聖剣の影と求められる資質
カイルの不明だった属性の一つは龍であることが判明した。ならば、もう一つは紋章に刻まれている翼、こちらに関係するものなのだろう。しかし、今までこのような紋章が出たような記録はないようで、見当もつかなかった。
分からないものは仕方ないと思っていたカイルだが、それよりも気になることがあったために、少々気後れしながらもトレバースに向かい合う。
「あー、それで、バースおじさん。俺ってやっぱ剣聖ってことになっちまうのか? えっと、抜くだけならともかく、契約までしちまうとさすがにそのまま戻すってわけにはいかないんだろ? 今はまだうまく使えないだろうけど……無理矢理理解させられたからな。聖剣でどんなことができるのかってこと。それが使えるように、なんとなく体の仕様が変わったってのも分かるし……」
魔力とも霊力とも少し違う力。それが自身の体の奥深くで根付いているのを感じる。聖剣の力を発揮する時に使うのはおそらくその力だ。そして、それは聖剣の扱いになれ、またより力を引き出せるようになるたび大きくなっていくのだろう。
「そうだね……。ただ、色々と問題がある。君が剣聖候補ですらないことや、正式な手続きを踏まずに聖剣を手にしたこととか……。それに、今の君を剣聖として公表することはできないよ。あ、いや、君の実力云々というより、情勢的に見て、だよ」
トレバースはいくら親友の形見に近いものだからと、聖剣を持ち出してしまった自身の行いを悔いる。レイチェルなどから、カイルは奇跡的な偶然やあり得ない可能性を引き寄せてしまうと聞いていたのにこの可能性を考慮していなかった。まさか、という思いもある。
いくら剣聖の息子であろうと、どれほど素質があろうと今の段階で聖剣を抜くことなどできないだろうと考えていたのだ。それよりもむしろレイチェルの方に期待を寄せていた。今のレイチェルならもしかしたらという思いがあったのだ。それが、まさかこんな事態になるとは。
レイチェルであれば胸を張って公表し、人々の安寧を測ることもできる。だが、カイルは未だレイチェルほどの知名度もなく、いや事実を公表すればそれ以上なのだろうが、それはできない。なぜなら世界をたばかる真似までして例の組織の目をそらせたのだ。
今カイルの存在を公表してしまえば、これまでの努力も水の泡だ。この短期間では、持ち上がっていただろう組織の計画も破棄される前に再燃しかねない。そうなればカイルは常に組織から狙われるということになる。それではおちおち修行もしていられない。
また、いくら剣聖の息子とはいえ、その実力を示してもいないのにいきなり剣聖だなどと実力的に見ても認められないだろう。認められるとするなら、カイルが誰にでも分かる形でその実力や実績を示さなければならない。最も近道となるのは年末にある剣聖筆頭を決める大会だが、半年でレイチェル達さえも追い抜けと言うのはさすがに無理がある。
今でさえギリギリの修行を続けているというのに、それ以上になれば心も体も壊してしまう。だが、剣聖が現れたというのにいつまでもそれを黙っているわけにもいかない。他の者達が聖剣の選別の儀を受けたいと言ってくることだってある。
「これ、俺から離しておくことはできないのか? 融合したって言っても顕現もさせられるんだろ? で、そのまま元のように置いておくってことは不可能なのか?」
「出来なくはない、とは思うよ。でも、一度融合すると持ち主の状態とか状況とかに敏感に反応するようになるからね。離れていても、危機には飛んでいくみたいに。さすがに聖剣が空を飛んでいくのをごまかすことはできないし……」
カイルも困った顔をする。ロイドのように自分から離しておくこともできないわけではないのだろうが、カイルに何かあれば保管している場所を飛び出して行ってしまうということだ。それではさすがに聖剣の主が現れたのだと露見してしまう。しかし、顕現させなければ聖剣はカイルと融合したままだ。
必然的に聖剣が失われたと同義になる。思い悩むカイルだったが、一度顕現させてみようかと考える。あの剣のせいでこうなったのに、その剣がない状態でああだこうだ頭を悩ませるのが馬鹿らしく思えた。
「一度、顕現させてみる。どうやればいいんだ? 思うだけでいいのか?」
「そのはずだけどね。紋章に意識というか力を集中させる感じ、だったかな」
カイルはトレバースの言葉通り、右手の紋章に意識を集中させる。なぜかカイルを選んでしまった、間抜けな聖剣を自らの中から取り出すために。すると、紋章が光を放ち始め、光の粒子が剣の形をかたどっていく。その粒子が一定量に達した途端、一瞬にしてカイルの右手には聖剣が握られていた。
カイルは聖剣がなぜか取り込む前よりも輝きを増したような気がして、いぶかし気に見ていたがその他の者はそれどころではなかった。聖剣が顕現した瞬間、ドンッと音が聞こえた気がするほどにすさまじい威圧感と身動きが取れなくなるほどの剣気がのしかかってきたのだ。誰もが膝に頭をうずめるように、あるいは剣に首を垂れるように体を倒し、真っ直ぐな姿勢を保っていられない。
騎士団団長であるレナードでさえ、不意のことで対応しきれず、圧倒的な剣気の前にひれ伏してしまう。それなのに、カイルはというと周りの異常に気付いて慌てていた。全く影響を受けていないどころか感じてさえいないという感じだった。
「えっ? な、なんで、みんなそんなことになってんだ?」
「か、カイル……せ、聖剣の、ち、力を抑えて、くれ。苦しくて、身動きが……とれない」
「力? お、抑えるって……っと、どうやるんだよ。この、くそっ……勝手に俺を主だなんて決めたんだから、俺に従え! 聖剣デュランダル!!」
レイチェルに言われてもどうすればいいのか分からず、半ばやけくそになって聖剣の名前を叫んだカイルだったが、その瞬間、嘘のように威圧感も剣気も消え去った。汗が吹き出し、顔色を悪くしていた面々は、各々体を起こしてカイルの手の中にあり、あれほどの猛威を振るったとは思えない静けさを保つ聖剣を見る。
「何なんだよ、一体。なんで顕現しただけであんな……」
「……あれが、聖剣を持った剣聖が恐れられる理由の一つだよ。ただ剣を携える、それだけで他者を縛る威圧感や歯向かえないと思わせるほどの剣気を放つ。中途半端な覚悟じゃ向かい合うことさえできない。ロイドの場合剣を抜いた時だけに、それも敵を前にして任意で発動していたようだったが、君の場合剣そのものと融合しているから、顕現するだけでああなってしまうんだろうね。慣れるとその辺の制御もできると思うけど」
「まじか。面倒な剣だよな、つくづく。出てくる時くらい静かに出て来いっての」
『……なんと、某にかようなことを申す使い手がロイド以外にもおったのでござるか』
「うわっ、何だ、こいつ。しゃべるのかよ!?」
『聖剣なれば当然の事でござる。む、そなたはロイドが某の主であった頃、某を一度抜いたことがある小童でござるな。あの時はロイドともども驚いたものであったが……そなたが次の某の主でござるか。うむ……なぜでござる!? 素質はあれど実力も足りぬ小童になぜ某が振るわれねばならぬのでござるか! それも、剣豪などととてもではないが思えぬ、女子のような顔をした小童に!』
聖剣は改めて今回の主となったカイルを確かめた後、納得したかと思えば狂乱する。人であれば頭を抱えて床でのたうち回るほどに、自らの選択を後悔しているようだ。この分では持ち主を聖剣自身の意思で選んでいるわけでもなさそうだ。何か神王様の施した仕掛けがあるのだろう。相応しい者の手に渡る様に。
「ほほーう、そういうこと言うのか? こっちは好きでお前の主になったわけでもねぇし、面倒事が増えて頭が痛ぇってのに……この駄剣がぁ! こっちこそお前なんて願い下げだ。なんだよ、父さんに物干し代わりに洗濯物干されてたくせに。杖代わりにされてたこともあったよなぁ!」
『なっ、そ、某の剣生の中でも悪夢ともいえる出来事を……そなたこそ、ロイドと共に寝られることにはしゃいでおもらしをして、べそをかいていたでござるよ!』
「ガキの頃の粗相なんて、恥の内に入んねぇよ。その後洗ったシーツはお前に干されてたよな!」
『ぬぐぐぐぐぐ、何という小童でござるか! ロイドといいそなたといい、某は神王様により鍛えられし聖なる剣、聖剣デュランダルでござるよ! もう少し敬意を払ったらどうでござるか!』
「はっ、どんな代物だろうと、相手によらぁ。誰彼構わず威圧するようなやつに払う敬意なんて持ってない」
『ぬぐ、確かに、それは某が悪かったでござるよ……。少々気が立っておったでござる。前の持ち主とも不本意な別れをして、以降某を目覚めさせる者もいなかったでござるから。某は人界を守るために人に授けられた至宝でござる。その役目を果たすこともできず、少々荒れておったのでござる。さらには、某の主になった者が、かような……』
「それ言うと不毛だし、繰り返しになるからやめとこうぜ。俺も言いたいこと言って少しは気が晴れたし。それに話せるんならちょうどいい。聞きたいことがあるんだ」
『先ほどそなた達が言っておった問題についてでござるな』
「分かるのか?」
『某はそなたと融合しているでござる。そなたが知りえたことは全て共有しているでござるし、考えていることも錬度によってはリンクさせることも可能でござる』
聖剣はそうやって主と一心同体になってその力を振るうのだ。いちいち指示を与えたりしなくても、そう考えるだけでその通りの効果や能力を発揮できる。また、持ち主と情報の共有をしており、だからこそ離れていても持ち主の動向を把握できるのだ。
カイルと聖剣の幼稚ともいえる言い争いに面喰っていた一同だったが、話が元に戻ってきたことで落ち着きを取り戻す。テッドなどは忍び笑いをしていた。まさか天下の聖剣と剣聖との間でそのような出来事があったなどと誰が思うだろう。ロイドはそうした意味でも破天荒だったのだ。
『某を、こやつから離しておくことは可能でござるよ。ただし、某は望まずともこやつの危機には駆け付けねばならぬでござる。そう作られているでござるからな。某としても、認めたくはない主であっても離れることは本意ではござらぬ。故に、某の影を置いておくことを提案するでござるよ』
「影? 影ってあの影か?」
『そなたが思っているのとは少し違うでござる。いわば実態のある幻でござる。某と寸分違わず、触れもするが決して抜けることのない、偽りの剣でござるよ。こやつが成長するまで時間を稼ぐならその方法がいいと思うでござる』
「ばれたりしないのか? 所詮幻だろ?」
『神秘を纏った幻であれば、人目はごまかせるでござるよ。高位の存在であれば露見することもあるでござるが、そうした者が聖剣に挑むということもござらんだろう』
「……そうするしかなさそうだね。その影はすぐに作れるのかな? 維持や管理はどうすればいいか教えてもらえないかい?」
本来であればもう少し敬意を払うべきかもしれないが、先ほどのやり取りを見た後ではトレバースといえど聖剣に対して思うところがある。それに、怒られないだろうという予感もある。なんだかんだとロイドとはうまくやっていたようなのだから。
『作るのは可能でござるが……、少々こやつに負担がかかるでござる。未だ某の力が完全には馴染んではおらぬでござるし、維持にもその力を使うでござるよ。その分力の成長は促されるでござろうが、維持に要する力に生み出される力が拮抗するまでは、常に不調を抱えることになるでござる。管理はそれまでと変わらぬ扱いで構わぬでござるよ。幻といえど実態を持つ模造品のようなものでござるからな』
聖剣の言葉にカイルは天井を仰ぎ、レイチェル達は気づかわし気な視線を向ける。またしてもカイルに負担がかかるのか、と。カイルの成長速度は誰もが認めるところだが、いつまで不調を抱えることになるのか目途が立たない。しかし、この場限りで持ち出している以上戻さないわけにはいかないため、この場で作らざるを得ないのだ。
「不調っていうけど、どの程度なんだ? 具体的にはどんな……」
『それは、その身で体験すれば分かることでござるよ』
「はっ、ちょ、待っ…………っつ、うぁあ、あ、くっ……」
体を駆け抜けた衝撃で聖剣を取り落とし、カイルは両手で胸を押さえる。まるで心臓をわしづかみにされているかのような息苦しさと肺を無数の針で刺されたような痛みが走る。膝に額を当て、額からは脂汗を流しながら、息さえまともにできない苦痛にあえぐ。
レイチェルが背中に手を当ててさすってくれるが、それさえも痛みを増長させるようだった。実際には数分と掛からず終わったのだが、カイルにとっては数時間以上にも感じられる長い時だった。
解放された瞬間、大きく息を吐き、酸欠でクラリとなり倒れかけるが両側から支えられて、どうにかソファの背もたれに戻される。あれほどまでに激しい痛みや苦しさはなくなったが、相変わらず胸の奥がつっかえるように重苦しく、息をするたびに鋭い痛みが走る。
熱が出た時のように、どこか体の重心が安定しないような浮遊感が付きまとっている。おそらくこれが維持にかかる負担とやらなのだろう。確かに体験すれば分かる。分かりはするが、いきなりやるなどと、意地が悪いにもほどがある。
『どうしたでござるか? 自ら負担を背負うことを決めたのでござろう? ならば耐えねばならんでござるよ』
「分か……ってる。でも、いきなりは、ねぇだろ」
『ああいうのは、勢いでやった方がいいでござる。この出来を見れば、某の優秀さも分かるというものでござろう?』
カイルは呼吸を整えつつ、なるべく痛みが出ない呼吸法を探していく。いつまで続くかは分からないが、長い付き合いになるならこの状態にも慣れなくてはならない。剣聖という重責を一時でも背負わずにいるための代償なのだから。人々の希望を、待望を知っていて裏切る対価なのだから。
カイルが落とした聖剣の向こう、布の上には寸分違わず、見分けのつかない剣が現れていた。感じる神秘的な美しさもそのままだ。これならば確かにしばらくごまかすことは可能だと思わせた。実のところ聖剣自体も驚いていた。
気に食わないこともあって、その負担や苦痛がどれほどのものか知りながら突然行った。気絶するかと思えば耐え抜き、さらには未だ馴染まない力でありながら、完璧に模倣するに足るだけの力を生み出した。確かに、聖剣の主にふさわしい素質だと言えるだろう。それも、今まで聖剣が出会ってきた持ち主達の中でも群を抜いて、最高の素質であると。
そもそも、わずか三歳の幼子に聖剣が抜けるはずがないのだ。しかも、主がいる状態で。それを為しえたというだけで、カイルがただの子供であるとは到底思えなかった。そのため、ロイドと共にカイルの元に帰った時には常に聖剣はカイルを監視していた。もしも、もしもカイルの存在が人界に災いを呼ぶならば、持ち主の息子といえど切り殺させるつもりでいた。
だが、無邪気に一心にロイドに親愛を向ける姿を見て、別れる時にはいつだって泣きそうな顔をしながら笑顔で送り出そうとするところを見て、ついにロイドにそのことを告げることができなかった。もしかすると、ロイドの息子は人を外れた存在であるかもしれない、などということは。
人の理の中にある者ならば、神の定めた聖剣の約定ともいえる制約に逆らうことなどできないのだから。それができてしまうということは、人の理を外れた存在ということだ。一歩間違えば、人界のみならずレスティアそのものを揺るがす異端となりかねない。ロイドの知らぬところで威圧しても剣気をぶつけても、何も感じていないようだった幼子。聖剣の力さえ及ばない、異端の子。
そんな子が、まさか自身の主になるなど思ってもみなかった。これまで聖剣を務めてきた心情としては受け入れがたい存在だ。だが、聖剣はカイルと融合する過程で、カイルに自らの経験を伝えるとともにカイルの経験や記憶を見た。
常に過酷な戦場にいた聖剣でさえ、目を疑い顔を背けたくなるほどの暗く苦難に満ち溢れた、痛みとは切っても切り離せない過去。その過去を生き抜いてなお、歴代の剣聖をも上回るほどの輝きを失わず磨き続けてきた。異端の子は異端なる人生を生き、異端なる決意をして、異端なる夢を抱いた。その夢は聖剣を惹きつけずにはいられなかった。
聖剣が人界にもたらされた本当の理由。聖剣の主に求められる、本当の資質。それこそが、他者を虐げることなく、人が人として人らしく生きることを実現させようという意思なのだから。必要なのはその意思の強さ。その思いの純粋さ。それこそが人界を正しく存続させ、人をあるべき道へと導くことになる。
そのための助けとなる様に、聖剣には破壊と癒し、力と守護、相反する二つの能力が備わっているのだから。今までの持ち主達はみな、意思の実現のために力と破壊を求めた。そのため、剣の方しか力を発現させられなかった。だが、カイルは力と破壊を求めながらも癒しと守りを与え続けてきた。それゆえに真の意味で聖剣の力を正しく扱える、そんな素質を持っていた。




