魂のない人形
レイチェルたちも回復したが、ゼメトルの器もまたつけた傷が回復していた。切られた服まで直っているところを見るに、服も器の付属品ということなのだろう。
半端な武器では傷一つつけることができないといわれている神の宿る器。傷をつけても時間とともに修復し再生する。
普通に考えれば難攻不落の敵であり、戦うのがばからしくなってくるような相手だ。
「カイル……」
「……見つけた」
これからどう攻めるか、そう尋ねるかのようなレイチェルの声に、カイルは小さな声でつぶやくとおもむろに剣を振った。
何もない空間を素振りするように降られたそれは、直後に大きな変化をもたらした。何かに亀裂が入るようなピシリという音とともに、ガラスの割れるような音が響く。
すると、ゼメトルの背後百メートルほど後ろに建造物が現れる。それは建物のようでいて、何かしら儀式に用いるような様式でもある。
四方に立つ高くて白い柱の上にドーム型の天井がかかり、その下にある十数段の階段を上った先にある床の上には複雑な文様を描く魔法陣が描かれていた。そして、その魔方陣の上には不思議な入れ物に入った女性らしき姿が見える。
魔法陣のほうは複雑すぎてどのような効果があるのか一目では分からない。けれど、女性が入れられている容器には見覚えがあった。
かのデリウスの本拠地にある実験場、あるいは研究所とも呼べる場所で数多く設置されていたもの。実験体やサンプルなどを保存しておくためのものだ。
「なっ! き、貴様どうやって、何をしたっ!」
建物の出現に驚いたのはゼメトルも同様で、むしろひどく動揺しているようにも見受けられた。
念入りに隠していたのだろう。カイルとて戦闘を完全に放棄し、ゼメトルの注意をそらしたうえで全力で探ってようやく見つけた入口だ。
「何のために俺が観戦してたと思ってる? これで条件は五分だろう? それに、俺たちの目的はあんたの撃破だけじゃない。あんたのやろうとしていることの阻止も含まれてる。なら、手っ取り早くそれを破壊するのが一番だろう?」
ゼメトルは長い時間をかけて準備してきたといった。その過程でデリウスのような組織とも協力して実験を繰り返さなければ完成しないほど繊細で膨大な術式であることも。
ほんのわずかでもほころびがあればたちまちすべてが無駄になるだろう。だが、こちらとて命と人界の未来をかけて戦っているのだ。ゼメトルだって相応のものをかけてもらわなければ割に合わない。
「貴様、最初から……最初からこれが狙いかっ!」
「あんたみたいなタイプは、大切なものほど身近に、それでいて外からは手出しできない場所に置くだろう? この空間を探った時、あるんならこの中だろうと思ったからな」
どこにいるとも探れなかったゼメトルだが、だからこそその居場所や重要施設のありかは予想しやすかった。
神王の目でも探れないということはそれを避けられる場所に、それができる措置を施しているということ。それも、デリウスの時のように自分がいる時だけの一時的な目くらましではない。完全に隠蔽できる手段を用いているのだろうと。
そうなると方法は限られる。そして、かつてレオノーラを隔離していたのはこれと同じような空間であったという。
今回も同じような空間を構築し、その中にいるのだろうといわれていた。向こうから仕掛けてこなければこちらで探るしかない。それでもいくつかの候補地はあった。どうあっても決して消し去ることのできない痕跡が残されていた場所が。
戦後処理が落ち着けばそこを総当たりする予定だった。そのうちの一つには必ず本命があるはずだから。
こちらの挑発に乗ってかゼメトルの行ったことは、要は手間を省いてくれたにすぎない。いつだって戦う準備と心構えはできていたのだから。
「くっ、………くくっ、フフフ、アパハハハハ」
カイルの言葉に悔しそうにうつむいたゼメトルだったが、肩を震わせると突然笑いだす。その笑いはだんだんと大きくなり、最後は大声をあげて天を仰ぐ。
「なるほど、優秀だ。ああ、そうだろうとも。かの領域の王達が手を貸すような相手だ。これくらいのことはできるだろう。だが、だが少しばかり遅かったな」
ゼメトルの言葉にカイルは眉を寄せる。
「貴様の仲間が時間稼ぎをしているのは知っていた。あわよくばそれでわたしを倒そうと考えていたことも。だが、それはわたしとて同じ。こちらこそ時間稼ぎをしていたのだ」
両腕を広げ、自慢するように語る。その言葉の端々に隠し切れない興奮がうかがえた。
予想以上に弱かったのも、この空間の仕様もそのためだというのか。倒せそうで倒せず、戦うほどの消耗していく。相手に長期戦を強いるならなるほど、適しているといえるだろう。
「わたしが、きさまらの幼稚な挑発に乗ってここに呼び寄せたと思ったか? 違うな、まるで違う。すべては整い、あるべき姿に戻る。その瞬間を見届けさせる観客とするためだ。そして、貴様らの死をもって世界に知らしめる。何者もわたしと彼女の邪魔をすることはできないと」
ゼメトルが言い終わるか否かの瞬間、描かれていた魔法陣が強烈な光を放ち始める。同時に膨大で、いたましい力が魔法陣の中央にある装置に集中し始める。
「貴様らは歴史上最初の目撃者になるのだ。神でさえ、領域の王でさえ許されぬ死者蘇生成功の瞬間に!」
ゼメトルの哄笑と空気が悲鳴を上げるような甲高い音が鳴り響く。レイチェルはすぐにでも儀式を止めたかったが、膨大な神力が一か所に注がれる余波によって身動きが取れない。
唯一この状況下でも動くことができそうなカイルに目をやると、彼は不敵に笑っていた。
どう考えても笑えるような状況ではない。絶対に許されない禁忌が行われようとしている。
自分たちの目的の一つはこれを止めるためだったはずだ。それなのにそれができるだろう存在は黙ってそれを見ているだけだった。
疑わないと決めた。迷わないと誓った。そして生涯を共にすると己のすべてを捧げて守り、共にあるとを定めた。
そのレイチェルから見ても、今のカイルの行動は理解できないものだった。
神王からの話を聞いた後、カイルは何か考え込んでいるようだった。しばらく気持ちと情報の整理をしたいと一人で空間の中に入っていった。
あの時、空間の中の時間がどれほど拡張されていたのかレイチェルは知らない。けれど、そこから出てきたカイルは、以前とはどこか違って見えた。
なんといえばいいのか、それまでもデリウスやゼメトルに対する怒りと決意は確かなものだった。だが、それに付け加えてあまりにも切実で、重い荷物を背負ったかのようだった。
それ以降、カイルが己に課す鍛錬がそれまで以上に過酷で長いものになっていったのを覚えている。
一体その間に何があったのか、聞くことさえはばかられるほどカイルの横顔は真剣そのものだった。その理由が、今ここにおける行動につながっているのではないか。
漠然とそう感じられ、声をかけるかどうかをためらっていると、視線を感じたのかカイルがレイチェルに顔を向けた。
そして、笑って見せたのだ。敵に見せるような挑戦的な不敵な笑みではない。いつものような笑みでもない。
すべてを包み込み、そのうえで安心しろと語りかけてくるような笑み。こちらの勝利をかけらも疑っていない笑みがそこにあった。
そんな間にも儀式は佳境へと向かい、集約した神力が容器の中に浮かぶ体に吸い込まれていく。そしてすべての光が収まった時、容器にひびが入った。
足元から頭に向けて無数のひびが入ると、パリンという軽い音とともに破砕し、中にあった液体が流れ出る。
そうして、中にいた一人の女性が己の足で立っていた。
「ふ、はは、ハハハハハ。そうだ、これでいい。これでまた、わたしは、彼女とともにっ!」
ゼメトルは一瞬にして彼女のもとに向かうと、腰を抱きかかえるようにして寄り添う。そして、一瞬で裸だった彼女にふわりと服を出現させた。
生まれたばかりの彼女にふさわしく真っ白で、彼女がよく好んでのと同じ着ていた飾り気のないワンピース。
彼女と連れ添うようにして、再びカイル達の前にゼメトルが戻ってくる。その顔は喜色と充足感に満ち足りており、同時に防ぐことができなかったカイル達をあざけっていた。
「どうした? わたしの計画を止めるのではなかったのか? 分かっただろう? お前たち程度ではこのわたしを止めることなどできない! 神に人がかなうはずがない、逆らうことなどできないのだ! 無駄な努力だったな? これでもう人界には用はない。わたしと彼女の逢瀬を邪魔するものはすべて……滅びればいい」
かつては人界を見守る立場にあった神とは思えない言葉。道を踏み外し、堕ちてなお消えることのなかった執着。
邪神と化したゼメトルの放つ黒い神力は生きとし生けるすべてのものを傷つけるだろう。
彼女のそばに自分以外の誰の存在も認めず、彼女から人としての人生と幸せを奪った存在。友愛を司りながら、慈しむべき人から友も愛も奪い、踏みにじった存在。
そんなゼメトルの姿を見て、カイルは目を閉じる。そうすると浮かんでくるような気がした。魂の奥底に眠る痛みの記憶とそれを許すなという声が。
カイルは一つため息をつく。この瞬間を待っていたのはゼメトルの方ではない。むしろカイルの方だった。
カイルは仲間の誰にも言っていないことがあった。表向きゼメトルの計画を阻止すると同時に、今この瞬間を望んでいた。
ゼメトルの二千年をかけた計画が成就する、この瞬間を。ゼメトルがそのことに歓喜し、興奮し、己の勝利を確信するこの時を。
危険もあった。全力で止めようとしていた仲間達に対する後ろめたさもある。それでも、そうしたいと思った。
だからこそ笑う。何も理解していないゼメトルを、心の底から哀れみ軽蔑し、嘲笑する。二千年の時を超えた、ささやかな、それでいて致命の一撃をもたらす反撃のために。
「ふっ、くっく、はは、あはははは」
「なぜ笑う! 失敗して気でも触れたか!?」
突如笑い出したカイルにゼメトルが眉根を寄せる。顔と意識はゼメトルに向けたまま、仲間達も不審げな空気を向けていた。
けれど、ああ、なんていい気分なのだろう。かつて、あの時、できなかったこと。全身全霊をかけた反撃は思わぬ介入で不発に終わり、不完全燃焼のまま生涯を終えることになった。
だが、それでもまさかこんな機会が訪れるとは。人生というのは本当にわからないものだ。幸せだった日々が、理不尽に一方的に踏みにじられることもあれば、こんな風に思わぬ形で長年の思いが、願いが成就することもある。
神に望んだのはもう二度と同じような形で再会しないため、奪われないため。それがまさかこんなことになるなんて。ようやく、自分自身の手で幕を下ろすことができるなんて。
「『ああ、なんていう幸運かしら』」
カイルの口から、カイルの声ではない別の誰かの声が発せられる。しかし、同時にそれはカイルが発したものだという確かな認識もある不思議な感覚だった。
そして、その声を聴いたとたん、ゼメトルの様子が一変した。
驚愕に目を見開き、口を開けたまま自身の腕の中にいる女性とカイルとを見比べる。
「な、んだ。どういう、なぜ、そんな……そんなことがっ!」
「? なんだ、あいつなに動揺してんだ?」
声を潜め、トーマが近くにいたハンナに問う。こんな状況で一番頭が回るのは彼女だ。けれど、そのハンナも難しい顔をしたままカイルとゼメトルを見ていた。少し不満そうな顔をして。
「また、隠し事」
「『ごめんなさい。この子を怒らないであげて。わたしが頼んだのよ。この手で、あの日の決着を、あの男にって』」
姿かたちは変わらずカイルのままだ。でも、中身が違うと誰しもが考えた。しかし、乗っ取られたりという感じではない。むしろ……
「まさか……まさか、そんな、レオノーラ!!」
「『久しぶりね、といいたいところだけど気安く名前を呼ばないで。何度も言ったでしょう? わたしは、あなたを絶対に許さない。必ずあなたに報いを受けさせる、って』」
「転生、でしょうか? 通常は前世の記憶や人格が現れることはないと聞きますが……」
アミルも考察する。死んだ魂は冥界へと向かい、そこからまた新たな肉体を得て生まれてくる。その際に前世の記憶はすべて魂の奥底に封じられ、生きている間によみがえることはない。
しかし、カイルが持つ魂属性、それは魂への干渉を可能にする。それがゆえにこのようなことが起きたのだろうか。
「『そう。わたしは、神王様に償いは何がいいかと聞かれて、こう答えたの。これから先、決して女としては生まれてこないように、って。この世界で生まれついての性別がそこまで大きな意味をなさないことは知ってるわ。でも、わたしはもう二度と女として生まれてきたくはなかった』」
これがレオノーラが己の魂に課した枷。どれだけ時間がかかろうとも、己の魂を受け入れる器は男でなくてはならないと。
魔法や薬で性別を変えられるレスティアでは、あまりにも意味のない抵抗かもしれない。ほんのささやかな意趣返しにしかならないだろう。
それでも、レオノーラは女として生まれることを拒んだ。それほどまでに、ゼメトルによって奪われた女性としての、人としての尊厳は重かった。
「『愛なくして宿った子供を産むのは一度で十分。あの子のおかげで以降は愛のない行為では命が宿ることはなくなったわ。あの子はあなたの子供とは思えないくらいいい子で、残りの人生は穏やかに過ごせたわ。でもね、それでも消えなかったの。あなたに対する怒りと、この決意だけは!』」
レオノーラの一件は、それまで行為さえ行えば宿っていた命に制約をかけることになった。すべての種において出生率は一律に下がることとなる。
それでも、愛されずに生まれてくる子供が、望まずして宿り殺される命が減ったことを思えば十分に釣り合いが取れるものだった。
世の中の男女の在り方を大きく変えたこの出来事は、しかしてその発端が何だったのか伝えられることはなかった。
それでも多くの、特に虐げられ出産を強要されてきた女性たちの救いになった。今一度絆の大切さを、お互いを慈しみあい愛するということを再認識させた。
カイルの体に宿るレオノーラは、ゼメトルが腕に抱くかつての己を見る。代々の神子に継がれていった黒髪は腰のあたりまで伸びている。
紫眼の巫女であったために、元の色を知るものは少ない。けれど、その眼は鮮やかな青。カイルの母親であるカレナに受け継がれていた色。
容姿は特に優れているわけではない。懐かしくは思うが、その姿をした者は己では決してない。魂のない人形、注ぎ込まれた神力でゼメトルの意のままに動く、疑似天使。
そこにレオノーラの意思はなく、そこにレオノーラの魂は宿らない。
あの術式は冥界にいる魂を召還して宿らせるもの。すでに転生して新たな肉体を得ているレオノーラに影響を与えるものではなかった。
一応そのための備えをしていたが、無駄に終わったようだ。もともと魂と肉体の結びつきは強い。確かにかつてのレオノーラの肉体と今カイルに宿る魂はどこかで引き合うものもあるだろう。
それでも、今の結びつきのほうがずっと強い。レオノーラはすでに過去の存在なのだ。転生して今はカイルとして生きている。こうしてレオノーラの意識が出ていることさえ奇跡。
今の魂の主であるカイルがレオノーラの希望をかなえてくれたに過ぎない。だからこそこのひと時を大切にしよう。
二度と心残りなどないように、もう二度と面倒をかけないように。今この魂はカイルとして生きている。自分の出る幕などないし、してはいけないだろう。それでも、二千年越しの後始末だ。心置きなくカイルの魂の奥底で眠るため報復の刃をふるおう。
「『相変わらず未練がましくて、独りよがりなのね。ねぇ、わたしがあなたにどうやって報いを与えようと考えていたか、知っているかしら?』」
「レオノーラ、レオノーラ、わたしは、お前を……」
腕の中の人形を手放すこともできず、けれどカイルのほうに向かって手を伸ばしてくるゼメトル。そんな姿を見てレオノーラは目を細めた。
与えられたチャンスは一度、許されたのは一撃。二千年前には持つことのできなかった強大な力が今手の中にある。ならば。
「『あぁぁぁぁあ!』」
目に見えないほどの速さで振り下ろされた聖剣。同じ魂を持つといえど、本来レオノーラには扱うことができなかった力。共有する魂と契約者達の許可、神王の加護によってただ一度だけ許された一撃だった。
カイルに宿るレオノーラに手を伸ばしたまま、ゼメトルは目線を腕の中の存在に向ける。先ほどまであったぬくもりが消えていく。
「れっ、レオノーラ! いや、これは器で、魂はっ! だが、レオノーラ! なぜだ、なぜ、わたしを拒む!」
魂が宿らぬ、形だけの存在とはいえ、二千年かけて用意した器だ。それが今ひとたび、愛する者の生まれ変わりによって奪われようとしている。
混乱し、憤り、悲哀にくれながらゼメトルが叫ぶ。どうして自分の愛を受け入れないのか。どうして、殺したのかと。
「『あなたに囚われてから、わたしはずっと死にたかった』」
「レオノーラ?」
「『愛する人を失い、人々から拒絶されて、その上助けてくれたと思った人に裏切られ、すべてを仕組まれていたと知った。ずっと、死にたかったわ。でも、あなたがそれをさせなかった』」
生きる希望がなかった。生きていてもどうしようもなかった。それなのに死ぬことができなかった。だから、レオノーラは生きる覚悟をした。生きて生きて生き抜いて、いつかこの男の目の前で死んでやるために。
どれだけ求めようとも、どれだけ愛そうとも決して手に入らない存在があることを知らしめたかった。愛せば愛されると、愛していれば何をしてもいいのだと思っているこの神に思い知らせたかった。
そのために、目の前で盛大に死んでやるために力を蓄え生きていたのだから。
「『これはけじめなの。わたしは、神々に救われあなたからわたしを奪い返すことができなかった。ずっとそのことが心残りだったわ。でも、生まれ変わって過去を聞いたこの子が、わたしのことを思い出してくれた。はじめて、神に感謝したわ』」
こんなことがあるのかと。救われ、穏やかな余生の中で緩やかに薄れていった思い。けれど生まれ変わっても消えることのなかった思い。それを成し遂げることができるかもしれないなんて。
「『あなたには、わたしの髪の毛一本たりとも渡さない。わたしの心は永遠にあなたのものになんてならない。わたしの魂は、絶対にあなたを許さない!!』……ああ、その通りだ。俺は、俺達はお前を許さない。お前の好きにはさせない。人の幸せを奪って手に入れたものが、その手に残ると思うな!!」
聖剣の破壊の力を受けて光とともに無に帰したレオノーラの器を見届けると、レオノーラの意識は深く魂の底へと沈んでいった。
意識が切り替わる一瞬、とても穏やかに、そして満足げにほほ笑む彼女の姿が見えたような気がした。




