魔人化の秘密 前編
『カイル、大丈夫か?』
「ん、ああ。さすがに盟約魔法三つはきついな……」
カイルは腕に頭を寄せ、問いかけてくるクロの声に眼を開ける。大精霊達も他の人の眼からは姿を消していたが、心配そうにカイルの周りを飛び回っていた。
負担が大きいことは知っていた。でも、この機会にやっておかなければならないことでもあった。それ如何によって今後の動きも大きく異なってくるのだから。
『ふむ。国王よ、カイルにはしばし休息が必要だ。その間にそなたが把握しておるカイルの過去と経緯について説明するがよい。この一年に関してはその後に話したほうがよかろう』
クロの言葉にトレバースは今すぐ聞きたい言葉を飲み込む。カイルの過去についてある程度把握している自分達でさえついて行けない展開に混乱しているのだ。
中途半端な情報だけでこの状況に放り込まれた他国の国主などは疑問符で頭の中が埋め尽くされているだろう。
カイルの様子を見るに、確かに順序立てて説明する方がいいだろう。レイチェル達もカイルの後ろに椅子を持ってきて座っている。ここは腰を据えてじっくりと話をしたほうがいい。
「そう、だね。じゃあ、まずわたし達がカイル君を保護しようとしたところから話すことにしようか……」
トレバースは二年ほど前、剣聖筆頭になったレイチェルにした密命の依頼から話を始めた。旅の経緯や偽息子騒動、王都に来てからの動きについてはレイチェル達が補足する。
父の形見でもあるからと聖剣をカイルに見せたところ、契約してしまった下りなどは皆呆れたような何とも言えない顔をしていた。
そしてカイルをきっかけとして変わった町と、カイルが孤児ながらに行ってきた活動を知るに至っては言葉も出ないようだった。さすがは英雄の息子というべきなのか、あるいはそんな境遇にあったからこそここまでの強さを持つに至ったというべきなのか。
話の終盤に出たのは王都動乱と、身内である王子アレクシスと王の剣である騎士達の裏切りと死。それによってカイルがたどった過酷な状況に、皇王は近年のトレバースの憂い顔を思った。なるほど、これを抱えていたのかと。
「わたしが知っているのはこれくらいだよ。聖剣の影が消えていなかったから、カイル君が生きているだろうことは分かっていたけれど、ね」
「……この一年人界にいなかったっつうのはそういうことか」
「まぁな。魔界に落とされて、そっから冥王様や魔王様の協力を得て獣界に戻るのに七か月。龍王に龍の力の使い方を叩き込まれて使いこなすのに三か月、そっから精霊界に行って大精霊との契約や精霊王様の説得に三か月ってとこだな」
「フフフッ、わたしとの取引は獣界に渡ってすぐだったというわけだね」
「そうだな。デリウスとの戦いのためにも俺自身の夢のためにも金とコネは必要だったし。あの機会に人界のあちこちを回ってたら、後の移動が楽になるってんで、龍王祭の時に出来るゲートを利用して行ったんだ」
ユリアンは楽しそうに笑っているが、隣に座るマルコは頭を抱えていた。ユリアンが半年前に突然得た大口の仕入れ先と技術の提供先。それが分かってしまったからだ。
「お前は本当に何を考えて取引何て……」
「わたしは間違っていませんよ? 英雄と巫女の息子にして現剣聖、その上領域の王達とも面識のある方との取引。損をする未来が見えませんねぇ。それに彼の商品はどれも素晴らしいものだったでしょう? 技術も革新的で、フフ、ずいぶん儲かりました」
ユリアンの言葉を否定することのできないマルコは深い深いため息をついた。本当に一度じっくり話し合うべきかもしれない。こんなふうなことを続けられたら心臓がもたない。
「では、最近の商国の動きは?」
「カイル君の意向ですねぇ。彼の技術と商品によって得た利益を、孤児院の再建と孤児達の保護と更生に充てることを条件に、商品の独占仕入れと特許技術の優先的な使用を許可してもらいました」
カイルの存在が表に出ることなくそれが出来たのは商国の仕組みゆえだろう。商人達の活発な取引を推奨するため、情報の秘匿を許されている。商人達にとって情報とは取引する商品以上に貴重で重要なものだからだ。
それだけに情報の探り合いも激化するのだが、そこは商業ギルドのギルドマスター。簡単に情報を漏らすような事はなかった。
「……それってKシリーズのことだよなぁ? 服飾から武器防具と幅広く取り扱ってるっていう、俺も持ってるんだけど?」
コレールは腰の後ろから小ぶりのナイフを取り出す。素材の剥ぎ取りやちょっとした枝払いなどに重宝している。丈夫で使い勝手がよく、手入れもしやすいということで人気が出てきているシリーズでもある。
特に獣人達に圧倒的な人気を誇る変形機能服は今や持っていない獣人はいないというほどだ。口には出していないが実のところシモンが来ている服もそれだったりする。何せ龍人化すると翼や尻尾が出来るのだ。そのたびに服が破れていたのではおちおち変化もできない。
「……元々は魔界で学んだ技術だよ。魔界にいるのは魔人だけでも千差万別な姿してるからなぁ。そいつらに合わせて服を作るより、服を合わせる方が合理的なんだろうな」
「なるほど。でも、魔界でよく生きていられたね。あそこは人が生きられる場所じゃないって聞くけど……」
コレールの言葉にカイルは苦笑する。確かに、カイルもクロとの契約がなければ、一人なら生きていけなかっただろう。
「それはクロのおかげだな。俺の使い魔で、最高位の妖魔でもある」
『ふむ。我の名はクロだ、積極的に敵対する気はないが仕掛けてきた者を生かしておく気もない。せいぜい我の怒りを買わぬことだ』
クロの言葉に、ぞっとする面々だったがカイルに頭を撫でられ、気持ちよさそうに喉を鳴らす様子からはとても人の手に負えない妖魔だとは思えない。
「それで、カイル君。君が使っていた大鎌だけど、あれは……」
「あれは、冥王様から授かったんだ。デリウスの行いは魂の循環を乱し、理を歪めることだって。魔人化した者が死ぬとその魂は冥界に行くことなく消滅する。それを繰り返せば魂の調和がとれなくなって世界の崩壊にもつながるってな。さらに、普通の武器では殺さずに魔石を破壊することは難しい」
カイルもまた死神の鎌に頼らず魔人化をどうにかする方法を模索していた。だが、それはほぼ不可能だという結論に達したのだ。
だからこそ、次は与えられた力で魔人化の解除、および魂の回収が出来る道を探した。その過程で魂属性に気付き、生み出された武器がある。
「でも、そうすると魔人を殺せるのはカイル君だけということに……」
「いや、そんなことは無いッスよ。俺らがさっき魔人を切るのに使った武器、カイルに作ってもらったんスけど、これなら魔人をぶった切っても殺さずに魔人化を解除できるし、駄目なら魂の回収が出来るッス」
トレバースの言葉を遮り、クラウスが腰にある剣の一本を抜いて見せる。クラウスが愛用しているのとは違う、飾り気はないが、どこか底知れぬ力を感じさせる剣だった。
「ドワーフの持つ武器に対する属性付加の要領で、剣に魂属性の力を込めてる。危険でもあるから用途は限定してるけど、人為的な魔人に関しては通常の武器より強力だ。代わりに普通のもんはなんも切れねぇけど」
そう、カイルは魔人との交戦の可能性がある闘技場内の人員と、町の外で戦う者達に支給していた武器があった。人も紙一枚も斬ることはかなわないが、魔人もどき達を一撃で倒しうる武器として。
手足に当たれば魔人化による影響を打ち消し、魔石を破壊すれば魔人化の解除か魂の回収が行える代物になっている。作るのが大変なのと悪用される可能性を考慮して数は少ないが、今後の展開によっては各国に供給することも視野に置いている。
「ドワーフの、ですか。彼らがそんな秘匿の技術を授けるとは……」
「俺を引き取って家族になってくれたのがドワーフだったからな。俺の生産者としての腕は彼らに仕込まれたもんだ。その人はディラン=ギルバートの弟子だったし、俺もディランさんに鍛えられたからな」
共和国大統領の補佐である書記官が思わずと言った調子でつぶやくも、続いたカイルの言葉に納得の頷きをする。ドワーフが人を引き取ったことも驚きだったが、それならカイルの持つ生産者としての実力も納得できるからだ。
「ディランのじじいか。ロイドの奴とも付き合いがあったらしいな」
「ああ、俺のこの剣もディランさんの作だ。大戦前にちょっと早かったけど、四歳の誕生日にってくれたもんだ。会ったのはそれが最後だよ」
カイルは剣術大会で使った腰の剣を撫でる。聖剣はすでに元に戻してある。出していてもうるさいだけだし、持っていたらあの神官達を斬っていたかもしれないから。
「はっ、ガキには剣を持たせないで済むようにっつってたのにな。誰よりも剣を与えたくなかった奴に剣を贈るとは奴らしい」
「だよな、俺もそう思う。俺が木剣握るのにもビクビクしてたもんな」
子供の玩具のような木製の武器でさえ触らせたくなかった様子のロイドを思い出す。
「君は、カレナさんに似ていますから。つい、ロイドも過保護になったのでしょう」
「っつっても、俺、体は丈夫だぜ? 父さんよりも龍の血が濃いみたいだからな」
カレナのように少し動いただけで熱が出るということもなかったし、滅多なことでは怪我もしなかったのに、ロイドはいつも心配していた。
「……そうだよ。お前、あれはなんだ? 龍の血族でも龍の姿になれるなんて聞いたことねぇぞ」
シモンもカイルの龍化を見ていたのか口をはさんでくる。シモンも龍の力をどうにか使いこなして龍人化が出来るようになった。だが、それでも本物の龍のような姿になることは出来ない。
「まぁ、龍の血が半分以上で、なれる奴はなれるみたいだけど……。俺の場合突然変異に近いからなぁ。龍王も龍姫も驚いてた。普通あれだけ世代を挟んだらほとんど龍の血なんて残ってないようだからな」
ロイドは先祖返りだった。それでも龍の血は四分の一程度。龍人化は出来ても龍化が出来るほどの血の濃度ではなかった。しかし、カイルは龍王の娘である龍姫にも近いほどの血の濃さだった。それゆえに可能だったのだろうと思われる。
「ま、ともかく、俺が魔界に行ったのは偶然だったけど、そのおかげで冥王様から魔人化に対抗できる力を授かることが出来た。んでもって、もう一つ、デリウスに魔人化や魔物召喚の技術提供をした魔の者の追求と排除が出来たんで結果的にはよかったと言えるかな」
「っ! やはり、彼らの技術は魔界の住人からもたらされたのですか?」
エグモントは研究の結果浮上していた恐ろしい可能性が事実だったことに苦々しい顔をする。どこでそんな繋がりを持てたのか分からない。だが、彼らが持つ技術と背景が予想以上に深く複雑なことは脅威となる。
「ああ、魔都の住人だった。魔の者の中に協力者がいることは魔界でも把握してたみたいだ。でも、魔王様って退屈を嫌うくせによほどのことがない限り自分から積極的に動こうとはしない方でな。取引を持ち掛けてようやく動いてくれた」
「取引って、魔王様と? か、カイル君、大丈夫だったのかい?」
トレバースがやや取り乱す。それはそうだろう、領域の王、それも魔の者を統べる魔王との取引など嫌な予感しかしないのだろう。
「まぁ、な。ただでさえ魔界に人がいるのがあり得ないことなのに、その人間から取引を持ち掛けられたんで面白がって受けてくれたんだ。代わりに獣界に行けるまでの一月、こき使われたけど」
あれは酷使というより強制労働に近かった。おまけに合間に四天王との修行という名のいじめと、魔王様の鍛錬という名の遊びに付き合い続けたのだから。
「その成果もあって、現在魔界からデリウスにもたらされている資源や情報は全て魔王様の管理下にある。だから、ここ半年で生み出されただろう魔人に関しては心配はいらない。どうあがいても戦力にはなり得ないから」
「……今もまだデリウスとの交渉を続けているのですか?」
「変に途絶えると向こうの情報も知る術がなくなるだろ? それに、魔王様の意向でな。自慢げに振りかざした力が不発に終わった時の間抜け面を見たいとさ」
魔王様は普段は腰が重いが、いざやるとなれば容赦もなければ遠慮もない。その上で魔の者特有の邪気のない悪戯心が発揮されるのだ。ただ魔人化を阻止するだけでは能がない。直前まで気付かせず、いざという時に気力をくじくつもりなのだ。
「技術提供者を排除する過程で、魔人化や魔物召喚に関する資料も手に入れた。これを見れば、心情や利害関係抜きで、俺の夢への協力をせざるを得ないだろうな。最も、そうでなくてもやってもらうつもりだったけど」
カイルは亜空間倉庫を各々の国主の前に発動させると、ばさりと紙の束を落とす。それなりに分厚い資料は魔界言語で書かれたものをカイルが翻訳して人界で通じる文字に書き換えたものだ。口で説明するよりも実際に見てもらった方が早い。
最初は怪訝な顔をしていた国主達だったが、資料を読み進めていくうちに顔色を変え、最終的には蒼白になって口元を押さえていたり頭を抱えていたりした。カイルだって最初は信じられなかったのだ。だが、そう考えると色々納得がいく部分もあった。
全員が最後まで読み終わった頃を見計らい、カイルはこれから五大国同盟と諸外国に協力してほしい事柄を口に出す。カイルの夢と、デリウスとの戦いのために必要な措置を。
「おかしいと思わなかったか? まぁ、俺も当時はガキだったこともあってその資料を見るまで、疑問には思わなかった。でも、ただでさえ劣っていた戦力を、わざわざ世界中に分散させてまで町や村を襲い人を殺した理由。純粋に混乱と混沌をもたらし、人々の心を荒廃させる意図もあっただろう。でも、それだけではなく当時既に魔人化していたであろうデリウスの宗主や幹部が糧を得てより強力な力を得るため、その後の魔人化に必要な材料を得るための布石でもあった」
カイルの言葉にあちこちで歯をかみしめたり拳を握りしめる様子が見られた。当時の大戦をよく知る者達はその被害の悲惨さと深刻さを身をもって理解していた。
そして、その後に起きた世界の動きも。それさえもデリウスの思惑通りだったというのだろうか。人々の疲弊と弱さに付け込み、非道を日常に変えてしまった。
「魔人化に必要な材料と過程は三つ。一つは人体に適合するよう加工された魔石。これは進化する魔の者の特性を利用し魔法陣を刻み、一種の魔法具とすることで可能となる。次にその魔石に人の血と魂を吸わせる。これで魔石の人体適合率を上げられる。より多くの人の血と魂を吸った方が効果的だ。最後に魔石を人の体に埋め込む。これには魔法陣による儀式魔法が必要になる」
儀式魔法は盟約魔法とも似ている。違うのは必ずしも術者が代償を支払わなくても構わない点だろうか。盟約魔法は盟約を履行させる関係上、どうしても術者がその代償を支払う必要がある。しかし、儀式魔法は必要とされる代償を用意出来れば術者がリスクを負う必要がない。
それだけに扱いは難しく、盟約魔法と同じく一般的には使用が禁止されている。一番有名な儀式魔法は使い魔召喚だろうか。使い魔召喚は魔法陣に血と魔力を流すことで術者に見合った存在が召喚される。
本来であればそういった転移はかなりの魔力を必要とするのだが、魔法陣がその補助をしてくれるので個々人で流す魔力が異なろうとそれが可能になるのだ。
カイルのように己の内部から自然発生したのではない魔石をどうやって人体に埋め込んでいたのか。取り出す時に殺さずに済ませるのが不可能なように、埋め込む時に死なせずに済むにはどうすればいいのか。
その答えがここにあった。儀式魔法によって人体、果ては魂に融合させる形で魔石を取り込ませる。そうすることで容易には排除できず、後天的な魔力や魔人化の能力を得らせるまでの効果をもたらすのだ。
「そして、儀式魔法に用いる代償は……生きた人だ。年齢も性別も魔力の有無も問わない。物心ついた頃、つまり魂と肉体が深く結びく五歳以降の人を複数用いて魔法が行使される。……第二の過程で吸収された人の魂も、儀式魔法で犠牲になった人の魂も、魔人化して消滅する魂と同じで、来世はなく冥界に向かうことはない」
そう、デリウスによって失われていった魂は魔人化した者達の魂だけではないのだ。その魔人もどきを生み出すためにも多くの人々の魂が、命が使われていた。これを知った時、カイルは文字通り血の気が引いた。この情報によって驚くべき、そして恐るべき可能性に気付いてしまったから。そして、それが紛うことなき真実だと理解してしまったから。




