ヒルダとの授業
「その、適性って言うのは血や素質だけに左右されるものなのか? 素質がなくても条件によっては新たな属性が発現することがあるだろ? 主に契約とかで」
クロやシェイドとの契約がそれにあたるだろう。クロのように使い魔契約の場合は魂の契約までいかないといけないが、精霊の場合契約するだけで適性のない魔法も使えるようになる。
「妙なところで詳しいわね。まぁ、妖魔と魂の契約までしたならそこで聞いたのかもしれないけど。そうね、適性に大きな影響を与える素質っていうものは、魂に端を発していると言われているの。つまり魂の容量が大きかったり、強かったりすると素質も高くなるのよ。そしてそれは生れついての魔力や霊力の大きさにも影響する。そして、あまり知られていないけど寿命にも」
「ああ、なるほど。魔力量がさほど変わらなくても、ドワーフやエルフとかが長生きなのはそういう理由か?」
「ええ。自然に近い、調和して生きることのできる者ほど魂の純度や強さ、大きさが高まるの。種の本能や性みたいなものね。契約っていうのはその種を超越、あるいは迎合する行為よ。使い魔契約ではその契約の種類によって、代償や恩恵が変わるわよね。重い代償ほど、高い恩恵が得られるのはより本質、魂に近づくものだから。魂の契約というのは、ある意味相手と自分の魂をつなぐ行為なのよ」
「それで、相手の素質をも得られるってわけか」
「ええ、契約の際に均衡した存在を選ぶのは、そうでないと自身の魂では受け入れられないから。高望みしても失敗するのも同じ理由ね。元々受け止められる器があって初めて契約は成立するのよ」
ならばカイルがクロやシェイド、さらには聖剣とまで契約してしまったのは、それだけ魂の器が大きかったということになるのだろうか。あるいは強かったのか。
「ここまで説明したから、最後まで言っておくわね。適性というのも個人によって属性ごとの割合や強さが変わってくるのよ。これは同じ属性適性を持っていても、質や込めた魔力が同じでも威力が異なるという差が生まれてくるわ。魔力操作や魔法制御だけでは埋められない差というわけね。その属性適性が高い者に同じ属性で挑むことはやめておいた方がいいということよ。今のところこの適性の強弱を測る装置はないわね。使ってみて、確かめていくしかないわ」
カイルはメモを取り終えると、自分の手を見てみる。思えばカイルは苦手だとか得意だとかそんなふうに思う属性はない。それはどれもが同じくらいの適性なのか、あるいは気付いていないだけなのか。
「一度に色々詰め込んでも混乱するでしょうから、ここで一度休憩をしましょうか」
「あ、ああ。でも、すげぇ勉強になった。ありがとう、ヒルダ先生」
「こっちも、色々と鋭い質問があったりして楽しかったわ。理解度も高いし、こういう教え子に教えるのはやりがいがあるわ」
「そう言ってもらえるとありがたいな。体使わないで色々学ぶのもいいもんだよな」
「……そういえば、あなたあの姫騎士のレイチェルちゃんに王都に連れてこられたって言っていたわね。もしかして、視察で見出されたりしたの?」
「まぁ、そんなところだな。俺がカミーユ、ああ、例の偽息子の被害を被っててレイチェル達に助けられたってのもあるんだけど」
ヒルダは立ち上がってお茶を入れながら最初に会った時に聞いていたが、それ以降は聞く機会もなかったことを尋ねてくる。カイルも、一度伸びをして初めての授業で緊張していて知らずにこわばっていた体をほぐす。
「……色々と巻き込まれているのね、あなた。それで、今は彼女達の指導を受けているの?」
「そんなとこ。最近まではレイチェル達だけだったけど、俺が先生について知識も学ぶってことになってレイチェル達も上を目指そうって話になったんだ。だから、午前中は一緒だけど、午後からはそれぞれ分かれて修行中。俺も風と光の日は別の人にならうあてができて、レイチェル達も週に二日丸一日自分の研鑽に充てられる時間ができたしな」
「……別の人……それって、王宮関係の人?」
「まあ、そうだな。レイチェルの父さんに剣を教えてもらうんだ」
「騎士団団長に!? あなた、本当に何者? 紹介状っていってたけど、ちょっと待って、確かこのあたりに置いといたわね。見る気もなかったから……王宮に戻ってくれって話だと思ってたし」
ヒルダは昨日のうちに王宮からの使いが持ってきた紹介状を探り当てて、お茶をカイルと自分の前に置くと開いて中を確かめてみる。もう一度あのバカ王子の先生になってくれという話なら叩き返してやるつもりだったが、そんな気力もなかった。
だが、内容を改めて見てみると、それは馬鹿王子ではなくカイルを行かせるので教授してもらえないかというもの。それも、長年見てきたから分かる。これは国王による直筆の手紙であると。騎士団団長の指導を受け、国王から直筆の紹介状をもらえるほどの人物。いくら今話題のレイチェルが引き抜いてきたとはいえ、それほどの人材なのかとヒルダはカイルをまじまじと見る。
落ち着いていて年齢に見合わぬ大人としての考え方も十分できるが、よく見ればまだ子供だ。男という感じではなく、どちらにも転びそうな不思議な色香を漂わせる整った中性的な容姿。体つきも鍛えられていることは分かるががっしりというより、しなやかな印象だ。大人になり切る前の少年が持つ将来への期待感や儚さを感じる絶妙な年頃といったところか。
年齢に見合わぬほどどうしようもないガキであった王子を見てきただけに、まるで正反対であるカイルを見ていると不思議な気持ちになってくる。力になってあげたいと思う、知る限りの知識を授けてあげたいとも。けれど、同時に強い興味も生まれてくる。
流れ者の孤児でありながら、身内びいきのドワーフに拾われたり、有力者との繋がりがあったり。かと思えば、後ろ盾となるような存在はなく身一つでヒルダを訪ねてきた。これ程面白いと思った存在はここ近年ではなかったことだ。
だが、カイルはヒルダが思っている以上に世間慣れしている。きっと聞いてもはぐらかされるだろう。ならば、狙い目は仲間といる時だろうか。その時なら気が緩むこともあるだろうし、それにカイルが反応しなくても仲間が何か面白い反応を見せてくれるかもしれない。特にあのレイチェルであればその可能性は高い。
ここに迎えに来ることもあるというし、それまではこの興味の尽きない教え子に出来る限るの知識を教えてあげよう。そう考えてヒルダは柔らかな笑みを浮かべてカイルを見る。カイルもヒルダの笑みに気付くと、首を傾げてから悪巧みをするヒルダの良心が痛むような満面の笑みを向けた。
「……今日はここまでにしましょうか。大分日も傾いてきたわ」
「もうそんな時間か……。でも、うん、ためになった。それでさ、授業料だけどどうすればいい? 先に払った方がいいのか? もう一つの条件は、また薬ができ次第ってことになるんだろうけど」
「……条件の方も引き受ける気なのね……。そうね、授業は無の日を除く週六日。今日と同じように昼から夕方まで。一日銅貨一枚でいいわ。毎月末に払ってちょうだい」
「銅貨一枚って、それでいいのか? 普通その十倍はするだろ? ヒルダさんならその数倍でも……」
「いいのよ。授業料なんてわたしの気分次第だもの。薬の実験に付き合ってくれるなら、こっちがお金を払ってもいいくらいだし。……でも、カイル君の場合気を付けないといけない薬も多そうね。魔力、多いんでしょ?」
「そうみたいだな。この間ギルドで測った時には計測不能だった」
「計測不能!? そ、そういえば妖魔と魂の契約ができるほどなのよね。一割でも並の魔法使い百人以上の上昇とか言ってたし……本当にそんなに?」
『カイルは、先の騒動で裏社会に囚われた際、魔封じを十個付けられてようやく魔力を封じることができたのだ』
「じゅっ! ま、魔封じなんて……大丈夫だったの? 後遺症は?」
「今のところないみたいだ。俺は魔力回路も人とはちょっと変わってるらしくて……オーラって言うのか、それが出ない体質なんだと。魔封じ付けた状態で魔法使って、回路がズタズタになったはずなんだけど勝手に元に戻ったって言うし……」
ヒルダはカイルの言葉に慌てて魔力感知を使ってみる。そして、言葉通りカイルからは魔力は感じられるのにオーラを感じることができないことを確認した。まさに異例の存在だ。ヒルダの知る限り、そうした存在には長い人生の中でも一人しか会ったことがない。
ヒルダの中で、何かが形になっていくような気がしていた。だが、それを表には出さず、呆れたような顔をする。
「無茶をするわね。カイル君には驚かされてばかりね。ああ、そうだわ。魔法や属性に関していい本があるの。貸してあげるから、時間がある時に読んでおきなさい。修行もあまり詰め込み過ぎるとよくないわ。わたしの授業が休みの無の日はレイチェルちゃん達との修行も休んで体を休めなさい。焦る気持ちも分かるけど、体を壊してしまったら何にもならないわよ?」
「……分かった、そうする。そういえばここんとこ、ずっと忙しかったもんな」
『体を休め英気を養うのもまた強くなるために必要なことだ。そうするがいい』
「だな。トーマが言ってた遊びってのもやってみたい気はするしな」
「そう、カイルはまともに遊んだこともないのね?」
「それどころじゃなかったからな、生きるのに必死で。でも、町の子供達とかが楽しそうにしてたのは見てたから。せっかく友達や仲間ができたんだしな」
懸案事項は多いし、気になることも多い。だが、トレバース達も力になってくれるようだし、今のカイルに出来ることはあまり多くはない。王都からそう簡単に離れることが出来ない以上、王都の中でできることはやっておくべきだろうか。
剣聖として世に出ることになれば、おそらく自分自身の時間などそうそう持てなくなるのだから。
「今しかできないことを精一杯楽しみなさい。学んで遊んで鍛えて、豊かな人間性を育むのよ。強くなるだけじゃなくて、人としても成長しなきゃね。これからの人生長いんだからがつがつするだけじゃなくて、余裕も持てないとね」
焦りや罪悪感は消えないかもしれないが、ヒルダの言葉にも一理ある。様々な経験が人を豊かにし、成長させるのであれば、遊びもまた必要な経験なのかもしれない。さらに、成長と聞いてカイルには気になっていることがあった。
「そうだよなぁ。俺って今の姿から成長できんのか?」
『ふむ。我も肉体的に成熟するまでは獣と変わらぬ速さであったが、それ以降は止まっておるからな。カイルの場合はどうであろうな。肉体的に大人と言えなくもないが……成熟というにもな』
クロとしても経験がないために断言できない。椅子に乗って高い場所にあった本を取ろうとしていたヒルダだったが、二人の会話が聞こえてきたためちらりと振り返って視線を向ける。同時に、いくつかの本の下敷きになっていた目的の本が抜けた。
思っていた以上にあっさりと抜けてしまい、入れていた力の分だけヒルダの体が後ろにかしいだ。椅子に座ってクロと話していたカイルだったが、目の前でヒルダの体が傾くのを見てとっさに体が動く。受け止めようとしたのだが、ヒルダの体が横になるほど傾いていたのと、とっさのことで踏ん張りがきかず、下敷きになるようにして床に倒れこむ。
クロも後ろを向いていたためすぐに対応ができず二人が床に倒れこんだ時に伏せていた体を起こした。倒れこむ瞬間を見ていたために、心配そうな顔をカイルに向ける。ただ下敷きになっただけではなく、机の角と床、二度頭をぶつけていた。目を閉じてかすかに眉を寄せている。
ヒルダは突然のことに魔法を使うことも忘れ、目をつぶって衝撃に備えていたのだが思ったような痛みもなく、暖かなぬくもりを肌に感じて目を開ける。そこには教え子が自分をかばい、下敷きになって倒れているのが見えた。両手でヒルダを支えてくれていたため、かばうこともできずぶつけただろう頭が痛むのか、眼を閉じて眉をひそめている。
それまでになく間近でカイルの顔を見て、思っていた以上に温かく、けれど確かに男なのだと感じられる体に触れて、なぜかヒルダはひどく胸がときめいた。忘れていた、あるいは忘れようとしていた昔の胸の疼きがぶり返したように。
薄く開いた唇から漏れる吐息を頬に感じた瞬間、教え子だとか理性だとかそうしたものがヒルダの頭から飛んでいった。救命活動とはとても言えない熱い口づけを落とす。ズキズキとした頭の痛みに、血が出てるかもな、などと考えていたカイルは突如として感じた感触に目を見開く。
そこには熱っぽい目をしたヒルダが、むさぼるようにカイルの唇に自らの唇を重ねているのが見えた。驚いて慌てて離そうとするが上に乗られている上、顔をそらせないように両手で抑えられている。クロも味方には手を出さないというカイルとの約束に従い、どうしたらいいものかとカイルの頭の上の方でウロウロしている。
「ちょっ、はっ、ひ、ヒルダ……さん。ふっ……待っ……んっ」
なすがままだったレイチェルとは違う、確かに大人だと感じさせる口付けに、カイルは必死に言葉を紡ごうとするが、ヒルダは離してくれない。ゾクリとした快感が背筋を這い上がるのを感じて、カイルは必死になって自制心を働かせる。さすがに出会ったばかりで、しかも先生と教え子という関係でこういうことになるのは避けたい。レイチェルとも誓いを交わしたばかりだ。
無理に頭を動かそうとすると、ズキリとした痛みが走ってうまくいかない。そのためか腕にもあまり力が入らず、体を押し返すこともできない。思うままに口内を嬲られていた所に、扉が開く音が聞こえてきた。顔を固定されているため、視線を向けることもできないが、これはカイルにとっても何よりヒルダにとって他人に見られるとまずい場面ではないだろうか。
そう思ったカイルがどうにかヒルダを剥がそうとするのだが、相変わらず熱に浮かされた目でヒルダはカイルを翻弄しようとしてくる。そして、また来訪者の声も聞こえてきた。
「失礼する。こちらはヒルダ=ゲーベル様のお宅だろうか。ここに、カイルが…………」
薄暗い本棚の間を抜けてやってきたレイチェルは、魔法の光に照らされた室内で見た光景に絶句して固まる。そんなレイチェルに続いては言ってきた面々も、各々驚愕を露わにして立ち止まってしまった。
カイルはどうにか目線で助けを求めようとしたのだが、覆いかぶさるヒルダと垂れてきた髪で遮られうまくいかない。
「…………なっ、な、な、な、何をやっているんだ!! ひ、ヒルダ様! カイルっ! これはどういうことなんだっ!!」
室内だけではなく家の中を震わせるほどの大音声に、さすがにヒルダもレイチェル達の存在に気付いたのか、カイルから離れ顔を上げる。口元を濡らす唾液のきらめきと、見たこともなかった妖艶な雰囲気を漂わせるヒルダにレイチェルはひるみかけるが、それでも預けられた心の、守ると決めた体のためにも立ち向かう。
「なに? 邪魔をしないでくれる?」
「邪魔だと! な、何をしようとしているんだ!」
「そんなのは、まだお子様であるあなたには早いことよ?」
「んなっ、か、カイルはここに勉強をしに来たはずだ!」
「そうね。いい教え子だわ、でも、こういう勉強もありでしょう?」
「ないっ! そんなのは、認めない!」
「あら、あなたに認められる必要があるかしら?」
レイチェルとヒルダの言い合いを聞きながら、ハンナは小さくため息をつく。
「来て正解。やっぱりカイルは襲われる方」
「驚きですわ。ヒルダ様はとても理知的な方ですのに」
「そんな人も落とすとか……カイル、何やったんだ?」
ギルドでそれぞれの依頼を終えた面々はテムズ武具店を集合場所と決めていたため集まったが、カイルがまだ帰ってきていなかったため迎えに来た。初日ということもあり、またどこか心配なところもあったためだ。
そうして来てみれば、この有様。レイチェルの怒りも分かろうというものだ。それにしてはカイルの反応が鈍い気がするのはなぜだろうか。
『貴様ら、いい加減にせぬか! カイルは怪我をしておるのだぞ!』
カイルのためとはいえ、ヒルダがいるのにクロがしゃべったことに驚いた面々だが、それ以上にヒルダやレイチェルはクロの言葉の方に驚愕する。慌ててカイルを見れば、頭の下に血だまりができているのが見える。トーマも驚きで麻痺していたが、クロだけは血の匂いに気付いていた。
「嫌だわ、何てこと! カイル君、大丈夫なの?」
「……てぇ。だから、待てって言ったのに。たぶん、ちょっと切れただけだと思うけど……」
「ごめんなさい、訳が分からなくなってしまって……欲求不満かしら? 傷を見せて……あまり深くはないみたいね。吐き気がしたり、頭の中が痛んだりしない?」
カイルの怪我に気付くと、ヒルダは慌てて処置に当たる。レイチェルの手も借りてカイルの体を起こし、後頭部の傷を確認して魔法で癒す。それから床や髪の毛を濡らしていた血を浄化して消す。
カイルは痛みが引いて、しびれも消えたのを確認してから首を振る。ヒルダはほっとした顔をする。大失態ともいえる暴走で大切な教え子を失ってしまっていたかもしれないと考えるとぞっとする。同じように、なぜ自分があれほどまでに暴走してしまったのか、理由も分からない。いや、頭の中にある可能性は思い浮かぶのだが、確証がないのだ。




