出発前夜
子供達を助けてくれたとはいえ、通りがかりの、それも人族にそれを頼むくらいだ。かなり切羽詰っているのだろう。子供達の話でもここから獣都までは七日はかかるという。余裕を見て出発するなら今日明日中には出発しなければならないだろう。
道中何があるのか分からないならなおさら。それでも貢物によるリスクとメリットとを天秤にかけ身動きが取れなくなっていたというところだろうか。
「……そっちの信頼ありきの話になるけど、リスクをかなり軽減できる方法がある」
「何っ! そっ、それは、どのような……」
カイルは言葉ではなく、先ほど出されたお茶を亜空間倉庫の中に入れ、それから別の場所から出して見せる。
首長はそれを見た瞬間は呆けていたが、次第に顔が笑みに包まれていく。それを見るに、狐人族には空間属性を持つ者がいなかったのだろう。
「なるほど、確かにそれなら匂いも漏れない。それに割れたりすることもないな」
「そうだけど……、移動する間俺が預かることになるわけだからな。それは大丈夫なのか?」
喜色満面の首長に苦言を呈してみるが、全く動じた様子がない。
「そんなものを心配する必要はない。空間属性が使えるということは、カイルはその気になればいつでもこの場から消えることだってできるのだろう? それをわざわざ知らせたおぬしを疑うほど落ちぶれてもいない」
たとえ最初その気がなかったとしても、欲にかられて貢物を略奪しようとすれば空間属性のことは黙っているだろう。その場に案内された後こっそりと亜空間倉庫にいれて空間扉で逃げればいい。
それをしないで、あえて知らせたということはその気がないから。少なくともそうした不埒な考えをしていないということは分かってもらえたらしい。
「そうか。祭りまであまり日がないってことは、そろそろ出発しなきゃならないってことだろ? 全員で行くのか?」
「いや。年寄りと村の警備にあたる者は残る。だが、それ以外の若い者や子供達はなるべく全員参加させたいと思っていたのだ」
なるほど、子供達も一緒に移動することになるからこそ人手が欲しかったということか。子供達に警戒されず、それでいて戦力になる者が。カイルの存在はまさに渡りに船と言ったところだったようだ。
「まぁ、こっちもついでっていうか目的地は同じだからな。引き受けることに問題はない。ただ、無償でっていうわけにもな……」
人界で使われていたお金はあるので、獣都まで行けば両替も可能だろう。だが、それ以前に都市に入るために多少のお金は必要だろうし、何より食料も持っていない。できればそのあたりで融通してもらえればありがたい。
そう思っていたのだが、何やら首長は難しい顔をしている。
「ふむ。確かにな……子供達を救ってもらっただけではなく、貢物の安全な運搬、さらに道中の警護までしてもらうとなれば相応の報酬は必要か……」
「あー、別にそこまでたいそうなもんは必要ないから。警護日数に見合ったお金と道中の食事を提供してもらえりゃなって思ってるだけだし……」
あまりにも思い悩んでいるので、本音を告げるとなぜか首長はギョッとした顔で固まる。お代わりのお茶を持ってきていた奥さんもニコニコ顔のまま固まっていた。
「な、なんと。おぬし、欲のない奴よな。普通であれば守護のおこぼれにあずかるだとか、一族の宝だとか、若いものを嫁によこせだとか言ってくるというのに……」
口を出してよかったかもしれない。そんなものもらっても逆に困るだけで、どうしたらいいか分からない。
「いや、普通はそんなのいらないだろ。子供達助けたのだってたまたま気付いたからだし、貢物の件だって俺が空間属性持ってたから問題なさそうってだけだし。実質ディンガロンまで案内してもらって、道中の食事まで世話になるんだ。報酬をもらうのだってちょっと欲張りかなって思ってたくらいだから……」
「うん、うん。若いのに、謙虚とはな。一族の若いのにも見習わせてやりたいわい。道中の食事については心配いらん。十分な量を用意しよう。報酬に関しても少し色を付けさせてもらう」
この日のために食料の備蓄に関しては問題ないという。むしろそれがあったからこそ、子供達も役に立とうとしてあんな奥まで採取をしに入っていってしまったのだろう。
「助かるよ。食料とか荷物に関しても亜空間倉庫に入れられるから、身軽に移動できると思うけど……」
カイルがそう付け加えると、首長はますます目を見張って笑顔が深くなっていく。予想以上というより予想外の戦力及び移動の補助になると分かって上機嫌だ。
すぐに紹介をしたいということで、首長に連れられて村の中央にある広場に連れていかれる。そこには集落に住むほとんどすべての狐人族達が集まってきていた。
全部で百数十人といったところだろうか。それなりに大きな一族ではあるようだが、どこか寂れて見えるのは近年守護をもらえなかったためだろうか。
「皆の者、ここにいるカイルが儂の依頼を受けてくれることになった。道中の警護を頼もうと思っておったが、空間属性を持っているということでな。貢物や道中の荷物や食料の運搬も引き受けてくれることになった」
首長の紹介にあちこちでざわめきが起こる。問題が解決しそうで明るい顔をする者もいれば、どこか気に喰わないと顔をしかめる者もいる。だが、カイルに助けられた子供達は揃って顔を輝かせていた。
一緒に獣都まで行けそうだということを喜んでいるようだった。警戒心が強い獣人の子供にしては懐いているように思うが、窮地を救われたことによる吊り橋効果もあるのだろうと納得する。
「首長、確かにそれなら安全に運べるでしょうが……問題のそいつは信用できるのですか!」
カイルより年上で、けれどまだ若い一人が声を上げる。それに続くようにして同年代の、それも屈強な若者達が賛同の声を上げた。
「それに関してはわしが直々に見極めて問題ないと判断しておる」
「しかし、彼は人です。我々を裏切るかも……」
獣人と人とは敵対しているわけではないはずだが、あまりいい感情は持たれていないようだ。
「確かに、かの大戦で人がドラゴンや龍の血族を利用したことは事実だ。だが、かといってすべての人がそうであるわけではないだろう? それともお前は、獣人の罪は全て獣人全体でかぶるとでもいうのか?」
首長の静かな、けれど重い言葉に若者達は口をつぐむ。それからカイルに向き合って頭を下げた。
「すまぬな、客人として招き依頼をしておきながら、不快な思いをさせてしまった」
「あー、いや、気持ちは分からないでもないからな」
カイルの言葉に疑問を浮かべる首長に、苦笑いを浮かべながら答える。
「俺の父さんもその大戦で死んだから。あの組織の仕掛けた罠によって、な」
カイルの言葉に、今度は別の意味で息を飲む声があちこちから聞こえてくる。獣界では実質的な被害というものはなかった。ただ、自分達が尊崇する龍の血に連なる者達が利用され、命を散らしていったことに憤りを感じていたのだ。
「そうか……おぬしの父親も……」
「ああ、それに父さんも俺も、その龍の血族、らしいからな。他人事じゃないってのもある」
今度こそ誰もが言葉を失う。不満の声を上げた者達も、よもやカイルが龍の血族であるとは思っていなかったらしい。逆に子供達はさらにキラキラした眼でカイルを見るようになっていた。
「……すごい、お兄さんが……龍の……」
ランカはまるで英雄を見たというような夢見心地な顔をしていた。そんな狐人族達の反応を見て、これは言うべきではなかったかな、などと考えていると、首長が再起動する。
「なっ、なんとっ! おぬしが龍の、あ、いや……そうであれば魔獣と話が付けられた理由も説明が付く、か」
魔獣は普通の獣とは違う。確かな知性があり、理性がある。だが、それだけに掟に背く行いに関しては獣よりも苛烈な反応をする。
テリトリーを同種の獣人に荒らされ、怒り狂っていただろう魔獣をどう諫めたのかと疑問に思っていた。
同種であれば意思の疎通も可能なので、カイルが力で魔獣を押さえ、子供達に話を付けさせたのかと思っていたのだが、龍の血族であるというなら納得がいく。
血の濃さや適性にもよるが、龍の血族はたいていの魔獣と意思の疎通が可能になる。それならば話し合いで決着をつけることもできただろう。それに、首長はカイルから底知れない力を感じ取っていた。
野生の勘と言ってもいい。絶対に敵対してはならないと、長年培った勘が告げていた。それに、使い魔だと言って紹介された両者からも並々ならぬ力を感じた。
力づくでいうことをきかせてもよかったのに、あえて話し合いをして、子供達にもきちんと謝らせた。全容が分かればなおの事、カイルに対する信用は深まっていった。
「龍の? ……どの血統なんだ? 光龍? いや、それとは少し違うか?」
龍の血族と聞き、我に返った者達からこぞってカイルに注視しながらぶつぶつと相談している。龍の血族と告げただけでこうなのだから、龍王の血統であることは黙っていた方がいいかもしれない。
龍王の血筋だということは人づてに聞いただけだし、きちんと確認したわけでもない。まあ、だからこそ一度龍王に会ってその辺をはっきりしたかったということもあるのだが。
「ふむ、ならばなおの事疑う余地はないな。皆の者、他に反対の者はおらぬな? なければ準備をして、明日の早朝出発となる。客人はわしの家でもてなそう。龍の血族を迎えられたとなれば、一族の誉だ。存分にもてなそう」
「あー、明日に響かない程度でいいから。じゃあ、荷物なんかは明日亜空間倉庫に突っ込んだんで大丈夫ってことだな」
「そうなるな。旅をしてきて疲れたなら、しばしゆるりとされよ。聞きたいことがあるなら、このじじいがお教えしましょうぞ」
気安いのだか、恭しいのだか分からない首長の態度や言葉遣いに微妙な顔になる。あるいは、これこそが獣界における獣人と龍との関係なのかもしれない。
身近であり、そして尊崇する相手でもあるという。本当に獣界においては龍は特別な存在なのだとよく分かる。龍の血族であるということは、必要な時以外は明かさない方がいいのかもしれない。
特に血統を証明できないのであればなおの事。龍王の血筋など眉唾物だろうし、妙な誤解を受けても面倒だ。先ほども深く追及されなくてよかったのかもしれない。あるいは、それを見越して首長が切り上げてくれたのかもしれない。
「おぬしが、わしが思っている以上に複雑な事情を抱えていることは何となく分かっておる。言いたくないことは言わなくてもよい。おぬしは子供達の恩人だ。それくらいはさせてほしい」
そんなカイルの顔色を読んだのか、首長がいつもと変わらない声で答えてくれる。見極めるべきところは見極め、踏み込むべきでないところでは踏みとどまる。それもまた野生の勘だろうか。今はただ、それがありがたい。
「まあ、これは俺にも確信がないことだから。人づてに聞いて、たぶんそうなんだろうって程度だから。深く追及されても答えられなかっただろうからな」
「なればなおの事、ここでそれを明らかにされていくがよろしかろう。自らの祖を知らぬことは不幸なことであり、足元がおろそかになりかねない」
「だな」
首長の言葉に、カイルが笑顔でうなずくと、首長も嬉しそうに何度もうなずいていた。良き一族の長であり、良きおじいさんなのだろう。カイルも彼と話しているとどこか安心できる。
午前中は首長から獣人や獣界、獣都について話を聞いた。それだけではなくテリトリーのルールや掟についても簡単に説明してもらった。
なかなか興味深いところや、人界に住まう魔獣との違いなどもあって時間が経つのを忘れて聞き入っていた。
首長も、こうやって話を聞いてくれる相手が少ないのか、ニコニコと嬉しそうに話しをしてくれた。奥さんも同じで、時々合いの手を入れたり、話の補足をしてくれた。
昼食は質素で、ほとんど素材そのままを生かしたような料理だったが、半年以上ぶりになるまともな食事に夢中になってかぶりついていた。
ふと気が付いて見上げた時、首長夫婦が孫を見るような眼で見ていて、恥ずかしいやらありがたいやらで和やかな雰囲気で食事ができた。
昼からは子供達が遊びに来た。あの時カイルが助けた子供だけではなく、別のグループの子供達もいて、それぞれに顔を輝かせながらまとわりついてきた。
子供達にとって龍は憧れであると同時に、一つの目標でもあるのだという。寝物語に聞かされる龍のように気高く、強く、優しくあれと育てられる。
そんな彼らにとって、例え人族であろうと龍の血を引く者は龍と同等の存在なのだろう。実際カイルは龍の実物を見たことがないし、話をしたことがないので何とも言えないが、子供達がこれほど純粋に慕うほど立派な存在なのだろうと想像することはできる。
狐人族達は全般的に火と闇属性を持っているのだという。種族特性なのか赤ではなく青白い火を出して遊ぶ子供達と一緒になって日が暮れるまで魔法を使って遊んでいた。
夕食はちょっとした宴会になった。集落の広場に大人も子供も集まって、中央にたいた火を囲んでの食事会だ。
普段は見ることもないごちそうに子供達ははしゃぎ、明日に響かない程度に配られた酒を酌み交わす大人達。居残り組になるだろうお年寄りたちも、そんな集落の人々を見て穏やかな表情を浮かべていた。
昼間、子供達と遊んでいる様子を見ていたためか、カイルに対する警戒心や敵愾心といったものはほとんどなくなっていた。
龍の血族と知っても疑いの眼で見ていた者達もいたが、子供達に混ざって、同じようにはしゃいでいるカイルを見て疑うのが馬鹿らしくなったらしい。最終的には歳の近い者達も入り混じって、みんなで魔法合戦になっていた。獣人特有の魔法の使い方に驚かされたり、勉強になった。
首長の隣に座るカイルの元にもいろんな人がやってきては料理をくれたり酒をくれたりする。そして一言二言会話をしては戻っていった。年頃の女性からは意味ありげな流し目をもらったが、気付かないふりをしておいた。カイルには待たせている人がいるのだから。
子供達には再び魔法をせがまれた。彼らの得意な火を使って様々な動物などを造形して、生きているかの如く操ったのが大受けしたようだ。もちろん、それには喜んで応じた。
早く帰らなければという、焦る気持ちはある。けれど、こうした出会いをないがしろにしたくはない。獣人達の多くが先の大戦で人族に対して反感に近い思いを抱いているというのならなおさら。
少しでもいい、人族を知ってもらい、獣人達と同じように多様な人々がいるのだと知ってもらえたら。それはいつかきっとカイルの夢を支える力にもなるだろう。
魔界で鍛えた魔法を、誰かを傷つけるのではなく殺すのでもなく、こうやって子供達に喜んでもらえることにこの上ない幸せを感じながら獣界で過ごす最初の夜は更けていった。




