盟約魔法の真価
しかし、盟約魔法の効果を知らない彼らでは、なぜデリウスに何もさせないなどと言えるのか分からないのだろう。現に、これだけ大掛かりな襲撃を確実な情報としてつかませることなく仕組んでいたのだから。カイルのおかげでほぼ完封できたと言えど、それで諦めるような連中ではないだろう。
「何のために、俺が盟約魔法なんて使ったと思ってるんだ? あれの代償の重さは知ってるだろ?」
カイルの言葉に、急にトレバースが慌てた様子を見せる。色々と衝撃的なことが重なり、すっかり頭の中から抜けてしまっていた。
アレクシスを失うことになり、カイルを苦境へと追いやった盟約魔法。その効力は高くとも、求められる代償もまた大きい。
それは人が神に誓う約定。相応の対価を払い、領域の理に干渉し、新たな制約を定める行い。故に逆らうことが出来る者はおらず、代償もまた必ず支払われる。
「かっ、カイル君! いっ、一体何を代償に、そ、それに三つも。だ、大丈夫なのかい!?」
その狼狽ぶりは、先ほどのカイルの言葉と己の罪に打ちのめされてしぼんでいたのと同一人物とは思えないくらい勢いがよかった。恨んでいると告げた相手をこれほど心配してくれるなんて、やはり父の親友ということだろうか。
「見ての通り、疲れてるけど、まあ大丈夫だよ。代償に関しては聞いてたろ?」
「名と血と時……ですか。盟約魔法における名とは命や魂と同義です。血はそのまま術者の血液、時というのは……寿命、でしょうか」
皇王エグモントの言葉にカイルは正解だと言わんばかりの笑みを向ける。しかし、エグモントの表情は厳しい。
「そりゃまたでけぇ代償だな。他領域のゲートを作り出したり、精霊の直接干渉を可能にしたりって効果は分かるが……そんな代償を払ってまで必要なことだったのか?」
ブルーノはカイルが支払った代償に反して効果が低いように感じていた。あの時に感じたカイルの魔力、それは命の危険どころか国の存続すら危ぶむほどの代物だった。
そんな馬鹿げた魔力ととてつもない代償から発動された盟約魔法があれだけの効果しかないのだろうか。
「当然だろ。あれで前回の大戦と同じことは二度と起こらない、起させないことが出来るんだからな」
カイルの言葉に会議場の中がざわめく。確かにカイルが招集した戦力は脅威であり、圧倒的だった。だが、それと今の言葉がどうつながるのか。
「俺が最初に使った『守護龍召喚』。効果は呪文にあった通り、魔獣達が不当に支配されその境遇に嘆きを上げたなら、その場にゲートが作られ、龍が召喚される。その場に敵がいればなぎ倒し、魔獣やドラゴンの保護と解放を行うわけだ」
「なっ! あ、あの時だけじゃないってことか! まさか、それは人界全土で、同時多発であっても可能な?」
商国代表のマルコが信じられない可能性に驚きながらも、その声には期待と希望がこもっていた。
「そうだ。これから先、人界のどこで、いつ起きようとも龍の介入が起きる。そして、龍は盟約魔法に守られ召喚されている間、いかなる干渉も弾く。まぁ、物理的な攻撃を防げるわけじゃないが精神や魂に干渉するような魔法や道具の影響は受けないってことだな」
龍が介入するにあたって一番の問題は、召喚された龍が支配され相手の手駒になってしまうこと。だが、龍が召喚に応じてくれる代わりに盟約魔法において龍の守護をすることでその問題を解決できた。
その分、支払われる代償は大きくなるのだが、それで安全が確保できるならば安いものだ。代償もある意味カイルにとっては問題ない、むしろカイル以外には支払うことのできないものだったのだから。
「それは、その、魔界のゲートも同じような?」
共和国大統領ラルフも、似たような詠唱であった『魔軍召喚』も同じなのかと聞いてくる。
「そうだ。あれは一定数以上の魔の者が一か所に集まったり、魔王様の許可なくゲートが開かれ魔物が召喚された場合に同じように発動する。魔王軍が集まった魔物や召喚された魔物を殲滅し、その時に生じた瘴気もゲートが回収する仕組みになってる」
魔物の大量討伐において問題になるのが瘴気だ。対処に当たるのが元々瘴気の中で生きる魔の者達なので問題はないのだが、人界でそんな濃度の瘴気は害でしかない。そのため、ゲートによって瘴気の回収も行えるようにしている。
あえて魔の者達の保護はしなかった。当人達がそれを望んでいなかったこともあるし、使命在りきの期間限定とはいえ人界に来られるなら死んだとしても本望だという意見が多かったのだ。
死したならば、魔の者の宿命としてその魔石と素材は人界にいる者達が使えばいいと。それが魔の者の在り方なのだからと。
「『精霊の福音』の効果はさっき言った通りだ。精霊が償うべきと判断した者に印をつけ、その者を監視し、諫める。でもって、印持つ者が悪事を働こうとすれば俺にもそれが伝わるって仕組みだ」
それがデリウスにつながる者であり、捕縛の必要があると判断すればカイルが直接赴くことも可能になる。
「デリウスの本拠地には精霊の干渉をはねのける、あるいは精霊を排除する仕掛けがあるようだけど、万全な状態の大精霊に対しては効果が薄い。でも、今回の襲撃が失敗したことや使われた盟約魔法で、どこからどのような方法で情報が漏れたかは知られたはずだ」
そう、盟約魔法は通常の方法では、そして普通の人にはその発動の有無や効果を知る術はない。けれど、デリウスにはそれがある。だからこその抑止力であり、挑発でもある。
「なっ、か、カイル君。デリウスの本拠地をつかんだのかい!? どっ、どこに、いや、それよりも、君が言うことが確かなら君の存在や力も知られたんじゃ……」
トレバースが身を乗り出す。今までつかむことが出来なかったデリウスの本拠地。カイルの口ぶりではそれをつかんだことが分かる。カイルが剣聖として立つ以上遅かれ早かれカイルの存在は知られてしまうだろうが、そのカイルが持つ力まで知られることは不利にはならないのだろうか。
「問題ない。さっきの襲撃で報告に逃げ帰った奴がいる以上、どうせ俺の存在も力もすぐに知られるだろうさ。奴らの本拠地、王国最大の穀倉地帯を有する町デザイアにいる宗主にも。王国でも王都を除いて一・二を争う人口と規模を誇る町。その地下がそのまま奴らの拠点で、町も半分近く、少なくともその町の治安や施政を司る部門は牛耳られていると言っていい。何も知らないであそこに住んでいる人達がそのまま俺達にとっての人質だ」
「なっ……町一つ? そ、それも、王国にとっての主要都市を……」
「俺が奴らの本拠地を知っても手を出していない理由も分かるだろ。下手なことをすれば、町の人達全員殺されかねない。数十万人の命が盾に取られてる。だから、こちらからは仕掛けられずあちらの出方を待つしかない。でも、狙いを絞らせる、あるいは限定させる必要もあった。そうじゃなきゃまた、無差別に狙われたら守り切れない」
いかにカイルが大きな力を身に付け、心強い味方を得たと言っても限界はある。盟約魔法の性質上用途と効果を限定せざるを得ず、理を守る以上領域の存続が危ぶまれるような手段も使えない。
それらの条件を満たし、なおかつデリウスの行動を抑止し狙いを限定させる。そうすることしかできなかった。町一つが彼らの支配下にあると言っていい以上、大戦力を持って本拠地を強襲するというのは最終手段だ。
「下手に町の周囲で戦えば王国の産業にとって大打撃で、その上前線で戦わされるのは構成員以外の町の人達だろうな。家族を人質に取り、魔物で退路を断って、生き残り大切な人と再会するためには戦うしかないとそそのかして」
可能性でしかないカイルの話だったが、かつてデリウスのやり口を知る者達は否定することなく顔をしかめるだけだ。どちらにしても人質に取られている町の人達に生き延びる道が見えない。かといって犠牲にしていいわけではないだろう。
「彼らの本拠地については分かりました。盟約魔法が彼らの活動を抑制するということも。ですが、彼らの狙いを限定させる、というのはどういうことでしょう?」
皇王エグモントが疑問を口にする。それはこの場にいる半数以上が考えていたことだ。残りの半数はエグモントにそう言われて気が付いたのかカイルを見てくる。
「これまでの奴らの狙いは戦力を蓄え、混乱と混沌をもたらし、再び大戦を引き起こして勝利し、領域を牛耳ることだった。でも、魔物や魔獣、ドラゴンと言った戦力は失ったに等しい。使い捨てに出来る魔人の量産も難しい。盟約魔法の発動と同時に、魔界からの供給も断つことになっている。前回の大戦から今までやってきたことの大半が無駄になったことになる。でも、それを一気呵成に解決する方法が一つだけある」
カイルの言葉を国主達は興味深そうに聞いていたが、それを知っている者達は皆口元を引き締めて難しいような、苦しいような顔をする。
「それは?」
続きを促したのは誰だったのか。カイルは一度目を閉じ、深く息を吸い込むと答えを示す。ここにいたるまで何度も仲間達と話し合った、反対もされた。でも、それ以外にデリウスの動きを封じる方法が見つからなかった。
「……俺を、殺すことだ」
「なっ、カイル君っ、それはどういうっ!」
「さっきも言っただろ。盟約魔法は俺の命と血と寿命によって人界の地に根付いた。この盟約魔法は特定条件の達成、あるいは楔の破壊が為されるまで継続効果を持つ。その楔になるのが俺の命だ。そして、盟約魔法の効果が発動するたびに血と寿命が消費される。つまり、俺が生きていることを前提条件にしたものなんだよ」
盟約魔法は差し出す代償が大きければ大きいほど強制力が強くなる。そして、期限や条件を設けることで継続的な効果をもたらすことが出来るのだ。もちろん、その場合盟約魔法による効果が発動するたびに定められた代償を支払わなければならないが。
「…………カイル君、その特定条件と……君が支払う代償について教えてもらえますか?」
エグモントの声は固い。魔法大国と言わしめる国の王だからこそその魔法の規格外さが分かる。そして、それだけのものを維持するために必要とされるだろう代償の大きさも。
「特定条件は、デリウスの脅威を完全に排除し、黒幕も含め討伐が完了して勝利を収めた時。俺が盟約魔法の始動時に支払った代償は、盟約魔法一つに付き、人で言えば百万人分に相当する血液と寿命千年だ。んでもって、魔力も霊力もほぼからっけつになる」
「っ! ……今後盟約魔法の効果が発動した際は?」
「一度楔を穿てば代償は小さくて済む。まぁ、それでも一回に付き千人分の血と寿命百年は持ってかれるかな」
最初に理を根付かせることにこそ大きな代償が必要なのだ。それ以降は大分軽くなる。とはいっても人一人の一生分の寿命と引き換えなのだが。
「……気が遠くなりそうな代償だな。それで笑ってられるお前が心底恐ろしいぜ」
「無茶苦茶だよ、カイル君。いくらクロ君と魂の契約を結んで長い寿命を得たと言っても限度があるだろう?! それにそんな量の血も……」
トレバースは一瞬呆けたというよりは意識が飛んだような顔をしていたが、血相を変えて詰め寄ってくる。カイルの自己犠牲というには過剰な献身は前々から見られたが、今回は限度を超えている。
文字通り命を削って、命がけでデリウスを封じているのだ。いくら倒すべき敵だからと言って、そんなことをしたらカイル自身の未来は、人生はどうなってしまうのか。
「血はあらかじめストックしてあるから問題ない。それに、寿命の方も俺なら問題ないんだ」
「確かに最高位の妖魔なら長い寿命を持っているでしょうが、そこまで確信があるのは何か根拠がおありで?」
ユリアンもカイルの確信がある口ぶりに商人としての勘が働いたのか切り込んでくる。いかに長い寿命を持つ妖魔と言えど、だからこそ自身の寿命の長さなど予測がつかないはずだ。
それなのに、まるでカイルは寿命ならいくら消費されても構わないというような態度だ。しかもカイルならという言葉に何か秘密があるのだろう。
「確かに、クロのおかげで俺はそれこそ気が遠くなるくらい長い寿命を得た。でも、それだけじゃ、なかったんだ。というより、クロと契約したことで気付けなかった、っていうべきかな」
そう、これはカイルが五王との面談時、神界を治める神王と言葉を交わしたことで明らかになった事実だった。それは衝撃的で、盟約魔法を使用する決め手ともなった。
「何に、ですか?」
エグモントの声はいつも通りだったが、どこかカイルを気遣うような感情が込められていた。彼が背負った、あるいは背負わされてしまったものを思って。
「……聖剣と契約することがどういうものなのかってことだ」
この話はカイルにとって最も身近である使い魔とレイチェル達にしか伝えていない。前剣聖を、ロイドを知っているだろう者達からすれば、ある意味残酷な現実だから。クラウスだって知れば正常ではいられないだろう。
でも、知らなければ、知っていなければならないことでもある。これまでの剣聖が、どんな思いで、何を思って戦ってきたのか。それを証明する何よりの証になるだろうから。
「剣聖は人界に災いや戦いがあると現れるって言われてるよな。だから、剣聖がいない時期も結構あったりする。父さんが死んで十二年間、誰も選ばれなかったみたいに。んでもって、剣聖が剣聖として立ってた期間もみんなそう長いものじゃない。一番長くて三十年、短ければ数年でその役目を終えてる。そして、誰一人として老衰で死んだ者はいない」
剣聖の死因はその大半が戦死、もしくは戦場で受けた傷による。剣聖の誕生する背景に大きな騒乱や災いがあるのだからそれも不思議ではないのかもしれない。けれど、誰一人として安穏とした余生を送れた者はいない。
それがどういうことなのか、何を意味するのか。考えれば考えるほどに、血の気が引いていくのを感じながら、トレバースは視線で続きを促す。聞かなくてはならない、けれど聞きたくない真実がその先にあるのだと分かったから。
「聖剣との契約の儀においては大きな負担がかかることは知られてるよな。あれは、人が聖剣を使えるようにするために、体が作り替えられることに起因している。聖剣の力の源となるのは神界の神や天使達が使う力と同じ”神力”だ。けど、人は”神力”を持たない。人が持ちえない”神力”を体内で生み出し、使えるようにするのが契約の儀ってことだ」
生まれついて持ちえない力を後天的に使えるようにする。それは魔人化の例を見ても分かるように、人体にも魂にも多大な負荷がかかる。
「俺が剣聖と契約していた聖剣を抜けたのや契約後の負担が小さく回復が早かったのは、元々俺が”神力”を持っていたからだ」
聖剣がカイルを警戒するきっかけになった出来事やあまりにも早く聖剣の力に馴染んだ理由。それがこれだ。聖剣と契約することで持っていても気付かず、使うこともできていなかった”神力”を自覚し使うことが出来るようになったということだ。
「……まさか、創造属性、ですか? 神しか持ちえない属性と言われ、人界で唯一その属性を持ちうる一族は神の力を有していると。あれは、ただの伝承や誇大妄想ではなかったということでしょうか」
エグモントは国内にある隠れ里に住み、まるで犯罪者のように人目を忍ぶ一族がいることは知っていた。彼らは自らの一族を特別であり至高だと考えている。
だが、精霊神教のようにその考えを周囲に押し広めることもなく、自分達だけで固まっているために危険視はしていなかった。妄想に憑りつかれ、届かぬ神を追う一族だとばかり思っていたのだ。
だからこそ、彼らが掲げる神の属性を持つ神子のことも話半分で信じてなどいなかった。まさか、創造属性などというものを持つ人などいるわけがないと、あり得ないと思っていた。
「……母さんが、その一族の神子だったんだ。そして、ジェーンさんは一族の神子の世話係で、命を救われたこともあって、母さんが紫眼の巫女の力が発現して里を追い出され神殿都市に捨てられてもついて行ったらしい。もともと、あの里の人達の考え方は好きになれなかったからって。ジェーンさんが神子の世話係に選ばれたのは、神力こそ持っていなかったけれど、神力を感知できる能力を持ってたからだ。だから、ジェーンさんはいつも俺のことを『ミコ様』って呼んでた。あれは紫眼の巫女のミコじゃなかった、たぶん神子って呼んでたんだと思う」
ずっと不思議だった。カイルに紫眼の巫女の能力を隠すように言ったのは他ならないジェーンだ。それなのに、ジェーンはずっとカイルのことを名前ではなく神子と呼んでいた。
それは、例え里を離れようとも骨身にしみてしまった神子に対する畏敬の念がそう呼ばせていたのだろう。ジェーンにはカイルがカレナと同じ創造属性を持っていたことが分かっていたのだ。それを告げなかったのはカイルを余計なトラブルに巻き込まないためか。健康で頑健な神子など里の者からすれば喉から手が出るほど欲しい存在だろうから。




