獣界の現状
魔獣達は決して簡単ではない決断をしてくれた。妥協をしてくれた。だからこそ、カイルはその原因を作った者達にも決断を迫る。妥協を許さない。彼らはカイルに後始末を任せたのだ。自分達の意に沿わない結果だからと言って断ることは許されない。すでにその権利は放棄しているのだから。
「ともすれば死よりも辛い償い……か。だが、確かに我ら獣人の性からすればより守らざるを得ぬ契約だな。しかも、結果だけを見れば最小限の死者で済むというわけか……」
「失われた命は戻らない。いくらその原因を作ったものを殺しても、帰っては来ない。当たり前だけど、だからこそきちんと向き合わなくちゃならない」
罪に対して罰は必要だろう。けれど、命に命を持って償うことが必ずしも、いつだって正しいのかと言えば違うだろう。
もし豹人達がそうと知っていながら悪意を持ってドラゴンの巣を荒らし、意図をもって森を荒らし、罪と咎を押し付けるつもりで無関係の狐人族達を巻き込んでいたのだとすれば、カイルはためらいなく彼らを見捨てていただろう。一族の助命は願ったとしても、当人達を助けるという選択はしなかった。
無知で悪意がなく、意図も策略もなかったとしても許される罪ではない。けれど、やり直す、償うチャンスはあってもいいのではないか。
カイルは彼らの罪を許せと言ったわけではない。死以外の決着を望んだだけ。死に死を積み重ねて存在し続けてきたこの世界に新たな道を示しただけだ。それにどう答え、どう対応していくかは彼ら次第になる。
きっかけは作った。チャンスも与えた。希望も叶えた。ならばあとは彼らが頑張るしかないのだ。怒りを受け止め、罪を自覚し、償いのために人生を捧げる。同じ命を使うでも、そっちの方が建設的だろう。
「なぜ、ここまで……? これは、今までの獣界の在り方を否定……いいや、変えていくものだ」
獣王には分かっていた。カイルの持ち込んだ提案が、条件が、それまでの獣界の在り方に疑問を呈するものであるということに。変革を求めるものであるということに。
カイルは一度深呼吸をする。気をしっかり持っていないと意識がもうろうとしてきそうだ。体というより、胃の奥の方が熱くてひどく落ち着かない気分になる。汗が浮かび、顔の横を伝って顎から滴り落ちている。
もう少しだ、もう少し持たさなければ思いの全てを伝えることが出来ない。クロやクリアはカイルの不調を感じ取っており、心配そうな不安そうな感情を伝えてくる。ハンナも少し目を細めて軽くカイルの服の裾を引っ張る。
不調の原因は分からないが王と対面する場所だ、何らかの仕掛けがあってその影響を受けているのかもしれない。その原因が何であれ、分かるのは時間があまり残されていないということだ。
「俺の主観でしかないけど、今の獣界の在り方を寂しいと、悲しいと思ったんだ。人界よりシンプルで分かりやすい社会構造、きっと人界よりずっと争いは少ないんだろう。弱肉強食の縦の繋がりはよっぽどしっかりしてる」
龍王と龍、あるいはドラゴンという圧倒的強者の下にピラミッドとして築かれている構造。野生の獣達と同じ、生物として最も基本的な在り方。それ自体はいい、そこに住まう者達が獣達と同じ本能に従って生きているのであれば。
でも、そうではない。魔獣しかり獣人しかり、明確な理性と感情を持ち、時に理に沿わない行動を起こしたりもする。生きていくのに必要な知識と技量だけではない、歴史も伝えていく。
恨みや悲しみであっても忘れることなく受け継がれていってしまうのだろう。自分達には関係ないと思っても、心のどこかには残っている。終わったと思っても、消えずにわだかまりをもたらす。
単純な社会構造の中に生きていても、その中に生きる生き物達は全てが単純な存在ではない。魔物達のように自分達以外を全て餌だと思うような存在ばかりではないのだ。ならばこそ、それに見合った仕組みが必要になるのではないか。
「でも、横のつながりは? 俺には随分薄くて、冷たく感じられた。まるで、自分達の一族さえ無事なら、平和なら他人が他種族がどうなっても構わない。そう言っているように思えて」
「……それは、そんなことは……ない。儂らは……」
獣王にも心当たりがあるのか、否定する声は弱い。その場にいた獣人達もどこかばつが悪そうな顔をしていた。少なからずそういう気持ちがあったことは自覚しているのかもしれない。
「一族単位で住むのはいい。でも、少なくとも同じ森に住む者達とテリトリーくらいはきちんと把握しておくべきじゃないのか? 交流はしなくても、互いの生活を守るために交渉はしておく必要があるんじゃないのか? それができていないから、やってこなかったから、こういう問題が起きる」
獣王はぐっと息を詰める。そうやって言葉に詰まった獣王に代わり、その下に控えていた文官が口をはさんできた。
「……お言葉ですが、ここ獣界は獣達の楽園。住む魔獣も獣も千差万別にして、そのテリトリーも日々変わることがあります。それを全て把握しておけ、と?」
「確かに獣達のテリトリーはすぐ変わる。でも、それを統括する魔獣達のテリトリーは年単位で変わらない。違うか?」
「それはっ……」
カイルがそれを知らずにこんなことを言っているとでも思ったのだろうか。生憎とそのあたりはすでに確認済みだ。魔獣達からも、そして精霊達からも。
「ともすれば数十年、百年単位で変わらないテリトリーだってある。そして、そういうテリトリーを治める魔獣が、人界で言う主のように周囲のテリトリーの統括もしている。つまり、そういった主と友好関係を結べば周辺のテリトリーの把握はそう難しいことじゃない。集めてもらってまとめて確認すればいい。そのための協力なら龍でも龍の血族でもしてくれるんじゃないのか?」
自分達が尊崇する存在に、そんなことを頼み込むなんて発想は獣人達にはないのかもしれない。だが、龍達の存在がこの獣界をよりよくするためにあるというのであれば、それを断る道理などないだろう。
また、主のような魔獣はそれぞれ周辺の魔獣達との繋がりはあっても、それ以外の魔獣同士は関わり合いを持とうとしていなかった。それも一堂に会する機会が多くなれば変わってくるだろう。
お互いを知るということは軋轢も生むかもしれないが、絆だって生まれるのだ。もし、もっと早くからそういうことが行われていれば、新たにテリトリーを作ったドラゴンのことをきちんと把握しておくことだってできたはずだ。
そして、こんな騒ぎも起きなければ狐人族のように、決して立ち入ってはならないテリトリーに入り込んでしまうということだって起こらなかった。
「一緒に住めないことと共に生きていけないことは違うだろう? 同じ場所にはいられなくても、同じ領域に住んでいるなら互いを知ろうとする努力は、その上で双方暮らしやすい環境を整えていくことは必要ないことか?」
「……なるほど。確かに、そうであれば避けられただろうトラブルというのは多いでしょう。いえ、むしろ起きるトラブルの大半は……そもそも生じないということですか」
文官もその利点は理解したのか、顎をさすりながら考え込む。どれだけ注意喚起しようと、年長者達に指導を強化させようと尽きることのないトラブル。毎年、寿命ではなく失われていく命。
しかも、そのほとんどが年若い者達ばかりという現状。それには頭を悩まされ続けてきた。それでも、それが理なのだと無理矢理納得してきたのだ。
「ここは、人界とは違う。だから、人界のような問題や戦いは起こらないのかもしれない。でも、他人事だからと隣人の集落の子供達が殺されても関係ない、自業自得だからと一つの一族が滅んでも類が及ばなければ無関心。そんな関係は、いつか歪みを生むんじゃないかと、思った」
「歪み?」
「人界で起こる問題や争いの大半は相互の無理解や、自分勝手で他人のことなんて考えもしない欲望から生じる。あんた達に、そんなつもりはないのかもしれない。私利私欲で無関心を貫いているわけではないんだろう。でも、このままだといつか消えずに積もり積もった怒りや悲しみ、恨みが牙をむくかもしれない。たった一つのきっかけで、領域全体が、世界が争いに呑み込まれるかもしれない」
カイルが本当に危惧していたことを聞いて、獣王だけではない、仲間達も息を飲んでいた。豹人族達も自分達だけの問題では済まないかもしれないということに顔を青くさせている。
「人界大戦……か。あれも、宗主と呼ばれる一人の男が始めたもの、ということか」
「ああ。俺は実際に会ったことはない。けど、たぶん、そいつの狂気は誰にも理解されないことから始まったんじゃないかと思う。だから、無理矢理にでも自分の考えで世界を埋め尽くそうとしている」
陰湿に過ぎる手法、人の心を弄ぶかのような技術。けれど、それらはすべて人の心の闇を知るが故の行動。自分の力だけではどうにもならない絶望を知るが故の、行動だ。
「だからといって、それを許すつもりはない。理解してもらう努力を諦め、支配することで無理矢理押し付けようとしてくる考えを受け入れるつもりもない。だから、俺はそれと戦うし、どんなに不可能に思えることでも理解してもらえる努力を諦めたりはしない」
それを辞めてしまえば、持ちうる人の身を越えた力を振るってしまえば、それは忌むべき敵と同じになってしまうから。人外の力を持とうと、人としての心まで捨てるつもりはない。普通の人として生きていくことは難しくても、人としてあるべき姿を見失ったりしない。
「これも、その一環、というわけか?」
「そう、だな。すぐには納得できなくても、みんなに理解されなくても、そういう道もあることを知ってほしい。無関心が生む悲劇もあるのだと、気付いてほしかった。俺は孤児で、すぐ隣にある当たり前の生活もままならなかった。誰も、俺達の境遇を理解しようとしなかったから、見ようとしなかったから」
自分達には関係ないからと、孤児達がどうなろうと自分達の平穏が崩されることがなければ眼を向けることさえしてもらえなかった。こちらから叫ばなければ、手を伸ばして前に進まなければ何一つ変わらない現実があった。
「俺は流れ者でもあって、家にも故郷にも戻れなかった。俺のことを何も知らなくても、ずっと偏見の眼で見られてきた。俺が何も悪いことをしてなくても、そこにいるだけで睨まれて、嫌われた。そういうの、きついんだ。存在そのものを、否定されている気分になってくる。このまま、無関心を続ければ、知る努力をしなければ、たぶんみんなもそうなる」
「なっ、何を……」
「自分達が知らない存在を認めなくなる。本人じゃなくても同種・同類が起こした罪をその種すべての責任として、敵意を向けるようになる。そして、自分達より弱い者をゴミや虫けらと呼んで虐げるようになる。現に、その兆候はあるだろう?」
龍や龍の血族を崇めながら、その祖先の如何によっては差別の対象となっている。当人を見ることなく、知ることなく、その血統のみで全てを決めつけてしまっている。龍に連なる者達であろうとそうなのだ。同じ獣人達、そして魔獣達に対してそうなっていかない保証があるだろうか。
「どんな人にも種にも優れた部分はある。同時にいたらない部分も。互いにそれを認め合い、補い合いながら生きていくのが共に生きるってことだろ? どうしても相いれなくても、その存在を認めることは出来る。自分達だけではできなくても、協力し合えば出来るようになる。これだけ多種多様な種族がいるんだ。きっと、素晴らしい世界になる。だから、ちゃんと自分達以外にも目を向けてほしい。関心を持ってほしい。魔獣達は、みんな死んだ者のために涙を流してくれた。新たな未来を示してくれた。だから、きちんと応えてほしい」
カイルの言葉は、この場にいた獣人達すべての心に小さな、けれど確かな変化をもたらした。今まで理解していても、胸の奥に残っていたわだかまり。その正体が分かったような気がして。それを解消するための道を示されたようで。
「カイル……そなたの思いと考えはよく分かった。そして、それが嘘ではなく真実であることも証明された。それを踏まえ、罪人達の処分は希望に沿うことを約束しよう。そなた達も、それで構わぬな」
獣王はしばし黙考していたが、眼を見開くと重々しく威厳ある口調で豹人族達に告げた。跪いた者達は涙を流しながら頭を下げる。その目に決意を宿して。助かった命以上に重い責務を背負ったのだということを自覚して。
一族の者も大半はそれに頭を下げて恭順を示す。だが、数人ほど納得がいかないというような顔をした者達もいた。
彼らは事の次第を知った時、罪人である若者とその家族を切り捨てることで一族を存続させようという考えを持っていた。だから、カイルの存在など重要視していなかったし、そんな世迷い事が実現するはずなどないと高をくくっていたのだ。
ところが、カイルは無事帰還し、しかも言葉通りの契約を実現させた。結果として、一族全体でその罪の償いをし続けなければならなくなったのだ。
自分達の話を聞きもしない、血気盛んで馬鹿な若者達のせいで、自分達の将来までをも縛られることになった。これなら、さっさと殺して済ませてしまった方がよほど面倒がなかったと、同じ一族でも直接的な血のつながりがないゆえにそう思ってしまっていた。
『先に言っておくが、文句など受け付けぬ』
「「なっ!?」」
クロがしゃべったことに少なからず驚きの声が上がる。事前に妖魔だと説明を受けていたが、魔の者の存在がない獣界においては信じがたいのだろう。永く生きた魔獣であってもしゃべるということはない。それができるのは龍と年経て人の姿を取ることが出来るようになったドラゴンだけなのだから。
『本来なら、貴様らは滅びを免れ得なかったであろうな。カイルと出会えた幸運に感謝するがいい。どうしても納得できぬなら、契約に応じなくともいいだろう。だが、あの森に帰れるとは思わぬことだな』
「そりゃそうだ。条件付きで許すってんなら、飲まなきゃ殺されるわな」
トーマも頭の後ろで手を組んで半眼になる。ここまでお膳立てしてもらって文句など言えたものではない。恐らく、自分達が知らないだけでカイルが無茶をしてこぎつけた契約なのだろうから。
そうでなければクロがこれほど怒っているわけがない。あえて気配を抑えているが、トーマも以前より強くなったからこそ分かる。クロもさらに成長していると。クロがその気になれば瞬きの間に彼らを蹂躙できるだろうことが。
これだけの怒りがあってもそれをしないのは、ひとえにカイルの努力を無にしないため。
それに、カイルの話を聞いて、どうしてここまでしたのかも理解できた。今の獣界のあり方が、各々の関係が人界で経験してきた過去と重なる部分があったから。
放っておけば、同じような悲劇が起きるかもしれないと危惧したからだと。言われてなるほどと思った。これが当たり前だと言われればそうなのだろう。
しかし、独立というより孤立していっているのではないかと問われ、否定できないでいるのがその証なのではないか。今一度関係を見直すべき時が来たのではないかと。
他種族だからと、他領域だからと関係ないで済ませるのではなく、協力して行くことが新たな未来を拓く一歩になると。




