真の報告
レイチェルサイド
レイチェルは、労をねぎらうために与えられた客室でまんじりともせず、椅子に座っていた。国王はもう報告書に目を通しただろうか。
表向きの報告書の後に付けた、真の報告書にも。もし読んだなら、確実に呼び出しがあるだろう。場合によっては処罰もありうる。公式な書類で虚偽の報告をしたのだから。
それがカイルを守るためであっても、王国の騎士としてはあるまじきことだろう。だが、レイチェルは少しも後悔などしていない。むしろ、カイルを守れるということに喜びを感じていた。
そう、もうレイチェルは王国に仕える騎士ではない。カイルという個人に騎士としての誓いを捧げてしまっていた。父は怒るだろうか、とふと考える。
騎士のなんたるかを教えてくれたのは父だ。騎士の誓いを捧げるべき相手をどう見極めるか教えてくれたのも。
今まで、レイチェルは自身の研鑽に夢中になり、騎士として仕えるべき相手を探してこなかった。近衛騎士である以上、王族がその対象になるのだろうがレイチェルはアレクシスに仕える気にはなれなかった。
幼馴染ではあるが、怠け者で横暴で、絵に描いたようなバカ王子だ。国王には悪いが、彼が王になるなど不安でしかない。
弟のクリストフは人間的にはまともだが、幼いこともあろうが覇気が足りない。あれでは部下を従えることができるかどうか。いっそ王女が婿を取り王に迎えた方がいいのではと思わせる。
王女は姉はお淑やか、妹はお転婆だ。どちらも公式の場では王女として申し分ない振る舞いができる。王妃の教育の賜物だろう。
先ほどもアレクシスが部屋に訪ねてきたが、疲れているからと追い返した。朝の一件があり疲れているのは確かだし、いつ国王の呼び出しがあるか分からない。王子に付き合っている暇はない。
こうしている間にも、王都の中で命を落としている子供達がいるかもしれないのに。明日からもカイルの情報や孤児院のある場所などから、孤児達の捜索と救援に当たることにしていた。
レイチェルはアミルの世話役のため、彼女が外に出るなら護衛がてらついていくし、ハンナとダリルとトーマはフリーだ。
カイルなら一人でも動きかねないので、レイチェル達もついて行くつもりだった。またあのような事態になっていれば人手はいるし、その後の面倒を見ることも考えると、悠長に構えるわけにもいかない。
できれば国王にも力を貸してもらいたい所だが、恐らくひどく傷つくだろう。自らのお膝元であのような事が行われているなどど。
レイチェルが考え込んでいるとノックがある。呼び出しか、と思っていたが入ってきたのは探索隊の仲間達だった。
「失礼いたしますわ。少し明日からのことについて話しておくべきかと思いましたので、集まっていただきましたわ」
「わたしも考えていたところだ。王都は広い。中央区だけであの有様では、負担が大きすぎる」
「東西南北、残りの区画も同じ状況なら、猶予はあまりない」
「だよなぁ、しかも探すとこからだもんなぁ」
「その辺はカイルの情報が役立つのではないか?」
カイルは誰にも負けないだろう情報網を持っている。しかも、人には見えない、聞こえない存在の。
「そうなれば余計に負担が増えるだろうな。カイルは気にしないのだろうが……」
苦しくても辛くても、あまり表には出そうとしない。アレクシスに爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいぐらいだ。
カイルと出会って、アレクシスの言動は余計にレイチェルの鼻につくようになった。同い年で、親が親友でありながら、境遇も性格も違い過ぎる二人を比べて。
「ええ、ですのでわたくしは陛下にもご助力お願いすべきだと思いましたの」
「表立っては動けない。でも、王には子飼いの影がいる。彼らなら捜索には最適。血属性を使える人が他にもいればカイルの負担も減る」
レイチェルが考えていたことをアミルとハンナも考えたらしい。
「それにカイルも言ってたもんな。毒が一種類とは限らないって」
同じ地区ならともかく、離れた別地区で同じような症例が確認されれば、疫病の疑いを持たれて表沙汰にもなりかねない。そのため、別の症状が出る毒を使用している可能性も高いと推測していた。
「本当に、よく頭が回るな。いや、それだけ多くの悪意にさらされてきたということか」
ダリルはカイルの先見の明が、苦い体験や辛い記憶に根ざしていることを思い、歯嚙みをする。ああやって先読みをし、最悪を考えて行動しなければならない境遇だったのだと。
「そうだな、どちらにせよ陛下のお耳に入れておくべきだろう。もし陛下が、あの報告書を最後まで読んだとすると……」
レイチェルが言いかけたところでノックがあり、国王からの呼び出しを伝えてくる。読んだとするならこうなるだろうことは分かっていた。
レイチェル達は互いな顔を見合わせると、案内の騎士について執務室へと向かった。
執務室に入り、前は大臣達が座っていたソファにレイチェル達が座る。正面には国王が、背後には疲れた表情の宰相とレイチェルの父である騎士団団長が仏頂面で立っていた。
レイチェル達も各々緊張の面持ちで、唯一国王だけが踊りだしそうなほどウキウキして、ソワソワと落ち着きがない。
「率直に聞こう。あの報告書の最後の部分、あれは真実か?」
浮かれまくっている国王に代わり、宰相のテッドが切り出す。国王の懐刀と呼ばれるだけあり、その迫力と有無を言わせぬ眼力は背筋を正すに十分だ。
「は、嘘偽りのない真実です」
レイチェルが、代表して答える。
「それがどういう意味であるか分かっているのか? 国を、世界を偽りにて騙したということだぞ」
レナードも厳しい表情だ。場合によっては娘を処断しなければならないのだから。
「存じ上げておりますわ。ですが、これは彼に関わったもの全ての総意、彼をいらぬ思惑から守るためなら世界を騙すことも厭わないという覚悟の現れですわ。真実は知るべきもののみが知っていればいいということですの」
「いつかは露見する。世界が彼を、彼が世界を放っておかないから。でも、今はその時じゃない。力を蓄え、世界に羽ばたくまでわたし達は秘密を守る」
アミルは毅然として、ハンナはいつもの調子で答える。事前に普段通りでいいと言われている。その方が色々と話しやすいだろうからと。
「貴方方の心情は理解しました。敵方の動きを見るに、最適な判断でもあったのでしょう。ではこれからどうするつもりですか? 王都に連れてきているのでしょう、件の剣聖ロイド様の真の息子を」
二人の言い分を聞いたテッドは、ため息をついてからいつもの口調に戻る。回された報告書を読んだ時にはさすがのテッドも驚愕を隠せなかった。
事件解決に際し、世界規模の虚偽報告を行ったばかりか、本当の剣聖の息子を発見し、王都へ連れてきたのだという。
レイチェル達は当初の目的をも達成していたのだ。しかし、五歳で村を追放され、流れ者の孤児になっていたなど、質の悪い冗談にしか思えない。
テッドは平民出身であることから、彼らのような境遇の者達がどのような生活を送っているかや扱いを受けているか知っていた。
テッドが国政の奥深くまで入り込んだのも、一つは彼らのような者達を少しでも救済出来ないかと考えてのことだ。予算や反対派の関係から未だ手が届かないが、諦めるつもりはなかった。
だが、まさかその境遇にある者自身が変革のための行動を起こし、一定の成果を上げていたなと誰が思うだろう。それが英雄の息子だったなどと、何かの物語のようだ。
「俺達はあいつに協力するぜ。約束したし、あいつ放っとけないからな。一緒にいて楽しいし」
「俺も及ばずながら、そのつもりだ。狙っている奴らがいたというなら、彼を好きにさせるわけにはいかない」
テッドはトーマはともかく、ダリルがここまで入れ込んでいることに驚く。ダリルはどこか人を拒絶するかのような部分があった。拭いきれない闇を背負っているような。
「当然、鍛える。あの素質は伸ばさないと損」
「わたくしも同様に。修行としてはこれ以上のことはありませんもの」
滅多なことでは他者に執着しないハンナや、汚れなく育てられたハイエルフの姫でさえ、彼と共にいることを選択した。そしてレイチェルは。
「国王陛下、それに父上。申し訳ありません、わたしはこれ以上国に仕えることはできそうにありません」
これには、レナードも顔色を変えたが、始終ニコニコしていた国王も飛び跳ねて驚く。
「な、な、なぜだい? まさか、責任を取ろうとしているのかな?」
総意であろうと、虚偽の責任を取り、近衛騎士を辞そうとしているのか。だが、レイチェルの表情も目に込められた思いの強さも、国王だけでなく父であるレナードも見たことがないものだった。
「それもあります。が、わたしは彼に騎士としての誓いを捧げたいと、いえ、もう恐らくは捧げてしまっております」
「どういうことだい?」
「わたしは、今まで魔力のないハーフエルフとして侮られ、見返してやりたくて剣を振り続けました。剣聖筆頭になり、二つ名を得て、それでもわたしの中の棘は抜けませんでした。彼の言葉を聞くまでは」
レナードや母親のティナであっても抜くことの出来なかった、レイチェルの心に刺さっていた棘。それを抜いたのが、剣聖の息子なのだという。
「魔力がないと死ぬようなことでもあるのか、なくても強くなる努力をして結果を出した、それはひとえに魔力がなかったおかげではないのか、珍しいことは悪いことなのか。率直な一言一言が胸に沁みました」
レイチェルは自分の胸に手を当てる。大切なものを教えてくれた言葉は今も胸の中に息づいている。
「魔力がないのは悪いことではない、ないからと腐るほうがよほど悪い。努力してきたことは誇るべきことだ。そしてその努力を支えてきたものは、汚点のように見えようと、わたしにとってかけがえのない一部だったのだと。気付かせてくれました」
だからレイチェルは魔力のないハーフエルフである自分を受け入れられた。誇りを持つことができた。
「その後も彼と接するにつれ、湧き上がる衝動を抑えきれないようになりました。彼の道を阻む者あれば、剣を持って斬り開き、彼の光を曇らすものあればこの身をもって立ち向かおうと。何者からも守り抜こうと思い定めるようになりました」
「……でも、彼との付き合いはそう長いものでもないだろう? 一週間程で、そこまで、かい?」
ちゃんと話をしたり接することができたのはもっと短い時間のはずだ。報告書が確かなら、彼は拷問や妖魔との使い魔契約で意識を失っていた時間も多い。
「時間は関係ありません。王都に来て別れる際にも離れがたく感じるほど、深く強い絆を感じております」
「そうですわね。本音を打ち明けられて、堪らずに抱きしめてしまうほどには思っておりますわね」
「んなっ、あ、あ、アミル、な、何を言い出すのだ。あ、あれは、そ、そうしなければ、壊れてしまいそうで」
アミルに横から茶々を入れられたレイチェルは途端に真っ赤になる。プライベートな呼び出しでなければできないことだ。
国王やテッドはレイチェルの様子から、納得の顔をする。国王など、ニコニコではなくニヤニヤしている。浮いた噂のなかった、当人にその気のなかったレイチェルにも、ついに春がきたのかと。
レナードは、レイチェルの告白を聞いて自分達にできなかった事をやってくれた彼に感謝してよいのやら。あるいは可愛い娘の心を奪われたことに父親としての複雑な心境で怒っていいのやら、何とも言えない顔をしていた。
「いや、でも実際あれはやばいだろ。俺でもグラッときたんだぞ?」
「わたくしも自制するのに精一杯でしたわ」
「威力抜群。レイチェルが押し倒さなかったのが奇跡」
「え、何? 何があったの? 押し倒すって何?」
事情が分からない国王は、出歯亀精神だだ漏れのまま聞いてくる。
レイチェルはどうにか心を落ち着けると、ここに来る前に話し合った通り、今朝王都についてからの出来事を報告した。例の下りはさらっと流して。
「何という、ことだ。て、テッドは知っていたか?」
「いえ、しかし不審に思うことはありました。ギルドカードは年に一度、発行日の前後二ヶ月以内に更新する決まりになっています。ですが、どう考えても人数が合わないことが多々ありました。それも、そうした年代の子達に多く」
ギルドカードは時々仕様が変わることや、拠点となる国を変えたりなど内容を大きく書き換えなければならない場合もあるため、年一度の更新が義務付けられていた。王都のように出入りが厳密に管理されていれば、出ていった記録がないのに更新した記録もない子供達が多くいることが確認できていた。
ギルドカード更新は義務ではあるが自己責任によるところが大きい。更新がなかったからと国や行政、ギルドが介入することはないのが裏目に出た。
孤児院が独り立ちを推進し、多くの子供達が成人を迎える前に孤児院を出ていることは知っていた。そして、その孤児院出身である子供達の中には名を上げる者も多いということも。だがテッドは文官の面接などの際、彼らの中に言いようのない違和感を感じることがあった。まるで深い闇を抱え込んで、あるいはそれを飲み込んで生きているかのような。そんな印象を抱いた。
まさかそれにこのような理由があったなどと。これほどまでに非道なことが、平然と行われ続けていたなどと。許せるものではない。だが、今すぐに解決できるわけでもない。
「……ですが、確かにこれは彼の言う通り、今すぐにどうこう出来る問題ではありませんね。根本からの体制の変革が必要となります。また、これだけのことが行われながら耳に入ってこないということは上層部が関わっている疑いも強いでしょう。そのあたりのあぶり出しもありますので、一朝一夕に解決はできません」
「しかしだな……、彼が、ロイドの息子が率先してそれを行っているのだぞ。それなのに、わたしが手をこまねいているなど……」
「彼なら……カイルならこう言うでしょう。自分にしかできないことをやれ、と。国王様がやるべきは、我々では手出しのできない敵のあぶり出しや証拠固めなどではないでしょうか? 子供達の捜索や救助に関しては影の者をお貸しくだされば事足ります。その後の子供達の身の振り方などはギルドの協力も必要でしょう。我々には手に余るところもあります。そういった点でご助力下されば十分かと存じます」
国王はこの半年間でのレイチェルの成長に驚きつつも喜びを感じていた。努力を積み重ね剣聖筆頭にまで上り詰め、多くの期待を集めたが聖剣には選ばれず、再び失意の目を向けられることになった彼女。そんな彼女を王都から離すためにもこの任務を与えた。
だが、彼女は国王が思っていた以上に成長して帰ってきた。だが、それには間違いなく剣聖の息子カイル=ランバートの影響がある。他の仲間達も少なからぬ影響を受けていることは十分に見て取れた。それを思えば、すぐにでも会ってみたい気になってくる。
「分かった。手配をすることにしよう、テッド」
「はい、影の者への連絡はいつものように。状況が分かり次第、臨機応変に対応いたします。ギルドに関しては中央区のギルドマスターに連絡を入れておきましょう。例の件もありますので」
「例の件、ですの?」
テッドの言葉を鋭くとらえたアミルが聞き返す。テッドは聞かれてもまずいことではないので説明する。
「近々に、ギルド主体で裏社会への大規模な手入れが計画されています。参加するのは二つ名以上の実力者達ですので、あなた方に声がかかることもあるでしょう。今回の件が加われば、処断するに十分な理由にもなります。それに、参加者から孤児院出身の者を弾くことになるでしょう。少なからず裏との繋がりがある以上、スパイになりかねません。手入れの前に密告などされてはたまりませんので」
レイチェル達は重々しくうなずいた。国王も何もしてこなかったわけではない。裏社会の台頭や暗躍は苦々しく思っており、今回手入れに踏み切ることになったのだ。その前に有力な情報が入ってきたことは僥倖と言える。
「それにしても、早く会ってみたいものだね。その、カイル君に」
「覚悟しておいた方がいい」
「覚悟?」
「彼は、無自覚の天然たらし。油断してると落とされて、離れられなくなる。わたし達は手遅れ」
「か、彼にその自覚はないのかい?」
「ないだろうなぁ、ありゃ。生まれついてのものだと思うぜ。あれ、意識してやってんなら神様も騙せるんじゃね?」
「そ、それほどかい?」
「そうだな。俺も……ずっと抱えていたものを下ろすことができて感謝している。それ以上に、一人にしておけないと思わせる」
「そうですわねぇ。いずれわたくし達を越えていくのだろう素質を持っておりますのに、それでも彼を一人にはしておけないのですわ」
言葉だけ聞いていれば愚痴のようにも聞こえるのに、表情を見れば誰もかれもが嬉しそうな顔をしている。まるで自慢するかのように、誇るかのように。
「わたしは、わたし達は彼について行きたいと思っています。彼と共に歩み、彼と共に生きる。それが己の道でもあると、そう感じています。今はまだ、わたし達が引っ張る立場にありますが、いずれ彼は世界を引っ張っていくことになる、そう思っています」
確信めいたレイチェルの言葉に、ますます国王はカイルとの対面の日を心待ちにすることになった。今朝まであった暗く陰鬱な気持ちも、また彼に対する忌避感や恐怖と言ったものも、いつの間にか晴れてしまっていた。




