてないみたいな……ちらっと見えたあいつらの目……虚ろなのに狂気だけがあふれだしてた」
『我も感じたな。あやつらは、傀儡であろう。元々心にあった欲望や狂気といったものを無理矢理に引き出され増幅されておる。だが、我らを刺したあの男、あれは狂気ではなく純粋な殺意を向けてきおった。あの部屋を出て魔法が使えるようになった我が、せめても目印にと影に細工をしようとしたが、弾かれた』
傷を負い、負わせた相手が分かるように影に細工をしようとしたクロだったが弾かれ、仕方なくカイルを連れて影に潜って移動した。
『万全でなかろうと、妖魔であり、影の扱いにも長けておる我の影を弾ける者など、同じ妖魔か魔人。ともかく魔の者しかおらぬ。あやつか、さらにその背後に魔の者がおる、この国の中枢に入り込んでおるのよ。魔の者にしてみれば、欲望渦巻く権力の中枢など良い狩場でもあろう。何より、元あった不満をあおったのであろうが、カイルに手を出さずにおれなんだことが証拠になろう。カイルは魔の者に取り、最上の贄であり至高の糧となる存在ゆえにな』
「俺を痛めつけた後、わざわざ口ふさいでた布を取ったよな。その後、何かを……誰かを待ってたようにも見えた」
『魔の者の内には、恐怖や苦痛といった感情、あるいは悲鳴そのものを糧とする個体もおる。カイルの声が聴きたかったのであろう』
クロとカイルの考察に、今度はテッドが真っ青になる。まさか、王宮内に魔人が入り込んでいるというのだろうか。妖魔であれば獣の姿のためすぐに分かる。だが、魔人の中には人と見分けがつかない者もいる。その者が、王宮に出入りしたカイルに目を付けたのだとすれば……。
レイチェルもさすがに話が騎士団だけに収まらなくなり、腰を落とす。あんな状況で、あんな目に遭っていてそこまで観察していたカイルをさすがだとほめるべきなのだろうか。
「エゴールと仲が良かったり、後ろ盾になるような存在で王宮にいる人物っていないのか? 狂気に支配されていないあいつがあんな行動に出られたってことは……わざわざ自分のものじゃない剣を使ったってことは、確たる証拠がなかったら絶対つかまえられない自信があるんだろ。なら、事件に関与していないという証言をしてくれる協力者の存在があった方がいい。そいつがそれなりの地位にあったりするなら、そいつの周辺に魔人がいるんじゃないか?」
カイルの言葉にレイチェルは顔色を悪くし、国王は玉のような汗をかく。そしてテッドやレナード、バレリーは忌々しげな顔をした。特にカイルの横にいたヒルダなど、頬が引きつっている。
「そう。あのバカ王子……とうとうわたしの大切な教え子にまで手を出す気? おまけに魔人ですって? ……一人心当たりがあるわ。ずっと不気味で、嫌な感じのする子がいたの。でも、あのバカ王子に付いてる子だから、悪影響でも受けたのかと思っていたけど……」
テッドは慌ててヒルダからその人物の特徴を聞きだし、影を通じて監視を命じる。相手が魔人であれば無駄かもしれないが、その人物自体ではなく、王子を見張らせることにする。そうすれば王子の行動はトレバースが全て知るところになり、下手な言い訳などできない。それに、王子相手なら影をつける正当な理由もあるためごまかしやすい。
相手がこのようなからめ手を使い、脅迫という手段を用いてでもちょっかいをかけてこようとする以上、これから先も王子が利用される可能性は高い。早急に手を打たなければならない。
「王子? そういやもう一人王子がいるって……アレクシス、だっけ? 俺と同い年なんだよな」
「…………君とは大違いの、バカ息子でね。散々悪いことをして……反省もしないで遊び歩いている。あれではとても国を任せられない」
「…………そいつがどんなやつかは知らないけどさ、誰に見限られたとしても、家族だけは見捨てちゃならないと、思う。道を間違えた時や踏み外しそうな時に、それを教えて手を取ってちゃんと進むべき道に戻れるまで支えてくれる人がいなけりゃやり直せない」
カイルの脳裏に浮かぶのはテリーとテラ。思い合いながらもすれ違い、死の間際になってようやく通じ合った二人。そして、カイル自身もまた遅すぎた話し合いが溝を生んでしまっていた。
「俺は、テリーのことは時間が解決してくれると思ってた。いずれは分かってくれるだろうって、ちゃんと受け止めて和解してうまくやってけるようになるだろうって。でも、テリーの心の隙間に裏社会の闇が入り込んでた。心の弱い部分や負の部分をつつかれて、心を闇に落としちまったんだ」
もう少しテリーの気持ちに寄り添うことができていれば、話をしてテリーの心の闇に気付くことができていれば、結果は違っていたかもしれない。けれど、カイルは自身を優先して、テリーのそばにいてやることが、ちゃんと手を取ってやることができなかった。
「どうしようもなかったって分かってる。俺とテリーは出会ったばっかで、お互いの事ほとんど何も知らなかった。それでも、もっと何かできることがあったんじゃないかって思っちまうんだ。怒鳴り合ってでも、殴り合ってでも、もっとお互いを知る努力を……相手を理解しようとする努力をしてりゃなって。そうすりゃ、テリーが俺を裏社会に売って、テリー自身も誰より大切だったテラを巻き込んで死ぬ何てこと……なかったかもしれない」
あとからなら、どうとでも考えられる。起きてしまったことは変えられない。だからこそ、まだ起きていない今なら、どうにかできる可能性が残されている。
「人を見捨てんのなんて簡単だ。自分には関係ない、相手がどうなろうと知ったことかって思ってればいい。でも、そうすることはきっと何らかの形で自分にも返ってくると思う。俺らみたいな奴らだったら見捨てられても、そんなに大きな影響はないだろうけど、そいつ、一国の王子なんだろ? しかも、次の王様になるかもしれない。そいつ見捨てたら、きっと取り返しがつかない過ちを犯して、たくさんの人が傷ついて、死ぬほど後悔することになる。それに、家族だけは見捨てちゃ駄目だ、見捨てて、ほしくない。テリーが闇に堕ちた時、ほとんど他人同然なのにすげぇ苦しかった。きっと、親しい分だけその思いは強くなる。俺は、レイチェルやバースおじさんにそんな思いはしてほしくない」
伏目がちに、自嘲するように懇願するカイルに王子と面識があった者はもちろん、親しい間柄であった者ほど強く胸を打たれる。バカだと言って見下し、素行が悪いからと見限り、やる気がないからと見捨てる。それの何と簡単なことか。そして同時に罪深い行動であっただろうか。
現に今こうして、王子と向き合ってこなかった結果が、間接的とはいえ面識さえないカイルを傷つけ瀕死になるほど追い詰めた。カイルが受けた痛みは、本来ならば自分達が受け止めなければならなかった痛みだ。自分達が防がなければならなかった痛みなのだ。
そして、誰に裏切られようと見捨てられようと、家族にだけは裏切られたことも見捨てられたこともないカイル。だからこそ、こうして曲がらずにいられた。生きてこれた。今新しくできた家族、その家族に見捨てられることなど考えたくもない。そうなればきっと立ち直れない。家族にだけはいつでも味方でいてほしい。そんな願いもまた、痛いほど伝わってきた。
「身近にいても、身近にいるからこそ分からないことや見えないこと、言えないこともあると思う。でも、諦めてほしくない。どんなことしてでも、正しい道に戻してやってほしい。今ならまだそれができる可能性がある。魔人が入り込んでるならなおの事、そいつを助けてやれるのは周りにいる人達だけなんだから」
国政にかまけ、また半ば諦めのような心持ちでアレクシスを見ていたトレバース。もし駄目なら切り捨てる覚悟をしていた。だが、それは逃げていただけだ。カイルと会って批判されるのが怖くて逃げていたのと同じように。
国王と王子ではなく、父と子として向き合ったことがどれだけあるだろうか。どれだけちゃんと見てきたと言えるだろうか。向き合って理解する努力をしてきたと言えるのか。カイルが息子であればと、何度も思った。だが、それはアレクシスを見捨てるということでもあったのではないか。
カイルはロイドとカレナの息子であることを誇りに思って生きている。ならば、アレクシスにとって自身はそんな親で在れたのだろうか。尊敬され、心のよりどころになる存在であっただろうか。そうある努力をしてきただろうか。
死して美化されることはあろうが、カイルが抱く両親への思いに、二人の人柄に過大評価などない。ありのままを受け止め、受け入れ心の支えとなっている。そこまで深くアレクシスの心に残る存在であるのだろうか。
思えば、顔を合わせば叱ってばかり怒ってばかりで、普段どんな生活をしているのかは人から聞いたことしかない。自分の目で確かめることなどなかった。どんな思いを抱いているか聞くことも、想像することも。それで、本当に親だと言えるのか。




