光の大精霊との出会い
そこはとても静かで、穏やかな空気に満たされた場所だった。おしゃべりで陽気な精霊達も声を潜めるように、その言動を自粛しているように思えた。森の中にぽっかりと広がる荘厳な景色。人界にあっては暗く重々しく、悲しみに満ちた場所であるはずのそこは、穏やかな眠りをもたらす場所だった。
歴代の愛し子達が眠る墓場。数多く立ち並ぶ墓は、自然の流れの中に緩やかに呑み込まれていっている。だが、それでいいのだろう。彼女達が望んだ穏やかで静かな時間の中、誰にも邪魔されることなく穢されることなく眠ることが出来ているのだから。
それに、彼女達を真に思う者の願いであればきっと冥界に行った彼女達にも届くだろう。墓とはそこに眠る者を思い、その者の魂の冥福を祈るのだから。その墓自体に遺体があろうとなかろうと関係はないのだ。
カイルは人界とはまるで違うこの墓場を見て、そんな感慨を抱いていた。確かにカイルがいつも祈っていた墓の中に母の遺体はなかった。それでも、母にカイルの思いは伝わっていた。それは確かだ。一時の儚い夢のようなものとはいえ、実際に会って話したのだから。
いつだって見守ってもらっていた、いつだって思ってくれていたことが分かったから。そんな墓の中で一つだけ異彩を放つ墓があった。
周囲の墓とは違い、墓石は一片の曇りもなく自然の侵食も受けていない。花に囲まれた墓場の中でありながらこの場にはない花がいくつも添えらえた墓。
まるで眠ることも、時間の中で埋もれていくことも許さないというように、くっきりと浮かび上がっていた。
それを見た時、誰に言われるでもなくそれが誰の墓であるのかカイルは直感した。その墓の前でうずくまるようにして地面に伏せる者の姿を眼にした時、ふと甦る記憶と共に。
不思議な人だった。いや、人だったのかどうかも定かではなかった。ただ、父も母もジェーンもそばにいなかった時、自分のすぐそばにたたずんでいた誰か。
日の光のように眩く温かいのに、それに見合わぬ悲しみと怒りとを宿した暗い眼でカイルを見ていた人だった。
今なら、その人がどういう存在であるのかがよく分かる。そして、彼が当時抱えていたであろう葛藤と心情も。
墓場に踏み入るカイル達の足音に気付いたのか、その人物がゆっくりと体を起こして振り返る。その顔に生気はなかった、その眼に気力は感じられなかった。
けれど、カイル達の姿を捕え、そしてシェイドとその隣に立つカイルを見た瞬間、その人物が視界から消えた。動いたのではない、文字通り消えたのだ。
霊力によって生み出され、魔力と似て非なる力を持ち、自然に迎合する精霊。その精霊が持つ力は自然そのものと同等。
まして、大精霊ともなればその力は単体においても人知の及ぶものではない。文字通り光の速さで移動したその人物はカイルにつかみかかり、地面に押し倒していた。
誰もが反応することさえできない。シェイドが口を開く間もなく、光の檻がカイルとその人物を囲い周囲から遮断する。球状に展開したその檻には影が生じず、シェイドであっても干渉ができない。
『なぜ、どうしてあなたがここにいるのですかっ! いえ、来たことは知っていました。けれど、どうしてここにっ! あなたがっ、あなたがいなければカレナはっ……カレナの命は……』
端正な顔を歪め、眼には涙が浮かんでいる。シェイドとは正反対の真っ白な姿。髪も眼も着ている服も真っ白で、光の中に溶けていきそうだ。
それなのに、その白い眼には隠しようのない黒い怒りと憎しみがあった。同時に深い悲しみと後悔が。
カイルを押さえつける力は強く、けれど服を握りしめている手は震え今にも離れてしまいそうだった。
「久しぶり……ってことになるのかな。ほとんど記憶はないけど、少しだけ思い出した。母さんの側にいた、契約精霊?」
『ええ、わたしはカレナと専属契約を結んだ精霊でした。光の大精霊シャイン、それがわたしの名です』
シャインは律儀にカイルの問いに答えてくれる。自由気ままなシェイドとは違ってひどく生真面目な性格らしい。だからこそ、カレナが死んでから今までずっと苦しんできたのだろうと思わせた。
「…………確かに、母さんの命を縮めたのは俺の存在だろうな。俺を産もうとしなければ、きっともう少し長く生きられた」
『ええ、そうです。その通りです、だからわたしは、わたしはあなたをっ!』
「でも、母さんはそれが分かってても俺を産んだ、産んでくれたんだ。俺はそのことに感謝してる。母さんの声も顔もちゃんとは憶えてないけど、俺の存在そのものが母さんの愛の証だって分かったから」
話をすることもできなかった。映像記録の魔法具がなければ顔も声も定かではなかった。でも、カレナが命を懸けて産んでくれたと分かったから、自分の命を大切に思うことが出来た。生きる覚悟が持てたのだ。
『それは……それは……』
「母さんが死んだのは、あんたのせいじゃない。守れなかったわけじゃない、止められなかったことが悪いわけでもない。こんなに辛くて悲しい思いをしても、最後まで一緒にいてくれた。それだけで、きっと母さんも感謝してたと思う。俺の存在を疎ましく、憎く思ってもあんたは俺を傷つけることはしなかった。それは、あんたの優しさじゃないのか?」
愛する人の命を縮めて生まれてきた子供をどうしても受け入れられず、でも傷つけることはしなかったシャイン。何も語ることなく、母の死と共にいなくなった光だった。
『わたしは……わたしはカレナに託されました。あなたの行く末を見守ってほしいと、最後まで。けれど、わたしはそれをかなえることはできませんでした。どうしても、どうしても……わたしは、あなたを受け入れることができなかったのです』
シャインの言葉は、カイルを責めているというよりはむしろ懺悔のようだった。自分の中にある後悔を、矛盾を、痛みを訴えかけていた。陽気で無邪気な精霊の本質とはかけ離れているのかもしれない。
けれど、一途で曇りない思いを向けてくる精霊としては正しい姿。だからこそ、カレナの死を納得できずに、受け入れることが出来ないでいたのだろう。
人とは違って、死の在り方や死に対するとらえ方が違う精霊だからこその哀しみ。愛すべき存在に怒りと憎しみを向けてしまうほどに愛していた存在を失ってしまったのだから。
「でも、代わりにずっと母さんの墓を守ってくれてたんだろ?」
『っ! わたし、わたしは……そんなつもりでは……そんなことは……』
違う、そう言いたいのにシャインは言葉が出てこなかった。そんなつもりではなかった。ただ、自分の浅ましさと醜さと愚かしさにこの場から動くことができなかっただけ。守るなどと程遠い。守るというならば、人界でこの子の側にいるべきだったのだから。
「その真意がどこにあろうと、そんなつもりはなかったとしても、結果から見れば同じことだろ。毎日掃除をして、毎日語り掛けて、毎日花を添えて、毎日祈る。俺には……できなかったことだ」
忘れたことはなかった。でも、母の墓を守ることもできず、花もあげられない。語り掛けるのは命日か誕生日くらいで、祈りをささげるのだって映像を見た時くらい。彼ほど真摯に母を弔ってくれた者は他にないだろう。
『それは……それは、あなたがそれができない環境にあったから……』
自分が守ることができなかったせいで、側で心の支えになることさえしてあげられなかった。心が壊れてしまいそうなくらい辛い時にも、自分はここでただカレナのことだけを考えていたのだから。
「それでも、さ。母さんは穏やかな環境を望んでたけど、騒がしいのが嫌いなわけじゃない。大切な人達と賑やかに過ごすのが夢だったって。あんたがいてくれたから、母さんは寂しくなんてなかったと思う。でも、一つだけ望むことがあるなら、もう静かに眠らせてあげてほしい」
カイルの言葉に、シャインは目を見開く。母と過ごしたことがなかったはずのカイルがカレナを知っているかのように話したことも、その望みにも。
『ですが、カレナを一人には……一人にするわけには……』
「母さんは一人じゃない。母さんを覚えている人がいる限り、母さんのために祈る人がいる限り、一人なんかじゃない。それに、冥界で父さんやジェーンさん、それに知り合った人達とも仲良くしてたよ。だから、もう大丈夫だ」
『なぜ、なぜあなたにそんなことがっ!』
「魔界に行った時、冥王様からの試練を受けた。その時に、冥界にいる母さん達と会ったんだ」
シャインは驚きのあまりカイルから手を放して立ち上がると後ずさる。二人と仲間達を隔てていた光の檻も消えて、カイルも体を起こしてシャインを見る。
「母さんは幸せだったと言ってた。家族ができて、愛する人との間に子供を授かることが出来て。気心の知れた友人や心を交わした精霊達に見送られて逝くことができたからって。だから、今生きている人達には幸せになってほしいって。俺にもあんたにも、母さんの死に責任を感じることなく、精一杯生きてほしいって」
カイルの心にも少なからず罪悪感はあった。母の死に自分が関係しているかもしれないと知った時、疑心暗鬼に陥ったりもした。父はジェーンは本当に自分を恨まずに、憎まずにいられたのだろうかと。本当に愛されていたのだろうかと。
でも、シェイドと契約して母の偉大な愛を知った。思い出した母の温もりと温かさを感じた。だから、信じられた。信じることが出来たのだから。この母が愛した存在が自分を疎んでいたなどあり得ないと。
『けれどっ、わたしは許されない。カレナの願いを知っていながら、踏みにじったのです。あなたが苦境にあると知りながら、見て見ぬふりをしました。あなたが消えたと聞いても動くこともできなかったのです。わたしは……わたしは、愚かで浅ましい……醜い精霊なのです』
シャインの眼から一筋の涙が零れ落ちる。生まれた時から精霊と共にあるカイルでも滅多に見ることのなかった精霊の涙。光り輝くその滴は地面に落ちることなく光となって宙に消えていく。
「……俺さ、精霊とは生まれた時からの付き合いにはなるんだけど、シェイドに出会うまでは自分とは全く違う存在なんだと思ってた」
意思の疎通はできる、親愛を寄せてくれて、加護を与えてくれて、自分の力が及ばない時には力を貸してくれたりもする。それでも、精霊の存在はあくまで自分とは違う存在なのだと、そう思っていた。
それはカイルの周囲にいた精霊の多くが微精霊や下位精霊で、姿形もはっきりとせず意思や言葉も明確なものではなかったからだ。
精霊全体に共通する傾向や行動原理はあった。それでも、人と同じように考え感じていると気づくことはなかった。
あるいは自我が生まれるまではそんな曖昧な存在なのかもしれない。共にいても、人と同じような喜怒哀楽を感じさせることはなかったから。常に全力で愛を注がれていたことだけしか分からなかった。
シェイドと契約して、何より驚いたのは豊かな感性と個性的な言動。人となんら変わらない、いや人より他者の感情に敏感なぶん、より影響を受けやすい。
カイルのそばにいてくれた精霊達もみんなそんな存在だったのだと初めて気付いた。カイルが闇に飲まれそうになった時も変わらず側にいてくれた。それは、どれだけの負担だっただろうか。
道連れで闇に飲まれるかもしれない、悪霊になってしまうかもしれないと分かっていても離れることはなかった。
そんな、純粋で一途な精霊達。より一層の感謝を捧げるのは当然のことだった。家族みんながいなくなっても変わらずに隣にいてくれたのだから。決して見捨てることも、突き放すこともなく、闇の中へさえも付いてきてくれようとしてくれたのだから。
そんな精霊の愛を知るカイルが、シャインのことを自分勝手で愚かで浅ましいなどと思うものか。醜いなどと感じるものか。
「あんたにそれだけ愛されて、母さんは幸せだった。俺も、お礼を言いたい。母さんと共にいて、いつまでも見守っててくれてありがとう。あんたが母さんの専属精霊でよかった」
これほど愛されて、これほど思われてカレナが不幸だったわけがない。思いが強かったからこそ失ってしまった時の反動もまた大きいのだから。シャインを責める言葉など持たない。
カイルだって父が死んだ後、それをなかなか認められず駆けずり回ったのだから。墓を作っても寂しさをこらえる事など出来なかったのだから。
『感謝など……なぜ? わたしは罪のないあなたを恨んだというのに……』
「自分ではどうにも出来ないことに直面したら、やり場のない感情の矛先を求めちまう。駄目だと、見当違いだと分かってても、どうしようもないんだよなぁ」
父が死んだことを知った時、終戦に喜ぶ人々を受け入れることができなかった。表面上は取り繕って同じように笑っても、心の中は荒れていた。同じ痛みを知る人々だったのに。
ジェーンが死んだ時、誰も手を差し伸べてくれなかったことを恨んだ。自分自身の無力を棚に上げて、何も知らない人々に怒りを向けた。
死にかける度に、何故自分がこんな目に合わなくてはならないのかと自身の境遇を憎んだ。ただ、その思いを真っ直ぐ相手にぶつけるのではなく、生きる原動力に変えることが出来たからここにいられるのだ。
ある意味で、カイルがやってきたこともこれからやろうとしていることも、いい意味での復讐だろう。
蔑み見下されてきた孤児達が奪われた権利を取り戻す。そして、知らぬままに加担し罪を重ねてきた者達に思い知らせてやるのだ。
孤児であろうとまぎれもない人であることを。親や家を失っただけの年端もいかない子供達に何をしてきたかということを。
知らなかったでは許されない。見えていたはずなのに見ようとしなかった影の部分を知ってもらう。そして、孤児達にも自分達が重ねてきた罪を知らしめる。
どんな境遇にあろうと、どんな事情があろうと罪は罪。理解してもらう努力をせずに助けを待つのも、恨むのもお門違いだ。だから、分からせる。無理矢理でも表に連れ出して、人としての生き方を学ばせるのだ。
『それでも、わたしは……許されない』
「誰にだ? 母さんは端から怒っちゃいない。俺だってそうだし、シェイドもきっと精霊王様も、そして精霊達も」
本当に浅ましくて愚かで醜い存在なら、周りにそれほど精霊がいるものか。何も言わずに付き添うものか。
「あんたは悲しんでただけだ。誰よりも、たぶん父さんや俺やジェーンさんよりも、母さんの死を悲しんだんだ」
カイルの家族だった二人にも、カイルにも互いの存在があった。だから悲しみを乗り越えられた。
でも、シャインは一人だった。顕現しなくてもシャインを見ることのできた存在は、愛すべき者の命を縮めて生まれた子供だけ。
大きな悲しみの中にあって、シャインにできたのはカレナの遺体とともに精霊界に戻りその死を悼むことだけだった。カレナが命懸けで残した子供を傷つけず、それ以上憎まずにいるには距離を置くしかなかったのだ。
『わたしは、あなたを憎みました。けれど、あなたを見るたびに憎しみが薄れ惹かれていく己がいて、それがどうしようもなく怖かったのです。あのままでは、わたしはわたしでいられなくなってしまうかもしれない。カレナのことを忘れてしまうのでは、この思いさえ消えてしまうのでは、と』
それは、カレナに対する裏切りにも思えた。あれほど愛していたのに、新たな愛し子に絆されたなどと。
『ほんっと、生真面目で馬鹿ねぇ。アタシ達精霊が愛し子に惹かれるのなんて当然でしょ。そんなふうに出来てるんだから。それをいつまでもウジウジと、全く融通が利かないんだから』
そこでシェイドが入ってくる。いい加減、このポンコツをどうにかしたいと思っていたところだ。
シャインがこれほど入れ込むから、シェイドも人界に興味を持ったのだから。そのおかげで、大変なこともあったけれどカイルに出会えた。間接的にだがシャインのおかげともいえる。
それなのに、当の本人はいつまでも立ち止まってウダウダと。こんな調子では、まともにお礼も言えないではないか。
『シェイド……』
シャインは長い付き合いがあり、己と正反対の属性を司る大精霊に眼を向ける。前に見たときには見る影もないほど弱体化し縮んでいた。それが、いまではかつての力を取り戻しているようだ。
この短期間では精霊界にずっといたとしても不可能なはずの復活。つまり、それほどに今代の愛し子の霊力は大きいのだろう。
思いを吐き出し、曇った眼が晴れてくるとそれを実感できる。辺り一帯を包み込むほどに大きく、太陽のように暖かくありながら月のように穏やかに照らす光。
目も眩むような光ではない、冴え冴えとした鋭さがあるわけでもない。目を離すことができない、不思議で力強い輝き。綺麗なだけではなく、数多の苦難の末に磨き抜かれた美しさ。
それに気付いてしまえば、見入ってしまえば、もう駄目だった。カイルを憎み続けることも、手を出すこともできない。
それに、己と同等の力を持つ存在がいるのだ。先ほどのような出会い頭でない限り実質手を出せない。
大きくなった、本当に。あの小さな子供がよくぞここまで成長したものだ。カレナの夫であり、ある意味恋敵でもあったロイドと似た銀髪。毛先が金色なのが変わっているだろうか。
そして、シェイドに隠されていてもシャインの目には見えていた。カレナと同じ、けれどずっと力強い光を宿した紫の眼が。
生まれたばかりの頃と変わらぬ美しさを保ち己を見つめている。それだけで言いようのない気持ちが湧き上がってくる。カレナと初めてあった時にも感じた、けれど違う感情。それを父性と呼ぶことを知ったのはまだ先のことだった。




