龍の血の覚醒
「今まで少数を切り捨てて一族を守ってきた歴史はあるんだろうが、切り捨てられた側の気持ちを考えたことはあるか?」
どこか実感のこもったダリルの言葉に、不満を見せていた者達がひるむ。カイルの説得は確かに自分達に今までになかった道を指示してくれた。心を動かされるところがあった。
それでも、長年続けられてきたしきたりのため納得できない部分もあったのだ。しかし、ひとたび我が身として考えたらどうだろうか。
例えそこに正当性があろうと、自分達を切り捨てて平穏と存続を取った一族を恨まずにいられるだろうか。そのことに悲しみと悔しさで涙を流さずにいられるだろうか。答えは、否。
「……謹んで、処分を受け入れます。獣王様並びに、我々のために涙を呑んでくださった森の同朋達、そしてカイル殿に感謝を……」
豹人族の代表と思わしき人物が深く頭を下げる。それに合わせるようにして、先ほど不満を示した者達も従う。非情なる選択は、相手の心情を無視するだけではなく自身をも省みない選択でもあったのだということを初めて自覚できたために。
「どうやら、これで一件落着、だな」
「あ、ああ、そう、だな」
ことが落ち着いて気が緩んだこともあるのだろう。体の異変はもはや無視できないレベルになっていた。体が燃えるように熱い、血が逆流しているかのようだ。
「……カイル? 具合が悪いの?」
ハンナも先ほどより裾を握る力が強い。カイルはそれに大丈夫だと答えようとして、体の力が抜けて膝をつく。そのまま床に倒れこんでしまった。
『カイルっ!』
眼を閉じ、大量の汗をかきながら苦し気に腹を押さえる様子に、クロはカイルの前に立ち獣王達を睨み付ける。
『答えよっ! この部屋には何か仕掛けがあるのではないか? この部屋に入ってからカイルの様子がおかしかった。何をしたっ!!』
部屋中にとどろくかのような声に、さすがの獣王であっても若干ひるんでしまう。今のクロは先ほどまでと違い、自らの気配を、自在に操れるようにもなった威圧を隠していない。
「こ、この部屋は龍王様の加護により、真実のみが語られる。そ、そして……龍の血族であった場合その血の覚醒を促し、血統を明らかにする作用もあるのだ」
異常なほどの体の熱に苛まれながら、獣王の言葉を聞いていたカイル。自分の中で脈打つようにうねる血と力。それこそが父より、そして遠い過去龍王より受け継いだとされる龍の血なのだろうか。
「この部屋に入ったなら、まず最初に血統が明らかになるはずでした。そうならないのは、よほど血が薄いか、あるいは……」
その先の文官の言葉は続くことはなかった。突如としてカイルの体が光に包まれたからだ。眼を焼くようなものではない。柔らかで、けれど力強い銀の輝き。それを眼にしたとたん、誰もが唖然とした表情で固まってしまったからだ。
「うっ、あああ、ああアアアアア!」
膨張する熱に体が溶かされていくかのような、破裂するかのような感覚に眼を閉じたまま悲鳴を上げる。そして、ひときわ大きな光がうねった瞬間、その光の中にカイルの姿が埋もれていく。
カイルが倒れた時に床に飛び降りていたクリアも、光に振り返ったクロもその変化を呆然と見ていた。
カイルを包んだ繭のような銀の光がその形を変えていく。細長く伸びていき、手足が、翼が、尾が、頭がその形を明らかにしていく。
そして、光が収まった時、そこにいたのは頭から尾の先まで十mほどある銀の鱗をした龍の姿。体をくねらせ、直前までのカイルがそうであったように床に伏せている。伸ばせば片翼で五mにはなるだろう翼は、小さくたたまれ背中に張り付いている。
全体的に銀の色彩を持つのだが、頭から尾まで続く鬣は翼のあたりから中央に金の毛が混じり、尾の方ではほとんど金の毛だけになっている。
手足の爪も、耳の横に二本生えた角も金色で、翼についている翼爪も同じく金色だった。息をするたびに緩やかに動く鱗や鬣はキラキラと光り輝き、それ自体が高価な芸術品のように見えた。
「なっ、こ、これは……これは、まさしくっ」
獣王が思わず玉座から立ち上がるほどの衝撃を受けている中、ピクリと身じろぎをして龍が頭を持ち上げる、短いが頑丈な手足で体を支え起き上がる。
『痛ってぇ、なんなんだ、一体。俺は……』
龍から聞こえてくる声は間違いなくカイルの声。そして、手で頭をかこうとして叶わず、翼爪を動かしたところで己の体の異変に気付いた様だった。
閉じられていた瞼が開く。そこにあったのは、先ほどまでの青い眼ではない。中心に金の光を称えた紫の、眼だ。どうやら真実の姿とは精霊が施した偽装であっても解いてしまうらしい。
カイルは開いた眼であたりを見回し、それから自分の体を見下ろす。そう、ただ体を起こし顔を上げただけで天井に届きそうなくらい長大になった己の姿を。
『なっ、これ……俺、龍に、なってる?』
カイルは頭というより体全体をくねらせながら全身の確認をして、焦った声を出す。龍の血の覚醒とか言っていたが、まさか自分自身が龍に変わるなんて思ってもみなかった。
父よりも龍の血が濃いと言っても、魔人化のように翼や尻尾、あるいは角が生えるくらいなのかと思っていたのだ。それなのに、どこからどう見ても龍にしか見えない姿に変化してしまっている。
「カイル、すごい、綺麗」
カイルが半ばパニックになっていても、ハンナは相変わらずマイペースで見た感想を伝えてきてくれる。
「すっげー! カイル、見てみろよ、龍だぜ、龍」
トーマはカイルの混乱よりも、龍の姿を初めて目の当たりにしたことによる興奮の方が大きいようだ。
「ふむ、……鱗一枚でも結構な値段で売れそうだな」
ダリルは混乱しているのかあるいは素か。妙なところで冷静というかハンター根性丸出しというか、龍という存在のもつ素材に興味を示していた。
みんなカイルがこんな姿になっても引くこともなく、恐れることもなかったのはかなり嬉しいところなのだが、もう少しまともなフォローというか感想はなかったのだろうか。
そんな仲間達の様子を見ていると、どこか気が抜けたというか混乱が落ち着いてくる。まあ、なってしまったものは仕方ない。だが、これで血統の証明にはなっただろうか。そう思って獣王達を見たのだが、その部屋にいた獣人達は壁際の兵士達も豹人族や狐人族も、獣王でさえも壇上から降りてきて平伏していた。
『へっ、な、なんだこれ? なあ、何でみんなそんなふうに頭下げてるんだ?』
仲間達がみんな普通の態度だっただけに理解が及ばない。最初は心配していたクロやクリアもカイルの体に異常がないと分かってからは上機嫌で寄り添っていた。特にクリアはカイルの鬣の中を泳ぐようにして遊んでいる。
「……此度は、無礼をいたしました。よもや客人達の言葉が真実であったと認めることができず試すような行い、誠に失礼いたしました」
皆が顔を上げることもできない中、獣王が伏せたまま謝罪の言葉を口にする。そんなことを言われても、特に思うところがないのでどう返したものかと首を傾げる。
『あー、えっと、それは別にいいんだけどさ。そういう態度ってことは、やっぱ、俺って龍王の血筋、なのか?』
それ以外に彼らがこれほどかしこまることなどあり得ないだろう。短期間とはいえ寝食を共にした狐人族であっても、畏れ多いと震えているのだから。
「ご存知だったのでは?」
『俺の髪の色からそうじゃないかって言われただけだ。龍の血筋って言っても随分昔のことみたいで、父さんの代までほとんど消えかけてたらしいから。一代限りの先祖返りで、俺には受け継がれないかもしれないってレベルの』
本当ならそうなっていたかもしれない。けれど、カレナの血によって受け継がれた創造属性を受け止めるために強い肉体を必要とした。そこでさらに血が濃くなったのではないかと思われる。本当に偶然の要素が強いのだ。
カイル自身、龍王の血族だからとどうこうしようという気もなければ、こんなふうに敬ってもらういわれもない。だから、正直戸惑うばかりだ。
「そうでしたか。ですが、そのお姿は間違いなく龍王様の血を引く方の証。そのようなお姿をした龍は龍王様とそのご息女である龍姫様のみ。体の大きさからすると、まだ幼龍のくくりに入るでしょうが……」
『これで子供サイズ、ねぇ。まあ、人としても成人してないから間違っちゃいないけど』
結局十七歳の誕生日は魔界で迎えることになった。その時にはまだクリアと使い魔契約していなかったのでクロと二人で祝うことになったわけだが。張り切っていたヒルダやエリザベートと王女達、ドワーフの家族達には申し訳なく思う。
だが、今はそれよりも問題がある。自分では解決できないというか、どうすればいいのか分からないことが。
『……ところで、さ。これ、どうやったら人に戻れるんだ?』
そう、龍化したはいいが元に戻る方法が分からない。体を動かすことは問題ない。特に意識しなくても自在に体が動く。でも、どうやれば人の姿に戻れるのかさっぱり分からない。これも龍魔法の一つなのだろうか。あるいは獣人の獣化のように感覚で行うものなのだろうか。
「カイル、分からないの?」
『ん、ああ。この状態でも魔法は普通に使えそうだけど、ってよりなんかいつもより力がみなぎってる感じではあるけど』
普通に魔法を使っても、いつもより強力になりそうな感覚はある。龍というのは魔法に長けているというし、周囲の環境を味方につけることもできるというのでその恩恵なのだろう。
ただし、人に戻る方法となるとどうにもしっくりこない。
「そのまんまだと、町にも行けねぇよな。っつか、食事とかも不便そうだよな」
『…………人界にも、行けないよな』
「大騒ぎになるな。というより、城から出た時点でこれの二の舞になりそうだ」
ダリルは未だ平伏したままの獣人達をちらりと見る。獣人達にとって龍は絶対、その上に立つ龍王は神のごとき存在。幼龍とはいえ、その神と同じような姿をしたカイルにどのような対応をするか火を見るより明らかだ。
『どうすりゃいいんだ……』
自分の中の龍属性や龍の力を使えるようになりたいとは思ったが、こんな展開は望んでいなかった。と、いうより、こんな変化をするとも思っていなかったのだ。せめて龍人のような姿であればまだ希望はあったものを。
カイルが打ちひしがれていると、謁見の間の奥にある扉が開き、一人の女性が入ってきた。その女性を見て、そろそろと頭を上げかけていた獣人達はビシリと固まり、再び頭を下げた。
カイルもその方向を見る。そして、その女性を見た途端、どこか懐かしいような、見知っているかのような感覚に首を傾げる。
年の頃は二十歳半ばくらいだろうか。白い肌と、細くしなやかな体。そうでありながらその身に秘める力はこの中にいる誰よりも力強い。
そして、カイルとも似た目の覚めるような銀髪を足元まで伸ばしている。腰のあたりから銀髪に金のグラデーションがかかり、下の方はほぼ金髪だ。ちょうどカイルの今の鬣と同じように。
可憐な顔でありながら威厳に満ちた表情。強い意志を秘めた眼は金の輝きを宿していた。獣界においてカイルと同じような姿をした者は龍王と龍姫。女性であるということは、その龍姫なのだろうか。
「獣王、祭りの準備は進んでいるかしら? お父様も今年は張り切っていたから……あら? あら、まぁまぁ、珍しいこと。わたくしの血筋はとうに途絶えたものと思っておりましたわ。あなた、お名前は何とおっしゃるの?」
最初は威厳ある話し方だったのに、カイルの姿を確認すると、手で口元を押さえ、ころころと笑うように気安い言葉をかけてくる。
見下ろすのも失礼な気がして、カイルはすいっと頭を下げると龍姫と視線を合わせる。
『えっと、カイル=ランバート、だけど』
「ランバート、……ランバート。ああっ、確か、わたくしの三番目の子供の、十代後の子孫がそういう名前だったかしら?」
龍姫は人差し指を頬にあてて考え込み、思い当たったのかぽんと手を打つ。確かに子孫は子孫なのだろうが、どうにも年代を感じてしまう。
「その姿を見るに、先祖返りかしら? でも、嬉しいわ。お帰りなさい」
両手を広げ、歓迎ではなく帰還を表す言葉に不意に胸が詰まる。自分の中に流れる龍の血がそうさせるのだろうか。ひどく懐かしく温かい気持ちになる。ロイドにそうやって迎えてもらった時のように。
『あ、えっと。ただいま? あー、えっと、それで、問題があるんだけど……』
どうにもできないところにちょうどいい適任者が来てくれた。龍姫ならばカイルのこの状態をどうにかする方法を知っているのではないか。
そう考え事情を話すことにする。その際に、ここに集まっていた事情なども含めて説明することになった。
「あらあら、そういうことになってたのね。別にわたくし達は生き方も掟も決めているつもりも強要しているつもりもないわよ? 自由に生きて構わないの。あなた達なら自由と自分勝手に生きることの違いは分かるでしょう?」
改めて龍の意思を確認した獣人達はカイルの言葉が間違っていなかったことを痛感した。今までの生き方がすべて間違っていたとは思わない。けれど、もう少しやりようはあったのかもしれない。
殺し殺されるだけではなく、お互いを認め合い共に生きていくことの出来る道が。そして、そのためなら龍も喜んで手を貸してくれていたのかもしれないと。
「でも、気まぐれに施していた加護がそんなことになってしまっていたのね。そうねぇ、こうしましょうか。今年から、祭りに貢物を持って参加した種族にはみんな加護を与えましょう。貢物の貴賤に関わらず、ね。そこに、確かに思いがこもっていたら、わたくし達には分かるもの。その思いによって一年間の加護を約束するわ」
その言葉に龍達が実際に評価していたのは物の良し悪しではないのだと、衝撃を受けたような顔になる。確かに珍しい貢物であればあるほど、そこに込められた願いは切実であり大きくなるだろう。
今までそういう貢物を持ってきた者達に加護が与えられたのは、それに込められた思いを感じ取っていたから。決して好き嫌いで決めていたのではなかったのだと、気付かされた。自分達の思惑で、尊崇する龍を逆に貶めてしまっていたのだと理解した。
「祭りの前に、それを皆に伝えなさい。そうすればきっといつもよりずっと賑やかなお祭りになるわ」
「龍姫様の御心のままに、必ずや皆に伝えましょう」
「ええ、お話しはこれでおしまいね。楽しみにしているわ」
龍姫の言葉に改めてその場にいた獣人達は頭を下げた。見かけは若くとも、龍王に次ぐ存在であると、確かな実感を持って。
「さぁ、わたくし達も行きましょうか?」
『え? いや、あの、元に戻る方法は?』
「ふふっ、それも含めて行くのよ、お父様のところに。わたくしだけ見るなんてもったいないわ。お父様にも見てもらわないと」
まるでいたずらっ子のような表情をする龍姫。カイルは唖然とした顔のまま、龍姫が魔法で空間扉を開くのを見ていた。
ハンナやクロ達もいきなり龍王と会うという言葉に驚きを隠せないでいた。獣王を振り返ってみるが、恭しく頭を下げられるだけで止める様子がない。
「大丈夫よ、龍の力の使い方、龍属性と龍魔法の扱い方。わたくしとお父様がちゃーんと教えてあげますからね」
にっこり笑った笑顔に鳥肌が立つ。あの顔は知っている。人界での修行の時に指導者となった者達が浮かべた笑顔。魔界で嬉々としてカイルを鍛え上げてやろうと宣言した魔王と四天王達の笑顔に通じるものだ。
これは、逃げられない。修行が終わるまで、祭りにも人界にも行けない。そう悟ったカイルは、少ししょんぼりとしながら少し大きめに作られたゲートを仲間達に続いてくぐっていった。




