カイルの魔力と完全なる主従関係
「カイルの奪われた魔力は、こちらの妖魔を満たすことができるほどの量であったということですわ。そして満足させるに足るほどの質であったと。それはつまり、カイルの魔力がこの妖魔に匹敵するほどの量や質であることを意味しておりますのよ」
アミルは言いながらも、カイルの所有する魔力の多さに驚きを覚えていた。同じSランク判定でも、おそらくアミルやハンナでは、二人を合わせたとしても遥かに及ばないほどの量。質にしても、密度だけではない豊富な属性のもたらす多様性。それが、自称だが最高位の妖魔をして満たし満足させるに至った。
おかしいと思っていた。本来であれば魔力枯渇はともかく、魔力切れを起こしたことがないということなどあり得ない。魔力生産量は人それぞれで、時間経過とともに体内を満たしていく。そこに魔力を消耗する行動以外の変動はなく、消費した魔力は一晩寝れば全快するというわけでもない。使わなければ徐々に回復し、体を満たせば余剰分はあふれて空気中に霧散していく。
総魔力量とは、一日に生み出される魔力の量を言うのではない。肉体に留めておける最大の魔力量を差しているのだ。魔法使いであれば、自身の一日の魔力生産量を把握しておき、なるべくその間で魔法を使うようにしている。そうしなければ次の日には、全快の魔力量ではいられないからだ。
激しく大きな戦いや戦闘で多くの魔力を消費した魔法使いは、しばらく戦場や戦闘には復帰できない。せめて魔力がある程度戻らなければ、魔法が使えず戦力になれないからだ。だから魔法使いの運用や戦い方というものは戦略や戦術に左右されるし、自らもまたそれをわきまえて魔法の使用を行わなければならない。
生活魔法であっても、カイルのようにバンバン多用したり、常に使い続けていたりするということは常識的にあり得ない。やったとしても、到底魔力が持たない。数日と持たず魔力切れを起こしてしまうだろう。よほど魔力量が多いか、魔力生産量が馬鹿げて多いかでない限り長期運用などできないのだ。
魔力量や魔力生産量、そして質は生れついたものにも大きく作用されるが、その後の鍛錬や研鑽で覆せないわけではない。魔力量は魔法を使うことを繰り返し、魔力生産量はその後に回復させることで、魔力質は魔力感知や操作、魔法制御を鍛えることで伸ばすことができる。
そして、あまり推奨はされていないものの、最も効率よくそれらを伸ばす方法というものがある。魔力量であれば魔力切れを起こすまで魔法を使うことで、魔力回復量ではそれを越えて魔法を使い魔力枯渇を引き起こすことで、質は魔力感知を徹底的に磨き上げることで、それぞれ通常の方法よりも伸び率や伸び幅が大きくなる。
これらに照らし合わせるなら、カイルの総魔力量や魔力生産量、質の伸び率というものは常人よりもはるかに小さいはずなのだ。魔力切れも魔力枯渇も起こしたことがなく、魔力感知でさえできていなかったのだから。
だが、使い魔契約を通じてカイルの魔力の流れというものを感知の目でじっくりと見て、根本的な違いというものに気付いた。カイルの魔力の流れには一切の無駄も滞りも、そして限界もないのだと。
魔力の器で魔力が生み出され、体内を廻る際、魔力回路というものを経由している。これは全身に血管のように張り巡らされ、体の隅々まで魔力を行きわたらせている。血液ならその流れの速さや量といったものは心臓の鼓動や血液量に比例している。それと同じように魔力回路の流れの速さや量は魔力生産量と保有魔力量に比例している。
短時間でたくさん魔力が生み出されるほど流れは速くなるし、体に残っている魔力量が多いほど流れる量は多くなる。個人差もあるが、体内の魔力回路がすべて同じ太さであるわけではない。体表に近づくほど細くなり、内側ほど太い。重要な器官ほど太い魔力回路が通っているということでもある。
そのため、同じ流れ同じ量では太さによって運行にばらつきが出てしまう。太い回路から細い回路に流れる時に滞ったり、いくつもの細い回路から太い回路へ合流する時にぶつかり合って乱れたり、そうしたこまごまとしたしこりや瞬間的な停滞が起きることになる。これが魔力の無駄を生み出してしまう原因になるのだ。
固まり、あるいは停滞した魔力は行き場を失い、流れに戻るのではなく体外に排出されてしまう。そのまま固まっていたり停滞したりしていては順調な魔力の流れの妨げになるからだ。魔力感知や魔力操作によりその無駄を極力省き、滑らかな運行を体得することは可能だ。けれど、無駄を一切出さなくするということはできない。回路の太さが決まっている以上避けられないことだからだ。
魔力量を増やすということは回路を少しでも広げるということ、生産量を増やすということは器の回転数を上げること、質を上げるということは魔力の密度を上げ無駄をなくすということ。これは魔力を持つ生物である以上、絶対不変の理だ。理だと、少なくともアミルやハンナは思っていた。
しかし、カイルは違っていた。決定的に、根本的に違っていたのだ。カイルには体内を流れる魔力を制限するような魔力回路が、ない。回路自体は同じように全身に張り巡らされているのに、全ての回路が伸縮自在なのだ。魔力枯渇を起こして瀕死になっていた時には、魔力の器が仮死状態になり魔力を生み出していなかったため気付かなかった。だが、落ち着いて魔力を生み出し始めその流れができ、実際に感知の目で見てそれを確信した。
カイルの魔力の器から生み出された相当量の魔力は回路を通じて全身を廻り、太い回路から細い回路に入ってもその量を変えることなく突き進み、いくつもの細い回路から太い回路に合流しても回路自体が形を変えて流れを停滞させない。常に一定量の魔力が全身の隅々まで流れているのだ。しこりも停滞もできないから、魔力の無駄が生まれず魔力が体外に排出されてしまうことがない。
魔力を持つ者の証であり、特有の気配を生み出してもいる体外に排出された魔力によってできた”オーラ”というものが、カイルには一切ないのだ。魔力感知ができなくても、気配感知に優れる者であれば魔法使いを見分けることはたやすい。意図せずして魔力を纏うことによる独特の気配があるのだから。しかし、カイルに限ってはそれが当てはまらない。
魔力感知ができ、相手の魔力を見ることができる者でなければカイルを魔力持ちだとは気づけない。そして、この分ではおそらくカイルは魔力が全快したとしても、余剰分の魔力が漏れるということもないのだろう。昨日までの限界値だった総魔力量以上が今日生み出されたとしても、柔軟な回路が受け止めきってしまい、全身を流れる量を増大させ、さらにそれによってまた回路を大きく成長させる。それにより、よほど魔力を消費しない限り日々総魔力量が上がるということになる。
日々常に一定上以上の魔力を使い続けることで、しかも一日中継続して消費し続けることで、魔力の器は回転数を上げ生産量を増やさなければ生命の危機だと、日々生産される量を増やしていくことになる。大幅に使えばなおのこと、大慌てで生産量を増やす。そして、時に怪我や病気で一切魔力を使えない日などがあると、これまた生産量が足りないせいで使うことができなくなったと危機感を抱いて生産量を増やす。魔力の器の性質事態を利用した効率的というよりあまりにも非常識な方法で、魔力生産量を増やしていた。
魔力回路が伸縮するといえど、さすがに限界はある。回路同士は絡み合ったりぶつかったりしないように適度な隙間が空いているが、それを埋めるほどに太くなってしまえば互いに圧迫し合い逆に流れを妨げる。そうなった時、回路内の魔力を圧縮し、密度を上げることで回路を収縮させ隙間を保つ。この魔力の圧縮により密度を上げることで、必然的に質が上がる。
カイルは周囲に魔力や魔法に詳しい者がおらず、さらに孤児であったことで基礎を学ぶことのないまま、必要に駆られて魔法を使い続けてきた。そこに生まれついての特殊な魔力回路が加わることで、自覚しないまま総魔力量、魔力生産量、魔力の質が日々上がり続けるという異常事態が起こっていたのだ。
しかも、それらを機材を使わずに測る基準ともなるオーラには一切現れることなく。魔法使いであるにもかかわらず、オーラを一切纏わないという異質な存在として。こうした下地があり、カイルは最高位の妖魔を使い魔として従えるほどの魔力を持つにいたったというわけだ。
「へぇ、偶然が重なったとはいえ、そんなことになってたんだな。それで主従関係だと、普通の魂の契約と何か違ってくることがあるのか? 忠実な配下とか支配とか言ってたけど」
そこへきてアミルとハンナは満面の笑みを浮かべたのだ。まるで妖魔の心配など必要なくなったというように。
「主従関係となった使い魔契約では、より大きな代償を払った分だけ、有利な条件で結べた分だけ主に利のある契約になりますわ。忠実さを強いる拘束力、支配と呼べるほどの強制力を従に対して持つのですわ」
「主従関係でも多くて九対一か、八対二、普通なら七対三で代償を支払う。六対四であることも珍しくない。それくらい、負担が大きい。それに、相手もよほどの実力差がなければ、代償の格差を望まず抵抗する。それだけ、リスクも高いから」
「ってーと、俺の場合、俺から妖魔に流れ込んでても向こうからはないってことは……」
「絶対服従、完全支配。十対零のあり得ない契約。この妖魔は絶対に、一切カイルに逆らえない。命令を無視できない、かすり傷でもつけることができない。そして、カイルを傷つけさせることや死なせることもできない」
「さらには、妖魔からのパスがないということは、妖魔からカイルに対して拘束力や強制力は一切働かないということですわ。色々と脅してきましたが、そうしたことは契約的に絶対不可能ですわね」
まさに、あり得ないほどにカイルに有利、というより利しかないように結ばれた契約なのだ。偶然出会ったがゆえに起きてしまった悲劇。そう、妖魔にとってはまさに悲劇だったのだろう。ただ糧を得ようとしただけなのに、一切の抵抗を封じられ従わざるを得ない契約を結んでしまったのだから。
「魂の契約の特徴ともいえる、感覚や能力、属性などの共有は主従関係の場合、その割合によって得られる度合いが違うと聞くね。主の方は通常の契約と同じように得られるけれど、従は得られないものもあるとか」
トマスが顎をさすりながら記憶を探る。ギルドの高ランカー達の中でも魂の契約までした者は少ない。ましてや主従関係を結べた者など。
「そう、カイルの場合、カイルはこの妖魔の能力や属性、感覚の全てを獲得できる。でも、妖魔はカイルの持つ能力や属性は共有できず、感覚だけ共有してる。慣れれば妖魔の目や耳を通じて、妖魔が見聞きしたものをカイルも知ることができるようになるし、カイルが感じた苦痛を妖魔と分担することもできる。でも逆はない。妖魔はカイルの感覚を利用できないし、自身の苦痛をカイルに伝えることはできない」
「そして、最も重要な死による契約の解除に関してですが……対等であればどちらが死んでも残された方はまさに半身を失うほどの深いダメージを負い、共有していた能力や属性も失いますが、生き残りますわ。主従関係であれば、従が死んだ場合、主は代償の割合に応じた対等時以上のダメージを負いますわ。ただし、共有していた能力や属性もその割合に応じて残りますの。生き残った主が従の能力や属性の一部を引き継ぐ形ですわね。逆に従は、主が死ねばその時点で死を迎えますの」
自身の半分以上を主にゆだねる以上、主が死ねば僕もまた生きてゆけないのだ。こういったリスクがあるからこそ、主従関係を結ぶ際には慎重になる。時として自身にない属性や能力を得るために主従関係での使い魔契約を結び、無抵抗の使い魔を殺すことさえ行う者がいるのだから。
今はそのようなことは禁止されているし、一度でもそれを行った時点で、その後一切の使い魔契約を行えなくなる。これは、過去に魂の契約を利用して自らの力を高めレスティア六世界を支配しようとした存在がいたことで、世界の理を定める神界の神々がレスティアに置いてそれができないように定めたためだ。魂の契約自体を行えなくしなかったのは、それが使い魔契約の最上にして最良の関係を築くことのできる方法でもあるからだ。主従契約もまた強者が弱者を守り、弱者が強者を支えるものとして残された。
「従はある程度までなら、主の傷を自分に移せる。主が望んでもそれができる。だから、よほどの致命傷を瞬間的に負わない限り、主が死ぬことは少ない。従も主が死ねばどのみち自らも死ぬから、進んで傷を引き受ける。主が生きていれば、従を助けることはできるから。ただ、引き受けられる傷の割合もまた、代償の割合による」
つまり主が六割の代償を払っているなら、従は傷の六割までなら引き受けられるということだろう。総じて人よりも獣といったものの方が痛みにも強く生命力も高い。だから、そうした対処は合理的ではある。
「それってさ、俺の場合、こいつが死ねば俺は死ぬほどのダメージを受けるけど、こいつの全ての能力と属性を引き継げる。逆に、こいつは俺が死ぬようなことになれば……」
「カイルの身代わりになって死ぬということになりますわ。どちらにしてもカイルが生き残るということですわね」
「絶対服従、完全支配だから、ただの傷ならカイル次第だけど、死ぬほどの傷ならカイルが意識してなくても自動的に移される。つまり、カイルは一度なら生き返れる。だから、この妖魔はカイルが傷つくことも死ぬことも許すことはできない。それはすなわち、この妖魔の傷であり死になるから」
妖魔が死んでも、カイルはダメージを負うだけで失うものはなにもない。それどころか妖魔の能力や属性をすべて手に入れることになる。ひどい怪我を負うことがあれば、意識がなかったとしても自動的に妖魔に傷がすべて移り、また致命傷を負わされても妖魔が身代わりとなる。
あまりにも一方的な契約であったために、あまりにも一方的な関係性が出来上がってしまっていた。この妖魔がこれからも生きていこうとするならば、カイルに従うしかないし、カイルが傷ついたり死んだりすることを許すことはできないのだ。それはそのまま妖魔に返ってくるのだから。
「でもよ、自分から死んで解放されるくらいのことはできるんじゃないのか?」
トーマは実際には妖魔が姿を借りていただけだが、走狗が死んだと思った時誇りを貫くために自ら死を選ぶその姿に一種の感銘も受けたのだ。それと同じことができるのではないか。獣人が眷属を集める時にも、それを不服としても契約解除が認められなければ死を選ぶ個体もいると聞く。ならばそれくらいの自由はあるのではないか。
「それも無理。一割でも相手に対して代償を払っていれば、それくらいの自主性は残される。でも、零だから自分から死を選ぶこともできない。仮に、カイルに死ねといわれても、拒否することもできない。それくらい、自由がない。つまり、この妖魔をどうするか、それは全てカイル次第」
みんなカイルを見て、カイルはそれを受けて胸元でうずくまるようにして震えていた妖魔を見る。もういっそ泣いているのでは、と思えるくらい項垂れている。使い魔契約のことを知られていないと思い、自身の不利を隠すように虚勢を張り、八つ当たり気味に恐怖を振りまき、真実を知られることのないように恐喝まがいの提案をもちだした。
そうまでして自身の弱みを隠そうとしたのに、あわよくば恐怖で逆にカイルの行動を縛って恩に着せてやろうかとも思っていたのに、カイルが立ち直ってしまい開き直ったことで全てがつまびらかになり、思惑は瓦解した。
契約というものは、双方が内容を熟知することでより一層その効力を強める効果がある。一方が知っているだけでも効力を発揮するし、知らない方に対しては有利に立てる。たとえそれが、決して覆せない完全支配の契約であっても。だが、知られてしまえば立場は逆転どころか地に落ちる。
カイルがすべてを知った以上、妖魔の未来もこれからの扱いに関してもすべてをゆだねなくてはならない。あんなにも怖がらせ、絶望させ、未来を諦めさせようとした妖魔にどのような処断を下すのか。それを思うと、妖魔は情けなさと悔しさと決してぶつけられぬ憤りに打ち震えて、涙さえ浮かびそうになるのだ。




