聖剣の契約者と孤児の抱いた夢
「……えっと、冗談や目標ではなく、事実ですか?」
皇王エグモントはどうにか平静を取り繕って聞き返してくる。王国以外の面々も真剣な表情で見つめている。
「既に契約の儀も済んでる。つうか、まあ見せれば早いか」
カイルは指を鳴らして魔法を発動させる。何もしなくても魔法は使えるのだが、この動作で誰がいつ魔法を発動させたか分かりやすくして無用な警戒や追求を防げると教えてもらってからはやっている。
ステイシアは人界を去ってから相当年数経っていても、人の中で暮らしていた経験はカイルなどよりよほど長い。彼女から教えてもらったことはいろいろな場面で役に立っている。
「これは……」
魔法が行使されたことに気付いた者は驚きの声を上げるが、何をしたかまで分かるものは少ないようだ。
「一応盗聴と監視防止はあったけど、追加で結界張っといた。出入は自由だけど、外とは時間の流れが違うから一度出たら文字通り時間に取り残されることになるぞ」
「空間に時。希少な固有属性を二つも……」
皇王エグモントの斜め後ろに座っていたヘルムートがつぶやくように言う。だが、静まり返った室内ではよく聞こえた。
「これでまぁ、詳しいこと話すような時間もできただろ? 一応この部屋での一時間が外での一分くらいにはなってる」
「なっ、そ、そこまでの時間拡張を……。かなりの魔力を消費するのでは?」
「ん、別に。これくらいなら自然回復量の方が多いくらいだから問題ない」
これよりもはるかに拡張した空間で修行を行ってきたのだ。これくらいはどうってことない。そんなつもりで言ったのだが、周囲の驚きは深まるばかりだった。
「カイル、普通は魔法具の補助を受けての拡張でももっと短い時間しかできない」
小さくため息をついてから教えてくれたハンナをちらりと見て、それからまだ驚きが抜けていない面々を見る。どうやら人界の常識を大きく逸脱する出来事だったらしい。やはり常識がいまいちあやふやになっている。それだけ濃い一年だった。
「あー、なるほど。時間停止の空間とか知ってたからこれくらいなら普通かなって思ってたけど違うのか……」
カイルの言葉に何とも言えない表情でトレバース達が見てくるがカイルとしても苦笑いをするしかない。
「何にせよ、時間に余裕ができたってことだな。で? 見せるっていうのは聖剣のことか?」
そんな空気を壊し発言したのはブルーノだった。仮にもこの大会はその聖剣に挑戦し、剣聖になる権利を争う場でもある。すでに剣聖が確定しているというならば、ここまでの緊迫感や期待を寄せられることなく、通常の剣術大会としてにぎわっただろう。
「ああ、そうだけど……」
わざわざ確認する必要があるのだろうか。聖剣と契約できれば剣聖となった者と融合する。常に持ち歩く必要などないし、カイルの場合空間属性があるのだからそこに収納している場合もあるだろう。
「……カイル君、歴代の剣聖は常に聖剣を顕現させて身に付けていたんだ。というより、そうせざるを得なかったというか……」
トレバースが困ったように言った言葉で思い出した。そういえば、鞘を含めた聖剣全てと融合できた者がいないらしいという話を。
カイルの中に流れ込んできた歴代の剣聖達の記憶を探ってみても鞘の力までをも使いこなせていた者はいない。なるほど、鞘が外に出たままなら聖剣もまた顕現させて装備していたということだろうか。
空間属性を持っていた父もまた、自衛の意味を含めてか聖剣を常に顕現させていたのだから。
「トレバース、それはどういうことですか?」
「ああ、その……カイル君は鞘を含め聖剣そのものと融合していてね。わざわざ聖剣を顕現させて身に付ける必要がないんだよ」
トレバースの言葉で、さらにその場に動揺が広がる。かのロイドでさえ剣との融合が精一杯だったというのに、聖剣そのものとなど信じがたいのだろう。
「では、あれはどうなっているのかな。その、君達が保管して今回も持参した……」
どこか煮え切らない様子で尋ねてきたのは共和国大統領のラルフだ。その視線はチラチラと武王の側近が持つ聖剣に向けられている。
そういえば実物らしきものがあるのに契約しただの見せるだの言っても説得力がなかったかもしれない。時間稼ぎのために作りだした聖剣の影だったが、予想以上の出来だったようだ。
「あれは、聖剣の影。いわゆるところの模造品だな。俺が剣聖として認められるだけの力を身に付けるまでの、まぁ時間稼ぎのために作り出したものだ」
カイルの言葉に聖剣に注目が集まる。影などと言われても以前と変わらない神聖さと威圧を感じさせる代物がただの模造品だなどと信じがたい。それにカイルの実力を鑑みるになぜ時間稼ぎをする必要があったのかという疑問も残る。
「模造品? これが? ……信じがたいな」
商業組合総責任者マルコも眼を細めて聖剣を見たままつぶやく。商人の眼から見ても偽物だということが信じられないほどの精巧な出来だった。
「見せるというなら見せてもらえばいいだろう。詳しい話はその後ですればいい」
そんな場をまとめたのは武王ギュンターだった。彼もまたブルーノと同じで回りくどい説明よりも結論から入った方が早いというような思考の持ち主だった。
カイルはそんな武王の視線を受けて円卓に近付く。そして、トレバースの隣に立つと右手にはめていた手袋を外した。そこで露わになったのは、聖剣と契約した者に現れる紋章。
しかし、初めて聖剣と契約した時に現れた紋章とはまた違っていた。手首から指先に向けて立つ剣と垂直に交わる鞘の模様は変わらない。けれど、その色は白銀に代わり、より鮮やかな色彩を見せていた。
その剣に絡まる龍は、カイルが龍化した時と同じく銀と金に彩られている。そして、以前は金の翼に囲まれていたが、今は剣先から下に向けて金と黒の翼が片翼ずつ描かれている。その下は死神の鎌と七色の果実をつけた世界樹の枝が交差して聖剣を囲む円を作っていた。
明らかに前よりも複雑で豪華になった紋章にトレバースも息を飲む。こんなふうに一度現れた紋章が変化するという話を聞いたことがなかったからだ。
「……なんともまた、美しくも恐ろしい紋章ですね」
紋章に現れるのはそのものが秘める力だと言われている。ロイドを上回るその威容に誰もが圧倒されていた。そして、カイルはその空気の中、久方ぶりに聖剣を顕現させる。最近はその力を使うばかりで実際に聖剣を握ることも振るうこともなかった。
人界以外では顕現させられないという制約もあったので仕方ないと言えばそうなのだが。体の中に常に感じていた聖剣の気配が瞬時に右手に集まるとふわりと光を伴って確かな感触を伝えてくる。
紋章と同じ、以前よりも輝きを増した鞘と柄。実物を目の前にすればどれだけ疎い者でも分かっただろう。先ほどまで聖剣と信じていたものと、カイルが手に持っている聖剣との違いに。
見る者の眼を奪う輝きと美しさ。それでいて底知れない恐怖をももたらす威圧感。疑念など一瞬で吹き飛んだ。これを疑うことほど馬鹿らしいこともない。
同時に、武王の側近が持っていた聖剣が形を失い、光の粒子となってカイルの手の中に現れた聖剣に吸い込まれて消えた。もう影としての役目を果たす必要はないからだ。
カイルは右手でぐっと聖剣の柄を握ると、何の抵抗もなくスッと引き抜く。その瞬間、部屋の中全体が重苦しい威圧に包まれたがすぐに消える。
「……お前なぁ、変に威圧するなって言ってるだろ? 敵相手ならともかく、久しぶりに外に出るからってはしゃぐなよ」
『なっ、そ、某がいつはしゃいだでござる! 心外な! 某は聖剣として相応しい威厳を出そうとしたまでで……』
「そういうのが面倒くさいんだって。また物干し竿の代わりになるか?」
『なんとっ! またあのような屈辱を味わえと申すのでござるかっ! くっ、ロイドといいおぬしといい、もう少し某を敬う心はないのでござるかっ!!』
相も変わらず騒がしくも面倒くさい聖剣の相手をする。今では聖剣が威圧をかけようとしてもカイルの方でそれを制御できるまでになった。それが余計に気に入らないのか、何かというと突っかかってくる。いい加減認めればいいのに、カイルを主とすることにまだ不服があるようだ。
「言葉を発する神器、間違いなく聖剣ッスね」
それまでは控えていたクラウスも、懐かしい聖剣と主とのやり取りに顔をほころばせる。かつて自分が憧れ、必死に背中を追った英雄。またこんな光景を見られるとは思ってもみなかった。
死んだと、守れなかったと思っていた子供が成長して自分の前に姿を現した時には夢かと思った。ずっと心の中で消えない棘となっていたものが消えていった。だから、今度こそ失わせない。
そう考えて協力を快諾した。クラウスには分かっていた。どれだけ実力を付けようと、自分では剣聖になれないだろうことが。彼のように真っ直ぐに己の志を貫き、他者のために剣を振るうことが出来ない自分では相応しくないと。
だが、こうしてまた聖剣を背負う者と共に戦うことが出来る。それは、自分が剣聖になれない悔しさなど吹き飛ばすほどに嬉しいことで。その背中を守れることが誇らしい。
「……まさしく。そうか……新たな剣聖は、すでに立っていたか」
武王も納得して、どこか安堵したような表情を見せた。カイルが見せた力と、その後の対応、先の見えないデリウスとの戦いに確かに希望の光が差した気がした。
だが、納得した者がいた反面、それを納得できない者もいた。特に大会本選出場者は不満そうな顔を見せる。それはそうだろう。自分が目指していたものが、すでに他者の手にあったなどと、しかもそれが同じ本選出場者だったなどと認めたくないのだ。
「……っざけんなよ! テメェ、それを知ってて大会に出たのか! 聖剣を手にしようと必死に戦ってる俺達を見て、あざ笑っていやがったのかよっ!」
その中で声を上げたのは、決勝で戦ったシモンだった。シモンもまたずっと聖剣を手にして、剣聖になることを目指してきた。
カイルが剣聖であることを実力的には認めることは出来ても、心情的に受け入れることが出来ない。何より、カイルがロイドの息子だと知って、消えたと思っていた怒りもまた再燃していた。
「違う。俺が剣聖として本当の意味で立つために、この大会で優勝する必要があった」
「テメェの力を見せつけて、認めさせるために俺達を踏み台にしたってことか」
「そうとってもらって構わない。現時点でギルドランクが低い俺が、世間的に認められる最も簡単で効果的な方法だった」
この一年、実力はついても人界にいなかったカイルのギルドランクは低い。だが、それでもこの大会で優勝すればその名は広く知られ、剣聖として立ったとしても認めてもらえるだけの地位を得ることが出来る。
デリウスの襲撃を最も間近で防ぐためにも、負けるわけにはいかなかった。それは、真実を知らずに挑んできた者達を侮辱する行為にもなるだろう。それでも、カイルの選択は変わらない。
「じゃあ、あれもただの詭弁だったのかよ。テメェが流れ者の孤児で、そいつらの現実を変えるために優勝するっつったのも! 個人や国じゃなく、世の中そのものに復讐して、根本から変えてやるっつったのもっ!!」
シモン自体、孤児であるからこそ分かる。自分がまだ恵まれていた方なのだと。人知れず、薄暗い路地裏で死んでいく者達が大勢いたことを。
昼休みの間に聞いた言葉は、確かにシモンの胸を打った。だからこそ、シモンは己の中にくすぶる感情をぶつけることを決意したのだ。カイルならそれを理解してくれる、その上で否定してくれると信じて。
それなのに、そうだというのにあれは全て嘘だったというのか。あの有名な英雄の息子が流れ者の孤児に身をやつすことなどあるはずがないのだから。
カイルは、激情に顔を赤くして自分につかみかかってきたシモンを冷静に見つめる。彼がこれほど怒るのは自分を信じてくれていたからに他ならない。そう思えば嬉しくすらある。
「……いや、それも全部本当のことだ。俺が剣聖になったのは、偶然の成り行きみたいなもんで。背負うもんが増えちまったけど、俺の夢は変わらない。デリウスと戦うのは剣聖だからじゃない。そうしなければ、またあの悲劇が繰り返されるからだ。いくら拾い上げても、戦争の闇が弱者を地獄に叩き落す。あんな思いは、もう二度とごめんだ。死にゆく者を見ていることしかできない無力な自分が何より許せなかった。だから、変えてみせる。そのために必要なら、剣聖であろうと背負ってみせる!」
カイルが目指したのは非情で残酷な現実を変えることが出来るだけの力。そして、自分の声をより高い場所にいる者達に伝えることが出来るだけの地位だ。これだけはどのようなことがあろうと変わらない。
「じゃあ、何で剣聖になった時にすぐに立たなかった! あんだけの力があれば……無駄に夢を見ることもなかったっつぅうのに」
「……それに関しては謝ることしかできない。俺が、聖剣と契約した時はまだ、こんな力は持ってなかったんだ。ハンターギルドランクはAで、魔法ギルドランクがかろうじてSだった。文字通りランク通りの実力しかなかった」
カイルの言葉に、シモンはカイルをつかんでいた手を放す。信じがたいことだった。あれだけの実力がそう簡単につくとは思えない。それなのに、聖剣を手に入れた時その程度の実力しかなかったなんて。
シモンは心の葛藤をどうにかしようと視線を巡らせる。そして、カイルと深い付き合いがあるだろう王国の面々に眼を止めた。
「……事実です。カイル君が五歳の時からギルド登録をする十六歳までの間、流れ者の孤児として生きてきたことも。保護して王都に連れ帰り、面談した時に聖剣の契約が行われたことも。そして、当時のカイル君のギルドランクや実力も、全て嘘偽りはありません」
テッドがその視線を受けて、一度目を閉じてからすべてを肯定する。それに驚いたのはシモンだけではなかった。カイルの素性は予測がついていても、カイルの境遇については予想外もいいところだったのだ。
誰がかの英雄の息子が流れ者の孤児として生きてきたなどと思うだろうか。誰が今の実力を知って、そうでなかった時のことを想像できるだろうか。
「トレバース? どういうことですかっ! 死んだとしたのは当時のデリウスの動きをみれば納得できます。ですがっ! ですが、彼がそのような生活をしてきたなどと、そんなことはっ!」
そんなことはあっていいはずがない。そう続けようとしたエグモントだが、トレバースの苦渋に満ちた顔を見て言葉を止めた。それを誰よりも分かっているのは、そして後悔しているのは他ならぬトレバース自身なのだと理解したから。
「……本当に、ふがいないよ。いくらロイドに口止めされていたとはいえ、わたしは自分で彼の生存や安否を確認することをしなかった。保護のために派遣したレイチェル達の報告を聞くまで、彼がどんな生活をしてきたのか、知ろうともしていなかったんだ」
悔しさをにじませ、自分を責め立てるトレバースに誰も声をかけられない。シモンはそんなトレバースを見て、それからカイルに視線を戻した。
「保護ってのは?」
「剣聖の偽息子の騒動があっただろ? あいつが派手に動いたことで、デリウスに俺の存在が知られたらしい。で、そのせいで俺を使って何かしようって計画があったんだと。そん時の俺は、自分の身を自分で守ることもできないくらい弱かったからな。レイチェル達と王都に行って、依頼を受けながら鍛えてもらってたんだ」
そこでシモンも一年半ほど前に流れた剣聖の息子の存在とその顛末について、どうしてそうなったかが結びついたらしい。顔をしかめているのは、理解は出来るが納得は出来ないというところだろうか。
まあ、いくら存在を隠し守るためとはいえ世界規模で嘘をついたことになるのだから仕方ないだろう。カイルとしても心苦しくはあったが背に腹は代えられなかった。
自分のせいで世界を危機に陥れるわけにはいかなかったし、何より父を殺した組織に利用されるなどと冗談ではなかった。それに対抗するための力を身に付けるための時間稼ぎになるなら、その嘘も受け入れようと決めたのだ。
そして、それがあったからこそ今こうしてここに立つことが出来た。だから、謝ることはあっても恥じることはない。




