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レスティア物語  作者: マリア
第二章 王都センスティア
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命名の由来 中編

 それは突然のことだった。カイルはいつもと同じように、町に仕事をもらいに行った。いつもと同じように子犬と身を寄せ合って寝ていた路地で目を覚まし、子犬と二人して体を清めて。表通りに出た時から、何か不穏な空気が漂っていた。

 いつもなら挨拶をしてくれる人が、ひどく不快そうにカイルと子犬を見ていた。その目は波のように人々の間で伝播していった。カイルはキョロキョロとしながら、なぜ突然こんな目を向けられなければならないのか、なぜ突然人々が態度を変えたのか分からなかった。


「いつの間にか、その町の広場に追いやられてた。周りを人に囲まれて、広場には警備隊がいたんだ。武装して、口や鼻を布で隠して。訳が分からなくて、立ち尽くしてると、いきなり警棒で殴られた。クロが飛びかかっていったけど、でも、子犬だから簡単に止められて、捕まった」

 カイルは広場の地面に叩き付けられた。背中と両腕を踏まれて、逃げられないようにするためか両足の骨を折られた。子犬も同じように両手足を砕かれ、口にはぐるぐるに紐を巻かれ咬むことも吠えることもできないようにされた。


「なんでこんなことするのか、って聞いた。そうしたら、町に疫病が広がっているって。しかも、それは犬を媒介にする疫病なんだって。俺が……俺やクロが立ち寄った場所からや関わった人が感染してるって」

『その犬が感染源であったなら、最も身近なカイルが感染していないのはおかしいのではないか? それには気付かれなかったのか?』

「いや、気づいてた。でも、俺がわざと疫病を流行らせているのなら、感染しない方法を知っているんだろうって」

『無理があるな。十の子供にそれほど悪辣なことができるものか。関わった者達は信じてはくれなかったのか?』

「……駄目だった。みんな、疫病は怖い。死ぬのは、怖いんだ。だから、原因が分からないと安心して出歩くこともできないし、身近にそれらしきものがあれば飛びついてそれに原因を求めてしまう。原因が、原因らしきものが分かれば徹底的に排除しようとする。」

 犬が媒介する疫病、カイルが立ち寄った場所からや関わった人に広がる感染。犬を連れて町中を回っていたカイルに矛先が向くのも、無理のない話だ。


「俺とクロは、広場に準備されてた場所に連れていかれた。そこで俺は棒に括り付けられて、クロは俺と同じ棒につながれた」

 カイルの足元で、不安げに見上げてきた子犬。それは何をされているのか分からないからではなく、カイルの心配をしてくれている目。頭から血を流し、両足を骨折して縄が食い込むほどに強く縛り付けられたカイルへの気遣いだ。自分だって手足を砕かれて痛いはずなのに。だから、カイルは子犬に回復魔法をかけた。

 当時のカイルの回復魔法は痛みを取るくらいのことしかできなかったが、せめてその痛みからだけでも解放してやりたかった。着々と準備が整い、自分達がこれから何をされるのか予想がついたから。痛みさえ忘れられれば、首の縄を引きちぎって、子犬だけでも逃げられるのではないかと思ったから。


『何を……されたのだ?』

 クロは湧き上がる悪寒と、奮い立つような怒りを感じていた。人の悪辣さは知っている、その愚かさも弱さも。だが、同時にカイルに出会って人の善良さも賢さや強さも知った。そのカイルが、理不尽にさらされたであろう過去。決してクロには変えられない、助けることも守ることもできない過去。

「疫病の、最も簡単な拡散防止の方法は知っているか? 特に、疫病で死んだ人をどうするのが一番いいか……」

『まさかっ! まさか、そ奴ら、主と子犬を生きたまま焼こうとしたのかっ!』

 生きたまま火あぶりにされる恐怖と苦痛はいかほどのものだろうか。身動き取れない状態で、周囲を薪に固められる、そんな工程を見せられる。それでよくも自分ではなく、子犬を癒そうなどと、逃がそうなどと考えられたものだ。


 カイルの他者を思いやり、自身よりも優先してしまうその心根は生まれついてのものらしい。きちんと向き合えば、ちゃんと見れば、それは分かるはずなのに。だが、クロもまたカイルを見誤っていたが故に、頭からそうした人々の行動を否定することができない。クロがカイルを知らず、人というくくりで見ていたように、孤児や流れ者というくくりで見られていたとするならば。

「……死んだ人なら、油とかかけて燃えやすくする。そうしたら短い時間で焼けてしまうだろ? でも俺の場合、疫病で苦しんでる人や苦しんで死んだ人の分まで……長く苦しんで死ねって言われて、火をかけられた」

 火は最初周りを固めていた薪に燃え移った。そこから徐々に足元へと近づいてきた。直接火が当たらなくても、その熱気は皮膚を焦がし、じりじりとした痛みを生み出していた。


「そのままだと、クロが最初に火に焼かれることになる。だから、俺の体を登る様に言ったんだ」

 棒に括り付けられたカイルの足は、足元の薪に火が付けばちょうどその切っ先であぶられるような位置にあった。だが、子犬はその足よりも下。真っ先に火に焼かれる場所だ。それはそうだろう。感染源であるクロを最初に始末しておかなければ安心して処刑を見ることができない。

 子犬はカイルの言葉に従うように、回復魔法をかけたことで動かせるようになった手足を動かし、口を拘束していた紐を外した。そして、まだ鋭さの足りない歯を使って必死に首を繋ぐ縄を切ろうとする。火を厭う獣としての本能も働いたのだろう。がむしゃらにかみ切ってしまった。


 子犬の拘束が外れたことを知った町の人々は狂乱した。自分達が放った火のせいで容易には近づけず、動けないようにと手足の骨を折ったはずなのに動かしている。こんなことなら、生き地獄を味あわせるために生かしておくのではなく、殺しておけばよかったと誰もが口にした。

 そして、火の包囲を突破して出てくる前に、カイルともども焼き殺してしまえばいいとあちこちから火の魔法が飛んだ。ほとんどが生活魔法であったし、上の階級の魔法であっても混乱のためか狙いが曖昧で顔や胸に直撃したものはなかった。

 だが、突然火力を増した炎に足を焼かれ、飛んできた魔法に腕を焼かれる。上昇してくる煙と熱気で呼吸ができず、呼吸をすれば喉を焼かれる。だが、自分が焼けていく匂いを自分で感じなかっただけよかったのかもしれない。


 カイルは警備隊によって行われた拷問じみた刑罰で、自分の肉が焼ける匂いを知った。すさまじい苦痛と同時にこらえようもない吐き気がこみ上げた。その時に、この時のことを思い出したのだ。幼い心に刻まれたあまりにも深い傷と耐えられない痛みに、一時的に封じてしまっていた子犬との記憶を。

 カイルのか細い悲鳴は、怒号を上げる人々によってかき消されていた。火は膝を越え、服を燃やしながらカイルの全身を包んだ。すぐに粗末な服が燃え落ちてしまったことで、包まれたのは一瞬だったが、カイルにショックを与え意識を飛ばすには十分すぎる衝撃だった。瞼が落ちる直前に聞いたのは犬の遠吠えの声だった。まだ下手くそで、うまく音をつなげることができていない、子犬の。


「クロは、俺が言ったように俺の体を登って火から逃れた。でも、それは逃げるためじゃなかった。俺を、助けるためだった。自分にはもう、できないから、助けを呼んでくれたんだ」

『助け? その子犬は誰を呼んだというのだ? 町中が敵に回っておったのだろう?』

「人じゃない。同じ犬の魔獣……クロのお父さんだった。クロは……魔獣の子だった。それも、その町の周りにある草原に住んでた主の子供」

 子犬が呼んだ主は、風のように町中を駆け抜けると広場に飛び出した。そして、今にも焼き殺されようとしている我が子と、その我が子が命がけで助けようとする子供を見た。突然の魔獣の襲来に人々はパニックになって逃げまどった。その間に、魔獣の使った魔法で火は消され、カイルと子犬は主に連れられて町を出た。どちらもひどい重傷を負っていた。


「俺は何日も生死の境をさまよってたみたいだ。精霊達がスゲー頑張ってくれて、もしかしたら本気になって治してくれたから、命を取り留めたし、後遺症も残らなかった。でも、……クロは……」

 カイルが目を覚ました時、状況が全く把握できなかった。朝起きて、子犬と一緒に町へ行った。それから……それから、ああ、そうだ。子犬と一緒に、疫病の元だと言われ……焼かれたのだ。思い出した瞬間、カイルは全身を震わせて、体中に手を当てて自分が生きていることを確認する。それから傍らにいつもの影がないことに気付く。気付いたからあわてて行動に移る。


 ここがどこだか分からないが、カイルは子犬が危機的状況にあることだけは把握していた。だから必死で探した。全身の皮膚が引きつるような痛みに耐え、立ち上がることもできなかったので地面を這って進みながら。そして、すぐに今にも息を引き取ってしまいそうな子犬と対面した。

 子犬によく似た、けれどサイズは数十倍以上の大きな犬。その犬の隣には、寄り添うようにして伏せる大きな犬。それから、子犬と同じサイズの、三匹の子犬達。みなカイルを見ると、一瞬敵意を見せたが、すぐに落ち着いてまた子犬に視線を戻した。

 彼らの視線の先、子犬は必死で息をしていた。懸命に生きようとしていた。だから、カイルはそれを支えたくて子犬の元に這いながら向かう。おそらくは家族であろう彼らも、カイルの行動を止めることはしなかった。


「子犬を……クロを抱きしめてさ、必死で回復魔法を使った。きっと前みたいに元気になってくれるって思った。前みたいに一緒にいてくれる、一緒に寝て、食べて、歩いて……一緒に生きていけるって」

 けれど、子犬の容体はよくならなかった。遠吠えを上げるために何度も深く息を吸い込み、大きな口を開けて吠えた。そのせいで、体の中がひどく焼けてしまっていたのだ。呼ばれてやってきた父を見た時、力尽きて炎の中に落ちて体の外も焼けてしまったのだ。

 カイルは、いつも撫でていた柔らかな毛が無残に焼けただれているのを見た。必死にカイルについてきた短い脚は、無理を重ねたせいで折れ曲がっている。カイルを見るたび振られていた尻尾は千切れ、カイルの話を聞く時ピンとなっていた耳を持ち上げることもできない。


 人に限らず、多くの死を見てきたから分かった。カイルには、子犬を助けられないことが。子犬が、このまま死んでしまうということが。なぜ逃げなかったのか。子犬だけなら逃げられただろうに。それから助けを呼んでもよかったはずだ。

 だが、腕の中で弱々しくカイルを見上げる子犬を見て、全てを分かったような顔をしている主を見て、理解した。カイルが子犬を命がけで助けたかったように、子犬もカイルを助けたかったのだ、と。たとえそれで自分がどれほどの傷を負おうと、どれだけの危険にさらされようと。相棒を置いて自分だけが逃げることなどできなかった。たとえその方が両者ともに助かる可能性が高かったのだとしても。それでも、最期まで一緒にいたかったのだ。


「クロも……俺と同じように思ってくれてたんだな、ってそん時ほんとに実感できた。そして、俺にはそれが滅茶苦茶嬉しかったんだ。俺はクロを逃がすつもりでいた。だから、一人で死ぬんだと思ってた。でも、違った。クロがいた、クロが最期まで一緒にいてくれた。クロが、助けてくれた。かけがえのない相棒って、こういう関係なんだって学んだ」

 だからカイルは、このままクロを死なせるわけにはいかなかった。死んでしまうことが分かっていても、死なせたくなかった。お互いに命を助け合って、お互いに相棒だと認め合って、お互いにそれを実感して。これから、これからが本当に相棒として一緒に生きていける時間ではないか。


 人同士でなかったとしても、言葉が交わせるわけではなかったとしても、カイルにとって子犬は家族とは違う絆で結ばれた初めての……相棒だった。カイルを見守り、教え導いてくれる存在ではない。カイルと同じものを見て、聞いて、隣を歩いてくれる存在。お互いを支え合い、守り合い、お互いが望む場所へ、望むことへたどり着くために力を合わせることのできる存在。

「俺、どうやったらクロを助けられるか、必死になって考えた。死ぬことなんて考えたくなかった。気休め程度にしかならない魔法をかけ続けて、こんなことしかできない自分の力のなさが……クロをこんな目に合わせたやつらが憎くてしょうがなかった。俺やクロがあんなことされたのは、俺が孤児で流れ者だったからだ。孤児は生きてても死んでも町に病気を蔓延させる、流れ者は外から病を持ち込んでくる。そんなふうに……思われているから。それは、全部が全部間違いってわけでも……なかったから」


 まともに体を洗うことも服を洗濯することもできない孤児達は、いつだって不潔でひどいにおいがする。食べ物や飲み物も人が食べたり飲んだりしていいようなものではなく、何かしら病気を抱えている。動物から感染する病気には、まず最初に孤児達が感染するのだ。

 そして、流れ者。旅人といえば聞こえはいいかもしれない。だが、それはきちんと身分証明ができる者のことだ。ギルドに登録していて、自らの意思で旅をする者。だが、流れ者は違う。一つの場所に長くとどまれないから、町から町へと放浪する。その際に、病気や毒物となる品物を持ち込んでしまうこともある。


 孤児で、その上流れ者だったカイルは、疫病に襲われた町の人々にとって、真っ先に疑うべき危険因子だったのだ。カイル個人だけなら、いきなりあそこまでされなかったかもしれない。カイルがあの町に入って二月以上は経っていたし、カイルが他の孤児や流れ者などとは違って身ぎれいにしていることは誰もが知っていたのだから。

 だが、カイルが犬を連れて町を歩くようになったこと。その頃から広まり始めていた病が、犬を媒介にすること。カイルの行った場所にいた者や関わった人の感染率が高かったこと。そうした要因が重なり、カイルは疫病蔓延の責を負わされることになったのだ。病原体であると考えられた子犬と共に。


『実際はどうだったのだ? 原因はその子犬にあったのか?』

「……あると言えばあるし、ないと言えばない」

 カイルのあいまいな答えに、クロは首を傾げる。カイルは苦笑して、主の子供であった魔獣の子犬がなぜカイルと出会うに至ったか、その経緯を説明した。

 主の子である魔獣の子犬は、ある日主の従えていた犬達と共に草原に遊びに出ていた。主に子供が生まれたことは町にも知られていたし、護衛である犬達もいたから主も安心して送り出した。子犬に手を出すことは、主を敵に回すということ。町に危機が訪れるということだから。

 だがそこに、町を目指していた旅人の一団がいた。彼らは町に入るにあたり、手土産として、ギルドへの行きがけの駄賃として子犬を守る犬達を襲った。犬達も抵抗し、子犬を守るために戦った。だが、ギルドの依頼の一環で討伐もよくやっていた一団は瞬く間に犬達を下し、そして子犬を見つけた。

 先に仕留めた犬達とさほど変わらぬ姿形から、犬達の子供だと判断した一団は、まだ碌に爪や牙の生えそろっていない子犬を土産に捕まえて、犬達の死体を抱えて町へと入った。犬達は素材として引き取られ、そして子犬はその町で犬を欲しがっていた一家に売られた。一家は魔獣の子、主の子であることも知らずに子犬を買ったのだ。

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