狐人族の集落
細長い鼻先をぐりぐりと胸元にこすりつけられて、くすぐったさと思わぬほどの力強さに足を踏ん張る。どうにか説得できたようで安堵が広がる。
詭弁じみていたが、ただ厳しいだけが自然ではないはずだ。時に緩やかに受け入れることもまた必要なことだろう。
その気になれば命令することもできたのだろう。そしてまた、狐の魔獣を殺してしまうことも。けれど、それはどうしてもやりたくなかった。何といっても非は子供達の方にあったのだから。
ひとしきり狐の魔獣と戯れた後、カイルはようやく立ち上がった子供達に顔を向ける。みんなうつむいて服を握りしめている。まだ震えているところを見るに、怖いのだろう。でも、やらなければならないことがある。
「……何をしなければならないか、分かるか?」
カイルが少し厳しめの声で問いかけると、先頭にいた年長者の女の子がビクリと体を震わせ、けれど顔を上げてカイルを見てくる。
その眼にしっかりとした意思を感じて、カイルはうなずいた。それを受けて女の子がカイルがしたように地面に膝をついて頭を下げた。
「……ごめんなさいっ! わたし、わたし達知らなくてっ! 知らないじゃ許されないのに……ごめんなさい、ごめんなさい。取ったもの全部返します。だから、許してください……」
それは心からの謝罪。命が惜しくて謝るのではない。自分が間違ったことをしたのだと心から反省した上での言葉だった。
それにつられるようにして、次々と子供達が頭を下げて謝罪の言葉を紡いでいく。それをじっと見ていた狐の魔獣だったが、最後に大きく鼻をフンと鳴らす。
カイルと子供達にはその意味が理解できた。次はない、ということ。そして、取ったものは持って帰ってかまわないということだ。
置いていかれても狐の魔獣が食べるわけでもないし、かといってわざわざ取ったものを無駄にすることも許されない。
その品物があれば大人達もまた子供達が何をしたのかということに気付けるだろう。子供達は口々に礼を言うと落ちた籠と中身を拾い上げる。
「ありがとう、寛大な処置をしてくれて」
狐の魔獣は無関係なカイルがここまですることこそ変わり者だという意を示してきた。それには苦笑するしかない。
狐の魔獣によると、子供達の集落がある場所まではこの魔獣のテリトリーだということで、他の魔獣と遭遇する可能性は低いらしい。それでも可能性がないわけではないので気を付けるように警告を受けた。
先ほどまでは殺しかねないほどに猛り狂っていたのに、許すと決めたならこうして助言までしてくれる。だからこそ、カイルは人界にいた時も魔獣達との方が信頼がおける関係を築けていたのだ。
「準備はできたか? とりあえず集落の近くまで送るけど……」
カイルの言葉に、子供達は籠を抱えながらも少し顔を赤くする。その理由が濡れたズボンにあることに気付くと、苦笑しながら魔法を発動させる。
濡れていた服が乾き、汚れもまた綺麗になる。子供達は驚きの表情で服を触って確かめていた。
「……お兄ちゃんが、これを?」
「あ、ああ。魔法でな。そのままだと気持ち悪いだろ? それに、匂いで変なの呼び寄せてもまずいからな」
案外野生の獣というものは排せつ物に対して敏感に反応する。外で用を足すのでさえもテリトリーの侵略行為になりかねないのだ。綺麗にしておくに越したことはない。それに、小さいとはいえ子供達もあのままではいたたまれない。
合わせて地面も綺麗にしていたので、狐の魔獣もフンと鼻を鳴らして納得してくれたようだ。
「じゃあ、行くから」
カイルは見送ってくれる狐の魔獣にも手を振ってから子供達の後ろを歩き始める。深入りしたとはいえ、きちんと自分達の集落の場所は憶えているのか子供達の足取りに迷いはない。
それでもみんな沈んだ雰囲気なのは仕方ないのだろう。自分達だけではなく集落そのものを危険にさらしてしまったのだから。
そんな子供達を気遣ったのだろうか。年長者である女の子が話しかけてきた。
「あ、あの。わたし……狐人族のランカっていいます。お兄さんは……」
「俺はカイル。人族だけど、まぁ、この領域とも縁がないわけじゃない、かな」
「? 人界からのゲートでこちらに?」
「んー、人界からじゃない。でも、ゲートでここに来たのは間違いないな。森の中でどうしようかと思ってたらあの場面に遭遇してな」
「そうでしたか。あの、……ありがとうございました。カイルお兄さんがいなかったらわたし達……」
ランカは思い出したように頭を下げてくる。それにつられて他の子供達も次々に感謝の言葉を伝えてきた。それに少しくすぐったい思いをしながら、微笑む。本当にこの子達の命が散らされることがなくてよかったと心からそう思えた。
「狐人族の集落……か。俺が行っても大丈夫か? ちょっと聞きたいこととかもあるんだけど……」
獣人の中には警戒心が強くて他種族に排他的な種も少なくないという。特にこうやって一族で固まって集落を作っているような者達はなおの事。
駄目そうなら子供達を近くまで送っていって別の集落か、あるいは獣都ディンガロンを目指そうかと思っている。
自分が今いる場所も分からずゲートを探して彷徨うよりは、人づてに聞く方が確実だろうし、ディンガロンまで行けば龍王へのつなぎもとれるかもしれない。
魔王からの伝言は会うことがあれば、ということだったので会えなければそれまでだ。だが、出来ることなら会っておきたい。自分の中にある龍属性を使いこなすためにもそれは必要なことだと思われるから。
「……たぶん、大丈夫だと思います。カイルお兄さんはわたし達を助けてくれたし……一族の掟でも受けた恩は返さないといけないことになってますから」
ランカは少し考え込むと自信なさげに答えてくれる。確約はできないということだろう。トーマを見るに獣人は人よりも義理や恩に関して厚いようだが、ランカの様子を見るに警戒心も相応に高いのだろう。
「そうか。まあ、もし駄目でも気にすんな。あてがあるってわけでもないけど、一応の目的地はあるからな」
「……それは獣都ディンガロンですか?」
「そうだけど……よく分かったな」
獣界で一番大きな都市なので当てずっぽうだったのか、あるいは獣界に来た人はすべからずそこを目指すのだろうか。
「……もうすぐ大きなお祭りがあるから。だから、それを見に来たのかなって」
「祭り?」
「違うの? 知らなかったの?」
カイルの様子に見当が外れたのか、ランカは驚いた様な顔をする。獣界では常識なのか小さな子供達もカイルが祭りのことを知らないことに驚いているようだ。
「年に一度ある龍王様を称えるお祭り。龍王祭って呼ばれてるの」
驚きからか、それとも気安いカイルの様子に緊張感が抜けてきたのかランカの口調も子供らしいものに戻る。カイルとしてもその方がとっつきやすいので注意したりはしない。
「へぇ……。今って六の月の終わりくらい……だよな?」
「うん、六の月三十一日。七の月一日から十日間、龍王祭があるの」
魔界に落とされていまいち日付の感覚が抜け落ちていたが、おおよその部分ではあっていたようだ。今日から龍王祭開催まで後十日ほど。それまでにディンガロンに行くことは出来るだろうか。
できるならその祭りも見てみたいものだし、龍王祭というくらいなのだから龍王が参加しているのだろう。そうなれば会える可能性はさらに高くなる。
「そっか。こっからディンガロンまでどれくらいかかるか分かるか?」
「えっと、……確か七日くらい、だったかな」
思っていたよりも近いようだ。この分では方角さえ分かれば祭りまでにたどり着くことは可能だろう。いざとなれば空を飛ぶことも考えたが、それは最終手段だ。魔物が存在しない獣界でいたずらに不安をあおるようなことはしたくない。クロならば気配さえ抑えておけば魔獣ということでごまかしもきく。クリアは同化してもらっていれば目立たない。
話しながら歩いていくうち、少し森が開けてくる。獣道に近いが、確かに人工的に作られたと思しき道も見える。
子供達も集落が見えて本当の意味で安心できたのだろう、安堵のため息や涙を浮かべ、ランカを除いてみんな駆け足で集落へと戻っていく。ランカも行きたそうだったが、カイルを気遣って一緒にいてくれるようだ。
集落の方でも異変に気付いていたのだろう。集落の入口に大人達が集まっていた。そこに子供達が飛び込んでいき、みんな驚きつつも喜んでいるような様子が見受けられた。
そして、年長者であるランカの不在に気付き視線を彷徨わせた狐人族達がランカと隣にいるカイルに気付く。
途端に和やかな雰囲気は一変して強い警戒心と敵意にも似た感情が向けられる。中には武器を握る者もいた。
カイルとしては敵対する気は一切ないため集落から適度な距離を保った位置で立ち止まる。両手を軽く上げて敵対の意思がないことも示しておく。
その間に、カイルの隣にいたランカが一族の元へ駆け出した。
「待って! この人はわたし達を助けてくれたのっ! だから、みんなやめてっ!」
「ランカ? どういうことだ? なぜこんなところに人が……。それより、助けた? 一体……」
ランカの父親なのか、走り寄ってくるランカを抱き留め、少々混乱した様子で尋ねてくる。それにランカは必死になって言葉を紡いでいく。
ランカの話が進んでいくにつれ、人々は赤くなったり青くなったりしたが、最終的にカイルが子供達の危機を救ってくれたということを理解したらしい。
先ほどまでの敵意は消え、警戒心もわずかに残るばかりになった。ランカの必死な様子や今も手を上げたままのカイルの姿に嘘はないと判断してくれたようだ。
「……子供達が世話になったようだ。改めてお礼を言いたい」
狐人族達の中から壮年の男性が出てくるとカイルに頭を下げる。それに続いて集落の人々も一斉に頭を下げた。
「あー、いや。俺も行きがかり上、放っておけなかっただけだし。ここがどの辺かも分からなかったから、むしろ助かった」
カイルは上げていた手を振りながら答える。ランカ達と出会わなければ今も森の中をさまよっていたかもしれない。それに色々とためになることも教えてもらった。
「ふむ、ゲートから来られたので? 目的は龍王祭かな?」
「まあ、そんなとこかな。龍王祭が目当てってわけじゃなかったけど、ディンガロンには行こうと思ってたから」
「なるほど。龍王祭以外で人がこの領域に来ることは珍しい。何か訳ありのようですな」
年長者であり、一族を率いる者の経験と直感だろうか。かなりカイルの現状を正確に把握しているようだ。
「まぁ、事故で人界から別の領域に飛ばされちまってな。人界に戻るために旅してるんだ。俺はカイル=ランバート。こっちは使い魔のクロ、あとクリア」
クロの紹介をした後、念話でクリアに出てきてもらう。クロの頭の上から出てきたクリアの姿にどよめきが起こる。
魔物の存在しない獣界では見ることのないスライム。さらにはそれを使い魔としているという事実に。
一度解けかけた警戒心が再び強まるが、行動に移すものはいない。獣界における使い魔との関係は生涯を共にする仲間であり家族だ。カイルにとってもそうなのだろうと考慮してくれているらしい。
「それは難儀したようだな。……ここで話し込むのも礼を失する。客人としてわしの家に招こう。少々相談もある」
「ん。クロ達も一緒でいいか?」
「その様子を見るに、信頼関係は結べているようだ。こちらから手出しはしない」
「分かった。お邪魔します」
カイルは狐人族達の中を通って男性に続く。男性はこの集落の首長をしているとのことだ。話の中で子供達の行動を聞き、一層教育に力を入れる必要性を感じたようだった。
質素だがしっかりした作りの木造の家に入る。武国とはまた違った、丸太を組み上げて作った家だ。
中に入ると、首長と同年代くらいの女性が出てきてお茶を出してくれる。カイルは首長と向かい合わせに椅子に座る。クロはその足元に寝そべった。
「カイルといったな。本来であれば、いかに恩人といえどみだりに集落の中には入れない。人には理解し難いかもしれないが、自然の中に生きる獣人の性だと思ってくれ」
恩に見合うだけの施しや礼はする。けれど、一族以外を中に入れることを良しとしない。それは厳しい自然の中で生きて行くために必要な手段だ。
自分達を守るため、家族を守るために恩人であっても内情を知らせない。それを破るのは特別な事情がある場合のみだ。
「気にしてない。むしろ、それが当然かなって思ってたから。最悪ディンガロンの方向だけでも聞けりゃいいと考えてたし」
食料はこれだけ自然豊かならどうにでもなる。テリトリーの関係で駄目なら溜め込んでいる魔石で済ませてもよかった。
せっかく魔界を出たのだから、できるなら普通の食事がしたかったが贅沢は言えないだろう。ディンガロンまで行けば買うこともできるのだろうし。
「そうか……。相談というのは他でもない。ディンガロンまでの護衛を頼みたいのだ」
「護衛? なんでまた俺に?」
訳が分からない。こんな森の中で暮らしているのだから腕が立つものは多いだろう。それなのになぜ、わざわざ部外者でもあるカイルを雇おうとするのか。
「龍王祭は大きな祭りだ。この時ばかりは獣界に散らばるあらゆる種族が集う。そして、龍王様ならびに龍の方々に貢物をする風習がある」
なんでもその貢物が気に入られれば、気に入った龍あるいは龍王から次の龍王祭までの間守護を得られるのだという。
それは、無病息災といったものであったり、土地の豊穣であったり、魔獣から襲われなくなったりとかなりの恩恵があるのだとか。
だから、どの種族もこぞって貢物には力を入れているのだという。だが、その貢物を用意するのもやはり種族によっては難しいことも多く、近年彼らはどの龍からも守護を受けていないのだとか。
しかし、今年は偶然にも珍しい品が手に入り、守護を得られるのではと考えているという。
「へぇ、その品ってのが護衛対象ってことか?」
無事運び込むためにより人手を必要としているのだろうか。そう思ったのだが、少々事情が異なるようだ。
「そうとも言えるが……。問題はその品自体にもあるのだ。それは、希少な酒で龍の方々も好まれるものだが、その香りは魔獣を虜にする」
「つまりは、それを持って移動してると魔獣に襲われる可能性が高いってことか……」
その品も貴重でまもらなければならないが、それ以上に襲い来るだろう魔獣から一族を守るための手が必要ということか。
カイルが、狐の魔獣を軽くあしらったことを聞いて、さらには双方傷つかずにことを収めたことを知って適任だと考えたのだろう。
カイルとしても別に断る理由はない。それに、ある方法を使えば安全に運べるとも考えている。まあ、それをするためには彼らから一定の信頼を得なければならないだろうが、リスクやメリットを話せば納得してもらえるだろうとは思っている。




