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レスティア物語  作者: マリア
第五章 動き出す歴史
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生きた証を残すということ

 落ち着いて、カイルと共に当時の状況を説明していたアマンダはそこで一筋の涙を流す。悔しかったのは事実だ、打ちのめされたのも、自分自身の愚かさを自覚させられたのも。

 だからと言って、カイルを恨むのは筋違いだったのに。あんなに小さな体で、ただ一人耐えていたカイルに共感することはあっても、憎むことなどしてはならなかったのに。

 自信満々に挑んだだけに、アマンダがいた組織が受けたダメージは大きかった。同時にその後、逃げだすまでのアマンダの扱いも、それまでとは全く違うものになってしまった。

 一か月ほどの間、絶えず愚痴と怨嗟を聞かされ続けたアマンダは、正常な精神を取り戻したがゆえにそれに耐えきれず、逃げ道を探してたどり着いたのがカイルだった。

 彼がいなければ、自分がこんな風な思いをすることなどなかったのにと、逆恨みをしたのだ。


 カイルと出会ったことで受けた衝撃があまりにも大きすぎたから。その後の変化が自分の人生そのものを変えかねないくらいのものだったから。

 体は大きくなっても、精神的には成長することができていなかったアマンダにはそれを受け止めることができなかった。

 こうやって大きな愛を得て、ともに生きていける人がそばにいることでようやくアマンダの年齢に精神が追いついてきた。当時の関係者と顔を合わせることで、やっと自分が抱いていた本当の気持ちに気付けた、受け入れるだけの強さが持てたのだ。


「どのような理由があったとはいえ、わたくしが過去をごまかしディズーリア家に入ったことは事実です。逆恨みからカイル様をおとしいれようとしたことも。その責任はどのようなものであれ取るつもりです。ですが、ですが願わくば失いたくありません。ようやく、ようやく手にした幸せを、わたしは……身勝手と言われようとも、手放したくないのです」

 自分の過ちが招いたことなのに、贅沢がすぎるだろう。アマンダの過去に同情すべき点は多々あるが、だからと言って簡単に許していいものでもない。

 似たような境遇にあるものは多く、何よりカイル自身同じような過去を経験してきているのだから。

 カイルは改めてアマンダを見る。涙のせいで化粧が崩れていたり、髪やドレスも見る影もないが、それでも最初に見たときよりずっと美しく見えた。ようやく本当の彼女自身の輝きを取り戻せたように。


「……まぁ、どうにでもやりようはあるよな。要は悲鳴を上げたもっともらしい理由があればいいんだろ? でもって、貴族が身分違いの結婚をする時、アマンダにしたような方法は珍しいことじゃない」

 相手の家の格が見合わない時、養子縁組などを利用して仮の身分を用意するのだ。そういったこともヒルダやエリザベートから学んでいた。

「カイル君、それは……」

「どこで誰の手が伸びるかも分からないのに、うかつに一人になった俺にも責任はある。周囲に気を使って魔法を使わなかったのも、な」

「そう簡単にはいきません。国としても貴族としても面子がありますので」

 トレバースに引き続きエグモントもいい顔はしない。同情はするが、こんな各国のお偉方が集まるパーティで騒動を起こしておとがめなしでは国の沽券にかかわる。

「当人がいいって言ってもか?」

「……妻のしでかしたことに対する責任はとります」


 ボレウスもエグモントと同意見のようで、アマンダは悲しい顔をしつつも受け入れているようだった。それにカイルははっきりとため息をつく。

「国の沽券だの面子だの、俺には関係ないだろう?」

「そりゃカイル君は剣聖で、その気になれば一国の王と同等の立場になれるけど……だからこそ必要なことだって……」

「要はなめられなきゃいいんだろ? 威厳や権威が必要ってのは分かる。それがないと、誰も従ってはくれないからな。でも、そのせいで誰かの幸せを犠牲にしなきゃならないなら俺にはそんなもの必要ない。俺は剣聖だから誰かを助けたいわけじゃない。俺が望むものを守るために歩んできた結果、そうなっただけだ」


 威厳や権威は必要だ。孤児としてのカイルの言葉は届かなくても、剣聖としてのカイルの言葉は届くだろう。流れ者としてのカイルの手は振り払われても、剣聖と癒しの巫女の息子の手なら取ってくれるだろう。

 けれど、それ以上に大切なものがある。カイルは剣聖となったことで守るものや背負う者は増えたかもしれない。でも、元々守りたいと助けたいと思っていたものに手を差し伸べられないで何が剣聖だ。

 偉くなっても、助けたいと思う人を助けられないというならそんなものはいらない。そんなものに意味などない。かつては偉くなればできることは増えると思っていた。より多くの人を救えると思っていた。

 確かにできることも救える人も多くなった。実際にたくさんの人を助けることができただろう。だからこそ、そのせいで犠牲になる者があってはならない。

 目の前にいる、幸せを失いたくないのだと泣く人一人救えないで偉そうになどできるわけがない。


「そもそも、今さらだろ? たかが悲鳴を上げたくらいで処分されるなら、今まで俺に散々陰口叩いてきたやつらはどうなる? 足ひっかけようとしたやつらは? 料理や酒をぶちまけようとしたやつらは? そんなんで眼くじら立てて国の面子だの威厳だの言ってたら、それこそ立ち行かなくなるんじゃないか?」

 それを聞いて青くなるのは周辺諸国の代表達だ。それに、五大国の貴族や有力者の中にもそういった者達は多くいた。確かに、今さらなのだ。少々人目を集めたというだけで、されたことはアマンダ以外のほうがより陰湿だろう。

「確かに悪意はあったかもしれない。でも、影でこそこそやったのに手のひら返したようにご機嫌取りしてくる奴らよりよっぽど好感が持てる。反省してるし、これから先彼女やその家族が俺に刃を向けることはない。なのに罰して禍根を残すのか?」


 禍根を残さないように処罰するなら分かる。国の面子を保つために切り捨てるというのも。だが、彼女以上に悪辣なことをした者達が見逃されているのに、彼女達だけが処分されるのはおかしいだろう。

 むしろ処分したほうが新たな恨みを買う可能性のほうが高いというのに。わざわざ敵を作るようなことをしろというのか。

「確かにそう。見ていて気持ち悪い」

「そうですわね。下心やおびえを隠しきれずにごまをすってくるよりはましですわ」

 ハンナは眉間にしわを寄せ、アミルも気分が悪そうにする。政治の世界では仕方ないとはいっても気分がいいものではない。

「ですが、わたくしはっ、わたくしは……」


 しかし、何も罰されないというのではアマンダの気が済まない。これほど迷惑をかけたのに許されたのでは良心の呵責に耐えきれそうにない。

 カイルはそんなアマンダを見て笑みを浮かべた。

「なぁ、アマンダ」

「は、はい」

 何を言われるのかと戦々恐々している様子で、けれどしっかりとカイルと視線を合わせてくる。何を言われても受け止めるのだという心構えが見て取れた。

「こうやって再会できたのは偶然だったけど、お互い、生きててよかったよな?」

「はい……え? えっと、……あの?」


「何が何でも生にしがみつこうとしたアマンダは間違ってない。俺達はみんなそうだったから。でも、俺には仲間がいたし、いつだって精霊達が支えてくれてた。俺は半年でもきつかった。でも、アマンダはそれに十年近く耐えて生き延びた。たとえそれが忌まわしい過去であっても、それだけは誇っていいことだと思う。だから今ある幸せは、アマンダ自身が自分の手でつかみ取ったものだ。生きて、生き抜いたからこそ得られたものだ」

 そこから抜け出すきっかけがカイルだったとしても、アマンダ自身の強い意志があったからこそ生き延びることができたのだ。そして、幸せをつかみ取ることができた。

 それだけは忘れてほしくない。それをきちんと自覚しなければならない。

「だから、もう二度と本当に大切なものを見失うな。守り通せ。そうすれば、あとは俺達がデリウスを倒して、平穏に生きられる世の中にしてみせる」


 カイルの力強い言葉に、アマンダは先ほどとは温度の違う涙を流す。先ほどまではおびえ、後悔し、未来を憂う心を凍らせてしまうような冷たい涙。

 けれど、今アマンダの頬を伝うのは心を震わせるほどに熱く、包み込まれるように温かい涙だ。

 エスペラントと呼ばれていた少年が、多くの人々に与えた希望そのものだった。

「それにな、別に俺だって世界のために、なんて大層なことを考えてるわけじゃない。そりゃ結果的に世界が救われることになるなら、万々歳だ。でもな、俺はいつだって自分自身のために戦ってきた。自分が納得できる、後悔しない生き方をしてきたんだ。それがたまたま誰かを助けることに繋がっただけで、きっと今までにもアマンダと同じように俺の生き方によって傷つけてきた人は多いと思う」

「そんなことはっ!」


 アマンダが慌てて否定しようとするが、カイルを首を振る。そんなはずがない、大なり小なり人は誰かを傷つけて生きている。それが自分の心に従った行いであったとしても、誰も犠牲にせずに生きられるものではない。

「確かに、俺がやったことで攫われた人達は逃げることができた。でも、俺が逃げられなかったことで罪悪感や無力感を味あわせることになった。裏社会の、敵だからと言って殺した相手にも家族や大切に思ってくれる人はいたかもしれない」

 アマンダはそれに息を飲んで、けれど言葉は出なかった。テオドールも眼を閉じて当時のことを思い出しているようだった。そう、確かにカイルによって救われた人は多かったが、カイルによって痛みや傷を負った者もまたいたのだ。

 自分たちよりもはるかに幼い子供を犠牲にして助かった者達。自分自身の力で助けることも、何の力になってあげることもできずに、ただ誰かを頼り無事を祈ることしかできなかった犠牲者達はいつも彼のことを思っては泣いていた。


 そして、いくら裏社会の人間であろうと、人は人だ。命の重さに違いはないだろうし、殺されて仕方ないことをしたと言っても人としてのつながりが皆無であるわけではない。

「みんな何かを、誰かを犠牲にしながら生きている。それは死ぬまで変わらない。なら、より後悔しない道を選びたい。そう思って今まで生きてきた。なぁ、アマンダ。アマンダはようやくほしかった幸せを手に入れた。なら、これから何をする? 何をしたい?」

「わたくし、わたくしは……」

 カイルに言われて初めてアマンダは現状に満足するのではなく、未来について思いをはせた。あまりにも幸せすぎて、温かくて、それを享受することにのみ意識を注いでいた。

 でも、それではいけないのだと言われた気がした。ただ現状に満足するだけでは、いつかその現状すら守れなくなってしまうのだと。

 守りたいものがあるのなら、そのために何をしなくてはならないか、何をしたいかを考えなくてはならないのだと。


「俺は失った家族ができた。だから、かなえたい夢を持つことができた。そのために努力しようと思えた。そして、生涯共に歩める仲間や友人ができた、将来を誓い合う愛する人ができた。だから、戦おうと思った。奪われたくないから、死なせたくないから、失いたくないから」

 かつてすべてを失い、もう二度と手に入れることなどできないかもしれないと思うような境遇に陥った。だからこそ、人一倍大切な人達にかける思いは強い。それはきっとアマンダも同じだろう。

 剣聖と分かっていても、かみつかずにはいられないほどに今ある幸せを守りたかった。

「俺も同じだ、アマンダ。出来ることは違うかもしれない。でも、きっとその思いは変わらない。俺も、怖いんだ。今の幸せを失うことが、自分が傷つくことや死ぬことより怖い。だから必死になって守ろうとしてる。たとえそれで誰かを傷つけることになっても、殺すことになっても、身勝手な思いを貫こうとしてる一人の人間だ」


 ともすれば、それは世界を敵に回してしまいかねない思いなのだろう。カイルはいつだって誰かのために動くことはあっても、世界のためになんて考えて行動することなどなかった。

 愛する人のためならば国とだって戦ってみせる。理不尽と不条理に押しつぶされて、何もできずに失うのなんて御免だ。どれだけ後ろ指を指されることになろうと、世界のためという理由なんかで大切な人を死なせたりなどしない。

 その思いが伝わったのか、アマンダは驚きの顔で固まり、それから不格好に笑った。

 けれど、貴族として見せた笑みよりもずっと自然で、心からの笑顔に思えた。

「俺は、強情で欲張りなんだ。よっぽどのことがなけりゃ自分を曲げないし、拾えるものは何でも拾う。もう、とりこぼして後悔したくない。剣聖なんて御大層な肩書があるなら、こういう時に使わないでいつ使うんだ? ってことで、剣聖カイル=アンデルセンとして宣言する。アマンダ及びディズーリア家を処分するというなら俺は彼らに付く。俺を敵に回しても国の面子を通したいなら相応の覚悟を持って臨んでくれ」


「……ああ、もう。カイル君、それはずるいよ。今五大国であっても君を敵に回したいと思う者はいないっていうのに……」

 国としての面子とカイルを敵に回すことを天秤にかければどちらに傾くかは決まり切っている。

 それに、いくら面子があると言っても、アマンダがやったことはそう大した罪でもない。それなのに、そんなリスクを抱え込むのはそれこそ国益に反する。

「全く……あなたとって最も幸運だったのは、彼と知り合ったことかもしれませんね」

 トレバースに続き、エグモントもアマンダに向けて諦念の混じった表情を向ける。これではどうあっても処分するわけにはいかなくなった。


「相変わらずだな。甘ちゃんのようでいて、抜け目がない」

 テオドールは感心したような、それでいて懐かしそうな顔をする。姿形や理想を語る言葉になめてかかると痛い目を見る。甘いように思えて、しっかりと地に足が付いているのだ。

「テオも、元気そうでよかった。悪かったな、あの時勝手に動いて……」

「それは、もういい。あの町のためを思えば、必要なことだった。謝るのも感謝するのもこっちのほうだ。一度ならず二度まで命を救われて、返すこともできなかったんだからな」

 後悔のにじむテオドールの声に、カイルは苦笑する。別に本人に直接返すばかりが恩返しではないだろう。キリルが死んだ父の代わりにその息子を守ろうとしたように、いろいろな恩返しの形がある。


「現在進行形で、返してくれてるだろ?」

「なにを……」

「被害にあった人達を元通り暮らせるようにしてくれた。さらに、裏社会に攫われて、行方不明になった人達を今もずっと追い続けてくれてるんだろ? それは、俺にはやりたくてもできなかったことだ。それどころか、俺は目の前のことで精一杯でろくに考えることもしてこなかった」

 自分が直接的に助けることができた人達のその後について、カイルが関わることはできなかった。物理的にも離れてしまったこともあって知るすべもなかったのだ。

「それは、仕方ないことだ。それに、俺だけに限った事じゃ……」


 あの事件がテオドールを大きく変えたように、対策チームだけではない、被害者達にも大きな転機をもたらした。これまでの自分を見つめなおし、これからの生き方を考えさせる出来事だったのだ。

 その結果、多くの人々がそれまでの生き方と違う道を選択することになる。テオドールのように未だ残る被害者の救済を行う者もいれば、同じような被害にあった者達のケアをする者。

 そして、自分のできる範囲ではあったが、かつて救えなかった少年と同じ孤児を自分達で保護しようとする者も現れたのだ。いずれも細々とした動きではあったが、そのおかげで救われた人々も確実に存在する。

「それでも、俺にとっては同じことだ。俺が助けることができた人達が、たとえ償いや恩返しって気持ちがきっかけであろうと自分の意思で変わろうと、何かを変えようとしてくれた。それだけで、命をかけた甲斐があるって思える。たとえ、あの時に死んでしまっていたとしても、俺がやったこと、やれたことは無駄にならない」


 それが微々たる変化であろうと、それまでになかった流れが生み出されただろう。やがてはそれがいつか大河となって世界を潤す日が来るかもしれない。ならば、自分が生きた、命をかけた意味がある。

「どんな形であれ、俺がやったことが誰かの心に響いたなら、俺が生きた証は残るだろう? 俺が助けた誰かが、別の誰かを助け、その誰かも別の誰かを……。そうやって人同士が繋がって、助け合うことができたら今よりもっと世の中はよくなると思わないか? そんな人の輪の礎になれるなら、俺の名が忘れられても、俺の功績が残らなくてもかまわない。俺が精一杯生きた証は人の輪の中に残るはずだから」

 かつてテッドに語った理想。自分という存在が人々の記憶からも記録からも消え去ったとしても構わない。それでも自分が行った行動の結果が人の中に残るのなら、それでいいのだと。

 これはある意味どんな欲よりも欲張りだろう。眼に見える功績でもなく、人々に称えられる栄誉でもない。未来永劫自らの行いの成果を残していこうというのだから。

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