カイルの成長
「カイル、それ終わったら上がっていいってよ。親方が」
「分かった。ありがとな」
「おうっ! 気張ってやれよ」
カイルは武器屋の奥にある製作所でなめし皮の形成作業を行っていた。なめし皮は武器を装備するために欠かせないベルトや旅の必需品でもあるマント、時として防具にも使われる。用途は広いのだが、一枚一枚形が違うため、同じように形成することが難しい。
数年の月日を擁して、ようやく一人前に片足をかけるかどうかといったところだ。だが、カイルはグレンの元で働き始めておおよそ一か月でそうした作業を任されるようになってきた。グレンに本格的に弟子入りしている者達が舌を巻くほどカイルの上達は目を見張るものだった。
三か月が経った今では全面的に任される作業などもあるほどだ。今は六の月に入ったばかり。一番過ごしやすく、町の人の出入りも多い時期だ。
カイルはこの三か月、午前中は宣言通りグレンの店で働き、午後からは主にギルドに行って依頼を受けたり、勉強をしたりして過ごしていた。
グレンの店では、最初の月は銀貨一枚の給料だったが、次は二枚、三か月目には三枚になっていた。なんでもカイルが手掛けた製品の人気が高いらしい。細やかで繊細な装飾や、しっかりとした作りでありながら使いやすさにも配慮されているベルトや留め具など。教える側であったグレンでさえ感心する代物もあった。
そのためか、少しずつカイルの指名客というものもできていた。おかげで、生産者ギルドでのランクも上がり今ではCランクになっている。Cランクといえば一人前と認められるランクでもある。本気で生産者としてもやっていけそうだ。
それに伴い商人ギルドでも二つランクが上がりEランクに上がっていた。今までの貧乏暮らしから商人達との火花散る取引などできないのではないかと考えていたグレンだったが、カイルは思っている以上に強かだった。
精霊による情報網や裏通りの噂なども仕入れて、商人達をうならせる値引き交渉まで行ってしまった。それに、あくどい商人とは決して取引しようとしないため、若いのに見る目があるとして一目置かれ始めていた。
だが、カイルが一番力を入れていたのはハンターと魔法ギルドだ。魔法ギルドで魔法を学び、空き時間に剣を振り、依頼を受けて実践してみる。そういったことを繰り返してきた。だが、カイルは三日に一度は町中での依頼も受けていた。ランクが高くなるにつれ町中での依頼は少なくなる。だが、同時に町中での雑用依頼というものは常に存在している。
そうした依頼を受けるのはギルドに入って間もない子供達ばかりで、少しでもランクが上がると受けなくなってしまうことが多い。仕事の大変さに比べ報酬やポイントが低いのが原因だ。報酬やポイントは危険度によっても設定されているためだ。
ほとんど危険のない町中での依頼は高くてもEランクまでだ。だが、案外町中での依頼も子供にできるものばかりではない。お使いや店番、庭の草引きなどなら問題ない。だが、倉庫の荷物運びや穴掘り、解体の手伝いといった体がある程度大きくならないと厳しい依頼も多い。
だが、大きくなればなるほどより効率のいい依頼を求め、町の外へ出ていく。そのため、町中での雑用依頼が滞ることになる。これはどこのギルドでも抱えている問題だった。だが、カイルはそれを知ってか知らずか、三日に一度は町中の溜まった依頼を消化していた。それも、小さな子供には難しいものを選んで。
そのため、今までたまり続けてきた依頼が回りはじめ、町の人々からも喜ばれていた。また、仕事自体もきちんと行い、満足度評価も高い。おかげでカイルだけではなく、裏通りから出てきた子供達にも期待が高まっている。下手な大人を雇うよりも、真面目に働く子供の方がよほど役に立つと。
採取や討伐、狩りと言った依頼でも、カイルは今までと同じ仕事をしても十倍以上の報酬を得ることができていた。それだけ今までが足元を見られてきたという証明でもあるが、面白いほどお金が溜まるのに、逆に慣れないくらいだった。
そうした努力もあり、ハンターギルドではもうすぐBランクにも届こうかというほどまでになっていた。そして、魔法ギルドでは、なんと異例の速さでAランクにまでなっていた。
剣の腕は少しずつだが、魔法の上達はすさまじかった。魔力量も質も高いのに、知識と経験がなかったために使えなかっただけだ。綿が水を吸うように、カイルは次々と魔法を身に付けていった。基本属性である風と土も上位属性へと進化させ、今まで以上に光や闇も使いこなせるようになってきた。
さらに、固有属性である空間や時、重力といった魔法も少しずつではあるが使えるようになっていた。主に使っているのは運搬のためだ。
空間魔法の一種で亜空間収納というものがある。空間の大きさは込めた魔力や制御力にもよるが、亜空間に物を入れておける。そこからいつでも取り出すことが可能だ。森で狩りや採取をする時にも、荷物運びの時にも重宝している。ただ、人目のある場所では使わないようにしている。
時属性と組み合わせることで亜空間内の時間経過が限りなく遅くなっているため、生ものでも長持ちする。慣れると時間を停止させた亜空間を持てるということなので日々精進といったところだ。
魔法ギルドでは、カイルは期待の新人と呼ばれていた。カイルは魔法ギルドにある本を全て読みつくすのではないかという勢いで励んでいた。そのためか、普通なら手に取らないような空間や時、重力といった固有魔法の本を読んでいても不思議に思われなかったのはありがたかった。まずは普段から使える基本属性から読み進めていたのもよかったらしい。
使えなくても知識として知っておけば役に立つこともある。そういった考えから、使えない属性の本を読む者も多い。魔力があることに胡坐をこいて、偉ぶっていた者達もカイルを見て焦燥や嫉妬といった感情を抱き始めていた。
元は裏通りに住む、流れ者の孤児が驚くべき潜在能力を秘めていた。そのことから、魔法ギルドの中でも孤児達の救済や引き取りといったことに関心を持つ者も増えてきた。
人族の中で魔力を持つ者と持たない者は半々といったところだ。そこに生れや育ちなど関係ない。裏通りの住人でも、魔力を持っている者はいるし、素質が高いものだっているだろう。そういった可能性に気付いたのだ。そして、今までその可能性や才能の芽を、知らずに摘み取り踏みにじってきたのではないかと。
カイルほどの魔力量や質を持つ者はそういないだろうが、カイルが今まで教え導いてきた子供達の中にも魔力持ちはいた。その子達がカイルの代わりに生活魔法を使えるくらいになると、カイルは次の町へと移っていたのだ。
この町で、カイルが世話をしていた裏通りの子供達の中にも、三分の一ほどだが魔力持ちがいた。その子供達はカイルの教えと努力のおかげで生活魔法は過不足なく使えるようになっていた。それだけで受けられる仕事の幅が段違いに増えるし、重宝されることになる。
カイルの存在は、少しずつだが町の人々の意識を変え始めていた。カイルが関わったことがないような人でも、その隣人や友人達の話を聞いて。関わったことがある者なら、なおのこと。変わるべきは孤児達ばかりではなく、自分達の方でもあると気付き始めた。偏見と差別に凝り固まった意識を変えていく必要性を感じ始めていた。
「よっし、これでいいな」
カイルは最後の作業を終えると、立ち上がって背伸びをする。物作りは楽しいのだが、夢中になると同じ姿勢で何時間も過ごしてしまうため体が固まってしまう。
仕事場から台所につながる居間に入ると、昼食の準備が整っていた。
「おや、終わったのかい?」
「ああ、今日の分はな。最近多くなってきてないか?」
「まあ、お前さんの作業が早くなってきたからな。それに、注文も増えてんだ」
「へー」
「ちったぁ、興味持ったらどうなんだ? 固定客もついてきたんだぞ?」
「そうは言ってもなぁ。俺はあくまで手伝いっていうか雇われの立場だし……。そりゃ評価してくれるのは嬉しいし、作ったものが売れるのはいいことだろうけど」
いずれカイルは町を離れることになるかもしれない。下手に客が付けば、そうなった時に困ることになるかもしれない。
「お前なぁ……、いいか、何のために生産者ギルドに登録してると思ってる? 客が付いたら、ギルドを通してどこにいても依頼って形で注文を受けることができるんだ」
「えっ、そうなのか?」
「そういや、それぞれのギルドについては詳しい説明受けてなかったか。お前、器用でそつないわりには変なところで知識が足らない部分があるからな」
「仕方ないだろ。勉強する機会なんてなかったんだからな。ってことは、指名客とかが付くと……」
「ああ、指名依頼って形で注文してくることもあるってことだ。腕がいい奴でも一つの町にとどまっていられるのはそういう理由からだ。中には、直接会って見極めない限り注文を受け付けないって頑固者もいるがな」
たいていそういう生産者はドワーフであることが多い。彼らは自分達の作るものに誇りと信念を持っている。作り出した武器に使い手がふさわしいかどうかを見極めてから製造や売買を決めるのだ。
その分、物の質はいいものばかりで、是が非でも手に入れたいと思う者は多い。だからこそやっていけると言える。グレンの店にいるのもほとんどがドワーフばかりだ。人で弟子入りしているのは一人だけ。それも中年を越えている。自分の物づくりに納得できず、頭を下げてグレンに弟子入りを志願してきたという変わり者だ。そのためか、カイルともうまくやっている。
ドワーフは気難しいが、人よりも長い寿命を持つためか、情に厚く懐の深いものが多い。大体人の五~六倍は軽く生きるとされている。
「ふーん。ああ、そっか。そうすりゃ独り立ちした後でもどうにかなるわけか」
カイルは納得したように手を打つ。修業時代に固定客や指名客ができていれば、独り立ちして自分の店を持った時に変わらず客になってくれるわけだ。
「そうだな。だから手抜きなんてするんじゃねぇぞ。今は見極めの段階だ。下手な仕事すりゃすぐに客が離れる」
「別に専門でやってくわけじゃないっつってるのにな。でも、そんな気はない。そんなことすりゃ親方達の評判まで悪くしちまうだろ。世話になってるのに、そんなこと出来ねぇよ」
「お、おう。まあな。分かってりゃいい。で、今日もギルドに行くのか?」
「ああ、採取と簡単な狩りの依頼でも受けてくるよ」
「油断はするなよ? 森の浅いところでも、時々強い魔獣や魔物が出ることがある」
「分かってるって。森歩きに関しちゃ俺の方が詳しいと思うぜ?」
「そうなんだろうがな」
「分かってるよ。無理はしない。魔法が使えるようになっても、剣の腕はトントンだ。ずっと自己流だったしな」
カイルは小さい頃から、父親の真似をして剣を振ってきたがちゃんとした人に学んだわけではない。ある程度身を守る程度には使えるが、強いかと言われるとそうでもない。一度ちゃんと学んでみたいとは思っているが、今はその余裕がない。毎日欠かさず鍛錬を続けることで精一杯だった。そのおかげか、多少は腕が上がったように思う。
「ならいいが……。最近、世界的にも情勢が不安定になってきてるって言うしな」
「みたいだな。危険だと感じたら逃げるし、変な奴には近づかないさ。知ってるだろ? 親方って心配性なのな」
「うっせぇ。初日から騒ぎに巻き込まれるようなガキ、ほっとけねぇだろうが」
「俺のせいじゃないだろ、それは。止めようとしたんだぜ? 一応」
グレンの言う騒ぎ、というのはカイルが働き始めた初日に起こった。初日はまず店番から始めた。実際に物を買いたいという客がいると、グレンを呼び判断を仰ぐため、実質店内を見ているだけの仕事だ。
だが、グレン達の作る武器を見ているだけでカイルは楽しい時間を過ごしていたのだが、そこでガラの悪そうな三人組の客が入ってきた。
店内を見回しては、馬鹿にしたような笑いを浮かべていた。カイルも、グレンの武器を買いに来ていた常連も嫌そうな顔をしていたが、お構いなしに店内を練り歩く。そして、壁に掛けられている一本の剣に目を付けた。
グレンの店では、武器を実際に手に取ってみるにはグレンの許可が必要になる。ふさわしくない相手には、自分の生み出した子供のような存在である剣を触れさせることさえ不快なのだという。一度でも来たことのある客なら知っていることだし、初見の客には店番をしている者が説明する決まりになっていた。
だから、カイルもそれに従って彼らに声をかけた。
「悪いんだけどさ、この店では親方の許可がないと武器に触れないんだ。その剣、見てみたいって言うなら、親方呼んでくるから待っててくれるか?」
だが、三人組はにやりと笑うと、その中の一人が壁の剣に手を伸ばした。
「ちょっ、困るって。それは……!」
店に置いてある武器の中でも、壁にかけている武器は皆一級品ばかりだった。その剣を手に取るならなおさらグレンの許可が必要になる。それなのに簡単に手に取らせたとあっては店番の名折れだ。そう思って、辞めさせようとしたカイルだったが、直感に従って後ろに飛ぶ。
そして、それは正解だったと思い知る。なんと、剣を手に取った男は剣を抜き放ち、カイルに向かってその剣を振り下ろしていたのだ。避けなければ斬られていた。
「なっ、何すんだ!」
「何? 試し切りに決まってんだろ」
「なっ……」
「お前だろ? ドワーフの店に雇われた流れ者って。なら、試し切りのために雇われてんだろうが。避けねぇでちゃんと仕事しな」
あまりのことにカイルは言葉が出ない。カイルのような境遇の者がまっとうな店、それも武器屋などに雇われていると聞くと、事情を知らない者にはこんなふうに思われるらしいと今になって気が付く。
「俺は店番だよ。それに、店内で人を斬ったりしたら……」
「はぁ? 何言ってんだ、お前が死んだところで誰が気にするって言うんだ? それにお前は人じゃないだろ。えらそうに人様に意見してんじゃねぇよ」
今度こそカイルは言葉を失う。真正面から罵倒されたことなど珍しくもないが、表通りで働いている時にここまであからさまに侮蔑と差別の言葉を投げかけられるのはあまり経験がなかった。カイルが呆然としていると、後ろから殺気を感じ、とっさにしゃがみ込む。
頭の上を剣が通り過ぎ、髪が何本が斬られる。
「あーあ、だから避けんじゃねぇって。切れ味が分かんないだろ」
「っ! くそっ」
文句を言う暇もない。三人目の男がカイルに向かって剣を振り下ろしてくる。カイルは床を転がって逃れる。彼らに言葉は通じないらしい。どう考えてもカイルを試し切りのための棒切れ程度にしか考えていない。
店番をしている間は、いつも身に付けていた剣も外していた。今のカイルは丸腰だ。それに、まだこういう時に使える魔法を学んでもいない。どうしようかと考え、状況を確認するが、最悪としか言いようがない。
店内に数人いた客は巻き込まれるのを避けて店から出ていってしまっている。親方達や弟子達は店から離れた製作所で作業中だ。声を上げても聞こえるかどうかわからない。そもそも剣を打っている最中ならその音にかき消されてしまうだろう。
かといって、店にある剣を手に取らせてくれる余裕があるようにも思えない。剣があれば何とか時間稼ぎくらいはできるかもしれないのだが。三人はカイルを包囲するように距離を詰めてくる。
追い詰められた時ほど冷静でいなくてはならない。カイルは大きく深呼吸して息を整える。それから彼らの動きを注意深く観察する。こうなれば多少手荒でも力づくで止める以外にない。素手でもそれなりに場数は踏んでいる。一対一なら簡単には負けないだろう。問題は三対一だということだが。
受けに徹したのでは手数で負ける。なら、こちらから仕掛ける。
「ふっ!」
カイルは短く息を吐くと、正面にいる男に向かって踏み出す。男はにやけながら剣を振ってくる。だが、その動きは単調だ。剣を振っているというより、振り回されているという感が強い。体を横にして剣をやり過ごすと、剣を握る手を左手でつかみ取り、右手の掌底で男の顎をかちあげた。
「がっ!」
顎を強打され、天井を向いた男は力を失ってその場に崩れ落ちる。だが、それに安堵する間もなく、両側からカイルに男達が襲い掛かってくる。
縦横に振られる剣を何とか躱すが左肩と右の脇腹を剣がかすり、鋭い痛みが走る。カイルはそれを無視して、二人から距離を取る。同時に襲い掛かられたのでは避けきれない。
「ちっ、油断しやがって。にしてもさすがに裏通りのガキか。慣れてんな」
「あの歳まで生きてただけはあるってか」
男達は一人やられても余裕の表情だ。眉をひそめたカイルだったが、その理由がすぐに分かった。
「風よ、敵を切り裂け『風刃』」
一人の男が手をカイルに向け、呪文を詠唱する。
「魔法っ!? くそっ!」
カイルはとっさに生活魔法の風を使って進路をそらそうとする。だが、第一階級の生活魔法と、下級とはいえ第二階級の魔法ではその規模も威力も違う。多少威力を弱めることはできたが、無数の風の刃がカイルの全身を襲う。
頭や胸を腕でかばったが、それでも額や頬が切り裂かれる感触が伝わってくる。腕も足も切り裂かれて血しぶきが舞う。
魔法がおさまった時、カイルは全身に裂傷を負い、体中から血を流していた。
「くっ、つぅ……」
カイルは全身の怪我の具合を確認する。あまり深い傷はないようだが、数が多い。動きに支障をきたすほどには。カイルは傷だらけになった腕を下げて男達を睨み付けるが、カイルの視界には一人しか映らない。
気配を探ると、カイルの側面から迫ってきていた。避けようとするが、切り裂かれた足が痛み体勢を崩す。だが、男は剣でカイルを斬るのではなく、剣の柄で頭を殴ってきた。
「ぐぁっ!」
ガツッという音と共に、頭に衝撃が走り、カイルは床に倒れこむ。視界が揺れて、体に力が入らない。
「はっ、脆いもんだな。下級魔法一発で片が付く、分かったろ? てめぇが、取るに足らねぇゴミと同じだって。分かったら大人しく手足の一本でも差し出しな」
血で赤くかすむ視界の向こうで、男がニヤニヤと笑いを浮かべているのが見えた。見慣れた、たいていの人間が向けてくる蔑みの目。こうしてちゃんとした仕事に就いても、変わらずカイルを流れ者の孤児として見る者はいる。そんな当たり前のことさえ忘れていた自分自身にカイルは腹を立てていた。