カイルの過去
「すまなかったね。ずっと慣例として続けられていたことだし、実際に裏通りの人間が起こす犯罪は多いから。それだけですべての人がそうだと判断してしまっていた。表だって人それぞれだというのに」
「じゃあ、ちびどもが十歳になったら……」
「ああ、子供達だけじゃない、更生しようとしている者なら、面接や裏どりをするがギルド登録を認めようと思っている。むろん、手数料や保証人なしでね」
「ん? じゃあ、こいつもか?」
グレンがカイルの背中をバシンと叩く。カイルは顔をしかめるが、同時に期待したような顔を向ける。銀貨三枚となると何か月ただ働きしなければならないか分からない。ギルドで稼げたとしても、最初の内はランクも報酬も低いためあてにならない。だが、登録を無料で行えるなら働いた分は給料として自分の取り分になる。
「そうだね。今までの慣例を覆すことになるから最初は慎重に行うためにこっちに来てもらったんだ。色々と聞きたいこともあるし、登録のために調べなければならないこともある。この町の子ならすぐに分かるんだが、カイル君は流れ者でもあるだろう?」
トマスもカイルの動きに最初は不審を募らせていた。トマスがギルドを統括する町で何かよからぬことを企んでいるのではないかと探らせていたのだ。ところが、その監視の結果判明したのは、カイルの孤独な戦いと路地裏の子供達の現状。
トマスが知っていた情報とはまるで違う、あまりにも厳しい現実だった。その中で必死にあがいている子供達やカイルの姿を見ているうちにギルドの長を名乗るにはあまりに狭量であったことを思い知らされた。
必死で生きていた子供達を、犯罪者予備軍としてしか見てこなかったことに。無作為に無意味に殺される子供達を見て見ぬふりをしてきたことに。そして、子供達がまっとうに生きていく術さえ与えられていないことに気付くことさえできていなかった自身の至らなさに。
「まあな、あちこち転々としてきたことは確かだな。国中ぐるぐるしてたよ、五歳の時から」
「五歳!? そこから今まで生き延びてきたと?」
「まぁ、一応九歳までは面倒見てくれる人と一緒だったけど。五歳の時からその日暮らししてたのは間違いない」
「その人は今どうしてるんだい? それに、なぜそんな歳でそんな暮らしを……親は? ああ、そういえば君の名前もちゃんと聞いていなかったね」
トマスは予想外にカイルが幼い時からこんな境遇にあったことや、それでなおこの歳まで生き延びたことに驚いていたが、気になっていることを聞く。まずは基本的な情報から埋めていかなければならない。
「これがギルドに入るための面接ってやつ? でも俺、丁寧な言葉なんてつかえないけど……」
「言葉は気にしなくていいよ。その人となりと、一応経緯や簡単な過去は知っておかないといけないがね。住民登録があるならある程度分かるんだが……取り寄せるとなると時間がかかるからね」
面接で聞いた内容が正しいかどうかは、あとでも調べられるということだ。その結果嘘をついていたことが分かれば信用を失うことになるだけでデメリットしかない。
「俺の名前はカイル=ランバート。生年月日はキッツ暦425年、一の月十七日。先々月十六になった」
「十六!? もっと上じゃないのかい?」
「ちゃんと毎年数えてたから間違いないと思うけど……。一応八歳までは一緒にいた人にお祝いされてたし。一人になってからは自分で忘れないように数えてたからな」
せめて自分だけでも名前や歳や生まれた日のことを覚えていなくては誰が覚えていてくれるというのか。だからこそ、カイルは毎年きちんと確認していた。
「十六歳……まだそんな歳だったなんて」
アリーシャは見た目よりずっとカイルが若かったことに気付いて息を詰める。それだけ苦労してきたということなのだろう。早熟にならざるを得ないほどに。
「出身地は、たぶん辺境にある村のポルヴィン、かな」
「たぶん?」
「教えてもらっただけだからな、元々住んでた場所のことは。断片的な記憶なら残ってるけど」
「そうか、五歳なら無理もないだろうね。その、親は?」
「……母さんは俺を生んですぐに死んだって。父さんも村の外での仕事が多かったからほとんど一緒に暮らした記憶はない。年に何回か帰ってくるくらいだった。で、俺が四歳の時に死んだって」
「事故か何かで?」
「母さんは病気だったって聞かされてるけど、たぶん俺を生んだせいだと思う。元々あんまり体が強い方じゃなかったみたいだし、産後の肥立ちってやつが悪かったんだろうなって」
カイルに気を使って誰も本当のことを言わなかった。だが、言外に込められた意味を人の感情に聡いカイルが気付かないわけがない。裏通りでも産後に死ぬ女達を見てきたことで、自身の母親に起きた出来事も想像がついてしまった。
「それは……残念だったね」
「……父さんは忙しい人でさ、いろんな人にあてにされてたっていうか、父さんじゃなきゃいけない仕事があったみたいでな。なるべく俺と一緒にいたかったみたいだけど家を空けることが多かった。だから俺は母さんの世話係をしていたジェーンさんに育てられたんだ」
「世話係? お母上はどこかの令嬢だったのかい?」
「あー、そっか、そうなるんだよな。言わなきゃいけないよなぁ」
「何か問題があるのかい?」
「問題っつうか、大問題っていうか。まあ素性をはっきりさせるには必要なんだろうけど、がっかりするなよ? それに、できるなら他の人には言わないでほしい」
「それを知られるとまずいのかい? 敵がいるとか」
「敵は……いるかもな。父さんの仕事の関係で。父さんも普通の死に方じゃなかったから」
「普通じゃない死に方?」
「厳密にいえば事故ってことになるんだろうけど、殺されたも同然だよ、俺にとっちゃね」
尋常ではないカイルの様子にトマスだけではなく、これから身元引受をするグレン夫妻も息を飲む。予想以上に複雑で、難解な過去を持つカイルの言葉を待つ。
「母さんの名前はカレナ=レイナード、聞いたことないか?」
「カレナ……レイナード、…………! ま、まさか、あの?!」
「何だ、トマス知ってるのか?」
「グレンは知らないのか? 二十年ほど前まで世界的に名をはせていた、紫眼の巫女の名だよ。婚姻して、引退したと聞いていたが……」
「まさか、カイルの母親はその?」
グレンの言葉に驚いたままトマスが答え、アリーシャはまじまじとカイルの顔を見る。
「そうらしいな。父さんと結婚して田舎に引っこんだみたいだ。ジェーン=アラドナって言うお世話係だった人と一緒に。ジェーンさんは昔母さんに助けてもらった恩があるとかで、ずっと体の弱い母さんの世話をしてくれてたみたいだったから。紫眼の巫女としての役割を終えても、一緒にいるって言って付いてきたみたいだな」
「なるほど、それで世話係が……。だが、カレナ様が浮名をはせた男性なんて……!」
「父親はロイド=ランバート。今はロイド=アンデルセンなんて気取った名前で呼ばれるらしいけどな」
「ロイド=アンデルセン……かの、英雄。剣聖ロイドが君の!」
「剣聖なんて損な役回りだって、しょっちゅうぼやいてたけどな。そのせいであちこち行かなくちゃいけなくて、俺と一緒にいられないって、辞めようかなんて言ってたし」
「で、では、君の父親が亡くなったというのは」
「人界大戦、その終結の時だよ。みんな、スゲー喜んでたけど、でも俺は喜べなかった。父さんが二度と戻ってこないってことを知らされたんだからな」
歓喜の波に包まれた人々を思い出すたびに、カイルの胸は痛みを訴えかけてくる。取り返しのつかない喪失感と共に。
「な、なぜ、なぜ英雄の息子が、剣聖の息子が浮浪者の流れ者として生きているんだい!? なぜ、君は……」
「父さんは俺の存在や母さんの居場所を隠してた。母さんの死さえ公表しなかったくらいだ。村を出ることになって、ジェーンさんは近隣の村や町に保護を求めたみたいだったけど信じてもらえなかったって。ジェーンさんが母さんの世話係だったっていっても、たくさんいたうちの一人だし名前もあまり知られてない。親しく付き合いがある人じゃなきゃ顔も分からない。それに、当時は大戦後の混乱でみんな疑心暗鬼になってた。あちこちで著名人の身内を騙って保護を求める人達もいたから。話を聞くことも身の証を確認することもなく追い払われたみたいだ」
「そんな……、本来なら真っ先に保護しなければならないものを……。なぜ、ロイド様は君のことをひた隠していたのか。英雄の息子と知られていればそんな苦労はしなかっただろうに」
「真意は想像するしかないけど、父さんは剣聖になって有名になって、その煩わしさとか辛さとかも知ってたんだと思う。母さんも有名だったからなおさら。そんな有名人の子供ってなれば、周りが放っておいてくれないだろ。だから、人の少ない辺境の村で、国と取引してまで俺に普通の静かな暮らしをさせたかったんだと」
ロイドが剣を取ったのは、次世代の子供達が剣を取らなくてもいいような世界を作るため。平和な世界で平穏に生きていくことができるようになるためだ。だが、予想以上に有名になってしまったために、肝心の自身の息子がそういった生活を望めなくなってしまった。下手をすれば利用されることにもなる。
そんな危険や人の悪意から遠ざけるために、カイル達のことは国によって秘されていた。だからこそロイドはカイルと長くいることも、頻繁に帰ることも許されなかった。
「矛盾してるよな。普通の暮らしって言いながら、母親も父親もまともにいないんじゃ孤児と変わらないっての。でも、家があってまともに食ってけるだけで幸せだったんだなって今なら思うけどな」
「なぜ君は五歳で村を出ることになったんだい? 一体何があったというんだい?」
五歳で住み慣れた家を離れるなんてことはそうそうあるわけがない。ましてや路上生活にまでその身を落とす何があったというのか。
「俺が盗みを働いたから」
「なっ!」
「って、表向きにはなってるらしい」
「表向き? なんだそりゃ、裏があるってことか?」
「そうだよ。たとえ秘密だって言っても、村の連中にまで秘密にしておくわけにはいかないだろ? その分国から補助金みたいなのが出てたらしい。父さんの敵が襲ってくる可能性もあるからって意味でもな。それに、俺にもその補助金は出てた。父さんの稼ぎや母さんと父さんのたくわえだけでも相当あったけど、英雄の家族にそれくらいはしなきゃ顔向けできないってな。父さんが死んだ責任の一端は国にもあるからって」
本来なら国が保護して育てるべきだったかもしれない。だが、それではロイドが取引をしてまで守ろうとしたカイルの生活が脅かされてしまう。だからこそ国は補助金として生活費を援助するにとどまり、カイルの生活に触れることはなかった。そのせいで、今まで気付かれなかった。ロイドが守ろうとしたものが、とっくの昔に失われてしまっていることに。
「実際、辺境にあるってこともあったかもしれないけど、人界大戦で俺がいた村は三回襲撃を受けてる。犠牲者は千人以上。村の人達の三分の一が死んだ」
ここペロードの町は首都からそう遠くないが、目立った特色もないためか、人界大戦では被害を受けていない。だが、その被害のすさまじさと死んだ人の多さだけは伝え聞いていた。残された傷跡の悲惨さも。
「みんな思ったんだろうな。こんなに襲撃を受けるのも、そのせいで人が死んだのも父さんの……剣聖の息子が村にいるからだってな」
誰も口には出さなかったが、目はそう語っているように思えて、カイルは村の中を歩くことを辞めた。被害者の埋葬や壊された建物の片づけは手伝うが、必要ない時に村に行かなくなった。行く時も常にジェーンと一緒だった。そうでなければ何をされるか分からなかったのだ。
「そんな! それは、君のせいじゃ……ましてロイド様のせいでも」
「身内を亡くしてそんなふうに冷静でいられる奴なんていないさ。まして、俺は元々村の奴らからは一歩引かれてたし」
「どうしてだい? 剣聖の息子ってなると、みんな憧れるだろうに」
「そりゃガキどもはな。俺の家に遊びに来ると、おやつももらえたからこぞって来てたさ。でも、大人はそうは思わない。自分達と同じ村に住んでるのに、自分達とは比べ物にならないくらい贅沢な暮らしをしてるって映ってたみたいだな」
村の人達もロイドがいる時には愛想よく対応していた。ロイドのおかげで町に補助金が出ていたのは確かだからだ。それにロイド自身は普段村におらず、その暮らしぶりを見ていないこともあった。自分達とは住む世界の違う人だと思われていた。
だが、カイルは違う。同じ村で同じように暮らしながら、同じではない。それが不満の種だったのだろう。
「けど、俺に手を出せばただじゃすまない。何せ剣聖の息子だからな? でも、父さんは死んだ。死んで残ったのは立派な家と、二人が残してくれた潤沢な蓄え、それに国からの十分な補助金。三回の襲撃を受けて疲弊して憎しみを募らせてたやつらが、いつまでも放っておくと思うか? 住んでるのは五歳のガキと弱そうな世話係だけだぜ?」
「まさか、それで罪を捏造して財産を奪ったのかい?」
「……命を奪わないでいるだけありがたいと思えってよ。父さんがいなくなれば、俺を置いておく理由なんて何もないって、俺には何の価値もないってさ。今までおいてやった家賃や迷惑をかけた手間賃としてありがたくもらってやるってさ。んでもって、よく遊んでたやつらからは石やら棒切れやら投げつけられた。人殺しの息子だとか、泥棒だとか罵られて。で、ほぼ着の身着のままで追い出されたってわけ」
英雄の息子がたどった信じられない経緯に誰もが声を失う。辺境だからこそ起きた排他意識や一体感が拍車をかけたのだろう。
「で、なんかあった時のために森に隠しといたわずかな金や荷物を持って村から離れたってわけだな。この剣とか指輪とかネックレスはそん時持ち出せた、唯一の遺品だよ。それ以外の父さんや母さんの遺してくれたものはみんな、な」
カイルは普段からしている、第二関節まである指ぬき手袋を外して孤児に似合わない装飾された指輪や、服の下に隠しているネックレスを見せる。そして普段から腰に下げている剣を持ち上げた。
「そういや、お前、似合わねえほど立派な剣を持ってるとは思ってたが……これはその、父ちゃんが、か」
「ああ、四歳の誕生日プレゼントにってくれたものだ。俺が剣を持たなくてもいい世の中を作るって言ってたくせに、いざ何か贈ろうとすると思い浮かばずに剣を選ぶところが父さんらしいと思ったけどな」
グレンはカイルから受け取った剣を引き抜き、つくりや銘を確かめる。
「こいつぁ……間違いねぇな。ドワーフの名匠ディラン=ギルバートの作だ。おやっさんは気難しい質で、気に入った奴のためにしか剣を打たねぇ。カイルみてぇなガキが気安く持てる剣じゃねぇよ」
「ガキで悪かったな。ま、こいつがなかったら死んでた場面も多いし、遺品だから売れなかった。ちょっとは信憑性が出てくるだろ、俺の話にも」
「で、ではその指輪やネックレスも何か証になるのかい?」
「指輪は母さんが使ってたもので、ネックレスは母さんが俺が生まれることに際して、父さんと揃いでくれたらしい。どっちも魔法具だから、魔力流せば使える代物だ」
魔法具と聞いてトマスやグレンの見る目が変わる。魔法具は作成が難しく、そう気軽に持てるものではない。まして、魔力を流せば相応の作用をするため、魔力がある者には重宝されている代物だ。
「どういう効果があるか聞いてもいいかい?」
ただし、魔法具はその効果を秘することも多い。切り札ともなるものをそうそう気軽に明かせないだろう。
「いいけど、秘密にしてくれよ。ジェーンさんとの約束でもあるんだ」
「世話係の人との、か。その人は」
「俺が九歳の時に病で死んだ。ずっとまっとうな生活をしてきたジェーンさんには耐えられない暮らしだったろうし、俺に不自由させたくないって無理してたみたいだからな。俺が八歳の時に体調を崩して、寝込んだりよくなったりを繰り返してた。そっからは俺が主になって稼ぐようになったけど、ガキにできることは限られてる。で、いよいよヤバくなって、それで初めて盗みをやった」
それまでは、いくら貧しくとも心まで貧しくなってはいけないというジェーンの教えに従い、物を盗むということをしたことがなかった。だが、薬は高価だ。食べる物さえままらなないカイルには用意できない。それでもカイルは唯一の家族といえるジェーンに死んでほしくなかった。
「けどさ、すっげえ怒られた。それまで俺がどんなことをしても、声を荒げて怒ることがなかったジェーンさんが鬼みたいな形相で、で怒られた後泣かれた。そっちの方がきつかったなぁ。自分のせいで俺に罪を犯させてしまったって、泣いて詫びられて。だから、殴られるの覚悟して返しに行ったんだ。ジェーンさんと一緒に。当然怒られたけど、でも、その後で薬をくれた。そん時かな。表にも、俺達みたいなやつでもまともに扱ってくれる人もいるって分かったの」
トマスは息を飲む。トマス達がカイル達をそう思っていたように、カイルも裏通りに住む者達も表の人達を自身を虐げるだけの悪魔だと思っていたことを。人でなしだと、考えていたことを知って。
「だけど、結局ジェーンさんはよくならずに死んじまったよ。で、孤児になって孤児院に引き取られた。っつうか、無理やり入れられた。ジェーンさんを供養して、どうしようか思ってたところに役人どもが来て、俺らみたいな子供を根こそぎ連れてったからな。たぶん、孤児院から賄賂でももらってたんだろうな。俺らが働いた分から差っ引いた金を使ってな」