カイルの修行と副団長との出会い
午前中の修練が終わったレイチェルが、気になってカイルの様子を見に行った時に見たものは、足腰も立たなくなってクロの背中に乗って運ばれているカイルの姿。思わず父親に抗議の視線を向けたレイチェルは悪くないだろう。
魔法で服の汚れなどは落としているようだが、擦り切れてあちこちボロボロになった服や訓練場に残る跡を見れば分かる。カイルがここでどれほどレナードに打ち倒されたのかということが。自身の訓練が終わり、団長が直々に訓練を付けているという団員でもない少年の様子を見に来ていただろう団員達はそろって青い顔をしていた。
カイルの戦い方に焦燥を抱いたのか、あるいは団長のしごきに恐れおののいたのか。どこかカイルに対して畏怖にも似た視線を送っている。
「父様? どれぐらいやったのだ? 初日だぞ?」
「う、む。まぁ、ほどほどだ」
「嘘をつけ! あの団員達を見ろ、カイルの様子を見ろ。最近ではわたし達の訓練にも耐えられるようになっていたカイルがあの様だぞ!」
「や、……レイチェル、いいって……。ためには、なるから。ちょっと……だいぶ、きつかったけど……」
「ぐぐぐ、カイルがそういうなら……だが、父様、気を付けてくれ。カイルは限度を知らない。どれだけ無茶をしようと応えてくれるんだ。こちらが制限しない限り、カイルは自身を省みない」
「……そのようだな。今日だけでよく分かった……うむ、鍛えがいがある」
「父様!」
「わ、分かっている」
カイルは父と娘のやり取りを見ながら、クロの背中の上で動かない体を休める。初めのうちは影の中で見守ってくれていたクロだったが、容赦ない模擬戦での攻防に、さすがに看過できなくなり外に出てきた。
レナードにカイルを傷つける意思はなく、また殺意などないことが分かっていなければとっくの昔に飛びかかっていたかもしれない。ただ、レナードもレイチェルとは別の意味で不器用なことが分かっただけだ。強いのだが、格下相手であっても手加減ができない。まさに”鬼のしごき”と恐れられるに相応しいやり方しかできないのだと。
熟練の騎士でも、団長の指導を受ける時ばかりは悲壮な顔をする。どうあっても楽にはいかないことが分かっているからだ。魔力のない生身で魔力を持つ者を越えようとした結果、ある意味団長は人の枠を超える強さを身に付けたと言える。その団長基準で訓練を施すのだからたまらない。
カイルに対抗意識や嫉妬、僻みなどを抱いて様子を見に来た若手の騎士達はこぞって二人の訓練風景に引きまくっていた。どう考えても模擬戦というよりいじめのようにしか見えなかった。カイルの多彩で魔法を手足のように使う戦い方にも驚いたが、それをかいくぐり一撃で致命傷を与える団長。
骨が折れ、血反吐を吐き、地面をのたうちながらも自ら回復して再び立ち上がる姿を見ても、顔色が悪くなるばかりだった。なぜ諦めないのかと、なぜ折れないのかと、なぜそれほどまで毎回やる気に満ちて立ち向かえるのかと。
「団長……」
「ああ、バレリーか、どうした?」
「どうした、ではありませんよ。さすがに……やりすぎです」
「しかしだな、本気でなければ訓練にはならないだろう?」
「それでもですよ。何ですか、あれは。普通なら何度か死んでいますよ?」
「う、む。頑丈なやつだな」
「そういうことではありません! 騎士でもない者に訓練を付けるだけでも異例だというのに、もし死なせでもしたら……」
「そこは問題なかろう。彼には使い魔もついているし、魔法も使える」
「そこが異常なんですよ! 普通は致命傷を負った本人が魔法を使って自分の傷を癒すなんてことはしません。異常事態です。しかも、毎回毎回勝ち気で挑んでくるなど……」
バレリー=トンプス。騎士団副団長にして、騎士団一の良識人ともいわれている人物だ。少々規格外な団長の補佐と後始末など、本来の副団長以上の仕事をこなしている。
今回も週二日、午前中だけとはいえ騎士でもない少年に訓練をつけると聞いて、密かに見守っていた。そして、団長の凶行ともいえるしごきに四つん這いになってうなだれていた。
いくら何でもあれはない。あんな訓練内容、現役の上級騎士でさえこなせない。補佐や回復役もなく、あの内容は無茶苦茶だ。
だが、そんな団長よりも少年の方が無茶だった。限界ギリギリどころか、突破して気力に体がついてくる限り食らいついてくる。
自身に絶え間なく回復魔法を使いながら、戦闘においても驚くべき応用をしてくる。何より、毎回殺されかけるような重傷を負っていながらそれを自身で癒し、さらに立ち向かってくるなど。
しかも、仕切りなおすたびに創意工夫を凝らし、有るか無きかの勝ちを狙いにいくという不屈の精神。
なぜ団長が騎士団に引き入れていないのか不思議なくらいの器量と素質。何より、その精神力は現騎士団員の誰をも上回るほどだ。
無名であるのが不思議なほどの器を感じていた。レイチェルの知り合いだというが、あの年代ではレイチェル以来の逸材ではないのか。
それをもし団長の訓練で潰してしまうようなことがあれば、それこそ国の損失であり、騎士団の名折れだ。
カイルはレナードと口論している三十代前半の男性が騎士団副団長であると、レイチェルから説明を受ける。どうやら、カイルとレナードの特訓を見て心配してくれているらしい。
「えっと、バレリーさん。……俺なら、大丈夫だから……」
「大丈夫ではありません。今も立てないではありませんか。団長は加減を知らないのですよ。君も、少しは考えて指導を受けなさい」
「……えっと、あれが普通じゃないのか? 騎士団に入ったら、みんな受ける訓練だって、聞いてるけど」
クロの背中にうつ伏せで寝そべったまま不思議そうな顔をするカイルに、バレリーは頭を抱える。そういえば、騎士ではないカイルは他の騎士の訓練風景など見たことはないのだ。レナードがそういえば信じるほかない。
「スゲェよな、みんな。俺、半日でこの様でさ。やっぱ、国を守る騎士ってのは、強いんだな」
自分の不甲斐なさを恥じるように苦笑いを浮かべた後、賞賛するような目を向けてくるカイルにバレリーは胸を押さえて一歩あとずさる。
知らないが故の純粋な自省の言葉や期待や礼賛の目が心に突き刺さる。そうではないと、声を大にして言いたいが、この目を裏切ることができそうにない。
バレリーは恨めしそうな目でレナードを見る。これでは、今まで以上に騎士達の訓練を厳しくせざるを得ないではないか。騎士でもない少年がこれほどまでに耐え抜き、その上で騎士達の方が上なのだと思い込んでしまっている以上は。見られて失望される訓練など行えない。
レナードはその視線の意味を悟ったのか、少々申し訳なさそうな顔をする。カイルの特訓をしていたつもりが、騎士団全体の訓練強化につながってしまったようだ。団長としては歓迎するところだが、間に挟まれて調整するバレリーにとっては頭の痛い問題だ。
「カイル……その、だな……」
「ん?」
「い、いや。ともかく、父様はわたしよりも不器用なところもある。だから、その、あまり無理をするな。クロも……ほどほどで止めてくれ。父様とカイルは相性が悪い、というよりかみ合いすぎるせいで歯止めがきかないようだ……」
クロは目を閉じ、ため息をつくようにうなずく。少なくともカイルに翌日に響くほどの無茶はさせないでおこうと心に決めながら。
「……カイル君、というのですね。その、お昼はどうするつもりですか?」
「あー、街に帰ってから食べるつもりだったけど……無理かなぁ。腕上がんねぇ」
何とか呼吸は整ったものの、体は満足に動きそうにない。ヒルダとの授業までに動くようになるだろうか。メモを取れないのでは困る。
「ちょっと失礼……これは……応急処置ですがこれで少しはましになるでしょう」
バレリーはかがんでカイルの腕を取ると、筋肉や筋、骨などの状態を確かめる。腕全体がかすかに震え熱も持っている。筋肉だけではなく、関節や骨なども少し触れるだけで痛みが出ている。完全なオーバーワークだ。
腕だけではなく、全身がこの状態なのだろう。バレリーは騎士団員達にやる様に、カイルの体全体に冷気を纏わせて熱を下げると、こわばった筋肉をマッサージしながら回復魔法をかけていく。バレリーが副団長としてみんなに信頼されているのは、こうした訓練後のフォローが綿密であるためだ。医療班や専門医などと共に、バレリー自身もそうしたことに長け、時折団員達の治療を行っている。
カイルは倦怠感と共に痛みが少しずつ引いていくのを感じて、こんな魔法の使い方もあるのかと感心する。ただ損傷個所を治すのではなく、蓄積した疲労などの回復をも促すような使い方。真似をして、体をほぐすように回復魔法を使ってみる。
せめて手足だけでもと、治療を続けていたバレリーはカイルが自身を真似て魔法を使っているのを見て、驚くと同時に笑みを浮かべる。かなり魔法の応用に関して適性が高いことが分かったためだ。バレリーのような魔法の使い方は、慣れた者でもすぐに真似をするなんてことはできなかった。それを、見様見真似で行っている。
この分では、次からはこれさえも使って特訓をしてしまいそうだと、内心では苦笑いを浮かべてしまう。だが、体を壊してしまわないために必要な処置ではあるので、こうした魔法や処置の仕方に関してはバレリーが教えていくしかないかもしれない。
治療が終わると、カイルはクロの背中から降りてゆっくり立ち上がってみる。先ほどまでは全く力が入らなかった手足だが、何とか動かせるようになっていた。やはり魔法というものはどこまでも便利で、無限の可能性を秘めている。
「ははっ、すげぇ、体動く。ありがとう、バレリーさん」
「無茶はいけませんよ。といっても君と団長の性格ではそれも難しいようですので、対処法や訓練中、訓練後の処置などについてはわたしの方から教えましょう。そのあたり、団長は全く無頓着ですので」
「えっと、でも、いいのか? 俺、ただでさえ騎士団の訓練邪魔してるだろ? 団長だけじゃなくて副団長にまで面倒見てもらうなんて……」
「団長だけに任せておくと、取り返しのつかないことになりそうですので……。わたしの胃痛や頭痛の軽減のためにもお願いします」
「! いや、むしろこっちがお願いします。バレリーさんの魔法の使い方ってすげぇ参考になるし、確かにレナードさんと特訓するなら必要そうだからな」
頭を下げたバレリーに対し、カイルも慌てて応じる。そして、顔を上げた後に笑顔になったカイルにバレリーは胸を打たれたような顔をする。派手に怪我を治すでもなく、地味で分かりづらい魔法の使い方のため、あまり人気のないバレリーの応用魔法。
特に、年若い者ほどバレリーの魔法を軽視する傾向にある。一度でもその処置を受けたことがある者なら、次からはありがたがってくれるのだが、中にはそれでも馬鹿にしたような目をしてくる者もいる。
大戦後の激減した騎士団員補充のため、選考基準が甘くなったこともあり、精神的に未熟だったり騎士としてはふさわしからぬ者も騎士の地位を与えられている。そんな中にあって、カイルの真っ直ぐな褒め言葉はバレリーの心に響いた。
「そ、そうですか。カイル君も面白い魔法の使い方をしていますね。戦闘にあのように魔法を使っている者などあまり見たことはありません」
「剣の腕がまだまだ未熟だからな。格上の相手と戦おうとすればどうしても色々手を尽さなきゃなんないから。小細工って言われてもさ、生き残って勝たなきゃ何にもならないからな」
「そう、その通りです。戦場とは、戦闘とは時に非情で過酷なものです。たとえどのような手段を用いようと生き残らなければ意味がありません。勝たなければ、守れないのです」
「よく分かる。今まで俺がやってきた戦いとは違うけどさ、俺も絶対に勝たないといけない戦いがあるから。だから、強くなりたいんだ」
「だからこそあれほどまでに……。今までの戦いとは何ですか?」
「……俺、流れ者で孤児だったからさ。毎日、生き残ることに必死だったんだ。でも、そんな日々から解放してくれた人達がいて、夢が持てた。一緒に歩んでくれる仲間ができて、希望が見えた。だから、俺は俺達を取り巻く現実と戦って勝たなきゃなんない。勝って、当たり前の生活や幸せってやつを取り戻したい。そのために必要だってんなら、どんな訓練だって修行だって望むところさ」
バレリーは目を見開いてカイルの言葉を聞き、確かめるようにレナードとレイチェルを見る。親子は真剣な顔でうなずく。カイルの言葉に嘘はないというように。バレリー自身、流れ者や孤児といった者にあまりいい感情はなかった。
悪しき風習の上、大戦により待遇が悪化した被害者でもあるということは分かっていても、治安を乱し国の品位を貶める存在であると。彼らのような者と、国を守る自分達が同じ民の一人であるなど認めたくはなかった。
だが、この間の不祥事に加え騎士団自体も質の低下が起きているところに、カイルの存在。例外ではあるのだろうが、ひどく特殊で奇跡のような存在ではあるのだろうが、今までのバレリーにとって頭を殴られたかのような衝撃を与えた。
レイチェルが、団長が目をかけるはずである。力を貸そうとするはずである。人として当然あるべき権利さえ失っていながら、人としてあるべき心を持ち、人としての正しい生き方を貫き、人として人をひきつけずにはいられない、あまりにも眩しい存在。
騎士団などという狭い枠になど納まりきらない器だ。いずれはこの国だけではない、人界、果てはレスティア全領域にさえもその名と存在を轟かせるかもしれないほどの稀人だ。バレリーはこの出会いに感謝せずにはいられなかった。
「そうですか、では修行を支えるための食事も大切です。訓練の後は食べて帰りなさい。食堂には伝えておきます。騎士団の食事は体を作るために最適なメニューですから、きっとカイル君の力になるでしょう?」
「それは助かるけど……、食事代は払った方がいいだろ? レナードさんは指導するのにお金はいらないっていってたけど、バレリーさんは……」
「わたしの指導でもお金は取りません。騎士団として給金が出ておりますから。ですが、そうですね、食事は一食鉄板五枚。週二日来る時は光の日にまとめて銅貨一枚で払っても構いません」
町で食べれば一食鉄板三枚ほどなので、少々割高ではあるが騎士団員のために考えられ、作られたメニューを食べられるとなれば妥当な線だろう。むしろ安いくらいかもしれない。
「分かった。えっと、バレリーさんに渡せばいいのか?」
レナードはそうした事務的な部分は苦手そうだと踏んだカイルがバレリーに聞く。
「はい、預かります。わたしの指導は食事をしながらでも行いましょう。団長の指導が終わった後は、わたしにも体調を確認させてください。無理をしすぎますと、逆効果になりますので」
「そういうことなら、お願い、します。……レイチェルも食事の時は一緒なのか?」
「そうだな。基本的に食堂は共通だが……そうか、カイルと食事ができるのか……。ならばわたしも風と光の日には騎士団で修練するようにしよう」
「いいのか?」
「元々わたしは近衛騎士だ。アミルの世話役をするため特殊な役目についていたが、ハンナとも分担できるようにしてもらったのだ。その、わたしとアミルでは専属ギルドが違うから、どうしてもついて行けない部分もあるのでな」
「そっか、今日はアミルやハンナは魔法ギルドの方に詰めてるんだよな。夕方は誰が来るんだ?」
「その、今日はわたしだ。いいな、カイル。昨日の今日でまた妙な薬など飲むなよ!」
「わ、分かってるよ。せめて月一か……駄目でも週一くらいにしてもらうから」
「全く、何でそんな約束をしてしまったのだ。分かっていれば止めたものを……」
「こればっかりはなぁ。まぁ、レイチェル達にまで及ばないようには気を付けるよ」
「……そういうことではないのだ……。わたしが心配しているのはカイルであってな……」
話がまとまり、食堂までの間はレイチェルと会話をしながら歩く。その後ろをレナードと一緒に歩いていたバレリーは、見たことのないレイチェルの様子に訳知り顔をしてレナードを見た。レナードは目を閉じて重々しくうなずく。バレリーはますます笑顔になる。
魔力のないハーフエルフでありながら、団長の娘として恥ずかしくないほどの実力を身につけたレイチェル。騎士団内でも女性騎士の中で特に人気は高かったのだが、本人に全くその気がないため浮いた噂どころか惚れた腫れたなど全く聞くことはなかった。そのレイチェルが、見る限りはぞっこんだ。




