王都センスティア
旅路は順調に進み、一行は王都の門に並ぶ列の中にいた。公式な騎士団の任務であるならともかく、非公式であったレイチェル達の一行は他の入都者達と同じ列に並んでいる。またそうでなければ余計な注目を集めてしまうだろう。今でさえ、チラチラとレイチェル達を見ている目があるくらいだ。
レイチェルの名前はそれまでもそれなりに有名であったが、今回の”剣聖の偽息子”騒動で王国だけではなく五大国にも響いていた。実質、カイルが集めるはずであった注目がレイチェルに集まっている形だ。ハーフエルフの剣士という珍しい出で立ちであるため、見分けるのはそう難しいことではない。
一歩離れて親方達と共に並びながら、カイルはレイチェルに集まる視線が好意的な物ばかりではないことに気付いた。確かに一般の者は憧れたり尊敬したりといった目を向ける者が多い。だが、少し身分が高そうだったり、同じ剣士であったりすると嫉妬だったりやっかみだったりといった目を向けられている。
女だてらに名をはせ、昨年末の選抜大会において数多の剣豪を打ち破って剣聖筆頭に上り詰めた。剣聖筆頭とは、剣聖候補と呼ばれる世界中から選りすぐった剣士五十名のうち頂点を実力で勝ち取った者に与えられる。剣聖筆頭は聖剣への挑戦権を優先的に得ることができ、レイチェルもこの旅に出る前にその『選別の儀』と呼ばれる挑戦を行っていた。
結果としては聖剣に選ばれることはなかったのだと、カイルはここまでの道中で聞いていた。前回の剣聖であり聖剣の最後の使い手であったロイドが死んでから、十二年間聖剣は次の主を選んでいないらしい。使える者がいないからか、あるいは使い手と出会っていないからなのか。どちらなのかは分からないが、現在聖剣を保有している王国内でも、他国からの挑戦者でも聖剣は沈黙を保っているという。
剣聖候補の入れ替わりはそれなりにあるようで、候補者を倒せばその候補者の位置につけるし、年末には必ずある世界大会で筆頭の地位も決められている。レイチェルの筆頭の地位は今年一年間有効というわけだ。もちろん今年末にある世界大会で優勝すれば、また筆頭になるわけだが。
カイルもこうした大会や選別の儀に挑戦してみないかと問われたが曖昧な笑みを浮かべていた。確かに自身の力量をはかるにはいいかもしれないが、それ以前にカイルは剣の基礎から学んでいるところだ。いずれ挑戦してみるのもありだと考えているが、すぐにというわけにはいかないだろう。
事実、レイチェル達と手合せをしてみても惨敗している。魔法もありなら少し耐えられるのだが、剣だけとなるとまるで相手にならない。キリルに剣の握り方から教えてもらっていると言えば程度が分かるだろうか。実力で二つ名持ちにのし上がったレイチェル達にかなうはずもないのだ。
分かってはいても、やはり負けると悔しいし、これから先敵になるだろう存在を思えば焦りもある。それでも確実に一歩ずつ進まなければ望む未来はつかめない。クロやレイチェル達の協力もある今、カイルに出来るのは実力を身に付けていくことだけだ。急いで強くなろうとするのはいいが、焦って基礎がおろそかになっては強くなれない。
毎日地道に剣を振って、キリルやレイチェル、ダリルから指南を受けながら基礎を固めている最中だ。トーマからは効率的な体の動かし方を教えてもらっているし、アミルやハンナからは魔法の知識と共に実戦での使い方などを学んでいる。
カイルは今まで魔法といえば生活魔法を中心に使ってきた。そのため生活魔法の錬度は高いのだが、新しく覚えた魔法に関してはいまいち戦闘に使ったり応用したりということができていなかった。
何せ、カイルは狩りや採取の時には極力強い魔法は使わないようにしていたし、町中でも回復以外の魔法は使うことがない。下手に使おうものなら、どうなるか考えなくても分かる。だが、何も攻撃魔法だけが魔法ではない。防御や補助といった使い方もできるし、攻撃魔法も使い方によっては周囲に被害を出すことなく相手を制圧できる。
そうした使い方を、それこそビシバシと仕込まれていた。元々魔力量も質も高く、その上生産量も多く回復が早いためそれこそ一日中使わされた。カークに乗っている間も休憩時間も、夜の訓練時間でもだ。そのおかげか、ペロードの町を出た時よりも総魔力量が上がっているように思われた。やはり使うことで魔力量は飛躍的に上がっていくらしい。生活魔法よりずっと魔力を使う魔法ばかりを連発していれば必然的にそうなるだろう。
実はハンナやアミルはカイルの魔力切れを狙ってそうさせていたのだが、カイルの総魔力量や生産量、さらには成長値が予測を超えていたため、魔力切れを起こすことなく、魔力切れになった時よりも魔力量が増加するというわけの分からないことになっていた。
魔力切れを起こすことで、自身の使用可能魔力量を感覚的につかみ、さらには総魔力量の増量も狙っていたのに思わぬ結果が出た。どうやら初めての魔力枯渇を起こした後、時を置かずして再び魔力枯渇に陥り、しかもその状態で気力のみで枯渇を脱するまで意識を繋ぎ止めたことにより魔力の器が一気に成長したらしい。
カイルを再び同じような危機に陥らせないために、その無茶に応えられるように生み出される魔力量や体の中を流れる総魔力量が一気に増大したのだ。普通なら回路が耐え切れず切れたり乱れたりして”魔力酔い”と呼ばれる症状を引き起こすのだが、カイルの特殊な魔力回路はそれにも耐え抜いた。もしかすると質も上がっているのではないかと二人は予測していた。激増した魔力量に対し、その回路の太さは以前と変わらなかったためだ。
魔力枯渇を起こした時に、回復する前に無理に動いて回路が乱れたり、薬などを使って急激に魔力を回復させて回路が傷つくと魔力酔いと呼ばれる、酩酊状態を引き起こすことがある。ひどくなれば立っていることもできない重度の症状が出る。カイルの場合寝ていても天地がひっくり返るような魔力酔いを起こしていてもおかしくないほどの増加だった。
だから目を覚ました後、普通に動けるようになっていたカイルにハンナとアミルは顔を見合わせたのだ。生活魔法の驚くべき応用もそうだが、カイル自体が魔法史や魔法の常識を覆す驚きの存在なのだから。まさに魔法という分野において恐るべきアドバンテージを有しているのだ。
今も防御・回復・補助はアミルから、攻撃はハンナ、特殊属性の時と重力はそれぞれから学んでいる。空間に関しては自力でやるしかないが、それに関しても少し上達してきた。魔力感知ができるようになったのが大きいのか、どこをどういじればいいかつかめるようになってきた。
今では短距離なら空間を捻じ曲げて縮め離れた場所にあるものを切ったり、相手の魔法を吸い込んで相手の近くに空間をつなげて返すという『空間接続』を使えるようになっていた。まだ集中が必要で、実戦での運用はいまいちだが、奇襲や防御に使うことはできそうだ。
クロと契約することで新たに得た属性もある。しかもそれらは全て固有属性だった。クロがもともと持っていた属性は闇、空間、影、血、斬、喰の六つ。カイルとかぶっていた闇と空間を除いた四つがカイルの属性に加わった。
影は文字通り、影に潜ったり影の中を移動したり、影を使って相手を操ったりできる属性だ。血は血を操ったり、血から相手の情報を読み取ったり、相手から奪った血を自らの血や魔力に変えることができる。斬は体や武器にまとわせることで鋭さや切れ味を増すことができる。シンプルだが強力な属性だ。喰は食べたものを自分の力に変換できるという属性だ。
これは食事なども当てはまるが、別に必ずしも口から食べる必要はない。相手に直接触れるだけで使うこともできる。クロがカイルから血を抜いたのは血属性によるものだが、魔力をほぼ根こそぎ奪ったのはこの属性によるものだ。
血属性は何かしら傷を負わせ、血を流させなければならない。傷さえ負わせれば離れていても血を操ることは可能だ。だが、喰は自分の体の一部が相手に触れる必要がある。触れさえすれば、相手がどのような状態であろうと相手の力を奪えるというわけだ。
この力というのは魔力だけではない。生命力や精力、体力も奪える。使いこなせば必要な力だけを相手から抜くことができる。クロは魔力を糧とするため、相手から魔力を奪うことに使っていた。
どれも強力だが扱いも難しく、クロに学びながら少しずつ練習を重ねている。普段はもっぱら封印している。うっかり使ってしまい、自分の影に足を取られて転んだり、着ている服がバラバラになったり、食べようと手に取った木の実が根こそぎ吸収されてミイラになったり。ちょっと、いや結構危険度も高いことが分かったからだ。前者二つならまだカイルが恥をかくだけで済むが、最後の喰は確実に相手の命を奪ってしまう。
クロから新たに得た属性は、無意識でもある程度発動してしまう血統属性だ。だが、意識的にロックをかけることで、その無意識での発動を押さえる方法をアミルとハンナから教えてもらった。それだけは必死で身に付け、どうにか王都に着くまでには物にすることができた。やはり危機感があれば習得は早まるらしい。
そのクロは、今カイルの足元で寝そべっている。大きさは二mほどで姿形から走狗の子供だと見られているようだ。騎獣にするために小さい時から飼い慣らす者は多いし、使い魔としてもそれなりにポピュラーなようで、そこまで目立ってはいない。
しゃべってしまえばさすがに妖魔だとばれるので、今はカイルにしか聞こえない声でブチブチと愚痴を言っている。よほど走狗に見られることが屈辱らしい。使い魔契約をした間柄では双方の意思の疎通が可能になるため、カイルがクロをなだめて話をしていても不思議には思われない。
順調に列が消化されていき、レイチェル達の番になった。レイチェルが差し出した身分証、ギルドカードを確認した門番達は一斉に姿勢を正す。国王陛下直々に辺境の視察を任され、その際にとてつもない秘密を暴き、罪人を追い詰めてとらえたレイチェル達の噂は王都の門を守る騎士団や警備隊にも知れ渡っていた。
大きな事件だったため、一度視察を切り上げ王に詳しい報告をするために戻ってきたというレイチェルの言葉を疑う者は誰もいなかった。むしろ、ぜひとも早く事の詳細を知らせてほしいという思いがありありと伝わってきた。やはり伝聞ではなく、実際に事件に立ち会った当事者からの話というものは平和な王都にあって一種の娯楽ともなっているのだろう。
内容はあまり明るいものではなく、むしろ悲報を届けるものであったが直接的な関係がない者達にとっては、退屈な日常を彩るスパイスになる。列を待っている間にも、そうした噂話をあちこちで聞いた。
なんでも剣聖の本当の息子は剣聖にそっくりで、剣の腕も神童だったとか、紫眼の巫女であり癒しの巫女と呼ばれたカレナと同じ、優しくて慈悲深い子供であったとか。聞いていたカイルが苦笑いをするようなものばかりだった。
その息子が生きていて、まさか孤児の流れ者になっているなど誰も思っていないようだ。むしろ好都合といえるが、背中がむずがゆくなるのは抑えられない。一体誰だそれは、と大声で言いたくなってくる。そんなにご立派でも強くも慈悲深くもない。生きることに必死で、強く優しくあろうとしても満足にできない、そんな存在だ。
滞りなくレイチェル達の手続きが終わり、次は親方達とカイルの番になる。ドワーフは拠点となる町を定めると移動することは少ないが、修行や流れの職人もいるため事情を聞いて納得してもらえれば普通に通れる。
「……なるほど、息子さんの一人立ちでしたか……それで、その彼は?」
「俺達が雇って面倒見てやってたガキだ。なかなか腕がいいもんでな、修行させて見聞広めてやるために一緒に連れてきたんだ。ちょうど王都に行く用事があったからな」
「まぁ、あたしらの息子みたいなもんさ、この子もね」
ドワーフが他種族をここまで身内扱いするのは珍しい。本当の意味で家族になった者にしか、ここまでの親しみは見せない。若干訝しむ門番だが、カイルがちゃんとギルドカードを持っていることから手続きを進めてくれる。使い魔としてクロを紹介した時には少し距離を取られたが、両者の間にパスがつながっていることの確認をされると一緒に通された。
パスとは使い魔契約をした間柄を繋ぐ魔力の線のようなものだ。そこを通じてお互いに魔力を交換し合うことで拘束力や強制力を働かせている。本契約なら魔力のみのパス、血の契約なら血と魔力のパス、魂の契約なら半分以上の魔力と魂にまでつながるパスといった具合だ。
門で確認するようなパスの簡易判別器では契約の種類や双方のパスの割合までは分からない。だからカイルが魂の契約で十対零の主従関係を結んでいることは判明しなかった。そして、使い魔であることの証を示す首輪を渡される。
この首輪をしている獣や魔獣に誰かが危害を加えたりすれば、人と同じように傷害の罪を問われることになる。使い魔とは魔法使いにとっての相棒であり最も身近な戦力でもあるのだから。
クロは首輪をつけることを嫌がったが、これがないとカイルと一緒にいられないと言われると、しぶしぶ首に巻くことを許した。黒い体毛に鮮やかな赤い首輪はとても映えて見えた。そう褒められたクロはまんざらでもなさそうだった。案外ちょろいやつである。
レイチェル達は半年ぶりに帰ってきた王都を感慨深そうに見て、久方ぶりに訪れるキリルや夫妻は変わったところはないかと視線を巡らせる。ただ、生まれて初めて王都に足を踏み入れたカイルは目を輝かせてあちこちキョロキョロしていた。どう見てもおのぼりさんで、普段は見られない子供っぽさにレイチェル達は暖かな目を向けていた。
「スゲー、スゲー、王都ってこんなところなんだな」
カイルは高い城壁に遮られて見ることのできなかった王都の中を見て、その威容に圧倒されながらも感動する。それまでカイルが渡り歩いていた町などとは違い、門から続く大通りや大きな路地は石畳を敷いており歩いても土埃などは上がらない。区画整備がされているのか整然と並んだ建物に、通りを彩る店にも活気がある。
道を行き交う人は格好だけではなく、種族や容姿も千差万別で見ていて飽きるということがない。辺境の牧歌的な空気と違い、都会の洗練された装いがカイルの目を楽しませていた。
「あんまりキョロキョロしてはぐれんじゃねぇぞ」
グレンはカイルの様子を温かく見守りながらも忠告する。王都は分かりやすいようでいて、道が入り組んでおり、迷子になったら広さと人の多さのため探すのも一苦労だ。
「分かってるよ。でも、そうか……。ここが、王都か」
カイルは改めて王都に来た感慨がわいてくる。王都以外に住む孤児達にとって王都は一つの憧れであり、夢であり理想の地でもあった。王都の地を踏むことが、王都で暮らすことが、あるいは生まれ変わった後王都に生まれることが、孤児達の一つの希望になっていた。
「気持ちは分からんでもないが……あまり期待しすぎるなよ」
グレンは孤児達と関わるようになり、孤児達が王都にどのような憧れや夢想を抱いているか知っていた。だが、どれほど光り輝く場所であろうとも、必ずどこかに影はできるものなのだ。
「……それも、分かってる。王都だからって、何もかも理想通りじゃないってことくらいはな。でも、ちょっとくらい期待してもいいだろ? なんか参考になること、学べるかもしんないし」
カイルは王都で剣や魔法を鍛えながら、王都の孤児達や流れ者達の待遇や実情に関しても調べようと思っていた。それによっては他の町や村で生かせることが見つかるかもしれないと。
「カーク達は預けてきたよ。王都だと預かり料が安くて助かるね。カイル、時々は見に行ってやんな、寂しがってたよ」
「ああ、そうするよ。……分かってる、今度は変なのを見つけても近寄らない」
カイルはアリーシャに答えた後、全員の視線を受けてため息交じりに宣誓する。さすがにあんな心臓に悪いことを何度もされてはたまらない。魔獣に異常なまでに好かれることもそうだが、魔の者に目を付けられたりしたら非常にまずいことになる。今度はクロも一緒のため、早々下手なことは起きないだろうが。カイルのことだから、何があるか分からない。
それぞれ様々な思いを抱きながら、一行はセンスティ王国王都センスティアに入った。




