決勝に向けて
本選に出場した選手は、例え一回戦で敗退したとしても決勝戦まで観戦することが出来る。しかも、ちゃんと昼食も付いている。
基本的には本選出場選手だけが入ることのできる食堂だったが、今その中は異様な雰囲気とざわめきに包まれていた。
まあ、勝者も敗者も揃って食事をとるのだから多少のわだかまりがあることは仕方ない。だが、この緊迫した雰囲気はそのせいではない。というより、その原因は一つしかないだろう。あまりにも場違いな人物達が、昼食時間になり食堂に集まってきた選手達の元に突撃してきたからだ。
そう、それはまさに突撃と言って差し支えないほどの勢いだったと言っておこう。カイルも、いつか来るだろうとは思っていたが、まさか試合が終わってもいないのに顔を合わせることになろうとは思っていなかった。
まあ、終わったら終わったでそんな暇などないかもしれないという予測もありはするのだが。いくら立場と責任があるとはいっても、彼の年齢を思えば無理からぬことだったかもしれない。
こんな事態になる直前、カイルは方々から感じる視線の中、昼食にすべく適当に料理を皿に取り分けて席についていた。
そこにやってきたのは一回戦で戦ったブルーノと、二回戦で戦ったコレールだ。二人とも、あれが試合で、結界の中で行っていなければ重症どころか死んでいたような怪我を負わされたとは思えないほど気安く話しかけてきた。
「よぉ、隣いいか?」
「俺は正面な」
机の左端に座っていたカイルの右側にブルーノが、正面にコレールが陣取る。八人の選手のためだけに用意されたとは思えないほど広い室内には、一人が一つの机を占拠してしまっても余りあるほど席も椅子もあるというのに、あえてカイルの近くにきたようだ。
「……別にいいけど。なんか話でもあるのか?」
こんな状況で近くに陣取るならそれ以外に理由はないだろう。そう思って話しかけたのだが、二人はすぐに理由を口にすることはなく、カイルと同じように皿に取った料理を食べ始める。
カイルはそれを見て、確かに話は料理を食べてからでもいいかと思いなおす。特にカイルは昼からもあと一試合を控えている。経験者であり、年長者でもある彼らはその辺を考慮してくれたのだろう。
その好意に素直に甘えることにして、とりあえずお腹を満たすことを優先する。三人とも何度かお代わりをして落ち着いたところで、話を切り出したのは一番年上であったブルーノだった。
「……それにしてもお前、十七とか言っていたが、本当にガキなんだな」
「ガキで悪かったな、後一月もすりゃ十八になる。まあ、それでもあんたらからすりゃ年下のガキだろうけどな」
カイルの答えにブルーノがわずかに眼を見開く。何に驚いたのかと首を傾げたカイルだったが、ブルーノはその反応にくつくつと笑う。
「はっは。確かに形も歳もガキだが、てめぇでてめぇをガキだって言える奴はましな方だな。にしても、見かけに反して口が悪いな?」
からかうようなブルーノの視線に、カイルは己を差し置いて何をというような視線を返す。それをいうなら、いいところのお坊ちゃんどころか、一国の跡取りがごろつきのような言葉遣いなほうが問題ではなかろうか。
「そりゃ、そっちもだろ?」
「違いねぇ。まあ、生まれはともかく、武国の王なら強くなくちゃならねぇって、強者達にもまれて育ったからそのせいだろうよ」
「なるほどな。まぁ、俺も育ちはいいもんじゃねぇからな」
「ほぉ……」
国が違えば後継者教育もそれぞれらしい。ブルーノは幼い頃から強者達に囲まれて育ってきたがゆえにこんな話し方になったのだという。
カイルも元流れ者の孤児で、両親は著名人だが育ったのは薄暗い路地裏。必要に応じて敬語を使うこともできるが、彼らには必要ないだろうし求めてもいないだろう。
年長者とはいえブルーノとは五歳、コレールとは四歳しか離れていないのだから。しかもカイルは勝者で彼らは敗者。そんなカイルから敬語を使われたらむしろ怒るかもしれない。
「綺麗な顔してるけど……男だよな?」
「……ああ、母さん似でな」
これから先もこの質問はよく受けるのだろうかと思えば気が重くなる。強く見られないのは、時として武器にもなるが、女と間違われかねないこの中性的な顔はどこかで役に立つ時が来るのだろうか。
「しっかし、信じられねぇな。その体で俺より力が強いとか、冗談だとしか思えねぇ」
「全くだ。侮られてんのかと煽ってみたら、蛇どころか龍が出てきたような気分だったしなぁ」
どこか意味ありげなコレールの視線にカイルは肩をすくめて見せる。別に龍の血族であることを隠す気はない。どう思おうと好きにすればいいし、そのことを恥じることもない。
「経験不足とか、どの口がいうんだか。あれで不足っていうなら、何が満足なんだかなぁ」
「……あー、今までは相手が相手だったからなぁ。対人の経験が浅いっていうのはほんとだぜ? 今まで限られた人としか手合せしたことなかったし。初見の相手とまともに戦うなんざ、この大会が初めてだしなぁ」
カイルの言葉には、三人の会話に耳をそばだてていただろう者達も思わず息を飲んでいた。あれだけの戦いができて、対人の経験が浅いなど冗談にしか聞こえない。
「今までの相手も気になるところだけど、君どんな生活してきたんだい? 剣の筋は確かだけど、どうも一つの流派のものだけとは思えない節がある。その上、死なないって分かってても俺達を斬る剣の流れに迷いもためらいもなかったってことは、実際、人を斬ったこともあるんだろう?」
コレールの言葉は遠回しだったが、人を殺したこともあるのだろうと言外に問いかけていた。彼らほどの実力者になれば、ああやって剣を合わせ、技を受ければそういったことを自然と推測できてしまうらしい。
カイルは彼らの剣と合わせてもまだ相手の流派だとかまでは考察が及ばない。まあ、知らないから考察しようがないということもあるのだが。そういった意味でも、まだまだ経験不足だと彼らの洞察力に舌を巻きながら思う。
「まぁな。剣を習った人は複数いるし、本格的に習い始めたのも十六になってギルド登録してからだからなぁ。それまでは、戦うってより生き残ること優先だったし。だから、戦うことの楽しさってやつも今日初めて知ったくらいだからなぁ」
どこか胡乱気な顔をしてカイルを見ていたコレールも、この言葉に唖然とした顔になる。それから眉間をもみほぐしながら頭を振っていた。
「本当に、どんな生活してきたんだか……。それにつけても、十六になってからギルド登録何て、二つ名の最速記録でも狙ってたのかい? よっぽど変わり者の親や師匠もいたもんだなぁ」
実力を付けてからギルド登録を行い、一気にギルドランクを上げる者がいないわけではない。しかし、得てしてそういう者ほど途中で挫折してしまうことも多いのだ。
なぜなら、実力はあろうと実績と信頼が足りずに指名依頼を受けることができなかったり、心身共に成長してからそう言った世界に飛び込むことになるため、社会の厳しさにもまれて心が折れたりするらしい。
ギルド登録が可能な十歳の子供なら許されるような失敗でも、成長するにつれて許されなくなる。依頼人の眼も厳しくなるのは当然の流れだからだ。ギルドランクが低くても、年齢相応の結果を求められるのは暗黙の了解というやつだ。
「や、ギルドランクに関しては情け容赦なく扱きまくってくれた指導者達のせいだから。毎日毎日魔力も体力も尽き果てるまで依頼と修行を繰り返してたらそうなったってだけで。俺としては二つ名なんて恥ずかしいからできればほしくない……」
「ぶっ、ははは。お前くらいのガキならこぞって欲しがる二つ名をなぁ。だからそんだけの実力があって未だにランクを上げてないのか?」
頭を抱えて、あの修行の日々や否応なく付けられるだろう二つ名に対する憂鬱をにじませながら言うカイルにブルーノが噴き出す。確かに変わり者という評価に間違いはないらしい。
身の丈に合わなかろうと、カイルくらいの年頃の男ならこぞって二つ名を欲するだろう。それだけの魅力と特権が二つ名にはあるのだから。それを事もなげに要らないなどと言ってしまうなんて、よほど価値観が違うと分かる。
「あー、ここ一年は色々と事情があってなぁ。上げなかったっつうよりは、上げられなかったからな」
「あげられなかったって? なんでまた、ギルドカードがあればどの国でも依頼くらい受けられるだろうに」
「……ここ一年ほど人界を離れててな。そのおかげで実力はついたんだけど、ギルドで依頼を受けることはできなかったから」
「はっ、そりゃ結構なことだな。さすがに俺は人界どころか国を離れることもできねぇからな」
ブルーノはどこか遠くを見るような眼をして言い放つ。いくら強かろうが、ブルーノには立場がある。自国を出ることさえままならない彼にとって、どういう事情であれ人界以外の領域に行くことのできる者は羨ましいのだろう。
まあ、カイルも魔界に放り込まれたように命の危険を感じない渡航であれば胸を弾ませたのかもしれないが、あいにくこの一年で回ってきた領域はどこもその領域を楽しむどころではなかったように思う。
龍王祭や領域独自の景色など、それなりに満喫はできたと思うが楽しめたのかと言えば首を傾げざるを得ない。だが、そんなことは言っても詮無いことだ。カイルがブルーノの体つきを見て思ったように、人は自分にないものを羨んでしまう生き物なのだから。
「ほうほう? 随分自由奔放なことで。理解のある親や指導者ってのはいいもんだねぇ」
コレールの言葉がどこか嫌味に聞こえるのは、カイルの事情を知らないが故か、コレールが不自由な環境で学ばなければならなかったというような事情があるのか。
カイルはその言葉に自嘲するような笑みを浮かべる。確かに理解ある親だっただろうし、カイルが本気で望めばカイルの指導を行ってくれた人達はそれを叶えてくれただろうとは思う。
けれど、どれも的外れというか少しピントがずれている。カイルに親はいないし、人界を離れたのも不可抗力だ。
「あー、まぁ、確かに俺に剣や戦い方を教えてくれた人達はそうだな。でも、俺が人界を離れたのは成り行きっていうか事故に近いもんだし、それに、俺に親はいない」
カイルの言葉にブルーノもコレールも、そして離れて座っていた者達も固まる。そして、まじまじとカイルに視線を向けていた。
「さっき、どんな生活してきたのかって言ってたろ? 五歳ん時からギルド登録するまで、俺は流れ者の孤児として生きてきた。ギルド登録しなかったんじゃない、出来なかっただけだ。今の家族に引き取られるまで、俺は底辺をはいずるゴミでドブネズミと変わらない境遇だった。ようやく、光の当たる場所に出てこられたんだ。俺の狙いは端っから優勝しかない。これで、聞きたいことの答えになるか?」
カイルの近くに陣取った彼らが聞きたかったのは、おそらくこれだろう。カイルの存在と実力は間違いなく大きな話題となることは間違いない。だが、ギルド登録が遅かったこともあってカイルに対する情報が不足している。
だからこそ、カイルが何を思い、何のためにこの大会に出たのか、その狙いが分からない。剣を合わせてその剣筋や戦い方から人柄や性格を推し量ることは出来る。けれど目的は聞かなければ分からない。
不穏な空気の漂う今回の剣術大会だからこそ、この二人もこのような行動に出たのだろうと思う。もしかすると、素性が分からずそれでいて自分達を下すほどの高い実力を持つカイルが敵に回るかもしれない可能性まで考慮して。
「…………狙いは、復讐か? この大会は注目度も高い、まかり間違って剣聖にでもなりゃ、これ以上ない意趣返しになる」
ブルーノはそれまでの気安い空気を一変させ、為政者と呼ぶにふさわしい気迫と真剣な表情でカイルを見てくる。この様子を見るに、王国からの訴えや働きかけもあって、今まで流れ者や孤児達がさらされてきた現実というやつを少なからず知っているのだろう。
同時に、何も知らず数多くの孤児達を見捨ててきたがゆえに復讐されるいわれがあるということも。だが、それはそれ、これはこれだ。いずれ国を治めていく者として、争いの火種になるようなことは潰しておかなければならない。
相手にどのような事情があれど、国や民に危険が及ぶ可能性があるなら全力で排除するのが上に立つ人間の責任だ。
そして、この剣術大会の優勝者に与えられる栄誉と権利は軽いものではない。ないとは思うが、もし国や人に反意を持つ者が聖剣を得てしまったとすれば。それはデリウスどころではない脅威ともなりかねない。
必要なら優勝者になろうと取るべき対応を取るといったその姿に、カイルは困ったような表情で笑みを浮かべる。
「……別に国や人に対してやられたことやり返そうなんて思ってないさ。そりゃ、俺が優勝すれば、今まで俺達を軽んじてきた奴らにゃこれ以上ない皮肉になるだろうけどな?」
そうなった時、してやったりと思うのは確かだろう。今まで散々虐げられてきたのだ、それを思えば、『どうだ、見たか』くらいは思うだろう。でも、やられたことをやり返すような形で仕返しするつもりなど最初からない。
だが、その答えでは満足しないのかブルーノの表情が緩むことはない。それを見てカイルは一つため息をつく。できればこれは優勝した後に口にしたかったのだが、こうなっては仕方ないだろう。
「俺の目的っつうか夢はギルド登録した時から変わらない」
「夢?」
「ああ、それまでは生きるのに必死で夢もへったくれもなかったからな。でも、念願だったギルド登録ができて俺にも夢ができた。それは、俺みたいな境遇の奴らの誰もが人として人らしい生活を送ることが出来るようにしたいってこと。親や帰る場所をなくしただけで虐げられ、理不尽に死んでいく現実を変えたいと思った」
だが、人一人に出来ることなど限られている。まして元々流れ者の孤児の言葉に誰が耳を傾けてくれるだろうか。だからカイルは求めたのだ。理不尽な現実を打ち砕き、誰かを助け守ることが出来る力を。今ある国の在り方を変えることができる者達に言葉を届けることが出来るだけの地位を。
「そのための力と……地位、ってことか……」
「俺は、俺達がこれまで受けてきた仕打ちを忘れないし、許さない。俺達にも非があったとしても、たった一個のパンのために流された血と失われた命を。それが当然のように受け入れられる現実を。けど、やった奴に仕返ししたとしても何も変わらない、変えられない。だったら、根本から変えてやるって誓ったんだ」
見つめてくるブルーノを睨み返すようにして思いをぶつける。今も記憶にはっきりと残っている。子供達の悲痛な断末魔と、楽しそうな、孤児達の命などなんとも思っていない大人達の笑い声。
手の中で失われていく体温と、鼻の奥を刺すかのようなあたりに充満する血の匂いと色を。そして死にゆく者達から、言葉にならぬ声で伝えられた言葉と思いを。己が生かされた、生きている意味を。
「俺がやろうとしてることは、見方を変えりゃ確かに復讐なんだろうさ。けど、相手は個人でも国でもない、今の世の中すべてに対する復讐だ。孤児や流れ者を取り巻く、くそったれな現実を一つ残らずぶっ潰して、この眼とこの耳とこの手が届く範囲の奴らみんな拾い上げて、叩き直してでも光ある場所で生きていけるようにする。そのために必要なら、俺はどんだけでも強くなってみせる。剣聖だろうが英雄だろうが背負って生きてやるさ。どんだけ時間がかかろうが、必ず成し遂げる。この大会もそのための足掛かりに過ぎない。俺の目的はこの大会の先にある」
揺るぎない眼で、普通の声量であっても力強く答えれば、カイルを見つめていたブルーノの眼がふっと和らいだのが分かった。同時に肩からも力が抜けるのが分かった。
「ああ、くそっ。そんな眼で言われたんじゃ疑うことの方が馬鹿らしいじゃねぇか。おまけに謝ることも許されねぇ。俺の謝罪一つで許されるような事じゃねぇからな……。まだ大きな権限があるわけじゃねぇが、俺も協力させてもらう。それが俺に出来る償いだろうからな」
ブルーノは頭をかきながら一つ大きなため息をついた。先ほどまでの緊迫感が緩んでいくと同時に何とも言えない空気が広がる。
それは、予想外だったカイルの境遇を知ったためでもあるだろう。だが、そんな境遇にありながらここまで這い上がってきたカイルに対する敬意でもあったかもしれないし、感心であったかもしれない。
「こりゃ、思ったよりとんでもなかったりするのか? なぁ、カイルって……」
ブルーノほどではないがコレールもため息をつきながら、カイルという人物について考察を進める。もしかすると、自分達が思っていた以上にとんでもない人物なのかもしれないと。ともすれば、言葉通り本当に世界を変えてしまえるかもしれないという可能性に。
それを思って言葉を続けようとした時、基本的に選手以外立ち入り禁止である食堂の扉が勢いよく開かれる。そして、そこから飛び込んできた人物を見て、部屋の中にいた者達はもれなく固まった。
八人の中に浮かんだ言葉は同じだった。なぜ、こんな人がこんな場所に! というもの。その理由に心当たりがあるカイルでさえ、同じ思いを抱き、次いで頭を抱えた。先頭に立って入ってきた人物を追いかけてきた者達がしているのと同じように。




