国と人の在り方
カイルは呼吸時の痛みをどうにか軽減させる。深く息を吸い込んだり吐いたりしなければ、耐え切れないほどの痛みは出ないことが分かった。
「カイル君、維持のための負担だけど、大丈夫かい?」
「まぁ、何とか。少し、慣れた。拮抗するまでの、間だし、これから、徐々に楽に、なっていくんだろうから」
短い呼吸しかできないため、頻繁に呼吸をしなければならず、話せば途切れ途切れにはなってしまうがどうにか耐えられそうだ。だが、そんなカイルをトレバースは労し気に見る。カイルの気持ちがなんとなく理解できるからこさそ不憫に思える。
望んだわけでもなく剣聖となり、しかしその責務を一時的とはいえ放り出さねばならない。それに責任を感じているのだろうと。生まれた時から肩書や立場に対する責任を教え込まれてきたのならそうなるだろう。逃げ出すこともできず、けれど背負うだけの実力もない。そんな自らに罰を与えるように負担を背負った。
ロイドにも時折みられた献身。癒しの巫女には顕著であり、自らをなげうってまで施していたそれ。顔ばかりではなく、そうした献身の姿勢まで話したことさえないはずの母に似るなど、血は争えないということなのか。
「無理はしないようにね。しばらくなら聖剣の不在を隠すことくらいはできるから」
「ま、もう少し慣れるか、楽になるまで少し修行は控えておくことにする。悪い、そういうことだから、これまでみたいにはガンガンできないと思う」
「そんなことに気を使う必要はない。むしろ今までの分、休ませてもいいくらいだが……」
「下手に休んで体と感覚が鈍るのもなぁ。無理のない範囲で続けようとは思ってる」
「なら、一日じゃなくて半日にする?」
「そうだなぁ。朝はレイチェル達とギルドで、夕方から夜は親方達と生産をってことになるかな。昼中が丸々開くけど、ただ休むってのもなぁ」
今まで、怪我や病気以外で休んだことはない。これも一種の病気といえなくもないが、寝込んでしまうほどでもない。こうなった以上無為に時間を過ごすというのもためらわれる。
「……あぁ、そうだ。バースおじさん、頼みって言うか、お願いになるのかな。あるんだけど……」
「何だい? わたしにできることなら、今までできなかった分も含めてやってあげるよ」
「えっと……その、王宮ってさ本とかも多いんだろ? これまでのことでも分かったと思うけど、俺常識が抜けてるっていうか、知識が足りない部分も多くてさ。まともに勉強したことなんてなかったから、仕方ないっていやそうなんだけど。でも、これからはそれじゃまずいことも色々あるだろ。俺も、そのせいで痛い目みたり面倒事が起きたりすることも多いって、つくづく実感したし。だから、その……王宮にある資料って言うか、本を読ませてくれないかなって」
「……それだけ、かい?」
「? これでも結構無理言ってるかな、と思ってんだけど。国が集めて保管してきた貴重な資料見せてくれって言ってんだし」
「勉強……いっそ、先生を付けてみるかい?」
「は? や、そこまで面倒かけられねぇよ」
「でも、王宮の図書室に納められた本は膨大だよ。君が求めている、知らなければならない知識を探すだけで一苦労だ。それなら、先生を付けて基礎から学んだ方がいいかと思ってね。主に貴族や学校に行った者が習う内容になるけど、参考にはなると思うよ」
「そりゃそうか……剣でも基礎が大事だしなぁ。俺、知識の面でも基礎がなってないか。でも、その、いいのか? 先生とかも納得してくれりゃいいけど……」
「君なら大丈夫だと思うけど。……優秀な先生だったんだけどね、その、わたしの息子に匙を投げて職を辞して王宮を出てしまったんだ。確か中央区に住んでいるという話だ。紹介状を書いておくから、訪ねてみるといいんじゃないかな」
「……分かった、そうする。ありがとう、バースおじさん。……先生ってことは授業料もいるよな。最近はギルドで結構稼いでるから……足りるかな……」
トレバースの言うことも最もだと、カイルはまずは知識でも基礎固めをすることにした。そして、その道を示してくれたトレバースに礼を言う。最近、息子には向けられたことのない感謝のこもった裏のない笑顔にトレバースは胸を打たれる。その後、カイルが指折り計算しているのを見て、慌てる。
「授業料を自分で払うつもりなのかい?」
「ん? 当たり前だろ? 俺が勉強すんのに、俺が払わなくてどうするんだ?」
カイルとしてはなぜそんなことを聞かれるのか分からない。自分にとって必要なことを学ぶのに、自分以外の誰がお金を使うというのか。
「当たり前……そうか、そうだね。どうも国王なんてやっているとそのあたりが鈍くなって困るね。わたしが動かしているお金はみな、民達から集めたものだというのに」
「王様って給金が出たりしないのか? なら鈍くても仕方ねぇよ。ああいうのは実際に自分の手で稼いで初めて実感が持てるから。なんならバースおじさんもギルドで仕事してみればいいんじゃね? 雑用みたいな仕事でもさ、ちゃんと働けて誰かに感謝されてお金までもらえる。そういうのってスゲー幸せだって思えるから。ああ、でもそんな時間ないか……忙しそうだもんな、王様って」
カイルの突拍子もないような提案に驚いていたトレバースだったが、なるほど確かにと納得させられる。そしてまた、カイルが普通に働けることにどれほどの感慨を覚えていたのかを知った。きちんと働けることが幸せだと。人として生きられることが何よりも嬉しいのだと、伝わってきた。
「でもさ、俺も、きっとこの国のみんなもバースおじさんには感謝してると思うぜ? そうやって国を守ってくれてるから、安心して働いて生きていける」
「だが、わたしは君達のような境遇の者達を……守れていない」
それが難しいことであっても、国を治めるのであれば目を向け手を届かせなければならなかったのに。こうして目の前にその現実を並べられるまで、気づきもしなかったのだ。
「そりゃ、何もかもなんて無理だろ。いくら王様だからって、目や手がいくつもあるわけじゃない。だから、テッドさんやレナードさんみたいに違うところに目を向けられて、手を伸ばせる人がいるんだろ? 王様ってのは誰よりも高い場所で、さらに前を見てなきゃいけない。だから足元は見えない、右も左も、後ろにも目を向けられない。下手によそ見してたら、向かうべき場所を見失って国が路頭に迷う。だから王様の周りにいる人達が代わりに下を見て右を見て左を見て背中合わせになって後ろを見る。王様の手が届かない場所には代わりに手を伸ばす。そういうもんじゃないのか? バースおじさんの周りには、たまたま俺達みたいなのに目を向けられて手を伸ばせる人がいなかった。それだけのことだろ?」
まさか、自分と同じ年の息子に国の運営を、国王としての在り方を諭されるなど思ってもみなかったトレバースは驚きに口を開けたまま固まる。そして、テッドやレナードは目を伏せうなずいて同意を示した。
「で、まだまだ全然頼りないだろうし、任せることもできないんだろうけど、俺はその足りなかった部分に目を向けて手を伸ばせる存在になりたいと思ってる。で、そんな俺の足りない部分や見えない部分をレイチェル達や親方達、クロやシェイドが、まあもしかしたら聖剣も補ってくれる。そうやって補い合って支え合っていくのが人で、国……なんじゃないのか? 何もかもバースおじさんが一人で背負う必要なんてないんだ。王様は正しい道を見つけて真っ直ぐそこを目指してればいい。信じて、頼って、託せる仲間や部下がいれば、それだけで国って案外うまく回るんじゃないか?」
トレバースはロイドの死後、ロイドに託されて気負ってきたものがストンと軽くなるのを感じた。ロイドがたった一人で全てを背負い込んで逝ってしまったから。だから同じように一人で国を抱え込もうとしていた。ロイドはトレバースを信じて未来を託してくれたのに、自分だけで必死になって守っているつもりでいた。最近は特にうつむきがちだった。
それでは駄目なのだろう。一国を率いる王はせめて前を向いていなければならない。常に上を目指していなければならない。ずっと助けてもらっていたのに、それにさえ気付けない自身は、なんと滑稽で傲慢だったのか。誰かに任せられないということは、その者を信用していないということ。誰かに頼めないということは、その者の力を信じていないということ。誰かに託せないのは、その者を侮っているということだ。
「陛下……確かに陛下は背負いすぎです。少しは我々にも分担させてください」
「及ばずながら、俺達にもできることはあります」
「そう……か。わたしはずっと、足踏みをしてきてしまったようだね」
「それが悪いことだとは思わねぇよ。じっとしてるよりずっといい。だってさ、いつだって動きだせるってことだろ?」
「君は……本当に、ロイドに似ているよ、そういうところが。ただ、ロイドより優しいのはきっとカレナさんの影響かな。彼女は本当にとても慈しみ深い人だったからね」
「まぁ、俺のこと心配して前例にないことをやっちまうくらいには優しい人だったんだとは思うけどな。体が弱かったのは母さんのせいじゃないのに、きっと俺を生んだせいで命を縮めたんだろうに、成長を見届けられないのが心残りだって泣いてたから。俺が体弱いところまで似なくてよかったって泣き笑いしてたから」
「! 記憶が……あるのかい? まだ、生まれたばかりだろう」
「あー、この間、夢でな、思い出した。色々あるだろうけど、強く生きろって。優しい子に育つと嬉しいって言ってた。俺、ちび過ぎて泣いてる母さんの涙をぬぐってあげられなかったのが悔しくて悲しかったって記憶してた。あんな頃の記憶でも、案外残ってるもんだなって不思議だった」
生まれたばかりの幼子が泣いている母の涙をぬぐいたいなど、一体どれだけの子が思えるのだろうか。カレナが望むまでもなく、カイルは優しい子だったのだと誰もが感じ取れた。
『ふむ、某にはそうまでやせ我慢をして他者を気遣うそなたの方が不思議でござる。それとも痛みや苦しみを好む質でござるか』
「ばっか、人が折角……忘れようと、してんのに……。くそっ、意識すると、余計しんどいんだよ」
そこへきて、ようやくみんなカイルが絶え間なく冷や汗をかいていることや、顔色が悪いことに気付く。言葉がしっかりしていたり、その内容に心動かされたりしていて、カイル自身に意識が向いていなかった。
「カイル、負担ってどんな症状?」
ハンナはカイルの腕に触れて、相変わらず熱を持っていることを確認してから、カイルを見上げる。カイルは答えることをためらったが、ハンナはそれでは許してくれそうにない。
「あー、胸の奥がつっかえるみたいに苦しいのと、息するたびに鋭い痛みがあって、あとは熱がある時みたいにボーっとしてるくらいか?」
「くらいか? じゃねぇよ、どう考えても重症じゃねぇか。息するたびって何だよ。ってかお前本当に熱があるんじゃね? 体熱いぞ」
「そういうの、自分ではいまいち分からないからな」
カイルの言葉に、アミルがピタリと額に手を当てる。それから難しい顔をした。
「これは病気などの症状とも違いますわね。細胞自体が熱を放っているような……普通なら動くのもつらい高熱ですわ」
ハンナは、カイルの胸あたりを触る。それにカイルはビクリと体を震わせた。触られた場所から痛みが伝わってきた。
「痛みもかなり強い? 呼吸だけじゃなくて、触るだけでも痛みがある」
それからハンナは、軽い力で背中を叩く。途端にカイルは息を詰まらせてせき込む。
「少しの衝撃で、息が詰まるくらい苦しい。カイル、これ、確実に寝込む症状」
せき込んだ拍子に胸が痛み、目じりに涙をためながら横目でハンナを見る。
『今日は特に某と融合したばかりでござるゆえ、症状も強く出ているでござるよ。その上、模造品を作って力を大きく消費したことが影響しているでござるな。これから先も力を消耗しすぎると同じ症状が出るでござるよ。聖剣といえどその力は有限ということでござる』
剣がどれほど優秀であろうと、それを扱うのは人だ。そのため、同じ剣聖でも差が生まれる。ロイドは中でも最強とも言われた使い手だった。それでも、激しい戦いの後などには時折辛そうにしていたことをトレバースは覚えていた。それは今のカイルと同じような症状が出ていたためだろうとようやく分かる。
ロイドもあまり自身の弱みや辛さを人に見せないタイプだった。隠し事は下手なのに、そういうところだけはうまく隠すものだから、いつも後になってその時どれほど負担がかかっていたのか分かるのだ。カイルにもまたそれに似たところがある。ただし、周りにいる仲間達がそれを許さないためにこうして分かるだけだ。
「力が馴染めば、症状は軽減するのか?」
『こやつ次第でござるな。適性が高く順応性が良ければ早く力も馴染むであろうし、症状も大幅に軽減される可能性はあるでござる。まあ、少なくとも明日になれば多少は軽減しているのではないかと思うでござる。今日はずっとこの状態でござろうな』
「それでは、今日はあまり動かさない方がよさそうですわね。陛下、こちらの離宮に寝泊まりできる場所はありますの?」
「もともとは王位を譲って隠居した王族のための城だからね。そのあたりは心配いらないよ。いつでも使えるようにはしているはずだけど」
「なら、わたし達も今日はここに泊まる。今はカイルを休ませた方がいい」
「ハンナ……俺は」
「無理しなくていい時には無理をしない。約束」
「そうだぜ、こうなったら腹くくって休んどけよ」
「…………分かった。なら、ちょっと、後任せていいか?」
カイルはぶつぶつと何か愚痴を言っていた聖剣を体の中に納めると、シェイドに呼びかけ目の色を変えてから魔法でさらに色を変える。無詠唱でスムーズに行われる魔法に、トレバース達は感心した目を向けていた。
それから王宮に来るということで一応カイルの影の中に入っていたクロがするりと表に出てくる。気づかわし気にカイルを見て、聖剣の模造品を忌々し気に見た後足元にすり寄る。
『我らに任せておけ。どうやら聖剣による不調は我が分担することはできぬらしい。故に、我のことを気にすることはない』
「なら、頼む……」
報告は受けていたが、実際にクロが話したことで妖魔だと確信が持てたトレバース達は若干怯えを見せる。だが、その言葉はカイルを気遣い、負担や気がかりを軽減するものであったことやそのクロの言葉を受けて、カイルがレイチェルの肩にもたれかかるように気を失ったのを見た時、確かな信頼関係があるのだと理解できた。
レイチェル達だけではカイルはこうして、不調を抱えていても後をすべて任すことはできなかっただろう。なにより、強い主従関係で結ばれている使い魔であるクロに遠慮して何が何でも意識を繋ぎ止めようとする。魔力枯渇状態であってもそうなのだから、何をかいわんやだ。
だが、そのクロが不調が自分には影響しない、気にせずに任せておけといったなら素直にそれに従える。絆が深いと言えばそうだが、どこか頑なな部分も見える。どうしても譲れない、あるいはそうできない理由でもあるかのようで。そして、それはきっとカイルにとって忘れられない傷がそうさせるのだろうと予感させた。




