裏社会の切り札
レイチェルサイド
レイチェルは会議室に集められた、そうそうたるメンバーと共に裏社会への手入れの打ち合わせを聞いていたが、どこか落ち着かない気持ちがしていた。なぜか、ここにいるべきではないような。もっと他に行かなければならない場所があるような。取り返しのつかない過ちを犯してしまったような、そんな心をざわつかせる気持ちを抑えられない。
それはレイチェルだけではなかったようだ。アミルはどこか物憂げな顔をして、ハンナはいつもよりボーっとしている。ダリルはコツコツと机を指でたたいて落ち着きがなく、トーマは耳や尻尾をぴくぴくパタパタさせている。机から上の見えている部分は平静そうなキリルは足が小刻みに動き続けている。
「…………お前ラ、随分落ち着きがないナ。まぁ、この中ではお前らが一番深い関わりがあるっちゃあるんだろうガ。焦るなヨ。相手はでかイ、そう簡単にはいかないんダ」
「わ、分かっている。分かってはいるのだが……」
レイチェルが代表して返すのだが、どうしても消えそうにない予感めいたものが落ち着きを失わせる。つい、思ってしまう。カイルはちゃんと家に帰れただろうかと。小さい子供ではないのだから、そんな心配などする必要など全くない。ない、はずなのに……。
「んじゃア、これまで探ってきテ、判明した闇についての情報を簡潔に話ス。どうやラ、奴らの隠蔽、大元になっているのは精霊、らしイ」
精霊と聞いてざわめきが起こる。レイチェル達も同様だ。なぜなら精霊を見ることのできる存在は限られている。
「どういうことですの? 精霊はわたくしのような精霊界に住むものでも高位存在であるハイエルフ、人界においては紫眼の巫女にしか見えませんし、意思の疎通も不可能なはずですわ」
「その辺のこと聞きたくテ、お前にも参加してほしかったんダ。精霊が自分から姿を見せることは可能カ、裏の奴らに進んで協力することはあるカ、どれ位力を振るえるかってとこヲ。それによっては作戦自体を変えないといけなイ」
アミルは打ち合わせの進行をしていた、中央区ギルドギルドマスターにして王都統括ギルドマスターであるエドガー=コラリスの質問を噛み締めて考える。特徴的な語尾で話すが、彼が獅子の獣人であるゆえに、牙が邪魔でああなってしまうらしい。
それよりも、アミル達ハイエルフにとって精霊とは近しき友だ。幼い頃から接し、学んできた。
「姿を見せることは不可能ではありませんわ。ただし、必ず依り代を必要といたしますの」
「依り代?」
「はい、精霊とは霊力より生まれ霊力により成長するもの。つまり依り代となりうるのは、強い霊力を秘めた物かあるいは人ですわ」
「なラ、精霊が見える奴らはそノ、霊力カ、が高いのカ?」
「そうなりますわね。ただ、魔力とは違い、霊力とは魂に根ざす力。つまり、魂ある存在は誰でも霊力を持っているのですわ。例外は魔物くらいですわね」
アミルの説明にみんな自分の胸に手を当ててみる。
「俺らでも、カ? 俺らにも精霊を見る可能性は有るのカ?」
「はい、みなさんにも霊力はありますわ。ただ、精霊を見るほどの、となるとなかなかおりませんの。霊力を伸ばすことは魔力を伸ばすことよりもずっと難しいのですわ。魂の力ですもの」
「じゃア、紫眼の巫女ってのハ……」
「生まれつき精霊を見るほど霊力が高い方、もしくは高く生まれその後霊力を伸ばすことに成功した方ですわね」
「もしかしテ、霊力ってのは清らかな心とカ、汚れない魂とかに宿りやすいのカ?」
「そうですわ。良いことをすれば精霊の加護があると言われるのは、精霊は清廉な心と純潔な魂を好む存在だからですの。そうした方の発する霊力が精霊を成長させるのですわ。逆に欲望に塗れた心や堕落した魂を厭い、監視してもおりますわ」
罪状の記録を精霊が行うのは、闇が光を食い潰してしまわぬよう見張っているためだ。自らを成長させる魂を守るためにも。
「ですので、とてもではありませんが自ら進んで力を貸すことなどあり得ませんわ。精霊にとっても憎むべき相手ですもの」
「その精霊が悪に落ちちまうことハ?」
「ない、とは言いませんわ。ですが、精霊界を含め人界の精霊も全て精霊王様の監視下にありますの。悪霊となれば連絡もあるでしょうし、周囲に影響も現れますわ。また、そうした場合高位の精霊が後始末をいたしますわ。ですので、悪に落ちた精霊がいたとしても人の手を煩わせることはありませんわ」
精霊の問題は精霊が解決する。必要以上に手は貸さない代わり、手を煩わせることもない。それが精霊だ。
「力に関しましては、精霊の力とは基本的に力を貸すことができる方当人にしか作用いたしませんの。魔法とは違う魔法にも似た効果の力のため、精霊魔法とも言われておりますわ」
「人にはそうでモ、精霊相手でハ?」
「同位では属性の相性もありますが、高位の精霊であれば他の精霊に影響を与えることは可能ですわね。目に余るようであれば、処分が下ることもありますが……隠蔽、となりますと闇の精霊ですわね。裏社会に闇の精霊が囚われておりますの?」
質問や最初に言った事柄を踏まえて考えるとそうなる。裏社会はどうやったのか闇の精霊、それもそれなりに高位の精霊を捕え、その力を何らかの方法で使役している。
「そうダ。これハ、俺の部下ガ……命がけで持って帰ってくれたもんダ。奴らのアジトの地下、奥深くに精霊が囚わレ、奴らの隠蔽と悪巧みに利用されてるらしイ、ってナ」
命がけ、というところでエドガーの顔が歪む。潜入し内情を探っていたが、あまり深くまで探りすぎたことで消されそうになった。命が尽きる前に隠れ家の一つまで逃げ帰り、そこにいた者に情報を残して死んだのだという。そこも、王都で最大の裏組織と敵対組織の縄張り内だったため、まだギルド上層部に秘密が知られたとは気づかれていないだろう。
その証拠に、彼らはアジトの移動や敵対組織への攻撃を行っていない。大方、秘密を探るためではなく、その秘密を奪うための工作員だと思われたのだろう。裏社会全体では公然の秘密であるのだろうから。囚われているのが闇の精霊なら、闇という言葉を隠語として多用しても怪しまれない。
今までどうやってギルドカードにまで細工していたのかと考えていたのだが、罪状を記録する精霊自体を騙していたのでは、さすがに気づきようがない。
「では、作戦の主な目的は、その闇の精霊を解放することか?」
レイチェルは早々に切り上げて不安を解消したいため、簡潔に問いかける。これまでの報告やそれぞれの紹介でもそれなりに時間をとっている。夜遅くなる前には確認に寄りたいものだ。
「そうだナ、最終目標はそうなル。できりゃ内情を知る奴を捕縛したリ、幹部を捕えたリ、元締めまで行ければいいんだガ……。無理なら、全員切り捨てる覚悟でモ、最悪闇の精霊の解放を目標にすル。そうすりゃ、あいつらしばらく大っぴらには動けなくなル。それだけで痛手だろうヨ」
レイチェルは同意のうなずきを返す。彼らが大手を振って王都や国家間を行き来できるのは、ひとえにそうした隠蔽の恩恵あってのものだ。その切り札を失えば、しばらく活動を自粛するしかないだろう。どれほどの実力者であろうと、精霊の目をごまかすことなどできないのだから。
「ですが……どうやって精霊を養っているのでしょうか?」
「精霊を、養ウ?」
エドガーはアミルがぽつりとつぶやいた言葉に反応する。アミルは周囲の注目を集めていることに少し姿勢を正してから、あまり知られていない精霊の実態について少し講義をする。
「精霊とは霊力により成長すると言いましたが、存在し続けるためにも霊力を必要とするのですわ。長く存在し続けた精霊が高位の精霊になっていくというわけですの。精霊界であれば魔力の他霊力も満ちておりますのでどこでも存在し続けることは可能ですが、人界ではその霊力は生き物頼りになりますわ」
命ある場所に精霊が多いのはそうした理由だ。霊力を生み出す存在が生物しかいない以上、それらの周りでないと存在できないのだから。
「そノ、裏社会の連中じゃ駄目なのカ?」
「難しいと思いますわ。汚れた魂は汚れた霊力しか生み出せませんの。その霊力を浴び続けますと力を失い、やがて悪霊となってしまいますわ。そうなれば元々の精霊としての力を失ってしまいますの。闇の精霊としての力が必要というのであれば、汚れていない霊力が……せめて汚れの少ない霊力が必要になるのですわ」
生きている以上、一片の汚れも負わずにいるというのはほぼ不可能だ。精霊にもそれは分かっている。だからこそより汚れの少ない魂を求める。だが、半分以上汚れに染まっているわけでなければ精霊達の糧にはなるのだ。
そのため、精霊に好かれている、精霊が周囲に多い人というのは汚れが少ない人であり、必然的に善良であるということなのだ。紫眼の巫女が汚れに近づかずにいられるのもこうした理由からだ。精霊が多い人以外には近づかない、ただし、神官を除く、といったような完全なものではないが。
「それ、まずい? もし、闇の精霊を維持するために……表から、人をさらってたら?」
レイチェルの背筋がゾワッとする。そして、それはカイルと深い絆を結んでいる者すべてに起こった。ハンナも、自身で言いながら鳥肌が立っている。先ほどから感じていた焦燥、それがもしこれに関係していたら? 闇の財政源でもあるだろう事業の一つをつぶしたレイチェル達、目を付けられていないということがあるだろうか。
二つ名を持つレイチェル達と未だ無名のカイル。狙われるとしたらどちらだ? まして、今はカイルにはレイチェル達がついていない。狙われたとして、無事に切り抜けられるだろうか? クロがいても多勢に無勢なら?
「……そういヤ、珍しい属性や魔力が多い奴を集めているらしいって話もあったナ。てっきり増員のためかと思ってたガ、そういう意味でもあったのカ?」
「……霊力と魔力は親密で複雑な関係にありますわ。魔力が高いからといって必ずしも霊力も高いとは限りませんが、逆に霊力が高い者は必然的に魔力も高い傾向にありますわ。紫眼の巫女がいい例かと思いますが、そうしたことから霊力の高い者を狙って魔力の高い者を探している可能性は、ありますわね」
ハイエルフが皆高い魔力を持つのもそのためだ。魂の力、その輝きでもある霊力が高いとつられるようにして魔力も高くなるのだ。これは生まれついての魔力の器が魂に霊力に左右されるからといわれている。魔力の器の成長は霊力などよりはるかに容易であるため、魔力量が増えても霊力が増えないということはよくあるのだ。
「なるほどナ。その霊力っていうのは魔力とは違って普通には分からないのカ?」
「精霊を見る者でなければ難しいかと思いますわ。ですから、魔力などで判断するのが近道ではありますわね……」
実際に裏社会がその方法をとっているなら、百発百中とはいかなくても、それなりに高い確率で霊力の高い者を見分けられる。
「属性は、遺伝や突然発現するものもあるから、たぶん別の目的。そっちは本当に勧誘かも」
本来の目的を隠すために、あり得そうなもしくは実際に行っている活動に混ぜてしまえば気付かれにくくなるだろう。珍しい属性というものはそれだけで希少価値があるし、裏社会にとっても利用価値が高い。ならば魔力が多い者も同じ理由で欲しているのかと思われる。まさか闇の精霊に捧げる餌だとは思わないだろう。
「なるほどナァ。なら、闇の精霊を解放する時ニ、もしかすると餌にされてるかもしれない連中を助ける必要もあるってわけダ」
エドガーは顎に手をやって考える。敵の殲滅だけならまだしも、解放に捕縛に救助となるとどれかは妥協せざるを得なくなる。緊急性が高く、人道的にいえば闇の精霊の解放と虜囚となっているかもしれない者の救助だろう。両者にはどちらも非はなく、被害者の立場にある。だが、これからのことを考えれば捕虜も欲しいところだ。
「部隊を分けてはどうだ?」
そこへダリルが声をかける。かつてダリルのいたような闇の世界。もし、そこにカイルが囚われるようなことがあれば、何を置いても助けに行かなければならない。
「表からの捕縛と陽動、裏からの解放と救助ってカ?」
「そうだ。どちらにせよこの人数では、主戦場になるだろう狭い室内では戦いにくい。路地が入り組んでいるならなおさらだ。迅速さを必要とする闇の精霊の解放やそれに伴うだろう生き餌にされた者の救助は、それだけを目指す方が成功率が高いだろう」
王都なだけあり、裏との繋がりが疑わしいような者達を極力省いても、百人近く集まっている。SS、SSS、Xランクの者達だ。SSは達人級、SSSは超人級、Xになると化物級、Zは世界でも二人しかいない災害級の猛者だ。
「道理だナ。デ、お前さんどっちに回りたいんダ?」
「解放と救助に」
「意外だナ。てっきり表に回るかと思ってたゼ。……以前のお前さんなら、ナ」
伊達にギルドマスターを名乗っているわけではない。きちんと相手の、内面の変化であってもとらえることができればこそだ。ダリルが帰ってきて以来、以前のとげとげしさがなくなって自然体になってきていることに気付いていた。
「……俺も昔、似たような闇の中にいたことがある。そこを出られてからも、どれだけ強くなって振り払おうとしても、追い払おうとしても付きまとっていた。そんな過去をちゃんと受け入れて、本当の意味で決別できた。だから、今その闇に囚われる者がいるなら今度は俺が救いたいと、そう思う」
「おおーウ? すげぇ変化だナ。以前のお前ハ、自分の周りにブリザードの壁でも張ってるみたいだったのニ。一転してマグマみてぇになりやがっテ」
目に見える冷たい壁が消え、見えない内面で煮えたぎる熱い思いがわき続けている。そんな変化をもたらしたのは、その可能性があるのはエドガーの脳裏に一人しか浮かばなかった。そして、それは打ち合わせが始まってからも終始落ち着きのなかったレイチェル達全員に共通する人物ではなかろうか。
ダリルの変化に驚いていたのは、以前ダリルと面識はあったものの話すことはなかった者達を含め噂だけで知っていた者など集まった者全員だ。氷の刃とまで二つ名のついていた者とは思えない。今では触れたら凍るのではなく溶かされそうだ。
「自分を受け入れられない者に、他者を受け入れることはできないと実感しただけだ」
「なるほどナ。デ、それを気付かせてくれたのガ、あの新人カ?」
「何を……」
「気付かないと思うカ? 視察から帰ってきたお前達ハ、立場や身分を超えてパーティを組んだかと思えバ、一人の新人にかかりっきりダ」
エドガーの視線がキリルに向く。キリルもまた、王都でもそれなりに名の知られている二つ名持ちだ。祖父が高名であることもある。
「確かニ、引き抜いてきた奴の育成は義務みたいなものダ。だガ、お前達は誰一人としてそれを嫌がっちゃいなイ。むしロ、嬉々として付き添イ、本気でしごき倒していル」
第三者の視点から自分達の行動を指摘され、レイチェル達は今さらながらどれだけ自分達が盲目的にカイルに寄り添っていたかを知る。
確かに端から見れば異様な光景に見えたのだろう。カイルが周囲の視線を全く気にしていなかったので、レイチェル達も自分達を見る目に気付いていなかった。
もし、そこに悪意が含まれていたらと考えると、ゾッとする。自分達のせいでカイルが傷つけられるなど、あってはならないことだ。




