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レスティア物語  作者: マリア
第二章 王都センスティア
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テリーの闇の胎動

 子供達の宿泊室からはギルドの裏口の方が近いため、カイルはそちらから外に出る。今日はこのまま寄り道せずに店に帰るつもりだった。レイチェル達が安心して事に当たるためには、カイルの安全が保障され、居所がつかめている方がいいだろうという判断からだ。

 だが、裏口を出てしばらく行くと前方の通りに見知った影を見つけた。朝、子供達のところに顔を出した時には見なかった顔だ。カイルは少し驚いたが、テラに魔力回復薬を託したことやその後の約束などもあり、立ち止まると声をかける。


「どうかしたのか? テリー」

「ちょっと、話があるんだ。歩きながらでもいいから、聞いてほしい」

「……分かった」

 カイルは中央区のギルドから寝泊まりしているテムズ武具店までの道中でテリーの話を聞くことにした。テリーはカイルの少し前を歩きながら、俯いたままで言葉を紡ぐ。


「俺、悔しかったんだ、と思う。俺には、みんなを助けられなかったのに、兄ちゃん達はあっという間にみんなを助けてしまったから」

「あー、まぁ、そうだよな。俺だってテリーの立場ならそう思う」


 もしあの時、同じようにカイルがみとった子供達を助けてくれる人がいれば。カイルは感謝はするだろうが、同時に悔しさも感じただろう。その悔しさは相手に対するものというより自分自身に対するものだ。テリーも自身の無力が悔しかったのだろう。

「その後も、俺が知らないことや気付かなかったことを教えてくれて、俺、みんなのリーダーだったのに、ちゃんとみんなを守れてなかったって分かって」

「これは経験にもよるからな。歳だって俺が四つ上だし」


 テリーやテラはまだ十二歳。カイルだって十二歳の時になら、これほどまでちゃんと考えて行動できたかは分からない。テリーはテリーなりにみんなをまとめて、必死に助けようとしていた。自ら手を汚す覚悟をしてまで。

「兄ちゃん達が上の人に話を通してくれたおかげで、みんな安心して眠れる場所ができた。それに、仕事だって少しずつうまくできるようになったし」

「それはレイチェル達のおかげだな。ギルドも協力してくれたし、何よりお前ら自身が頑張ってるからだ」


 国王様に話を通してくれたのはレイチェルだし、その後のもろもろの手配は国王様やその側近達の手腕によるものだろう。そして、仕事がうまくいき始めたのは子供達が頑張って取り組んでいるからだ。

 だが、カイルが答えるたびに、テリーは肩を震わせていく。そして、店の近くの通りまで来るとカイルを振り返った。その顔は、理解を示されて喜んでいるのではなく、怒っているようだった。


「なんでだよっ! なんで怒んないんだっ!! だって、俺はっ、俺は、兄ちゃんの事勘違いで殴って、謝ることもできてなくてっ、それに、それに……ずっと、兄ちゃんを避けてきたのに」

「なんでって言われてもな。怒るには怒ってたぞ? ただ、それをお前にぶつけるだけじゃお互い傷つけあうだけだろ? 最初に見た時から、お前どっか無理してるみたいに見えて、だからちゃんと吐き出させたほうがいいとは思ったけど。みんなの前では謝りにくいだろうし、つい避けちまう気持ちも分からんでもないからな」


 カイルの言葉に、テリーは泣きそうな顔になる。苛立ちや胸の中の消化しきれない感情をただぶつけただけのテリーとは違う、あまりにも大人であり人間的に大きな対応。なぜこれほど違うのだろう。同じ境遇であるはずなのに、同じような、もっとひどい環境で育ってきたはずなのに、なぜテリーよりも優れているのだろう。


 だからだろうか、だからテラはテリーよりもカイルを選ぶのだろうか。だからテラはテリーには悲しそうな顔ばかりを見せるのに、カイルには嬉しそうな幸せそうな笑顔を見せるのだろうか。

 闇に迎合することを選択してでも取り戻そうとしたのに、それでもずっと葛藤の中にあって最後の一歩が踏み出せないでいたテリー。そんなテリーに闇はささやき続けていた。テリーは耳をふさぎながら、いつしか闇の言うことに逆らえなくなっていた。


 闇に言われたように、テラを通じて闇から渡された魔力回復薬をカイルに渡る様に仕向けた。テリーはそれがただの魔力回復薬ではないだろうことは分かっていた。それがカイルにとって闇への入り口につながるであろうことが理解できた。それでも、テリーは胸の内を隠しながらテラに多くを語らずに薬を手渡した。


「薬……テラからもらった?」

「ん? ああ、テリーからだってな。ありがとな、俺も買って使ったことあるから分かるけど、これって結構高いだろ? 相当頑張ったんじゃないか?」

「……俺には、それしか思いつかなかったから」

 それ以外に選択肢などなかったのだから。テリーは顔を伏せたまま、通じているようで微妙にすれ違っている会話を続ける。カイルは気付いていない。それはテリーが働いて稼いだお金で手に入れたものではない。闇の誘惑に乗って、手渡されたものだということを。


「今日も、みんなのところ行ったんだろ? テラは……テラは俺のこと、なんて言ってた?」

「んー、お前なりに色々考えて頑張ってるってさ。だから、俺とお前が仲直りしてくれりゃ嬉しいって言ってたな」

「仲直り……そうすれば、テラは……心置きなく?」

「ん? なんて言ったんだ?」


 仲直りすれば、テラは心置きなくカイルについて行くことができるのだろうか。幼馴染であり、ずっとそばにいた。いつも一緒に行動して、いつも隣にいたテリーを置いて、テラはカイルのそばを選ぶのだろうか。仲直りしてほしいのは、そのためのけじめだろうか。


 口の中だけでつぶやいた言葉は、カイルには聞こえない。ただ、俯いた視線の先に見えるカイルの使い魔であるというクロだけがテリーを探るような目で見ていた。テリーがカイルを簡単に闇に引き渡せなかったのはこの使い魔の存在がある。

 闇もなかなか鋭い感覚を持つ獣だと評価していた。闇がカイルのことを見ようとすると必ずこの使い魔が気付いて視線を向けてくるのだという。だから長く観察することができず、悔しいと言いながらとてもうれしそうに笑っていた。まるで、難しいこと自体がひどく楽しいことであるかのように。


 今日、こうしてカイルを誘う前にも闇はカイルを見ていた。そして、それはテリーも一緒だった。そこでテリーは見てしまった。カイルに頭を撫でられ、見たことがないくらい赤くなって慌てているテラを。

 少女ではなく、一人の女のような顔をしてカイルに向き合い、好きだと、大好きだと言ったテラを。ずっと一緒にいたいと言い、隣にいてほしいと願った最愛の少女を。裏切られた気がした。ずっと支えてきたのはテリーなのに、命の危機を救われたからと簡単に乗り換えた。テラはテリーの気持ちを知っているはずなのに。


 そして、カイルは何と答えた? 自分も頑張らないとと答えた。何を頑張るつもりなのか。テラが心置きなくカイルについて行けるように、テリーと仲直りをすることを? テリーの居場所など一つもなくなってしまうようにすべて奪ってしまうことを? カイルだって、これほど人の気持ちの機微に鋭くてテリーの気持ちに気付いていないわけがない。


 ならば二人してテリーを騙し、裏切り、そして馬鹿にしているのだ。テリーが気付いていないと思って。テリーのいない場所でこそこそと顔を合わせて、触れ合って。もしかしたら、テリーが知らないだけで二人は大人の関係なのかもしれない。

 テラは、孤児院を出たばかりの頃テリーが目を離した隙に襲われ、綺麗な体ではなくなった。それに、カイルも、ずっと裏通りで生活していて経験がないということはないだろう。ならば、二人がそういう関係になることもあり得なくはない。


 カイルに触れられて、あれほど赤くなったのはその時のことを思い出したからではないのか? あんなに幸せそうな顔で笑ったのは、それがテラを満足させ本当の意味で女にしたからではないのか? 視界に映るカイルの右手。テラの頭を撫でていた、テリーなんかよりずっと大きな手、大人の……男の手だ。

 あの手が頭だけではなく、テラの全身を触ったのだろうか。テリーでさえ触れたことのない場所を、テリーでさえ見たことのない場所を、テリーでさえ感じたことのない場所を、くまなく知っているというのだろうか。

 ゾワリとテリーの中でため込んでいた負が、闇がうごめいた気がした。それは瞬く間にテリーを飲み込み、そして、最後の一歩を踏み出させた。いや、踏み外させた。


「薬、飲んだのか?」

「ん、まだだけど?」

「……飲まないのか? それとも、俺が信用できないか?」

「何言ってるんだ、テリー?」

「俺が、俺があんたを嫌ってたから、飲めないんだろっ!」

「んなわけねぇだろ。帰ってから飲もうかと思ってたんだよ。飲むとちょっとふらついたりするから」


 魔力回復薬は急速な魔力生産を促すがゆえに、”魔力酔い”も引き起こす。カイルの場合、それは比較的軽度だが、仲間がいない時に町中でふらつくのは遠慮しておきたい。使い魔であるとはいえ、クロに運んでもらうのも情けない。

「だったら、証明してくれよ」

「証明?」

「あんたが、俺を信じてるって。俺が用意したものでも、飲めるって。そうしたら、俺も、あんたを信じる」

「そうすりゃ、また、前みたいにみんなとも仲良くできるのか?」

「俺だって……俺だって、あいつらとは仲間なんだ。俺だってあいつらを助けたい、支えたいんだ」


 この思いは、たとえ闇に堕ちようとテリーの中に変わらずある思いだった。だから、カイルがテリーの顔を覗き込んできても真正面から見つめ返すことができた。カイルはじっとテリーの顔を見ると一つため息をつく。これはどうあっても飲まないことには始まらないらしい。

 テラからのお願いや約束もあるし、テリーの気がこれで晴れるというなら少々酔っぱらうくらいのことは我慢しなければならないだろう。未成年ながら酒の味を知り、しかもざるの上二日酔いを経験したことのないカイルにとって、魔力酔いこそが酔いの代表格だった。


 カイルはポケットからテラから渡された薬を出す。クロがカイルに寄り添い、少し心配そうな顔を向けてくる。最近は言葉だけではなく、こうした仕草でもクロの気持ちが分かるようになってきた。それだけ絆が深まり、相棒としてお互いに分かり合ってきたということだろうか。

 カイルは一つ深呼吸をすると、瓶の蓋を開ける。中からは嗅いだことのある、薬特有の甘いような苦いような香りが漂ってくる。味も似たようなものだ。カイルは覚悟を決めて、一口であおった。それが何をもたらすのか、テリーの真の闇の深さを知らないままに。


 普段なら、飲んですぐに胸の奥が熱くなるような感じがして生産の加速が始まる。だが、今度はなんだか冷たいような感触がした。不思議に思ったカイルだが、頭の中に響いてきたクロの悲鳴のような呻きに慌てて視線を落とす。

<ぐあっ……か、カイル。これはっ、に……逃げよ>

「クロっ! なっ、何が……あ、えっ?」


 まずクロが足の力が抜けたかのように地面に倒れ伏した。何が起きたのか、ピクリとも動くことができなくなっている。思考もまとまらないのか、あれ以来声も聞こえてこない。驚いて、しゃがみ込もうとしたカイルだったが、突然全身を襲った感覚に、クロの後を追うように地面に倒れこんだ。


 まるで、全身を動かすための神経を根こそぎ引き抜かれたかのような、あるいは一瞬で全てを断ち切られたかのような。痛いというより、ただひたすらに苦しい。息はあがるのに心臓の鼓動は小さくなるような、何より異常なのは生まれてこの方常に感じていた魔力。体内を満たし、あらゆる面で命を支えていたもう一つの命脈。それを、一切感じることができないことだ。


 倒れたクロを見てとっさに回復魔法をかけようとした時も、自身が倒れてそれを治療しようとした時も、何も手ごたえを感じることができない。魔力感知をしてみても、その存在を感じ取ることが……できない。

 何が起きたか分からず、混乱するカイルは、それでも必死にクロの確認をしようとする。魔力が感じられないということは、クロとつながっていたパスはどうなった? パスが切れたりしたらクロはどうなる? あの時ピクリとも動かなかったのは、まさか死んでしまったからなのか。


 そんなはずはないと必死に霞む視界をさまよわせ、黒い体が見えた方に右手を伸ばす。まるで自分の体ではないような重さだが、どうにかクロの前足に触れることができた。体温は、ある。鼓動は、かすかだが感じる。耳を澄ませてみれば、細い途切れそうな呼吸音も聞こえてくる。生きてはいるようだ。


 ではなぜ、クロがこんなダメージを受ける? クロのダメージはカイル以上のようだ。いや、もしかしたらカイルが受けるはずだったダメージも、クロが引き受けているのか。クロの方が先に症状が出たなら、パスが途切れる前にクロが自分の意志でそうした可能性もある。カイルを、逃がすために。

 だが、それでもカイルの受けるダメージを軽減しきれず、こうして身動きが取れなくなっているのか。そして、カイルはこうなった原因を考える。いや、考えるまでもない。テリーがテラに託し、そして試金石としてカイルに飲ませた魔力回復薬……に見える別の何か、だ。


「くっ……う、て、テリー? な、何を……飲ませ、た?」

 言葉を発するだけで苦しさが増し、冷や汗が浮かんでくる。

「あれ? 中身なんて俺は知らない。ただ、あんたに飲ませろって言われたから、テラに渡してあんたの手に届くようにしただけだ」

「テリー?」


 どこか軽薄な、それでいてひどく陰鬱にも聞こえるテリーの声がカイルの頭の上から聞こえてくる。直ぐ近くにいるというのに、テリーには倒れるカイルやクロを助ける気などないようだ。いや、薬を飲ませたのがテリーだというなら、これからが真の目的を果たす時ということだろう。

「……いい気味だ。あんたが悪いんだ。あんたが俺の手柄を奪うから、俺の地位を奪うから、俺の仲間を奪うから……テラを奪うからだっ!」

「ち、違……テリー、お、俺は……テラ、は」

「あんたが、テラの名を口にするなっ!!」


 テリーはクロの前足をつかんだままだったカイルの右手を踏みつける。カイルはテリーが足を上げている間にクロの前足を離し自分の手から遠ざけた。そして、テリーは何度も、何度もカイルの右手を踏みつける。

「テラのそばにいていいのは俺だけだ。テラに笑いかけてもらえるのは俺だけでいい。テラに触れられるのは俺以外にいないんだっ!!」

 テラの頭を撫でた、あるいはもっといろいろな場所に触れたかもしれない右手を消してしまおうとするかのように。力いっぱい、踏みつけ、踏みにじり、踏み砕く。

「あ……くっ、う……づぅ」

 カイルから漏れる小さくも、辛そうなうめき声が心地よくて仕方ない。薄汚い間男を、人の、テリーのものであるテラを横からさらっていった卑劣な男を、決して敵わないと言われ続けてきた魔力持ちを、こうして這いつくばらせて踏みつけることができる。

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