森の被害と償い
「あんた達の怒りは最もだ。森が傷ついたことで住処を失ったやつもいるだろう。傷ついたやつも、もしかしたら死んだ奴も……。住処は彼らに直させる、傷ついたやつらは俺が治す。けど、死んだ奴には報いることが出来ない。本当にすまなかった。やりきれない思いは俺にぶつけてくれて構わない。だから、豹人族を殺すことだけは勘弁してやってくれ」
狐の魔獣にしたように地に頭を付けて謝る。同じ人が起こした過ちが少しでも軽くなることを願って。
熊の魔獣はそんなカイルに対して一声吠えると、背中に前足を叩きつけてくる。アースドラゴンほどではないが体全体に重圧がかかり息が詰まる。
けれど、息継ぎをする間もなく横なぎに吹き飛ばされる。数m地面と平行に飛び、それから地面を転がって止まる。
そこにいたのは猿の魔獣。鋭い牙を向きだして唸り、カイルの足をつかむと振り回す。今度の騒動で、倒れた木の下敷きになり群れの仲間が一頭死んだのだという。無抵抗のまま地面や木に体を叩きつけられた後放り投げられる。
次に見えたのは鹿の魔獣。大きな物音と倒れてくる木にパニックを起こした仲間が崖を滑り落ち首の骨を折って死んだ。強靭な後ろ足で蹴り上げられ、ミシミシと体が悲鳴を上げている。
どれだけ頑丈になろうと、回復力が上がろうと痛みがなくなるわけではない。傷がつかないわけではない。彼らが与えてくる痛みが、彼らの仲間が、そして彼ら自身が味わった痛みなのだと受け止めることしかできない。カイルには死んだものを甦らせることなどできないのだから。それはたとえ神であろうとしてはならないことなのだから。
地面に落下し、せき込むカイルの側に寄ってきたのは狼の魔獣だった。うつ伏せになっていたカイルの背中を踏み下ろし、右腕に食らいつくと持ち上げて激しく頭を振り回す。いくら肉体の強度が上がっても何の強化もしていない状態では限界がある。
牙が肉に食い込み神経を切断して骨を砕く。そして、振り回される勢いのまま肘の上から腕を食いちぎられた。
「がっ、あぁぁぁぁっ!」
ブチブチと音を立てて引きちぎられた右腕から激痛が走り、思わず悲鳴が上がる。腕が千切れたことで放り出された体を狼の口が捕える。横向きに腹をくわえられ、徐々に力が込められる。
さすがに看過できなくなったクロとクリアが飛び出そうとする。これ以上カイルに責任のないことで傷つけられるのを見ているわけにはいかなかった。
「クロッ! クリアっ! 大、丈夫……だ、これくらい。奥さんと……その腹にいた子供達を、失った、こいつの……痛みには、及ばない」
だが、寸前でカイルの声に止められる。続く言葉に、狼の口の力がわずかに弱まった。本当なら彼らの痛みは当事者である豹人族、そしてその一族すべてに向かっていたものだ。その命をもって償っていたものだろう。
それを無関係な第三者が割って入って、その命を見逃せと言ってきたのだから。不用意な他者の行動によって理不尽に家族を奪われた者からしてみれば到底納得などできないだろう。
それがドラゴンであろうと龍の血族であろうと、相手が誰であっても許す理由にはならない。それこそほぼ無関係で、何の非もないカイルの死体を突き付けてやろうかと考えるほどに。
カイルは自分の血で汚れた狼の白い毛並みを撫でる。この上ない悲しみと怒りが少しでも和らぐことを願って。八つ当たりでもうっぷん晴らしでもいい、これで少しでも気が晴れることを祈って。
血は魔法で止めた。けれど、痛みの軽減はせず、彼らの気が済むまで回復もしない。命に報いる方法がないのであれば、せめてそれくらいはすべきだと思うから。
狼の魔獣はカイルをくわえながらも喉の奥で低くうなりを上げ、その眼は鋭くカイルを睨み付けている。
「俺……が、言ってるのは、お門違いの……余計な、お世話、なんだろうけど……関わっちまったから……、だから、見殺しにも、できなかった…………」
その眼は理由を問うてきた。なぜ、カイルがここまでするのか。なぜ、出会ったばかりであろう豹人族のために命を懸けるような真似をするのかと。
だから、答えた。理由なんてそんなたいそれたものはない。ただ、関わってしまったから。彼らが心の底からの悪人ではないと知ってしまったから。死の恐怖に震えながらも、罪を受け入れ自分達の命を、一族の命運を諦めた瞬間を見てしまったから。
だから、放っておけなかった。もしほんの少しでも可能性があるなら、自分が動くことで彼らに希望と未来がもたらされるなら。体を張る価値はあるのではないか、そう思ったから。
今までもそうやって生きてきたし、これからもそうやって生きていきたいと思うから。例え出会ったばかりの人であろうと、それが自然の掟だからと言われようと、ただ黙って彼らの死と破滅を見過ごすことができなかった。
若気の至りというには重大過ぎる過ちかもしれない。その結果巻き込まれて死んでしまったに者達には申し訳は立たない。
なら、彼らが死ねば解決するのだろうか。彼らの一族が滅べば、それですべてが丸く収まるのだろうか。
きっと、そんなことはない。彼らが死んだとしても、愛する者を失った者達の悲しみと痛みが癒えることはない。彼らの一族が滅んだとしても、傷ついた森は元には戻らない。
なら、どうすればいい? 理不尽に、不条理に傷つけられた者達の傷が、せめて少しでも癒えるように、傷をつけた者が償いを続けるしかない。不可抗力で傷つけられた森を、傷つけた者の一族が責任をもって元に戻さなくてはならない。
そうして、初めて豹人族達の罪は償われ、魔獣達の痛みは軽減されるのではないか。そう思ったから。武力で従わせるのは簡単かもしれない。龍の血族の、龍王の血を持って彼らを支配することも。
でも、それでは彼らの傷は深くなるばかりだろう。だから、言葉を伝える。意思を、思いを、願いを伝えるのだ。
殺すことだけが報復ではないのだと、かの始まりの町で学んだ。同じ場所に、同じ世界に生きていくためには時に許し、過去の過ちこそを教訓として前に進むことが必要であると。
長年続いてきた獣界の掟にはそぐわないのかもしれない。それでも、最初の一歩を踏み出さなければ始まらない。負の連鎖と、死をもって完結する報復と復讐。
いくら獣達の楽園とはいえ、そんな殺伐とした掟のみが跋扈する世界でいいのだろうか。これは人であるが故の驕りであり、疑問なのかもしれない。
それでも、知性ある生き物として、他の生き物の生存を認め共存する間柄として、それだけの関係はあまりにも冷たく、悲しいのではないか。
例え報復という共通する目的のためとはいえ、こうして異なる魔獣達が一同に会し、争い合うこともなく共にいる。そういう関係が日常生活であっても築けないのかと。
狐人族の集落で首長の話を聞いた時にも思っていた。領域が違えばそこに生きる者達も、その考え方もルールも違う。
けれど、今の獣界の在り方は少しばかり寂しいのではないかと。一族で独立して自給自足をするということは簡単でもなければ、すごいとも思う。でも、一緒に住むことはできなくても交流はできる。
すべての者達と仲良くしろという気はない。どうしても性質上かみ合わない種族というものは存在するものだから。しかし、協力できることはあるだろう。互いに助け合えることだってあるはずだ。
龍の守護だけをあてにして無茶をすることなく、安定して豊かな生活を送ることは出来るはずなのだから。
統治はすれども支配せず。それが人界以外の領域における王の立ち位置と役目なのだと魔王は言っていた。
王はその領域の顔であり、理と領域を守る者。その領域に住む生き物達に、それを守らせるために存在している。配下であろう龍達もそんな龍王の意思のもと動いているのだろう。
だから、獣界におけるルールは龍が定めたもの。故に誰もそれに異を唱えることなく疑問にも思わない。だが、果たしてそれがすべてなのだろうか。
魔界において魔王に弓を引いたものがいないわけではない。カイルが調べただけでも長い歴史の中、リプリーやあの紅い豹のように魔王のやり方に反発する者達はいた。けれど、それにたいして王が実際に動いたのはそれがその領域の理、および他領域に悪影響を与えた場合のみ。
それ以外の直接的なものに関してははねのけるだけで、むしろ面白がって生かしていることがほとんどだった。
つまりはそういうことなのだろう。その領域における理を揺るがせ、他領域に及ぶまで影響を与える事柄でない限り、自由に生きてよいのだという。
魔王がカイルが魔界に来た時にそれを察知していたように、龍王もまたカイルがこの領域にやってきたことを感じ取っているのではないか。あるいは何らかの方法で見ている可能性もある。
それでも何の動きもなく、止めようとする動きもない。ならば、これは獣界の理に触れることではないのだ。やってはならない禁忌などではないのだと確信している。
「水に……流す、ことはできない、だろう。でも、ちゃんと、謝って……償い、続けたなら……いつか、許して、やってほしい。間違った……からって、殺し合う、だけじゃ、何も……変わらない。罪に見合うだけ、償い続けて……もう少し、お互いに、歩み寄って……そうすれば、きっと、もっと、素晴らしい世界に、なると、思う……から」
基盤となった人界にあらゆる領域の生き物が流れ込んだのは偶然ではない。きっとそれこそが世界の意思。種族も姿形が違っても、共に生きていくことは出来るのだということを教えるために。その可能性を示すために。
現に人界において主と人とは共存している。種族の違う人族の間にだって子供は生まれる。眼に見えない存在であろうと、普段は見かけることのない存在であろうと信じられている。
狼の口から力が抜けて、そっとカイルを地面に降ろす。待ちかねたようにクロとクリアが駆け寄ってきた。クロは頬に飛び散った血を舐めとり、怒りとも哀しみともつかない感情を伝えてくる。クリアは千切れ飛んだ右腕を持ってきて、カイルの横で右往左往していた。
狼の魔獣は静かにカイルの隣に寝そべる。そして、閉じた瞼の下から、一筋涙を流した。初めての伴侶だった。ようやく授かった子供だった。それなのに、生まれることなく死んでしまった。その悲しみが次から次へと涙になって流れていく。
それは狼の魔獣だけではなかった。その場に集まっていた魔獣達がそれぞれ地面に臥して涙を流している。失われた命と、傷ついた森を思って。
普段は関わり合いにならない、敵であるとも認識していただろう他の魔獣のために悼んでくれていた。
その光景はどこか奇妙で、いっそ神秘的でもあった。カイルは拓けてしまった森の中で空を見上げながら、彼らの嘆きの声を聞いていた。
その場で身を起こしたカイルを、あの狼の魔獣が少し気遣わし気に見ていた。カイルはそれに小さく笑みを浮かべる。
「大丈夫だって。ちゃんと魔法で治したし、もう痛みもない。服は駄目になっちまったけど、まああれくらいなら直せないこともないしな」
カイルは噛み千切られた右腕を振って請け負う。魔獣達がそろって追悼を行った後話し合いが行われた。被害が少なかったテリトリーの魔獣達はすぐにカイルの提案に乗ってくれた。そして、時間はかかったが集まったすべての魔獣達がうなずいてくれた。
ただし、条件としてディンガロンに行ったあと獣王の名のもとに契約を結ばせろということだった。この契約というのは魔獣と獣人、あるいは獣人同士・魔獣同士でも時折行われることがあるものだという。
お互いに守るべき事柄を明記し、契約書に契約する者達が魔力を流し、獣王の名においてそれを認めると、互いにそれを破ることができなくなるのだとか。破ればそのものには死が訪れるということで、重要な案件にしか使わないのだという。
契約書も特殊なものを使うようだった。それはそうだろう。魔力を流して登録するとなればそれに耐えうる素材で作らなければならない。一種の魔法具のようなものだ。
しかし、その問題はあっけなく解決する。なぜなら、アースドラゴンの鱗を契約書としたからだ。アースドラゴンの鱗は、ドラゴンの素材というだけあって丈夫でありながら魔力を蓄えることもできる。
その鱗に、集まってきた魔獣達がそれぞれ傷を付けながら魔力を流していく。外側はそれなりに固かったが、内側はそうでもないようで力のない魔獣であっても傷がつけられた。
あとはこれをもって豹人族の同意の元契約を結べばいいのだという。文字も何もなくていいのかと思うのだが、元々魔獣などは文字を使わないためこれでいいのだという。やるべきことは双方が分かっていればいいのだから。
その間に、それぞれのテリトリーで傷を負ったものなどを連れてきてもらったり、森の中に出来てしまった道の近くに来てもらえるように手配してもらった。そうすればカイルの魔法で傷を治すことが出来る。
今も骨折や怪我が治った獣や魔獣達が飛び跳ねて喜びながら森に帰っていっている。自然の中で生きている彼らにとって怪我は本当の意味で命取りになるものだ。
普段ならそれも自然の摂理と諦めるしかないが、今回は特別だ。魔獣達も人と関わることはこういった面でメリットがあるかもしれないということは分かったようだった。自分達ではどうにもできないことであっても人の手を借りれば可能になることもあるのだと。
アースドラゴンには巣に戻る道すがら、荒らした大地を活性化してもらっている。こうすることで植物の根付きもよく、再生も早くなるだろうから。植樹と再生は豹人族達の仕事になるが、実行犯であるアースドラゴンも何らかの形で貢献しなければ不公平だろう。
のしのしと巨体を揺らし上機嫌で魔法を使っていたからか、踏み固められたはずの大地がふかふかになっていた。
『カイル。あまり無茶はしてくれるな。強くなったとはいえ、主は人のために簡単に己の身を懸けてしまえる。我らの心情も考えてくれぬか』
「……ごめん。本当に悪かった。死ぬつもりはなかったけど、体張って受け止めるつもりではいたから」
クリアもいつものクロの頭の上ではなく、カイルの肩の上にいる。不安にさせてしまったようだ。アースドラゴンもあんなことにまでなるとは思っていなかったようで、ギュウギュウ泣いていた。自分がカイルにお願いしてしまったためにああなったのだと、反省していたようだ。
『…………もうよい。だが、主がここまでやったのだ。あやつらもその一族も必ず約束は守らせる。何が何でも契約させてやろう』
「……そうだな。じゃないと矛を収めてくれた彼らにも申し訳ないし」
<ぼくも、ちゃんと守らせるー!>
ディンガロンで祭りを楽しむ前に、やるべきことが出来てしまった。それでも、これが獣界にとって新たな一歩となればいい。互いに傷つけあうだけではなく、許し合い助け合う輪が生まれればいいと、鼻歌を歌うドラゴンの側を歩きながらカイルはまだ見ぬ獣都に思いをはせていた。




