闇の悪巧みと貴族街散策
ブライアン→カイルサイド
それまで隆盛を誇っていた組織は見る影もなく、構成員もほとんどが別の組織に流れるか殺された。ただ一人、暗い部屋で不気味な笑みを浮かべているブライアンを除いて。
そんなブライアンの元に、場違いともいえる格好の女性が現れる。誰かに仕えているようなメイド服に身を包み、頭にはドレッサーを付けている。普通は白いエプロンなのだが、今は何かで汚れている。暗い室内ではただの汚れにしか見えないが、明るい場所や近づいてみればわかる。それが、血であるということか。
「無様ね。あれだけの巨大組織の元締めが。いまはドブネズミと変わらない暗闇に住んでいる」
「仕方がないよ。僕の組織の力はあの精霊あってのものだ。それに、まだましな方さ。隠蔽ができなくなって、どの組織も身動きがとりづらくなったからね」
「……あの日、わたしを呼び戻していればそう簡単に逃がしたりはしなかった」
「君にはとても大切な役目があるだろう? それに、君自身楽しんでいるじゃないか」
「そうね、恵まれた環境にありながら、自堕落に生きる人を見るのは楽しいわ。悪い遊びに便乗して、わたし自身の糧だって得られるもの」
年頃は十代後半か、よくて二十代前半の地味で気弱にも見える外見とは裏腹の妖艶で寒気のする笑みを浮かべながらメイド服の少女は舌なめずりをする。
「そう。君と僕とは利害が一致してこうして一緒にいる」
「ええ、そうね。あなたはわたしに必要な糧を与えるためにいろいろしてくれたわ。そのことには感謝しているの。でも、あんなに大きな獲物を知らせないなんて、薄情じゃない? 長い付き合いでしょ?」
「駄目だよ。あれは、僕のものだ」
「ふふふっ、でも、知ってる。あの子、王宮にも出入りするようになっているのよ? この間は王族とも夕食を一緒に食べていたし、気に入られてもいたみたい。わたしのことを嫌な目で見ていた女狐とも繋がりがあるようだし、騎士団の団長や副団長とも懇意になったわ」
「……本当に忌々しい。さして着飾ることも、取り繕うこともなくそうやって光の中で多くの人々の賞賛と助力を得ながら上り詰めていく。そんなところまで一緒だ!」
「クスクス、あの、剣聖ロイドの事? そう、ね。まだはっきりとはしないけれど、もしかしたら無関係じゃないかもしれないわよ?」
「どういうことかな? あの二人の一粒種は死んだと聞いているよ?」
「そう、死んだはず。でもね、あの子、魔法で髪の色を変えているのよ? 最初に見た時には驚いたわ。わたしが魔の者だから分かったけれど、とても上手に隠していたもの」
「髪の色を? 確か髪も眼もこの国では珍しくない茶色だったけど……」
ブライアンは何度も掴みあげて顔を起こした髪の色を思い出す。ブライアンの嫌いな眼も珍しい色などではなかった。
「ふふっ、他の人には分からなくてもわたしには分かるわ。とてもきれいな髪だったわよ? あなたが嫌いで嫌いでどうしようもない、あのロイドと同じ銀髪。いえ、もしかしたらロイドよりも鮮やかかもしれないわね」
「ロイドと! まさか、そんな。銀の髪なんて人界では珍しいはず……まさか、そうなのか?」
「ふふ、それを探っているところよ? なんだか、国王や側近達もこそこそしているみたいだし、可能性は高いと思うわ」
「は、はは、はははっ、ははははははははは。あいつが、あいつの子供が? アハッ、アハハハハハ。どうしてももう一度手に入れたいね」
「同感よ。だって、あの子の悲鳴。あなたが集めてきた子達なんかよりずっとわたしの力になるもの。今日は騎士団の団長と訓練をしてたけど、我慢して押さえてた喘ぎや押し殺そうとしていた悲鳴でも体の奥底から熱くなるくらい力が湧き上がってきたわ。あの子を思う存分鳴かせたら、きっとわたしはかつてないほどの力を得ることができるわ」
「なるほど、手は考えてあるのかい?」
「そうね、せっかくいいところにいるんだもの。あの愚か者を利用することもできるわ」
「……なるほど、面白そうだね。僕もね、ずっとロイドに使ってやろうと思っていた手があるんだ。ちょっと準備に時間がかかるし、うまくいっても僕は死ぬかもしれない。それでも、あの子を誰よりも深い闇に落としてあげるよ」
「ああ、面白そうね。あの子に張り付いている妖魔が厄介だけれど、使い魔ならどうにかなるわ」
「妖魔? あれが? なるほど、壁や天井を破壊できるわけだね」
「あれはわたしよりも格が上よ。でも、きっとからめ手には弱いわ。強い存在ほど、小細工には弱かったりするもの」
「君も悪い子だね。だけど、君のそういうところが気に入っている」
「あなたも悪い人よ。だからこそ、一緒にいるんだわ」
二人の不気味な笑いによる不協和音は、薄暗がりの中ずっと続いていた。
光の日から闇の日を経て、今日は無の日。カイルにとって初めての休日だった。カイルだけではなく、勤め人なども無の日を休日とすることが多く、町を歩いている人も多い。今日は前々からの約束通りレイチェルに貴族街を案内してもらう予定だった。
トーマがぐずったのだが、アミルやハンナが抑え、レイチェルと二人きりでのいわばデートに当たる。貴族街の入り口で待ち合わせ、そこから案内をしてもらうことになっていた。クロも今日は気を利かせてかカイルの影の中にいる。
カイルはいつもよりラフな格好で、剣だけを帯びて貴族街の入り口前の塀にもたれかかってレイチェルを待っていた。アリーシャや親方に女の子を待たせるものじゃない、待つのが男の甲斐性だと随分早くに家を出されたため、こうして待ちぼうけというわけだ。
こうやってぼうっとしていられる時間が取れるなど、少し前のカイルには想像もつかなかった。ただ町を行き交う人を見て、誰からも蔑みや見下すような視線を向けられない。それがこれほどまでに心が軽いものなのかと感じていた。
ふと、足音と気配を感じて横を見ると、普段は着ないのだろうスカート姿に身を包み、どこから見てもおしゃれをしているレイチェルがいた。髪も無造作に流すのではなく、頭後ろの高いところで一つにまとめている。
カイルは一瞬見とれた後、笑みを浮かべる。
「良く似合ってるな、そういう格好も」
「そ、そうか? なんだか落ち着かない感じだが……カイルも、その、……格好いいぞ?」
カイルの格好は今王都でも流行りになっている服装で、見た目や着心地の割に安く平民達に人気があった。実のところカイルが作った服でもある。カイルのしなやかな体を引き立てるかのような服だ。
「ありがとな。で、どこに行くんだ? 今日はレイチェルについて行くつもりだけど」
「そ、そうだな。わたしがよく行っていた公園と、その……剣聖ロイド様のお墓にもいこうと思っている。行ったことがないだろう?」
「……ないな。一度見ておくのもありかな」
「そうするといい。わたしも、くじけそうな時にはそこに行って力を分けてもらっていた」
「なるほどな」
「そ、それで、昼はわたしの家に来てくれないか? その、今日のことを話したら母様がぜひ会いたいと言っていて……」
「一度俺も挨拶に行かないといけないと思ってたから構わないけど、いいのか?」
「と、父様は当直だから騎士団本部に詰めているが、わたしは休みでもあるからな」
「そっか、騎士にも休みってあるんだよな」
「そうだ。普通の人ほど多くはないが、月に二度ほど無の日に休みを取る」
カイルはレイチェルと並んで貴族街を歩く。相変わらず精霊は少ないが、そういうものだと思うしかない。貴族でもレイチェルやレナードのようなものだっているのだ。
どの建物も立派で、年代を感じさせたりはたまた新しいものであったり。そのあたりは貴族の移り変わりを思わせた。同時に、報酬に見合うくらい国に尽くしている者がどれほどいるのだろうとトレバースの苦労も思う。
「貴族街の街並みは……きれいではあるだろう? だが、わたしはあまり好きになれなかった。見た目ばかりで中身が伴っていないように思えてな。それがそのまま貴族という存在を表しているように見えて、小さい頃は貴族であることが苦痛だった」
「生まればっかりは自分で選べないもんなぁ。俺も両親の子供として生まれたことを後悔したことはないけど、でも色々と大変な部分はあるよな」
「そうだな。特にわたしは、騎士団団長の最初の子供としてとても期待されていた。魔力がなくてもあそこまで強い父様の血に、魔力が備わればどれほどの強さを得られるのだろうと。だが、わたしには魔力がなかった」
「それも、生まれてくる子供にはどうしようもないことだ。俺に魔力があるのも、レイチェルに魔力がないのも俺達の責任じゃない」
「……そうだな。だが、わたしはそう思うことができなかった。自分が悪いような気がして、父様の血を、母様の血を穢したような気がしてな」
なんとなくレイチェルの気持ちが分かるカイルは、ポンポンと背中を励ますように叩く。それを受けて、少し痛みを感じるような顔をしていたレイチェルに笑顔が戻る。
「確かに、わたしは容姿だけしか母様の血を受け継げなかったかもしれない。だが、父様の血もちゃんと受け告げているのだと最近とみに実感する。魔力がなくても、鍛え上げれば魔力を持つ者以上の力を得ることだってできる。そう思えるようになってきた」
「レイチェル、また強くなっているもんな。こっちは必死で追いつこうとしてんのに」
「そう簡単に追いつかれては、わたし達の立つ瀬もない。特に、カイルは魔法を反則的に使うだろう? なんだあの使い方は?」
「あれか? バレリーさんに習ったやり方。あれやると後が楽なんだ。痛みだけじゃなくてさ、筋肉のつき方っていうか、質も上がった気がするし」
「副団長か……あの方も器用な魔法の使い方をするからな。実戦では、あの気の回し方がすべて敵を倒す方向に向くから恐ろしいんだ。逃げ道がまるでない攻め方をされるからな」
「そんな感じだなぁ。バレリーさんって、レナードさんより敵には容赦ないだろ?」
「よく分かるな。父様は敵だろうと味方だろうと変わらんが、副団長はまるで正反対だからな」
「レナードさん、手加減できないもんな。何度か死にかけた」
「……父様にはもう一度よく言って聞かせておこう。父様のやり方は、過激だと!」
「ためにはなるんだけどなぁ。確かに過激っちゃ過激か。ほぼ回復にしか使ってなかったのに魔力結構消費したもんな」
「カイルほど魔力がなければ、あそこまでにはならなかったのだろうが……なければ、死んでいた可能性もあるとなれば、怒っていいのか喜んでいいのか」
「ま、最近自分の魔力でどれだけのことができるか分かってきたからさ。魔力切れですむ程度には抑えるよ」
「……そうやって限界値が上がっていくのだな。魔力も訓練も」
「…………そりゃそうか。レイチェル達ともそうだったもんな」
どうやら、あまり解決にはならないらしいと、レイチェルとカイルは二人そろって肩を落とす。どうあってもカイルの訓練が過熱するのは避けられないらしい。カイルの性格的にも、適度に手を抜くなんてことはない。
そうしているうち、緑にあふれている公園にたどり着いた。貴族街に住む者達か、観光客か。公園には家族連れや友達、恋人同士などで人があふれていた。
「この公園はな、癒しの巫女様がよく来ていたと言われる場所なんだ。神殿都市を出て、この国に来てから少しの間、王都にとどまっていたらしい。おそらく、家が建つまでの間だろうな。体が弱かったなら、この国までの長旅の疲れをいやす必要もあっただろうし」
「ここに……」
カイルは、この公園に母であるカレナも来たことがあると聞いて、見る目が変わる。そして、同時にレイチェルがカイルのことを思って今日の予定を立ててくれたことに気付く。ロイドの墓参りだけではなく、母の思い出の場所にカイルを連れてきてくれたのだ。
それを思うと、レイチェルへの愛しさが湧き上がってくる。必要以上に接触するのはあれだが、手をつなぐくらいはいいだろう。そう思い、レイチェルの細いが鍛えられて剣だこのできている手を取って公園に入る。
レイチェルは握られた手に顔を赤くして慌てていたが、カイルに優しく微笑まれ、少しうつむきがちについてくる。あんな顔をされたのでは振り払うことなどできない。それにレイチェルとしても嬉しいし、温かい。
カイルは公園を見渡しながら、なぜここにカレナがよく来ていたのか理解した。ここには貴族街にはあまりいない精霊達にあふれている。樹齢の高そうな森の木々達に誘われるのか、そのおかげで人の心が和み霊力が高まるためなのか。
すぐにカイルに気が付いて集まってくる。ぽわぽわとした精霊達の温もりを感じながらレイチェルを見ると、なぜか驚いた様な顔をしていた。
「カイル? なんだか、体の周りが温かいような……」
「今な、見えないだろうけど、周りにたくさん集まってきてるんだ。一定数以上の数が集まるとこんなふうになるんだよ。冬とかはこうやって暖を取らせてもらったりしたんだ」
名詞を抜いたカイルの言葉だったが、すぐにレイチェルはこれが精霊のもたらす温もりであることに気付いた。そしてまた、カイルがいつもこの温もりに包まれていたことも。そのおかげで体だけではなく、心も凍えずに済んだということを。
それを思えば、感謝してもしきれない。声を届けることはできないが、心の中で感謝の言葉を述べる。すると、さらに温かさが増したような気がした。
「みんな人の心に敏感なんだ。レイチェルが感謝すれば、それに応えてくれる。いつだってそばにいるんだからな」
「そうか。そうだったのだな。ではこれからはわたしも感謝の気持ちを持ち続けることにしよう。きっと、わたしが辛い時にもそばにいてくれたのだろうから」
レイチェルの返事に、カイルは満足そうにうなずく。そのまま公園をぐるっと回り、別の出口から出る。名残惜しそうに精霊達が見送ってくれた。もちろん、別れる時のキスという挨拶付きで。その意味を知ってからはくすぐったくて少し恥ずかしいが、感謝の意味も込めてそれを受ける。レイチェルも羨ましそうにしていたので、つい額に軽くキスをしてから歩き始める。
レイチェルはまた倒れそうなくらいに真っ赤になっていたが、ふらふらとカイルに手を引かれて歩き出す。こうした何気ないところで、年下のカイルにリードされてしまうのは何となく矜持もうずくのだがいかんともしがたい。
恋愛などレイチェルにとっては未知の領域。まして、異性との付き合い方や触れ方など考えたこともなかった。一日の長があるカイルに押されっぱなしなのは仕方のないことだ、かといって、なんとなく悔しくなったレイチェルは、手を繋いでいる腕を抱きかかえるようにして握りしめた。
驚いた顔をしたカイルだったが、少し顔を上げて頬をかく。顔が赤くなるのは避けられない。
「あー、レイチェル? 嬉しいんだが、そういうのは恋人になってからやらないか? 手くらいならまだしも、腕組むのはさすがになぁ。俺の理性も持たねぇかも……」
「なっ、そ、そ、そうなのか!」
「いや、だって考えてみ? 今俺の腕に何が当たってる?」
問われてレイチェルは、エルフの血を引く故につつましやかだが、女性を象徴する部分がしっかりとカイルの腕に当たっていることに気付く。その上、おろした手の先にあるのはレイチェルの股の敏感な部分。まるでこれでは誘っているようにしか思えない。
「あ、わ、わわわ。そ、そうか。そうだな、これは……まずいな。わたしとしても……なんだか、カイルを押し倒したい気分になってしまう」
「……レイチェルが俺を押し倒すのか? 逆じゃね?」
「その、か、カイルに触れているとだな、その……こう、内側から湧き上がるものがあってな。そうすると、カイルを抱きしめて押し倒したくなるのだ」
「あー、まぁ、分からなくはないなぁ。普通は逆だけど……俺が悪いのか? や、でもなぁ……」
カイルとしては、男として押し倒されるばかりなのは御免こうむりたい。そうした場合にはあまりいい思い出がない。自分にそうした要素や隙があるのかと考えるが、特に思い当たることもない。母親似の顔や龍の血を引く故に男らしくなりにくい体を除けば、カイルはれっきとした男なのだから。




