選別された小さな英雄
あの眼が向けられた時、それは死を望まれているということだから。殺してでも排除してしまいたいと考えるほどに、人として見られていないということだから。だから、カイルはその眼が嫌いだしその眼には敏感になった。そしてテッドはそんな眼はしていない。
むしろ、その逆で内に燃え滾るほどの情熱と揺るぎない真摯な思いが感じられた。だからカイルはテッドを嫌わないし、試してくるようなことを言っても動揺しない。痛いところをつかれても、国を支える立場にあるなら当然とちゃんと答える。
テッドは試していたようで、逆に見極められていたことを知り眼を伏せる。羞恥もあったし、何よりカイルのたどってきた道というものは、テッドが考えてきたよりはるかに厳しく辛いものであったのだと知れた。試すこと、覚悟を促すこと自体テッドの驕りであったと。
テッドが聞いたようなことはすでにカイルの中で定まっていたことなのだろう。そうでなければあれほどすらすら出てくるはずもない。そして、それはテッドをして見事だと思わせる覚悟だ。テッドがそうありたいと考えていたことそのままだ。
それを見抜かれ、壮絶な実体験を交えての言葉に反論することさえできない。センスティ王国を支える懐刀として数多のやり手達と張り合っても、ここまでの敗北を喫したことはない。まして、敗れてもむしろ爽快だと思えるなどと。
「なるほど。お見通しというわけですね。いいでしょう、確かにわたしがここにいることは君の夢とも無関係ではありません。目的が合致するなら協力することもやぶさかではありません。辛いことばかりを聞いてしまい、申し訳ありません」
「別にいいさ。必要だと思ったんだろ? この国のためにも、自分のためにも。なら謝る必要なんてねぇよ」
「左様ですか。本当にかないませんね」
テッドが負けたことを言葉にもした瞬間だった。それはトレバースや同僚であるレナードにも意外なことであり、同時にカイルの後ろ盾が国になることとも同義だった。トレバースだけでもレナードだけでも無理だろう。テッドという存在がある限り、カイルに表立った助力などできない。だが、テッドまで認めたとなると、カイルを国としても全力で応援することが可能になったということだ。
トレバースはどこか安心したような笑みを浮かべた。最終決定権は自身にあると言っても、テッドに理詰めで諭されると、ついうなずいてしまうのだから仕方ない。
「カイルっ! あの時にはそんなこと言ってなかったではないか!」
「あの時ってのは王都の孤児達に説明した時か?」
「そう。子供達を最後の一人まで看取ったことは聞いた。でも、その後は聞いてない」
「言っても怖がらせるだけだろ? そんなふうに自分達を見てるやつがあんな事したなんて知ったら」
「知らないと防げないとも言っていたと思いますが、どうですの?」
「そりゃ知っておくに越したことはないと思うけど、知らないでいた方がいいことだってあるだろ。町ならともかく王都で黒幕と孤児が顔を合わせる機会なんてないと思うし、あれ、実際に見るとほんとに怖いんだぞ?」
「裏社会の連中でもそうそう恐れないカイルでもか?」
ダリルとしてはカイルがこれほど恐れるということの意味が理解できない。それほどまでに、何が恐ろしいというのか。
「裏の連中は元からそういう連中だって知ってるからな。でも、そういう人達ってのは俺達以外には人に頼られたり、人に親切で家族を愛し愛されているような、そんな評判も良くて人当たりもよくて人気があるっていう人物なんだよ。普段はそんな眼することなんてない。ただ、俺達を見る時だけその眼をする。だから、怖いんだろ。それが、その人の本質だっていうなら、普段のその人の全ては……偽りだってことなんだから。偽りの中で生き続けて、最底辺の弱者に対してだけ本質と本音を垣間見せる。そんなのって生きているって言えるのか? 俺は思えない。まるで冥界の亡者が人の皮をかぶってるみたいで、恐ろしいんだよ」
なまじ人の本質が見えてしまうから、感じ取ってしまえるからその恐れも強くなる。生きながら死んでいる、あるいは死んでいるのに生きて動いている。そのような不気味さと恐ろしさがあるのだ。
「うげ、そりゃ確かに嫌だなぁ。時々表裏が激しい奴は見かけるけど、確かに好きにはなれないよなぁ」
「だろ? そういうやつに限って人当たりはいいし、表向き俺達には友好的な態度を取るんだ。そいつが本性を現して俺を殺そうとしたのは、人目につかない路地裏のことだからな」
どうにか亡骸を弔い終え、茫然としていた所に、様子見に来たのか、あるいは朽ち果てた子供達の姿を見に来たのか領主が単独でやってきたのだ。もし領主に味方がいればカイルは逃げられなかっただろう。領主が周囲には誰にもその本性を見せていない証拠でもあった。
「表面と評判だけでは判断できないということか。難しいものだな」
カイルと共にいる以上、そうした眼も養わなければならない。そうでなければ剣として十全の働きができない。そう思い、キリルは人を見る眼を養っていく決意を固めていた。
「本当に危険に満ちていたのだな。カイルの日常というものは」
「まぁな。命の危機なんて三日に一度はあるし、月に一度は死にかけるし、年に一度は忘れられないくらい嫌な思いをする。今みたいに前向きな意味で大変ってのとは違うからな。ギルド登録してからは……あんま、変わんないかもしんないな。相変わらず命の危険はあるし、死にかけるし、嫌な思いはするし……あれ? これって俺に原因があるのか?」
思い返せば、ギルド登録をしてからも、生活の中の危機というものは減ったが、全体的な流れのようなものは変わっていない。相変わらず命の危機にはさらされるし、死にかけるし、嫌な思いはする。まさか、自分に原因があるのかとカイルは頭を抱える。
「む、無関係とは言わないが……カイルの言ったように不可抗力だろう。むしろ、ただ生きているというだけでそんな危機に陥らなくて済むようになったのは喜ばしいことだ」
「そうだな。そう思っとこ、じゃねぇとやってらんねぇ。俺は慣れてるっていっても、痛いのも辛いのも悲しいのも嫌なんだからな」
レイチェルの慰めにカイルも憮然とした顔で同意する。どのような環境にあってもトラブルや厄介事を引き寄せてしまう体質は変わらないようだ。
トレバースも波乱万丈過ぎる親友の息子の人生に、同情や悲嘆を禁じえない。我が子の有様や普段の生活を鑑みて、爪の垢でも煎じて飲ませたい気持ちだった。
少しは苦労や苦痛を知った方が、人の痛みや感情を理解できるようになるのではないかと。行動を改めてくれるのではないかと。せめて、友人として王子を矯正できないものかと。
「陛下、そちらは遠慮したほうがよろしいかと。おそらく彼と王子は水と油のようなもの、無理に混ぜようと致しますと、彼の苦労を増やすばかりかと」
だが、そんなトレバースの耳元でテッドがささやく。心を読んだかのようなタイミングと内容に、トレバースは内心ビクリとなる。だが、確かにもっともでもある。身内のことでまで、彼の手を煩わせるというのはどうなのか。ただでさえ苦労をしてきて、今もそんなことに関わる暇などないというのに。
ついつい、頼ってしまうところがある。このあたり、ロイドとよく似ていると思ってしまう。息子と同じ年齢なのに、とてもそんなふうに思うことができないでいた。だが、よく考えればカイルは成人もしていない十六歳なのだ。そんな子供に何もかもを背負わせてしまうなんて大人としても、父としても情けなさすぎる。
「ああ、そうだ。君に見せたいものがあったんだ。君はご両親の遺品などほとんど持っていないだろう? 貸したりあげたりはできないけど、見て触るくらいなら構わないからさ」
気分を変えるためにも、話題を変えたトレバースにカイルは不思議そうな顔を向ける。確かに両親の遺品など片手で数えるほどしか所持していない。だが、王宮に遺品と呼べるものなどあるのだろうか?
そう思っていたが、騎士団長からトレバースの手に渡され、机の上に置かれた後包んでいた布を外したそれを見て、カイルだけではなくレイチェル達も顔色を変える。
「これは、聖剣!?」
最近実物を見て触ったことのあるレイチェルが思わず声を上げる。まさかそのためだけに宝物庫から聖剣まで持ち出しているとは思わなかったのだ。
「悪いけれど、これの持ち出しには君の名前も使わせてもらったよ。視察での君の活躍や成長は誰もが知るところだからね。もう一度試してみるって言う名目でね。もちろん本当に試してもらって構わないけれど、彼にも見せたくてね。見覚えが、あるかい?」
剣聖筆頭であるレイチェルならば何度でも選別の儀のために聖剣に触れることが可能だ。特に成長目覚ましい昨今では、再び期待も高まっている。だからこそこの場に聖剣を持ち出すことができたのだ。
問われたカイルは、父が持っていた時には聖剣などとは知らなかった懐かしいとも思える剣に眼を細める。装飾は華美なものではない。むしろ、そこいらの貴族などが持つ剣の方がよほど美しいだろう。
鈍い銀色の鞘に、細やかな装飾はあっても宝石などが使われているわけではない。長さはカイルが打ち直してもらった剣とさほど変わりないほど。幅もそこまで大きいわけではない。通常の長剣と何も変わらない。
なのに、ひとたびこれを剣聖が振れば一撃で数十の敵を薙ぎ払い、海を割り山を砕くとも言われている。それほどの性能を有しているのだ。神界に住む神王様によって生み出され、人に授けられたと言われる奇跡の一つ。父が肌身離さず持っていた、剣だった。
「ああ、覚えてる。俺はその時、これが聖剣だなんて知らなかったから……父さんが大事にしてるってことだけ理解してた」
カイルはそっと聖剣に手を伸ばすと、表面の装飾をなぞるように指を這わせる。冷たくもどこか温かいような不思議な金属の感触が伝わってくる。やはり普通の剣ではないのだと今なら分かる。視線で手に取ってもいいか尋ね、笑って許可されたので手に取ってみる。
見た目よりもはるかに軽い。普通の金属ではないのだろう。ドワーフやエルフであろうと扱うことのできない金属と魔法技術。それによって生み出された、人界の宝だ。柄を握ってみると、かつての記憶もよみがえってくる。
「そういや、あんまりいつも身に付けてるもんだから、そんなにすごいのかと思って触ってみたことがあったな。父さんが風呂に行ってる間に、こっそりと。で、それでもよく分かんなかったから、こうやって確かめてたら、風呂から出てきた父さんに見つかって、スゲー驚かれてたっけ」
カイルは当時と同じように、聖剣を鞘から抜くと天井に向けて立てる。あの時も子供ながらに感動した。その鋭さと力強さと美しさに。父は死んでも、聖剣の輝きと美しさは失われていない。そうやって剣聖の手を渡りながらも、この剣はその力を失うことはないのだろう。使い手を失ったとしても。
そう考えると、少し感傷的な気持ちになるが、返事がないことに気が付いて、剣から周囲に視線を移す。だが、そこには昔カイルがこの剣を抜いた時にロイドがしたような顔と同じような顔をした面々がいた。正面を見ても、隣に座るレイチェル達を見ても、みな唖然とした顔のままで固まり、カイルと聖剣を見ている。
「? どうかしたのか? なんか、みんな父さんと同じような顔してるぞ? 別に今更俺が剣を握ったところで、驚くことでもないだろ?」
「あ、な、な、な、か、カイル? そ、それ、それは……な、なぜ……」
言葉になっていないレイチェルが震える指で剣を差してくる。カイルは首を傾げながら答える。
「それって、聖剣のことか? なぜって何がだ? そんな動揺するほどのものか、これ。確かに綺麗ですげー力はあるんだろうけど、剣聖以外にはただの鈍らだろ。父さんからも、持ち主以外には紙一枚切れないって聞いてるぞ?」
たとえカイルが剣の扱いを誤り落としたとしても、問題ないのではないか。剣聖以外には使えない剣なのだから。そういう意味を込めて言ったのだが、周りの反応は変わりない。カイルがいぶかし気な顔をしていると、ようやく立ち直ったのかテッドが口を開く。
「た、確かにそうです。聖剣とは選ばれし者以外には扱えない剣です。たとえ他者がその剣を握ることがあっても、何一つ傷つけることさえできません。で、ですが……そ、そもそもその剣聖とはどのようにして選ばれるのか、カイル君は知っていますか?」
「ん? んなの剣が勝手に選ぶんじゃないのか? 聖剣って言うくらいなんだから、こうビカーッと光ったりして。ちょっと見てみたいよな。レイチェルももう一度試せるんだろ? やってみてくんね?」
カイルは抜身の剣をレイチェルに差し出す。その眼には期待の光が宿っていたが、レイチェルはひきつった顔のまま両手をぶんぶんと振って身を引く。
「い、いや、無理だ。む、無理というより、そ、その……だな。カイル、剣聖候補者達が行う選別の儀というのはな、その、聖剣を……剣を鞘から抜けるかどうかを確かめるものなんだ。ぬ、抜けなければ選ばれなかったということで、その……ロイド様が死んでから今まで、聖剣は誰にも抜けなかったんだ……」
「は?! え、いや、だって……嘘だろ? 俺、三歳の時にもこれ抜いたぞ? そん時には持ち主で剣聖でもあった父さんが生きてたから事情が違うのかもしんないけど」
「い、いや……。剣聖が、持ち主がいる時にはなおの事持ち主以外には抜けない……はずなんだけど、君には抜けたのかい?」
「わ、割とあっさりと。三歳に成り立てのガキの力でも抜けたから……ただ剣を持ってたってだけじゃなくて、これ抜いたから父さんあんなに驚いてたのか? パニック状態で取り上げられたもんな。しばらくの間、体に異常はないかとか変なものは感じないかとか聞かれたけど、それもそのせいか?」
たかが剣を抜いたくらいで体に異常が出るわけないと考えていたカイルは、過剰なまでの父の心配に少々呆れていたのだが、抜いたこと自体が異常なのであれば無理もないかもしれない。そもそもなぜカイルに抜けたのか訳が分からない。
カイルはしばらく手元の剣を見ていたが、そっと鞘の中に戻す。それから、たぶん駄目だろうなとは思いつつ、愛想笑いを浮かべてトレバース達を見た。
「……えっと、見なかったことには……ならない、よな。俺、抜くことがそんな大それたことだなんて知らなくて……まさか、これで俺が剣聖、だなんてことには、ならない、よな? さすがに今はこれ以上は抱えきれねぇっていうか、その、務まらないだろ? 今の俺じゃ、たぶん、誰も納得しないだろうし……」
謹んで辞退したいところだ。腕を上げ、自信を付けてレイチェルのように剣聖筆頭を選ぶような大会で優勝でもすればこそ、自分自身もみなも納得もするだろうが。こんなぽっと出の、素性を隠している以上得体のしれない流れ者で孤児が、聖剣を抜きました、だなんて誰が認めてくれるだろう。
これを抜くために、剣聖になるために必死になって努力してきたであろうレイチェルをはじめとする剣聖候補者達に申し訳なくて仕方ない。知らなかったなんて言い訳にならない。事実、レイチェルは微妙な顔をしているし、トレバース達も困り果てたような顔をしている。
カイルとしても、ただでさえ色々と背負うものがあるのに、これ以上今の段階で背負うなんて無茶もいいところだ。もっと大人になって、もっと実力を付けたなら、それが必要だと感じたなら受け入れるし自ら望むかもしれないが、またしても成り行きのような形でこんな重要な役割を受け持つなんてことはできない。
クロを引き受けるのとはわけが違う。剣聖は人界にとっての希望になる。つまりは人界そのものを背負って立つということだ。今のカイルにそこまでの覚悟も実力もない。到底務まらないとしか思えないのだ。だから、ここはなかったことに出来ないだろうかと切望していた。




