バルドンとの決着
レイチェルサイド
レイチェル=キルディスにとって、剣とは生きる道であり、騎士とは希望そのものだった。
生まれた時から言われ続けてきた。期待外れだと、両親の家の名を汚す存在であると。それでも生きてこられたのはひとえに両親のおかげだった。
誰もがレイチェルを蔑むような眼で見る中、両親だけはレイチェルを他の魔力のある弟妹と分け隔てなく見て育ててくれた。
両親にとって子供が魔力を受け継ぐかどうかなどどちらでもよかったのだろう。ただ、愛する人との子供であるというだけで、生きている価値があった。
けれど、幼い頃のレイチェルにはそのことが分からなかった。
自分を見る周囲の冷たい目に傷ついてきた。魔力を持たない自分に対しても優しい両親になぜか胸が痛んだ。
そして、人界大戦によって幼い心に刻まれた怒りと決意。それがレイチェルに剣と騎士の道を選ばせた。
悩み苦しむレイチェルに父がくれた言葉は今でも覚えている。
『魔力のあるなしで人の強さや価値が決まるわけではない。どれだけ強い力を持とうと、目標を成し遂げる強い信念がなければ何事も達成することなどできない』
その言葉だけをよりどころに、ただひたすらに剣の道を磨き続けてきた。きっとその過程で見落としてしまったもの、気付くことができなかったものがたくさんあったのだろう。
そのつけを払うように兄弟仲がこじれ、両親とも微妙な溝が出来てしまった。それを見たくなくてまた剣に打ち込む。
もし、あの時カイルに出会わず、胸の中にある棘を抜くことが出来なかったなら、きっとレイチェルの道はどこかで行き詰っていたに違いない。
現にあの段階でも自身の限界を感じていた。あのままの心持ちでは、あのままの信念ではきっと壁を超えることなどできなかったに違いない。
必死で腕を磨いてきた。剣術大会に優勝して剣聖筆頭という見える形での結果も残せた。けれど、聖剣には選ばれなかった。
それこそが答えだった。レイチェルが歩んできた道は間違いではなかっただろう。けれど、あまりにも見落としてしまったものが多すぎた。
もう少し肩の力を抜いてもよかったのだ。もう少し自分本位に生きたってよかった。もう少し自分を好きになってよかったのに。
両親がどれだけ自分に心を寄せてくれているのか知らなかった。弟が自分のせいで苦しんできた現実を見ようとはしなかった。そんな二人をどうにかできないかと妹が苦悩していることにさえ気付かなかったのだから。
カイルと出会ったことで、レイチェルの世界が急速に広がっていった。今まで見えなかったもの、見ようとしてこなかったものが見えるようになった。
そうして周囲を見渡せば、自分が今までどんなふうに生きてきたのか、客観的にとらえることが出来た。
強くはなれた。けれど、それは戦う技術が磨かれただけに過ぎなかった。本当に強くならなければならなかったのは心だったのだと気付けたのだ。
そうして心に余裕が出来ると、それまでどれだけ鍛錬を積んでも超えることが出来なかった壁をあっさりと超えることが出来た。
周囲に同年代の競える仲間が出来たことも大きかったのだろう。そして、人に教えることでまた自身の理解も深まっていった。自分に何が足りなかったのかということを実感できた。
感謝している。言葉には言い表せないくらい、カイルとの出会いを、カイルの存在全てに感謝している。
自分とは全く違った環境で生まれ育ったカイル。周囲からの期待を一切受けなかった代わりに、自分よりもはるかに冷たい目で見られ続けてきた。
出会ったばかりの頃のカイルの実力は自分よりもかなり劣っていた。それなのに、自分よりもずっと強い心を持っていた。
折れない、曲がらない、腐らない心。それこそがレイチェルが持っていなかったもの。周囲の眼を気にするばかりに自身を認めることが出来なかった弱さだった。
そのカイルは、今や自身では届かないだろう高みにまで登ってしまった。そのことを嘆くつもりはない。多少思うところはあっても、その実力に見合うだけの努力をしてきたのだということを知っているから。
むしろ、身に付けた実力をもってしても背負いきれないほどの重責を担っていることを知っている。
何度無理はするなと言っても聞かない。自分のためなのだと言いながら、いつだって自分以外の誰かのために動いている。
だから、守ると決めた。自身の全てをかけて、自身の一生をかけて守ると決めたのだ。
昔は自分のことで精一杯で、自分が仕えるべき相手など考えたこともなかった。近衛騎士として王族を守るべき立場になっても、どこか他人事のようだった。
実際、王族を身を挺して守ることはあっても、心の底から、命を懸けてまで守りたかったのだろうかと考えると首を傾げざるを得ない。
それはきっとその身は捧げても、その心を捧げることが出来なかったからだろう。自分のことで精一杯で誰かを受け入れることのできなかった心では、本当に誰かを守ることなどできなかったのだろうから。
四天王と名乗った男の腕が轟音を立てて大地を穿つ。レイチェルは素早い身のこなしでそれを躱すと同時に踏み込むと剣を振り下ろす。
しかし、わずかな傷を作るだけで弾かれてしまった。先ほどからこのようなことを何度も繰り返している。
相手の攻撃は常人に比べれば目を見張るほどに速いが、レイチェルにとってはかすり傷さえ追わないほどのものでしかない。
それよりはるかに素早い相手と常日頃から剣を合わせているレイチェルにとっては軽々とかわせるものだ。
しかし、かわせても決定打を打ち込むこともまたできなかった。これが四天王の一人バルドンの取り込んだ魔人の特性なのだろう。
並の金属を越えるほどの強固な肉体と、圧倒的な攻撃力。爆砕の名に恥じないほど、攻撃した個所ははじけ飛び、砕け散っている。
「くそがっ、ちょろちょろしやがって。んな剣当たっても痛くもなんともねーってのに」
「そのようだな。だが、そちらの攻撃も当たらなければ怖くもなんともないな」
一度距離をとってにらみ合う。バルドンの意識は今はレイチェルに釘付けになっている。新たな理の制定を行ったことで少なからずカイルは消耗している。
それに今後のデリウスとの戦闘においても自分達がカイルと肩を並べて戦えるのだということを証明しなくてはならない。
四天王は相手としては不足がない。思う存分やらせてもらおう。
「ちっ、剣聖と五大国のお偉方をぶっ潰せばいいと思ってたが、めんどくせぇことになったな」
「ふん、そう簡単にやらせるわけがないだろう。少なくともわたしを倒さない限り、剣聖とは戦うことは出来ない」
「はっ、女に守られて恥ずかしくねぇのかね」
あざけるような、挑発するような口調でバルドンが吐き捨てる。以前のレイチェルならそれで激高していたかもしれない。
しかし、今はそれを冷静に受け止めることが出来る。これもまた成長と言えるのだろう。
「戦う力を持たない者を蹂躙するしか能がない貴様等に言われたくはないな」
「なっ」
「少なくとも、人質をとって要求を突き付けたりなどしていないだろう?」
カイルがデリウスに対して仕掛けたことは全てあちらの卑劣な攻撃手段や戦力増強手段を奪うこと。パーティ参加者達の命を盾に戦いを強要してくる彼らとは違う。
それに、彼らが気付いていないだけで、カイルは重要な役割を今も果たしている。レイチェルを含め、バルドン達に応戦している者達が心置きなく戦えるのはそのおかげなのだ。
「ちっ、組織のやり方は俺には合わねぇんだよ! 真正面からやり合えばいいっていってんのにいつも回りくどいことばかりしやがって……」
「それが今回の独断専行の理由、か。呆れて物も言えんな」
かつては騎士の中でも孤立しがちだったレイチェルだが、今なら分かる。彼らのやっていることが自分達の首を絞めることに他ならないということが。
自身の狭量な考えで動くことがどれだけ愚かしいのかということが。
もし彼らがあの人数で、あの戦力でこちらの陣営をどうにかできると考えているのだとすれば大きな間違いだ。
そしてまた、こちら側も情報収集のために彼らを捕縛する必要もないということを分かっていない。
そう、レイチェル達はバルドン達を生きて捕える必要などないのだ。彼らが自分達を殺しに来たように、こちらも相手に対して遠慮をする必要などない。
なぜなら、相手の情報を知る手段は既に存在している。わざわざ危険な敵を生かして内情を探る必要などないのだから。
彼らの最初に見た余裕はたとえどのようなことをしたとしても情報源として生かされるだろうということからくるものだろう。
向こうは殺し放題で、こちらは殺すことが出来ない。そう思うからこその余裕。だが、次第にその余裕の仮面もはがれ始めている。
レイチェルはバルドンから目を離さないまま、他四つの戦況を探る。どちらも向こう側が追い詰められている様子だった。
予想以上にこちらの戦力が上だったこと、そして何のためらいもなく致命傷を負わせるだけの攻撃を続けているからだろう。
「ちっ、話が違うじゃねぇか。魔人の力を手に入れたら人間なんざ敵じゃねぇんじゃなかったのかよ」
バルドンも予定が狂ったからか口の中で小さく悪態をつく。誰からそんな情報を得たのかは分からないが、どうせろくでもない輩だろう。
だが、向こうがこちらの戦力を見誤ってくれているというなら幸いだ。こちらの情報を詳細に知られていないということなのだから。
「貴様の力はこれがすべてか?」
「ああ?! どういう意味だ?」
「貴様の力がこれで全てなら、もう戦いを終わらせようと思っているだけだ」
組織の中で四天王の地位についているということなら、少なくともバルドンの実力はデリウスでもトップレベルということだろう。
だから、最初は実力を測っていた。今の自分達の力が彼らに通じるのかどうか。どれほどの力を持ち、どれほどのことが出来るのかということを。
これまでのやり取りでおおよその判断はついた。よほどの切り札がない限り、この勝負の結果は変わらないだろう。
「何言ってるんだ? 俺にかすり傷一つ追わせられなかった癖に……」
「ああ、手加減していたからな。一太刀で切り伏せてしまったなら、貴様の実力を測れないだろう? 四天王というからにはそれなりの地位と強さを誇るのだろうからな」
レイチェルの言葉から、試されていたのは自分の方だと理解したのだろう。バルドンの顔が怒りに歪む。
「テメェ、俺を舐めてんのか?」
「奇襲をかけ、愚直に突っ込んできたのはそちらだろう。こちらは応戦ついでに確認していただけだ」
飾り気のないレイチェルの言葉。だからこそ、バルドンのような相手にはひどく自尊心を傷つけるものとなる。
「そうかよ、そんなに見てぇなら見せてやるよ! 本気ってやつをなぁ!!」
バルドンの叫びと共に黒い魔力がバルドンの体から吹き上がる。魔人達との模擬戦においても幾度か見られた現象。
魔人達がその真価を発揮する時に起きる魔力の奔流だ。
レイチェルは一層表情を引き締めると、ぎゅっと剣の柄を握りしめる。ここからが本番だ。本来の戦いであれば相手の本領を発揮される前に勝負を決めるのが正しいやり方だ。
どれだけの実力者であろうと戦争においては勝てなければ意味がない。そのためなら相手が実力を出し切る前に勝負を決めるべきなのだ。
だが、その前に確かめる必要があった。今の自分の強さというものを。自分の命よりも大切だと思えるものと肩を並べて戦えることを自他ともに確信するために。
浅黒かったバルドンの肌が光沢を持ち光を反射する。かなりの硬度を持っていることをうかがわせる様相だ。
そして、その両腕は赤黒い魔力を纏い、炎のように揺らめいている。恐らく触れるだけでかなりの衝撃を受けるだろう。
これからは本当に掠ることさえ許されない戦いが始まる。だが、不思議と恐怖はなかった。それどころかどこか心が高揚している。
今まで磨き続けてきても特定の相手にしか振るうことのできなかった自身の全力。それを発揮してもいい相手がいるのだ。そして、相手の生死に関して考慮する必要がない。
レイチェルは気の力を全身に巡らせると、愛しい相手から送られた魔法具を起動させる。一目見てどれだけの試行錯誤の末に生み出されたのか分かる魔法具。
レイチェルのためを思って、レイチェルのためだけに作られた魔法具だった。だから、それに応えなければならない。
身に付けていた魔法具が淡く光ると、生まれつき持つことが出来なかった魔力が全身を包み込むのを感じた。よく知っている、温かくて力強い魔力。
魔力を持たなかったことで魔法具を使い続けてきたレイチェルには分かる。魔法具を発動した際に感じる魔力は、魔法具に魔力を込めた者によって感じ方が違うことを。
以前は母やアミルが、それより前は見知らぬ他人が込めた魔力だった。だが、今レイチェルの魔法具に魔力を込めてくれているのはカイルだ。
魔力を通じて感じるカイルの深い愛情。魔力を通じてもレイチェルを守ろうという意思が感じられる。
その思いが功を奏したのだろうか。あるいは魔力を持てなかった自身であってもハーフエルフとして特定魔力への適性や相性があるのだろうか。
カイルの魔力は驚くほどにレイチェルの能力を引き上げた。同じ魔法具を使っても、他者が魔力を込めた場合とはっきり違いが分かるほどに。
レイチェルはスッと腰を落とす。父からそれこそ骨身に染みるまで叩き込まれた剣技。血のにじむような思いで身に付けた技術。
どれほど強大な相手を前にしようとも、レイチェルはカイルの騎士だ。敵を前にひるむことなどあり得ない。
バルドンが地面を爆砕させながら飛び出す。その速度は先ほどとは段違いで残像が残るほど。腕を振りかぶり、頭二つ分ほど低いレイチェルにめがけて振り下ろす。
バルドンは微動だにしないレイチェルを見て口の端を歪める。やはり自分の力は最強だと。何者の攻撃をも通さない体とどんな相手も吹き飛ばせる拳。これさえあればすべての敵をなぎ倒すことが出来ると。
そう確信したバルドンの拳が、レイチェルの頭があった場所を突き抜ける。
勝利を確信していたバルドンの笑みが凍り付いたのは、拳に何の感触もなかったからだ。
確かに打ち抜いたはずのレイチェルの姿が、吹き荒れるバルドンの魔力にかき消される。その時になって初めてバルドンはそれが残像が生み出した幻であったことを知った。
ヒヤリとした感覚が背筋を走り抜けると同時に振り返る。
いつの間にか、レイチェルは自身の背後に、それもそれなりに離れた場所に立っていた。しかし、剣はだらりと下げ、棒立ちのように突っ立っている。
バルドンは眉を顰めると同時に再び構えようとした。レイチェルの行動が不可解だった。なぜ構えないのか。避けるのに精一杯で動けないということもあるまい。
そう考えていたバルドンだったが、次第に異変に気が付く。
先ほどまでは確かにあった手足の感覚が消えうせていた。本当に今も自分の手足があるのか確認しようとして、視界がずれる。
まるで高い場所から落ちるかのように地面が近づき、衝撃を感じると同時に視界が反転する。そして見えたのは信じられない光景。
両手を失い、心臓部に穴が開き、首から上がない己の体だった。
「は?」
頭だけの状態でわずかなりとも声が出せたのは魔人としての生命力からだろうか。だが、それがバルドンにとって最後の言葉となった。
信じられないという驚愕を宿したまま、バルドンはその生涯を閉じることになる。
認識することはおろか、痛みを感じることさえないままに、幾度剣を振るわれたのか分からないままに。




