収束する事態
トレバース→カイルサイド
特別観覧席にいた者達の多くは、決勝から続く流れに声もなく固まったまま見ていることしかできなかった。さすがに当事国である武国は対応に当たっていたが、それでも何が起きているのか全容を把握すらできていないこの状況下で最適な対処ができるとは思えない。
いや、もちろん武国だって相応の警戒はしていたはずだ。噂のこともあったが、ここ最近動きを見せていないデリウスが、何か事を起こすのであればこういった場であるだろうと予測はついたから。
だからこそ、騎士や軍の精鋭を一般客に紛れ込ませて連れてきているし、要人の警護のためにZランクのレオンを同席させている。非常事態が起きればギルドにもすぐさま対処に当たる様に促していたはずだ。
トレバースだってカイルからの警告を受けて身構えてはいた。だが、決勝戦の結末やカイルが見せた力、そこから続く展開に理解が追い付いていないのだ。
シモンが龍の血族であることは知られていたが、龍人化できるほどの力を有しているとは限られたごく一部の者しか知らなかったのだろう。実質的にシモンを鍛えたレオンはともかく、武王は驚いているようだった。
そんなシモンの龍人化に続いてのカイルの龍人化。カイルの素性を半ば確信していた面々でさえその姿に圧倒されていた。
思えばトレバースも最初にロイドの龍人化した姿を見た時には身動きすらできず、言葉も発することが出来なかった。それほどまでに存在感というか、生命力の桁が違っていた。
炎に包まれカイルの姿が見えなくなった時にはハラハラしたものだが、その後にあふれ出た銀の光を見て、ロイドのことを思い出した。
滅多なことでは龍の力を使ったりはしなかったが、ひとたびその力を解放した時、そこには王族である自分すら上回るような威圧感をかもし出していた。
舞台に立ち抑えきれない怒りをにじませるその姿は敵を前にしたロイドそっくりだった。何がそこまでカイルの怒りの琴線に触れたのかは分からない。しかし、ああなったロイドがその後に見せた戦いを思えば、これから起きることも予測がついた。
そして、それはいい意味でも予測を上回ってくれた。まさに圧倒的の一言だった。シモンにただの一撃も反撃を許さず、炎どころか会場の空間そのものを支配下におき自然を己の力に変えて文字通り叩きのめした。
これで事実上、カイルは剣聖筆頭となった。仮に剣聖として世界に発表したところでそれを不満に思う者はいないだろう。
トレバースは喜ぶと同時に気を引き締める。まだこれで終わりではないのだ。デリウスの襲撃に関してカイルがどこまで備えているのか、そしてどこまでやるつもりなのか。
優勝したというのに、カイルはただそれを冷静に受け止めているだけで喜んだ様子はない。荒れ果てた舞台に一人立つその姿はどこか哀愁を誘った。それもまた、かつてよく見ていたロイドの後姿とよく似ていた。
そして始まったデリウスの襲撃。やはり相当数の構成員が入り込んでいたようだった。しかし、今回は王国でやられた時のような会場内や町中での魔物召喚は行われていないようだった。混乱を増長させるなら必ず仕込んでくると思っていたのだが、増強された警備や一度徹底排除されたことでできなかったのだろうか。
恐怖と混乱で逃げまどう観客達を襲おうとしている魔人達を見た時には、またあんな悲惨な光景が繰り返されるのかと生きた心地がしなかったが、それは杞憂に終わった。
カイルが生み出したと思しき黒雲から雷がほとばしり、魔人達のみを打ち抜いていく。視線をそちらに向けることなく、舞台に降り立った者達とにらみ合いながら悠々とそれが行えるカイルに、一体どれほど強くなったのかと感嘆とも呆れともつかない気持ちが湧いてくる。
頼もしくはある。だが、あの力を身に付けるまでにどれだけの無茶を重ねてきたのかと思えば素直に賞賛することもできなかった。
避難していく観客達を尻目に、カイルは数の不利をものともせずに魔人達を腰に下げる剣とは全く違う、どこからともなく取り出した大鎌で切り裂いていく。
そして、その大鎌にトレバースは見覚えがあった。忘れるはずもない。盟約によって代償を捧げることになったアレクシス、それを迎えに来た死神が持っていたものと同じなのだから。なぜ、カイルが死神と同じ大鎌を持っているのか分からない。
けれど、この場面で使うのは相応の意味があるのだろう。現に、大鎌で切られた魔人達の行く末は二つに分かれた。
あれ以来、王国だけではなく各国で魔人の捕縛が行われ、研究も進められてきた。ある意味人体実験にも近いのだが、これがデリウスの構成員ではない一般人に使われる可能性を思えばその仕組みや戻す方法について調べるのは必須だった。
だが、その結果分かったのは埋め込まれた魔石を除去する方法はなく、一度魔人化してしまえば元には戻れないということ。
魔石の侵食度合いや適合率によっては魔石を排除すれば人に戻れる可能性は残っているのだが、それは同時に魔石を埋め込まれた者の死をも意味していた。
そう、魔石の位置は人で言うところの心臓部。それも心臓の周辺にあるというのではない。心臓内部に存在しているのだ。そのため、人体を傷つけず、あるいは命を脅かすことなく魔石を破壊することは困難を極めた。
実際に心臓ごと魔石を破壊し、直後に治癒を試みたのだが、成功した例はなかった。そして、適合率が低く魔石に自我を飲み込まれていたり、あまりにも深く侵食されている場合、死後に魔物達と同じように遺体が残らないという問題もあった。
皆、闇色の液体となって消えていく。後には身に付けていた装備品や衣服しか残らない。だというのに、今目の前で起きていることはそのどれとも違っていた。
体に傷がついたようには思えないのに、次々と倒れていく魔人達。また、同じように体ごと消える者はいても、液体になるのではない。光の粒子となってあの大鎌に吸い込まれていった。
かつてアレクシスの魂を葬った死神の鎌と同じように。アレクシスには来世がないのだという。死して後も冥界に渡ることはなく、新たに生み出される魂の礎となるのだと。
もし、それと同じとが起きているというのなら、あの魔人達の魂も同じように個としての未来はなくても、魂は冥界に還っているのだろうか。
そして、中には魔人化が解けている者達もいた。直ぐに影の中に引き込まれたので生死は分からないが、もし生きているとするならば、これまで打開策も光明も見えなかった事柄に希望を見出せるだろう。
リーダーの一人は捕えたようだったが、その後に起きたこともまた信じがたいことだった。特別観覧席にいても分かる、あまりにも圧倒的で膨大な魔力が放出され、上空に出現した魔法陣に注ぎ込まれていく。
説明されなくても分かる。あれは、通常の魔法ではない。階級で言えば超級魔法に当たる第十階級クラス。その上、呪文の詠唱を聞くに盟約魔法だろう。
何を代償に、何をもたらす魔法なのか。疑念と不安と心配が複雑に絡み合う心中で、形作られていく魔法を見つめる。そして、現れたのは巨大なゲート。そこから姿を見せたのは、人界ではまず見ることがないだろう龍の姿だった。
軽く見積もっても全長百mは超えているだろうか。恐らくは基本四属性と光と闇を司る龍達。彼らは体をくねらせ顔と視線を自らを呼び出した存在であるカイルに向ける。紡がれた言葉は知り合いであることを感じさせるもの。それも、カイルを自分達よりも上の存在としているようだ。
カイルの血筋を思えば不思議ではないのだが、それだけで龍達が認めるとは思えない。やはりこの一年の間色々あったようだ。
その龍達は、各々が別方向に飛び去って行く。襲撃直前に遠くで爆音が聞こえた。あれは、王都襲撃の時魔物召喚時に起きたものと似ていた。ということは彼らが向かった先には多くの魔物達がいるのかもしれない。
そして舞台があった空間が拡張されると同時に作られた六つの空間扉。そこからカイルの手元に集まってきた赤い霧はひどく不穏なものを感じさせた。そして、それが集まって新たに行使された魔法。
先ほどのゲートとは違うゲートが生み出され、現れたのは生きている間はまず見ることがない、最高位の妖魔や魔人達の軍勢。
カイルに気安い様子で話しかけ空間扉をくぐっていった者達。あれら一人で一国が滅びるだろう存在だ。
改めて今カイルが有しているのだろう戦力を思って背筋を汗が伝う。本当にこの一年どんな過ごし方をしてきたのかと。
「武王様、現在城塞都市エベットは周囲を魔物をはじめとするデリウスのものと思われる軍勢に包囲され攻撃を受けております」
「……そうか。戦況はどうだ?」
「はっ、それは……」
そうこうしているうちに、武王が状況確認に向かわせていた部下が帰ってきた。持ち込まれた報告は驚くべきもので、けれどそれを聞いてもトレバースの心に焦りは生まれなかった。
「……魔物召喚直後から各方面で迎撃戦が展開、戦況が拮抗しているところに、その……龍の参戦により迎撃側が優勢に。その後、現れた魔人及び妖魔達の軍勢により、完全に戦局が傾きました。現在はほぼ殲滅戦に移行しているかと……」
もたらされた報告に、元々無口な武王であっても言葉が出ない。そう、まさに何もやることがないのだ。というより下手に介入すれば邪魔にしかならないだろう。
デリウスの計画を読み切った上で、完封してみせた。都市内に被害が出たという報告は出ていないし、もしそちらで何かあっても対策を講じているのかもしれない。
「あっはっは。さすがですね、いや、素晴らしい」
誰もが言葉を失う中、商国のギルドマスター、ユリアンは楽しそうに笑う。出会った当初から大物になる空気を感じていたが、予想以上の結果に取引に応じてよかったと安堵する。
あの後、カイルから提供された商品と技術によってもたらされた利益はすさまじく、商国はもちろん、他国においても少なからぬ影響をもたらした。
商国内において孤児院の一新が行われたことはもちろん、孤児達の待遇改善も並行して行われることになった。その際、王国で先駆けて行われていた政策や方法が取り入れられたのは記憶に新しい。
孤児達は皆、何が起きたか分からないような顔で、けれど徐々に馴染んでいっているという。本当に改めて知ることとなった彼らの実情と暮らしぶりは見るに堪えないものだった。
今まで必要悪、あるいは多数の幸せのための少数の犠牲などと言って目を背けてきたことを恥じ入るばかりだった。よくぞあんな環境で育ち、あれほどの人物になれたと感心する。
だからこそ、ユリアンは彼が彼である限り惜しまぬ支援と良好な関係を続けていこうと決心していた。それが世界を守ることだけではない、商人としての利益にもつながるのだから。
「トレバース……あれは、本当に我らの味方か?」
武王の鋭い視線がトレバースに向けられる。トレバースはそれを受けて、逆に睨み返す。たとえ彼の何を疑おうとも、その心情と信念を疑うことは許しがたかった。
「それを疑うことは同盟国の国主と言えど許さない。わたしは、彼になら命を預けても構わない」
トレバースが返し、にらみ合う間に皇王エグモントが割って入る。双方に顔を向け、やや強めの声で咎めるように言う。
「今は我々で争っている時ではないでしょう。彼については後ほど分かることです。今はこの後のことを話し合うべきでしょう」
最もな意見に、武王ギュンターも思考を切り替える。驚きの連続で冷静な判断が出来ていなかったと反省したようだ。そして、観客のいなくなった会場で、取り残されたような形になった彼らはこれからの動向を話し合うのだった。
ゲートを通じて垣間見える戦況を見ながら、瘴気の濃度が一定以上にならないように集め続ける。今度はそのまま失った魔力を補充するために使う。
盟約魔法を二つ続けて使うことが出来たのは無属性と闇属性、異なる魔力を生み出す魔力の器が二つあったおかげだ。
だが、それも先ほどの魔術行使でほぼ空っぽだ。通常の盟約魔法とは違うのである意味当然ともいえるのだが、正直キツイ。
魔界にいた時と同じように瘴気を喰属性で取り込み、無属性の魔力と直接魔石に取り込み闇属性の魔力とに同時変換しながら補充していく。
消費した量から考えると微々たるものだが、それに自然回復を合わせればそれなりに回復することが出来る。
魔王軍が加わったことで魔物達の殲滅速度は加速度的に上がり、人の穴を埋めるように魔物達を迎撃していた龍達が本来の役割を果たすことが出来るようになった。
そのかいあって、先ほどから空間扉を通じて身動きを封じられた魔獣やドラゴン達が送られてくる。操られた魔物達は洗脳を解いたとしても結局は人界の生物を襲う。故に残留瘴気の濃度にさえ気を付ければ殲滅で問題ない。
しかし、操られた魔獣やドラゴン達は違う。獣界と違い人界に住まう魔獣達はそれぞれにテリトリーがあり生活圏がある。下手に殺せばそのテリトリーに混乱をきたし、禍根を呼ぶ。魔物とは違い魔獣には同族意識が強い者が多いのだから。
そしてまた、人界に存在する数は少ないとはいえ、龍の眷属であるドラゴンを殺めることは獣界にとっても人にとっても悪影響をもたらす。
龍の眷属でもあるドラゴンは、人界においては魔獣達の頂点に位置する。複数の魔獣達のテリトリーを統括し、その地域の平穏と種の軋轢の解消などに貢献しているのだ。そのドラゴンを討てば、たとえそれがドラゴンの意志ではなく人の正当防衛であろうとも騒乱が起きるだろう。
ドラゴンの意思を捻じ曲げ、意に添わぬことをさせたのが龍の血を引くとはいえ人族であるならなおさら。だからこそ、魔獣やドラゴンは極力殺さずに無力化し、支配を解く必要がある。
そして、一度獣界で保護し、傷と疲労を癒したのちに元の地に返すというのが龍達に頼んだことだった。操られているとはいえ、龍に対する本能的な畏怖は残っており、龍の実力をもってすれば傷つけずにとらえることも可能だから。
それぞれの属性による魔法の鎖で捕縛された魔獣達で拡張された空間が埋まっていく。ドラゴンが十体、その配下にある魔獣達がそれぞれ百体ほど。
いずれも身動きが取れないながらも低い威嚇のうなりを上げている。正常であるならば、龍人化であろうとカイルの姿に何がしか感じるところがあるだろうに。
彼らの濁った眼を見ていると、デリウスへの怒りはもちろん、悲しみも浮かんでくる。カイルにとって魔獣とは人よりも身近で、互いの領分を守る限り良き隣人であり続けた存在なのだから。
最後に龍達が空間扉から出てくる。最初は龍達にくっつけて移動式の空間扉としていたが、戦況が落ち着いて魔獣達の回収が終わると各方面で固定式の空間扉に変えていた。
普通そんなことは出来ないようなのだが、領域をまたぐゲートの仕組みを解明し使っていくうちに出来るようになっていた。魔力消費量はそれなりに多いのだが、どれだけ遠くに出口を移動させたとしても、最初に消費した魔力だけで済むことから長距離移動には重宝している。
また、扉の元となる”鍵”を精霊達に運んでもらえれば行ったことがない場所であっても繋いでいくこともできる。人界に戻るまでの時間を利用して、人界にあるほぼすべての町にその”鍵”を設置している。
鍵を守護する精霊達からの働きかけがあればすぐにでも駆け付けることが出来る用意はしている。もう、前回の大戦のように、遠く離れた地で戦っている間に大切な人達の住む場所が襲われても何もできないなんてことがないように。
『終わったぞ。魔物達はほぼ全滅。多少は打ち損じがあるかもしれぬが、微々たるものだろう』
『ドラゴンと魔獣達の回収も終わったわ。こっちの方が大変だったわね』
地龍と水龍が報告してくれる。とりあえず一段落と言ったところだろうか。これだけ完封されておいてすぐさま第二波を仕掛けてくるほど愚かでもないだろう。
何より起死回生にして会心の一手になるはずだった手が最悪の形で返されたのだから。これで手出しを控えてくれるばかりではなく、標的をカイルにしてくれるのであれば上々といったところか。
どちらにせよ矢面に立つことになるのだ。ならばせいぜい派手に目立つとしよう。それで彼らの意識と攻撃が集中するのであれば守りやすく攻めやすい。めいいっぱい悔しがってもらおう。
かつて人界が、そして地の三界に住まう者達が感じた憤りと悔しさはそんなものでは済まないのだから。




