カイルの傷
レナード→カイルサイド
すぐさま警戒態勢に入ったレナードとバレリーがテッドやトレバースをかばう位置に入る。木陰はもう一度うごめくと、そこから何かが出て来ようとする。真っ黒な前足が片方出て地面をつかむと、もう片方も出てくる。そして、水の中から重い体を引き抜くように一つの、いや重なり合う二つの影が出てくる。
最初は警戒して剣に手をかけていたレナードとバレリーだったが、その影が何者か、どういう状態なのかを見極めると慌てて駆け寄る。さすがのテッドやトレバースもそれを置いて王宮に帰ることができなかった。
いつもは揺らぐことさえないだろう四肢をふらつかせ、漆黒の毛のあちこちを液体で濡らし体に張り付かせている。色が分かりづらくとも、匂いでそれが血であることがうかがえる。そして、それでも背中に乗せているのは、何よりも大切なのだろう相棒。
しかし、この場にいる者達を魅了した笑顔など見られない。長剣に分類される騎士達の剣の半ば以上を力づくで埋め込まれ、残っている刀身にも飛び散っている血が滴り落ちている。背中から、カイルの胸を貫通してクロに突き刺さる剣がいびつなシルエットを作り出していた。
「クロっ!」
「カイル君!!」
最初にクロを見たレナードの声と続いてカイルを発見したトレバースの声が重なる様に無人の庭に響く。レナード達の姿を確認したクロは、限界でもあったのか、そのまま膝を折って地面に倒れる。それでも背中に乗るカイルはさして反応を見せない。
クロが生きている以上、最悪の事態にはなっていないのだろうがクロともども重症であることに違いはない。
『済まぬ、不覚を取った。我のことはいい、カイルを……』
クロの言葉にレナードはカイルの傷と、剣が刺さっている場所を確認して難しい顔をする。かろうじて急所である心臓は外れているが、少しでもずれていれば即死だっただろう。
「これでは傷口に障らぬよう剣を抜くことは不可能です。なるべく損傷が少なくなるよう一瞬で引き抜きます。陛下達はカイルとクロの体を押さえていてください。バレリー、分かっているな」
「わたしでは止血や痛み止め程度のことしかできませんが、医療班が駆けつけるか……カイル君が自身で治療できるようになるまでは持たせて見せます」
騎士団の二人がうなずき合い、トレバースやテッドは服が汚れるのも気にせず血に濡れたカイルとクロの体を全身を使って押さえ込む。短い呼吸を繰り返すカイルの目は焦点があっておらず、傷の深さをうかがわせた。
痛ましげな顔でカイルを気遣うトレバースを尻目に、レナードはこれまでに培ってきた技術を総動員し、細心の注意を払い剣を引き抜く。
剣が差し込まれた時の角度や方向など、わずかでもずれることのないように。これ以上傷を広げることのないように。
『ぐあっ』
「あぐっ、うぁあ」
ズルっという生々しい音とともに剣が引き抜かれると、クロとカイルから短い悲鳴が上がり、傷口からも鮮血が吹き出す。
クロの背中に無理矢理繋ぎ止めていた剣がなくなり、力なくもたれかかっていたカイルの体をバレリーは仰向けにする。
背中から胸まで突き抜けている傷口からは今も血が溢れ続けている。口元も吐き出した血で汚れ、呼吸もままならない。呼吸に合わせ血の泡をふいている。
すぐに魔法をかけようとするバレリーよりも早くはるかに力強い魔法が夜の庭を照らす。しかし、それはカイルではなくクロの体を包み込み傷を残らず癒していく。
『っ! カイル、我は良いのだ! これしきの怪我でどうこうなるほどやわではない。主の、主の傷を癒すのだ!』
カイルは身を貫く痛みに朦朧としながらも、剣が抜けたらすぐにクロを治せるように準備していた。体の中心あたりを激しい痛みとともに異物が引き抜かれるのを感じて、魔法を発動させる。
自分の怪我など考えることさえしなかった。重症だと、致命傷だと分かっていたのに、それよりもクロの方が気がかりだった。
もう二度と、二度と失うわけにはいかないのだ。かつてカイルを命がけで救ってくれたクロ、その名を継ぐ相棒であるクロを、もう二度と死なせてなるものか。
カイル自身、なぜここまでこだわるのか、考えようとするといつも激しい頭痛に襲われてそれどころではなくなる。思い出して以来、夢でうなされては、心配したクロに起こされるということも度々あった。
どこか遠くで、誰かの叫び声が聞こえるが、抗いがたい睡魔が襲ってきて身を委ねたくなってくる。だが、同時に心に、魂に響く声が聞こえた。
『カイル、主の傷を癒すのだ! このままでは主が、我も死ぬことになるのだぞ! 夢を、約束を忘れたのか!!』
その瞬間、体の奥底から力が湧き上がってくる。クロを死なせたりしない。夢を諦めたりしない。約束を違えたりしない。死んだりなど、するものか!
カイルは呼吸を妨げる血を吐き出し、短く鋭く呼吸をすると、魔法を紡ぎ上げる。いつだって自身を救ってきてくれた魔法を。
バレリーは、クロを癒すカイルの魔法を見ながらも自身もまたカイルに対して魔法を発動させる。せめて出血だけでも止めなければ、人を呼ぶにしても持たない。
テッドはすぐに立ち上がって小走りで本宮に向かい、トレバースは必死にカイルに呼びかけている。カイルは聞こえていないのか反応を見せず、時折血を吐きながら止まりそうになる呼吸を何とか維持している。
戦場にも出て、数多くの負傷者を見てきたレナードは内心でもしかするとテッドの呼ぶ救援が間に合わない可能性を考えていた。
傷が癒えたはずのクロは、なぜか立ち上がることができない。カイルがパスを通じ無意識に願っているのか、体を休めることを強要され魔法も満足に使えないでいた。
魔法が使えればカイルの血を補充することくらい、流れ落ちる血を体に止めるくらいできるというのに。
歯がゆい思いをしていたクロがカイルに現実を認識させるために吠えた時、カイルに反応があった。それまでと同じく血を一塊吐くと呼吸をして、今度こそ自身に魔法を作用させる。
目を焼くことのない淡い光が消えかけていたカイルの命を繋ぎ止めていた。クロの拘束も解かれ、クロは完全に傷が治るまでに急いで血の補充を行う。
青白かったカイルの顔に血色が戻り、傷が治って呼吸が安定してきたところで一同は安堵のため息を漏らす。もう心配はなさそうだ。
補充された血が呼吸で取り込んだ酸素を全身に運び始めてようやくカイルの意識もはっきりしてくる。
闇の帳が降りた空と覗き込んでくるレナードたちの顔。何度か瞬きをすると、視界もクリアになってくる。
「……クロ、は?」
『我ならここにおる。……カイル、なぜ我を優先した? 分かっておろう、カイルが死ねば代わりに我が死ぬことを。我を助けたいなら、まずは主が助かる必要があることを』
「分かって……る。でも、クロが、傷ついて……死にそうに、なってる、と思った……ら、駄目だった」
『なぜそうまでするのだ。我は妖魔ぞ、そう簡単に死んだりはせぬ。前のクロとは違うのだ』
「それも、分かってる。……ごめん、クロ。俺、どうしても、忘れ……られなくて。あいつと、クロとは、違うって……分かってるのに」
「カイル、詳しい話も聞きたいがそれは離宮に移動してからだ。いいな?」
「はい……」
就寝時間になっているとはいえ、まだ起きている騎士達もいる。カイルに手を出した騎士達はもう現場にはいないだろう。調べるのは後になりそうだ。レナードはカイルを背負うと歩き始める。バレリーとクロも続き、憔悴した様子で国王も続く。クロの体を濡らしていた血は全てクロが吸収していた。
血の補充と同時にカイルの血を取り入れ活力とするためだ。離宮に行く道すがら、慌てた様子でかけてくるアミルとその後ろにテッドもついてきていた。直ぐにレナードの背のカイルの容態を確かめ、ひとまずは安心する。
しかし、アミルはカイルの服を切り裂き濡らしている血の跡から、どれほどの怪我を負っていたのか悟り、眉根を寄せていた。まさか王宮内で、しかも騎士団本部でこのようなことが起きるとは予想だにしていなかった。
トラブルに巻き込まれやすいと、いらぬ恨みを買いやすいと分かっていてもまさかという思いがぬぐえない。このような低俗で短絡的なことをする者が、国を守る騎士の中にいたのかと。
離宮の以前の寝室に入ると、カイルは服を着替えることになる。さすがに血濡れの服のまま座ったり話したりはできない。大分ふらつかなくなってきたので、一人で着替えをすることになった。
レイチェルは、風呂に入って身を清めた後、今日の出来事を振り返っていた。思えばあれほど楽しい一日を過ごしたのは初めてかもしれない。もしカイルとの関係を認められることになれば、あんな幸せな日を毎日過ごせるのだろうかと思うと自然と頬が緩んできた。
しかし、そんなレイチェルの元に国王の影が不穏な知らせを携えてきた。レイチェルは慌てて寝間着から普段の服に着替えると影について王宮の離宮へと向かった。
テムズ武具店ではレイチェルとアミルを除くいつものメンバーがそろっていた。アミルは王宮に帰らないといけないが、王都内に居のある彼らは一日の終わりにカイルの顔を見てから帰ろうと、自然と集まってきていた。なんだか質の悪い麻薬のようで、各々顔を見合わせて含み笑いをしていた。ドラシオやグレン、ディランもカイルの帰りを待っていた。
レイチェルとのデートやいつか振る舞ってくれるかもしれない料理を習いに行っている身内を待つ心境で。そんなところに、国王の影が現れる。事情を聴く途中で入ってきたヒルダを含め、五人は落ち着かない心境で離宮へと向かう。
着替える時に体に着いた血も浄化しておく。カイルの場合まだ流れ出た血を自身のものとして還元することができない。流れている最中なら可能だが、まだまだ使いこなせていない。ズボンをはき終わり、上の服を着ようとしたところで、突然扉が開かれてレイチェルが飛び込んでくる。
止めようとしたのかアミルやトレバースが腕を伸ばしていたが、レイチェルは入ったばかりのところで固まっていた。カイルはとりあえず服を着てしまうと、レイチェルの前まで歩いていく。顔の前で手を振るが、反応がない。
「レイチェル?」
「~~~、す、すまない! き、着替え中だとは……」
「だから言いましたのに、飛び込んでしまったのはレイチェルですわ」
「分かっている。……大丈夫、なのか?」
レイチェルはカイルに触れようとして、どこを怪我したのか分からず手をさまよわせる。そして、同じようにさまよっていた目が、カイルが着替え終えた服にとまる。殴る蹴るなどではなく、明らかに刃傷沙汰だったことがうかがえる大量出血にレイチェルは気が遠くなるような気がした。
まさか、自身も所属する騎士団で、その本部でこのような凶行が行われたなどと。レイチェルに続くように、部屋に飛び込んでくる面々も、無事なカイルを見てほっとして、血濡れの服を見て顔色を変える。
「とりあえず、座って話をしましょう。カイル君は一応ベッドに入ってください。怪我を治し血を補充したとはいえ、あの傷です」
テッドの言葉にカイルは素直に従う。ベッドに寝転がる前にクロが背中側に回り、少し大きくなって背もたれの代わりになってくれる。クロの暖かな体と確かな呼吸と鼓動がカイルに安心感を与えてくれた。
カイルのベッドを囲うように椅子やソファが並べられ、話を聞く体制になる。両側にはレイチェル、ハンナ、アミル。キリル、トーマ、ダリルが埋めている。カイルの正面に国王が座りその後ろにテッド、レナード、バレリーが座る。ヒルダはベッドに腰かけてクロにもたれるカイルの肩を握りしめていた。
ヒルダの手がかすかに震えているのは、また自身の知らぬところで教え子が危機に瀕し、死にかけたことを恐れたものか。それとも、カイルをそのような目に合わせた者達への怒りのためか。
「じゃあ、順を追って聞いていくけど、カイル君は今日クロエさんに料理を教わりに来ていたんだよね」
「ああ。ちょっと早めに行って騎士団の夕食の手伝いはしたけど、その後で教えてもらった。で、一緒に賄いを食べて……帰ろうとしたんだけど……」
「その辺りはこちらでも把握しています。その……厨房係の新人が、騎士達に脅されて……カイル君とクロの食事に薬を盛ったということも」
バレリーの言葉に、まさかという視線にまたかという視線が混ざった何とも言えない視線が集まる。どうしてこう一服盛られることが多いのだろうか。
「そっか、……それで様子がおかしかったのか、あの子。もしかして、あの後バレリーさん達に?」
「そうだ。俺の元に告発に来た。泣いて詫びながら、とんでもないことをしてしまったと後悔していた。事情を聞けば情状酌量の余地はあると考えてクロエに任せてきた」
「それで、急いで調査をしてみて不審な魔法具使用の痕跡がありましたので、周辺を調べていました」
「魔法具、ですの? 薬とどう関係しておりますの?」
薬を盛られて、なぜ魔法具が関係してくるのか。アミルには分からなかったが、騎士団員でもあるレイチェルには予測が立った。
「呼子かっ! 魔獣捕獲・狩猟用に使用する薬と併用すれば、任意のタイミングと時間、魔獣を眠らせることができる」
「それならクロだけに効くんじゃないか?」
なぜ自分まで同じように眠らされたのか、理解ができない。
「あの薬はね、使い魔契約を結んでいる間柄なら魔獣に使っても人にも効くのよ。それに人にも同じ薬を飲ませると相乗効果で効果が倍増するわ。笛の音が聞こえたとたん、眠くなったんじゃないの?」
『我はそうだな。気絶するように眠っておった』
「俺も、だな。気が付いたら倒れてた」
ヒルダの説明に納得のうなずきを返すクロとカイル。各々ではそこまで影響がないかもしれないのに、使い魔契約を結んでいるがために弱点ともなっているのだ。カイルの場合、クロから返ってくる物はないのだが、太いパスでつながっている上、クロの感覚に引きずられてしまうところもある。
そのあたりはやはり種族差、妖魔と人の違いであるといえる。どうしても弱い種族である人のカイルが、十対零の主従関係を結んでいても影響されてしまうのだ。特にカイルはクロの全てを共有してもいるのだから。
「それから、何があったのだ? なぜ、あれほどの……怪我を」
「目が覚めた時には、うつ伏せで寝てて、手と足に枷がはめられてた。目隠しされて、口も塞がれてたから。一瞬、裏社会のアジトにでも逆戻りしたかと思ったけど……いくらなんでも王宮の騎士団本部ではありえないだろうって考えて……」
突然意識を失って目が覚めたらその状況であるなら、かの悪夢を思い出しても仕方ない。そこで冷静に状況を判断できただけで変なところで場慣れしてしまっていると思わざるを得ない。
「気配から複数いるって分かったけど……魔法が使えなくてさ。今までみたいに内側からって言うんじゃなくて、こう外側から押さえつけられてるような……魔力の器が眠ってるような感じで、それなのに魔力が抜かれてて……焦った」
「”魔力休眠空間”、確か騎士団本部の地下にあったわよね? 魔力切れ、あるいは魔法が使えない状況を想定して訓練するために。任意の対象を指定して、そこから魔法具発動や効果維持のための魔力を得ることもできたはず」
全員の魔法を封じてしまえば、万一の際に治療なども行えない。そのため対象を指定して魔法を封じ、封じた対象の魔力を利用して空間を維持するという手法が使われている。




