クロエとの邂逅
カイルは気遣わしげに見てくるバレリーや、エゴールの態度に腹を立てているレナードに大丈夫だという意味の笑みを向ける。こんなことには慣れている。こんなことでくじけるほど、弱くはない。
「……せっかくの食事をまずくさせるような雰囲気にして悪かった。俺のことはその辺の置物くらいのつもりで見てていいから、気にせずに……」
それから食堂にいる人達に向けて頭を下げる。必要なことだとはいえ、訓練で疲れた体を潤すための食事中に聞いていて楽しいものでもなかっただろう。だから、カイルのことは気にせず食事を続けてもらおうと思ったのだが、下げていた顔の目の前に、にゅっと食事の乗った盆が突き出される。
驚いて顔を上げると、恰幅の良い、人のよさそうなおばさんがニコニコ顔でカイルを見ていた。首を傾げたカイルだったが、おばさんはお盆をカイルに差し出して気前のいいよく通る声でいう。
「いい子だね、あんた。それに、男だよ。近ごろの若い奴ときたら、見てくれや建前ばっかりで、ちっとも面白くない。あたしは、クロエ=バティ。この食堂の責任者さ、お腹すいてるんじゃないかい? しっかり食べな」
「いいのか? でも、ちゃんと代金はバレリーさんに……」
「何言ってんだい! あたしが気に入ったんだから、当然ただで食べていきな。それくらいの権利はあたしにもあるんだよ」
カイルはレナードやバレリーを見るが、二人とも腕を組んでうなずいたり笑みを浮かべたりしている。どうやらクロエの言葉は本当らしい。カイルも週二回でも一食浮くとなると助かる。
「ありがとな、クロエおばさん。あの、それとさ、悪いんだけど……俺の使い魔、クロの分も頼めないかな。こっちはちゃんと払うし、人と同じメニューでいいから……」
「いらないよ、一つ増えるも二つも同じことさ。変わった使い魔だね、人と同じ食事をするのかい?」
「ああ、普段は俺と同じものを食べてるんだ。クロは俺の相棒だから、いつも食事も一緒にとってる」
「そうかい、早く大きくなって、あんたを乗せて走らないといけないからね」
クロエの言葉にカイルは乾いた笑いを浮かべる。実のところすでにカイルを乗せて運ぶに十分な大きさにはなっている。それどころか本気で巨大化すれば、王都であろうと一ひねりできるくらいには大きい。
撫でてくるクロエに、クロは嫌がるそぶりを見せずに受け入れる。先ほどのエゴールとのやり取りでは苛立ちを感じていたが、こうした好意的な者に八つ当たりしたりはしない。カイルのためにも、クロ自身の矜持のためにも。
「ちょっと待ってな、すぐに使い魔の分も持ってきてあげるよ。団長や副団長も食べるんだろ?」
「ああ、頼む」
「お願いします」
「あいよ。カイルって言ったね。頑張んな、あたしは応援してあげるよ」
「ああ、頑張るよ」
カイルの返事に、満足げにうなずくとクロエは厨房の中に入っていく。カイルは半ば押し付けられる形で受け取ったお盆を近くのテーブルに乗せて座る。クロもその足元に伏せた。正面にはバレリーが座り、その右にレナードも腰かける。
「クロエさんに気に入られる団員なんて最近はあまりいなかったのに、よかったですね。あの方はとても気持ちのいい方ですよ」
「そうみたいだな。ちょっとアリーシャさんとも似てる。俺が世話になってるドワーフの奥さんでさ、俺のこと息子みたいに扱ってくれるんだ」
「ドワーフに身内扱いですか……。では、住んでいるところもドワーフの武器屋ですか?」
「ん、ああ、親方の知り合いで兄弟弟子っていうテムズ武具店に住んでる」
「! テムズ武具店とは王都でも有名な店ですね。確か今はあの名匠、ディラン=ギルバート氏も滞在しているとか……」
「ああ、ディランさんね。師弟揃って俺にドワーフの技術を仕込んでくるんだ。まぁ、おかげで生産者ギルドの方もランクが上がったけど……」
「カイル君は生産者ギルドにも入っているのですか? 魔力があるから魔法ギルドと、当然ハンターギルドには入っているでしょうし」
「あとは、商人ギルドにも入ってる。傭兵は、ちょっと、な。いい思い出があまりなくて……」
なんとなく想像ができたバレリーは追及はしない。この頃には給仕によってレナードやバレリー、クロの食事も運ばれてきて、各々食事をしながらの会話になる。
「それだけ色々入っているなら仕事には事欠きませんね。ランクが上がったと言っていましたが、今はどのくらいなんですか?」
「ん? えっと、生産者はAランク、商人はB、ハンターはAに上がって、魔法はSになった」
「!! それは、すごいですね。ギルドにはいつ入ったのですか? その、孤児だと入りにくいでしょう?」
「ああ、三の月の初め頃にドワーフの夫婦に拾われてからだから……もうすぐ四か月、か?」
これにはレナードやバレリーだけではなく、聞き耳を立てて会話を聞いていた騎士達もこぞって驚きを示す。ギルド登録四か月など、まだまだひよっこの新人だ。それが、一端どころか一流の仲間入りをするランクになっているなど誰が思うだろうか。
「ふ、む。魔法ギルドはもうすぐ二つ名を得られるところか……」
「なんかエドさんも気合入れて考えてるみたいでさ。まだ早いと思うんだけど……」
「そんなことはありませんよ。カイル君のランクアップ速度は異常です、すぐに二つ名まで到達してしまうかもしれません」
「そうか? 比べる対象がいないからよく分からないんだ、その辺。この歳で、流れ者の孤児でギルドに入った奴なんていないだろ? 俺としては後れを取り戻してるくらいのつもりだったんだけど……」
確かに、十歳でギルド登録をしていれば、早ければカイルの年齢で同じくらいのランクにはなっているだろう。かといって、この短期間で遅れを取り戻すで済むかといえばそうでもない。毎日毎日、依頼を積み重ね、高評価を取り続けなければこれほどのランクアップは望めないのだ。
「その、大変ではないのですか? 多くのギルドに所属して、その、休みなどなかったでしょう?」
「土下座して頼み込まなくても働けて、真面目に仕事したら感謝されて、正当な報酬と評価を得られることの何が大変なんだ? ギルドに入る前の方がもっといろいろやってたさ。それこそ休みなく朝から晩まで働かないと、食べる物も買えなかったんだから。おまけにピンハネされて雀の涙みたいな報酬でこき使われるんだぞ? 唾吐きかけられて、罵声を浴びて、真面目に働いてもちょっとしたミスで首を切られる。それこそ、言葉通り殺されることだってあるんだ。それに比べりゃ、ギルドの仕事ってのは天国みたいなもんさ」
バレリーの言葉に、カイルは少し考えてからおどけるように答える。カイルにとってギルドでの仕事を大変だと考えたことも感じたこともない。どれほど小さな仕事だろうと雑用だろうと、楽しくてうれしかった。働いた分だけ報酬を得られることが、心や誠意を込めた分だけ感謝されることが。普通にそれらが得られることが幸せでしかなかった。
「俺はギルドに入れて、働くことができてスゲー幸せだ。だから、俺と同じような境遇の孤児達にもそれを教えてやりたい。ゴミやドブネズミとして生きる以外の道を教えてやりたいんだ。あいつらはそれを知らないだけだから。知ることもできない今を変えたいんだ」
力強い口調で、幸せなのだと分かる笑みを浮かべて語るカイルに、バレリーは感動を覚えていた。当たり前すぎて感じることのできない幸せ。そんな幸せさえ与えられることがなかったからこそ、それを感じることができる。感じられたからこそ、それを人にも伝えたいと願う。ゴミとして扱われようがドブネズミと呼ばれようが、孤児達もまた人だから。当たり前の幸せを知らずに生きる、哀しい、人だから。
「よく言った! あんたは偉いよ、立派な夢じゃないかい。しっかり食べな。今までろくなもん食べては来られなかったんだろ?」
「まぁな。食事中にははばかられるようなもんばかり、食べてきたな。そのせいか、俺、料理だけは下手くそでさ。料理するにしても焼くか煮るかくらいしか選択肢がなかったから。まともな食い物食べられるだけでありがたかったし。でも、クロエおばさんの料理はうまいと思う」
「嬉しいこと言ってくれるね。あんた、今は休みがあるのかい?」
「ん、知識教えてくれる先生の勧めで、無の日を休みにする予定かな。王都に来て二十日ほどになるけど、家とギルドの往復くらいしかしてないし。仲間で友達でもある奴らが遊びにも誘ってくれてる。俺、遊んだ記憶なんて流れ者になる前の五歳くらいまでの記憶しかないし……」
「……そうかい、しっかり王都見物して、しっかり遊びな。それも大人になるために大事なことだよ。それでね、休みの日の夕方、あたしのところにおいで。料理を教えてやるよ」
カイルの話を聞いて涙ぐんだクロエが、カイルの背中を叩きながら推奨する。いつの間にかカイルの背後に立っていて話を聞いていた様子だったが、思わぬ提案をしてくる。カイルとしても戸惑いを隠せない。
「え、でも、仕事の邪魔になるだろ? その日だってみんなの夕飯作らないといけないんじゃないか?」
「あんたに教えるくらいで、仕事がおろそかになったりしないさ。今時、男だって料理くらい作れないとね。あんた、器用そうだしすぐにうまくなるさ」
「そりゃ、ありがたいけど……いいのか?」
「構やしないさ。仕事さえきっちりやってりゃ、後はあたしの自由さ。それで、上手になったら今の家族に振る舞ってやんな。きっと喜んでもらえるさ」
「! そっか、その……喜んで、くれるかな? うまいって食べてもらえたら、嬉しい、よな?」
その時の光景を想像したのか、ふにゃりと締まりのない笑顔を浮かべたカイルに、クロエは目を見開くとガバリと抱き着いた。そして背中を叩きながら高らかに宣言する。
「あたしに任せときな! ほっぺたおちるくらいの料理の腕前にしてあげるよ!」
突然目の前をクロエの体で遮られたカイルは、目を白黒させたが温かい言葉と体温に微笑みを浮かべる。ほんとうに気持ちのいい人物らしい。クロエはカイルから離れると、何度か頭を撫でてからまた厨房へと戻って行った。
「なんか、休みの日も色々予定が埋まっていきそうだな……。クロも楽しみか?」
<うむ。カイルの手料理なら食べてみるのも悪くない。あの者なら、すぐにでも上達しよう>
「だよな。なんか親方達と似た職人気質を感じるし……ってことは無の日は夕方からぶっ通しで生産か……。体もつかな……」
<あのドワーフどもは妥協を知らぬのだ! 何が一mmだ、何が色合いだ! そんな素人にも玄人にも分からんような違いで、なぜああも熱くなる!>
「いや、それがドワーフってやつだろ? 必死で作っても九割九分九厘は駄目だしされるけど、時々は褒めてもくれるんだぜ?」
<割合が極端すぎるわ! 百作って一つどころか、千作って一つなど、あり得ぬわ!>
「だよなぁ。そうなると、クロエおばさんもそうなんのかね」
クロの声はカイル以外には聞こえないので独り言のようにも聞こえるが、なんとなく話の内容が想像できた者は、同じように苦笑いを浮かべている。クロエを知る者なら、カイルの想像がおおむね正しいだろうことを予想していた。
カイルは残さず食べた食事に手を合わせて感謝してから、食器を返しに行く。洗い場にいた別のおばさんもカイルに対して好意的な視線を向けてくれていた。軽くお辞儀をしてから食器を渡し、戻ってくる。これで一応騎士団での用は済んだことになる。
「カイル君は本当に大変ですね。才能があって、いろんな人に気に入られるから予定もすし詰めですし。この後も勉強なんですよね?」
「そ、ヒルダさんに夕方まで教えてもらって、帰って夕食の後で親方達と生産だな」
「ヒルダ? それはまさか、ヒルダ=ゲーベル様のことですか?」
「そ。俺の先生になってくれたんだ。ためになること色々教えてもらってる。俺、勉強もまともにやれなかったから常識も危うい部分があるし」
「でも彼女の授業料は……その、高いでしょう? 大丈夫なのですか?」
「その辺もクロエおばさんと一緒かな。自分の判断で決めるって、一日銅貨一枚で引き受けてくれたんだ。代わりに条件として……」
「まさか、レイチェルさんと話していた月一とか週一というのは……」
「ん、ヒルダさんの開発する新薬の実験に付き合うってこと。それが条件だったから……」
「な、何を考えているんですか! 彼女は、確かに、確かに優秀ですが、薬剤師としても超一流ですが……気分次第でとんでもない薬を作るんですよ! 下手に飲んだらどうなるか……」
「あー、それはもう体験済みだ。だから念のため、レイチェル達に迎えに来てもらうことになってる」
「なんてことになってるんですか……」
「ヒルダか……あの女狐、いや女豹をな。よくやる気にさせたな」
「ん、俺が昔の教え子に似てるって」
カイルの意味ありげな視線に、レナードはヒルダの過去を簡単にだが知っていたため、カレナ繋がりだとすぐに分かった。同時に、カイルの事情がヒルダには筒抜けになっているだろうことも。あの意外に情が強いヒルダが、カレナの死だけではなくカイルの存在まで隠されていたと知れば、国王がどんな薬を盛られるか分かったものではない。しばらく注意を促しておく必要がありそうだ。
カイルの話に耳を澄ませていた者達は、カイルが元王宮の顧問にして第一王子の教育係、何より王宮をたびたび騒がせた恐怖の薬剤師とも繋がりがあると知り青くなる。彼女は気に入った者とそうでない者との扱いの差が激しい。もしお気に入りを傷つけようものなら、どんな仕返しをされるか分からないのだ。
確かにカイルの言う運も、というより人との縁は運がいいとしか言いようがないだろう。次々と有力者との繋がりが生まれているのだから。ギルドの話で出てきたエドが、ギルドマスターのエドガーであることに気付いた者達はなおの事、カイルの将来性を感じていた。
例え気に食わなくても迎合すべきかと考える打算的な者や、それまでの言動含め好意的に受け入れる者などおおむね騎士団での地位は確保できたようだった。だが、エゴールのような例もある。完全に安心できる状況ではないだろう。
食事が終わり、騎士団本部を出ようかとしている時、目が覚めたレイチェルが突撃してきて、またひと騒動起こったことで、さらにカイルの名と顔は知られることになる。あの堅物の、ガードが固すぎて攻略の糸口がないと言われていたレイチェルを陥落させてしまった存在として。
それまで見られることのなかったレイチェルの、女の部分を引き出した存在として。それは賞賛の目を向けられると同時に、嫉妬や僻みの対象になるということでもあった。特に、エゴールなどは血がにじむほどに拳を握りしめてその光景を見つめていた。
手に入るはずだったものを、いつの間にかドブネズミによってかっさらわれていたことに気付いて。元々気に入らなかったが、それが憎しみ、憎悪にまで発展したことに。そして、それを見つめる冷たい目に、まだカイルは気付いていなかった。




