お披露目前の会談 後編
父親であるエグモントはおそらくヘルムートがそんなことで思い悩んでいることには気付いていないのではないか。なぜなら、ヘルムートは天才とは言わないまでも、魔法分野においてその名に恥じないほどの成果を上げている。
父親であるエグモントが魔法を専攻するのに対し、ヘルムートは魔法具の方に力を入れいている。それは時に魔法馬鹿とも言われる父親を補佐するためだと周囲には思われている。だが、実のところ魔法において父親と比較されないためでもあるのだろう。
どうしても同じ分野に進んでしまえば父と自分との差が目に見えて分かってしまうから。だから、魔法具に逃げた。そう、ヘルムートも自分自身で思っているのかもしれない。
そういった部分がどうにももどかしく、放っておけない。アレクシスの時に十分後悔した。家族の問題だからと、あえて任せてきたことが最悪の形で裏目に出たのだから。だから、今回は積極的に関わっていこうと考えていた。
それでもし、同じ結果になってしまったとしても、やらないで後悔するよりはいいだろうと考えて。何より身内を、大切な人を失う悲しみは分かっているから、まだ付き合いは浅いと言えど知り合いに味あわせたいものでもない。
なので、少しでもつながりを持ち仲良くしていきたいと思っているのだが、あまり芳しくないというのが現状だ。
ただ、根は素直というか、どことなくエグモントと似た研究馬鹿な面が見え隠れしているので一度打ち解けたならあとはうまくいくような気もしている。
「ヘルムートって呼んでいいか?」
「好きにしろ。自国の者でもないのに強制はしない。それに、発表があれば貴殿は王族に近しい権威を得るだろうからな」
あとの言葉は今後のことを気にしてか小さな声で言う。他者への気遣いもしっかりできるのに、どうして自信が持てないのかが不思議だ。
「父上達はまだ他国の者と話している。わたしはその中継ぎのようなものだ。その……武国の跡継ぎであるブルーノとはずいぶん気安い仲だそうだな。わたしにもあまり気は使わなくていい」
それはブルーノのように親しい付き合いをしたいということなのか、それとも自身より年上であるブルーノより気を遣わせるわけにはいかないと考えているのか。
好かれてはいないのだろうが、憎まれたり敵対する気はないのかもしれない。ただ、行き場のない気持ちのやりどころに困っているのだろう。
「それでいいなら、俺も楽だからそうさせてもらう。一度皇国にもちゃんと行ってみたかったんだよな。魔法関連の書物もそうだけど、五大国一の蔵書量を誇るっていう大図書館にも興味があったし」
皇国にある大図書館とは人界中の書物を集めたとも言われるほどの蔵書量を誇り、ただでさえ大きな建物をさらに空間拡張して、一生かかっても読み切れないと言われるほどの書物が収められている施設だ。
中でも魔法関連の書物に関しては豊富で、それ以外にも歴史や文化、娯楽関係の書物も豊富だということで、本好きにはたまらない場所なのだという。
一度行ってみたかったのだが、今のところその余裕がない。落ち着いたらいずれゆっくりと堪能したいと思っている。
「……変わっているな。普通、武に長けた者は書に興味がない者の方が多いのだが」
「そうか? 元々剣は自己流で、身を守るために振ってたようなもんだし。小さい頃は外で遊ぶより本を読んでた方が多かったんだけどな」
カイルが混ざるとどうしても村の子供達は委縮してしまうし、ジェーンによって教育は小さい頃から徹底的に仕込まれていた。だから、外で遊ぶよりも部屋の中で本を読んで過ごすことの方が多かったのだ。
そう言うと、ヘルムートはひどく驚いた顔をした。意外だったのだろうか。カイルがそんな幼少期を過ごしていたということが。
「そうか。わたしも、幼い頃は本ばかり読んでいた記憶がある。故に子供の遊びなど知らずに育ったのだが、カイルも、か?」
「そうだなぁ。子供同士で遊んだことがなかったわけじゃないけど、頻度は少なかったな。五歳からは遊ぶどころじゃなかったし、勉強もままならなかったから」
王族ほど不自由はしなかっただろう。だが、それでも満足と言えるほど遊んだ記憶はない。それに、物心ついた頃からはずっと放浪生活を余儀なくされていた。当然そうなると遊ぶなどという時間も余裕もあるわけがない。
「なるほど、その反動もあるということか」
「だな。修行は大変だけどそのおかげで守りたいものを守れるって思えば苦にならない。勉強だって辛い時もあるけど、無駄にはならない。肩書きや両親の名声も、重くはあるけど誇りでもある。その名に恥じない存在でありたいと思ってるよ」
カイルの言葉に、何か思うところがあったのかヘルムートは黙り込む。それから、カイルをどこか忌々し気に、それでいて先ほどよりはとげとげしさが抜けた視線で見る。
「……時間拡張空間で過ごしているからか、その、年下なのに見透かしたような言い方が腹が立つな。わたしとて分かっているのだ。このままではいけないと、な。胸の内に巣食うこの思いを、闇をどうにかしなければならないことは」
「……俺は、アレクシス王子に関わらなかった。家族の問題だからって、俺にも原因があっただろうに直接話し合うことをしなかった。あん時、ちゃんと関われてたら何かが変わってたかどうかは分からない。でも、何もしないで後悔するのはもうしたくないんだ」
「アレクシス、か。数えるほどしか顔を合わせたことはないが、確かに似たような闇を抱えていたのかもしれないな。そうか……わたしには、彼の二の舞にはなるな、と?」
カイルは苦笑する。カイルが心配するでもなく、ヘルムートは自己分析位できていたのだろう。だが、自身の問題を知ることが出来たとしても、それを自分自身だけで解決できるかと言えば違う。
誰かの助けが、あるいは誰かからもたらされるきっかけが必要なこともあるのだ。ヘルムートは魔法具作成を得意とすることから分かるように聡明で頭の回転も速い。だから、カイルの意図するところにすぐさまたどり着いたのだろう。
小さくため息をついて、肩を落とす。
「全く、貴殿は人の心配をしている場合ではないだろう? これ程周囲から悪意を向けられておいて……。図太いというか、本当にいい度胸をしている。これではわたしが情けなくなるではないか」
年下であり、自分よりもはるかに重い責任を負い、多くの期待を寄せられることになるというのに。それでも、眼に入ってくる他者の悩みを見過ごすことが出来ない。
英雄と呼ばれる者達は、だからこそ多くの人々を引き付けるのだろうかと思う。どこまでも眩しくありながら、どこまでも身近な人であり続けるから。人としての正しさと優しさを失わないから。
「一度、父親と真正面からぶつかってみるのもいいんじゃないか? 魔法と魔法具、分野は違ってもだからこそ見つかる発見とかもあるだろ?」
「それは、そうだが……」
「こういうこと言うと、卑怯なのかもしれないし、断りづらいかもしれない。でも、言いたいこともやりたいことも、相手が生きている間じゃないと意味がない。俺には新しい家族は出来ても、両親はいない。だから、それが出来る者には今という時間を大切にしてほしいんだ」
ヘルムートははっとした表情になる。このままではいけないと思いつつ、踏み出すことが出来なかった。けれど、迷っていることが出来るのは、その猶予はどれだけあるのだろうか。
現に世界的に有名であり重要な剣術大会で王族達が狙われた。これから先も狙われないという保証があるだろうか。何より、人がいつ死ぬかなど分からない。それなのに、このままでいいのか。
もう二度とそういった存在との触れ合いが叶わない者からしてみれば、ヘルムートの悩みなど贅沢にしか見えないだろう。
両親がいるからこその苦しみや辛さはある。確かにそれを持ち出すのは公平ではないかもしれない。でも、確かにヘルムートの背中を押す一手にはなった。
人はあえて終わりを意識しない。特にそれが人の命の終わりであるならば。けれど、それはいつ訪れるか分からないものなのだ。
親を、頼るべきものを失い、突如として薄暗い路地裏に追いやられ悪意をぶつけられてきた者達は誰よりもそれを知っている。
知りたくなかったのだとしても、骨身に染みるほどに実感してきているのだ。大切な人との時間は自分が思っている以上に大切で、それでいてとても脆く儚いものでもあるのだということに。
意識してつかみ取らなければ、全力で守らなければ失われてしまうものであると。失って初めてそれを実感するようなことにはなってほしくはないのだと言われている気がした。
「わたしは、わたしは逃げていると思うか?」
「ん、それはどうだろうな。俺は父さんに憧れ、母さんを尊敬してた。だから、その背中を追って二人と同じ場所にいこうとして、気付いた。俺は、父さんにも母さんにもなれないってこと。俺は、俺だってな」
父のように、物語に出てくる英雄のようにはなれない。母のように、慈愛を称えた聖女のようにはなれない。
父と母からそれぞれ力を受け継いだけれど、自分は父とも母とも違う道を歩んできた。二人がなしえなかったことを受け継ぐことは出来ても、二人になり替わることなどできないのだと。
カイルはカイルのやり方で、歩んできた人生で、二人のどちらとも違う未来を形作るのだということが分かったから。だから、少しだけ心が軽くなった。
父のようにならなくてもいい、母のようにならなくてもいい。カイルはカイルとして、自分が信じた道を歩めばいいのだと背中を押してもらえたから。
「わたしは、わたし、か。そうだな、何も親の後を追うだけが道ではないか。わたしも、父の優秀さは知っているし、尊敬もするが。あの、魔法馬鹿なところはどうかと思う時もある」
一度熱中してしまうと、国政はおろか寝食さえ疎かにしてしまう時があるのだ。そのたびに王妃や宰相に怒られ、渋々ながら政務に当たっている姿はどう考えても尊敬に値するものではなかった。
そんな忙しい中であっても打ち立てた業績があるから、必要以上に大きく見えていただけなのかもしれない。ずっと背中ばかりを見てきたから、正面に回って父の顔を見たことはどれくらいあったのか。改めて考えてみると、ほとんど記憶にないことに気付いた。
あるいは、意識して背中ばかりを見せてきたのだろうか。追いついてみせよと、追い越してみせよという意思と願いを込めて。
その裏側にあった苦悩や悲哀などを見せることなく、目指す導となり続けられるように。口は達者で、腹芸も得意であるのに、父親としては不器用なのだと思う。
「……貴殿が、あの生活魔法の応用を編み出し身に付けるまで、どれだけの期間を擁したか聞いてもいいか?」
「あー、こういうの使えたら便利だなとか思い始めたのは五歳くらいで、どうにか魔法が形になりだしたのは八歳くらいか? 自由に使えるようになったのは十歳くらいだよ」
「五年、か。それでも魔法の構想から実装まで、驚くべき速さと言わざるを得ないが……。そもそもにおける優先度が違う。なければ生き残れない環境においてはむしろ妥当か」
カイルだって、あんな環境にならなければ生活魔法の応用など考えもつかなかったし使いこなすこともできなかっただろう。それも、生活魔法という下地があってのものだ。魔法を知らなければ応用も何もなかったのだから。
「すまない。貴殿とて一朝一夕、並大抵の努力で為したわけではないというのに、わたしは貴殿に嫉妬していたようだ。その才能と発想に」
「いや、俺もそんなたいそれたことだとは思ってなくてな。誰でもこれくらいはやってるもんだと思ってホイホイ使ってた面がある。魔力や属性に恵まれてたからできたことだ」
それも、常識知らずで無知だったがゆえに起きたことだ。下手に魔法をきちんと習っていたなら思いつかなかったかもしれない。そんなことが出来るなどと考えもしないのだろうから。
「よく、考えてみることにしよう。父上のことも、これからの己の身の振り方についても」
ヘルムートは難しい顔をしていたが、先ほど声をかけてきた時から比べると随分とすっきりしたような顔をしていた。少しでも彼の心の曇りを晴らすことが出来たのならよかったと、カイルは笑みを浮かべる。
その後、ヘルムートと共に皇国との会談を済ませ、それから共和国、商国、最後に武国との会談を済ませる。その他諸国に関しては遠慮しているのか、それとも自国内から上がる反発の声のためか、カイルに近付いてこようとはしなかった。
どうも大国よりも周辺諸国の方がカイルに対する反発は大きいようだった。元々、独立国でありながら属国のような扱いを受け続けている周辺諸国は常日頃から大国に対する反発心がある。
そこにきて、それまでの常識を大きく覆すような動きを五大国が見せたのだ。その理由は正当なものであっても、感情的には簡単には受け入れられないのだろう。
今まで自分達の行動を半ば強要してきて、国力差ゆえに従い続けてきたというのに。今更それが間違っていたから方向転換などと。
元々、周辺諸国は大国ほど孤児や流れ者に対する扱いはひどいものではなかったというのに。それを流れに従ってあえて突き放していれば今度の騒ぎだ。
それが五大国同盟に賛同する国の定めと言ってもどうしても消化しきれない思いがある。そのやり玉にカイルが上がっているのだ。
国の罪の証であり、虐げられし者達の希望であり英雄である存在。カイル自体に文句があるのではなく、カイルを擁立する五大国への不満の捌け口として。
カイルの素性を知っている者達は、今日の発表までの口止めもされているため、苦々しい顔をしている。国としても、一個人としても敵に回すわけにはいかず、友好を築いておきたい相手であるのに、国の総意として関わることが出来ないのだから。
カイルは改めて政治の世界の面倒くささに内心でため息をついていた。




