証拠集め
ポツリポツリとそうした事情をナンシーから聞いたカイルは、これからどうすべきかを考える。もし彼女が協力してくれるならば証拠集めは格段に楽になるだろう。問題はそれを信じてもらえるかということや彼女が支配されている以上、完全に味方になってもらうには不安が残るところだろうか。
確実だろうとは思ったが、念のためにそのあたりの事情も聞いてみた。やはり彼女はリプリーによって血を吸われ、眷属として支配下に置かれているらしい。ただ、生きたまま支配下に置かれた場合は個人の意思や記憶などは残るようで、ある程度の自由もあるようだ。
ただし、命令されて事情を聞かれたら彼女は嘘をつくことが出来ない。それならば黙っていてカイル達だけでことを進めた方がいいかもしれない。とりあえずこの件はダミアンなどにも相談すべきだろう。
それにしてもやはりというべきなのだろうか。自分の娘に妻を殺させるなどと、人であったなら正気の沙汰とは思えない。先ほどの様子を見るに、少なからずリプリーもナンシーの母親に思いを寄せていたように思えたのだが、そのあたりの思考回路の違いが人と魔の者の絶望的な隔たりというべきなのだろうか。
ナンシーはどちらかと言えば人に近い心をしているように思う。ただし、その肉体は魔の者に傾いているようだ。そうでなければ半分は魔の者の血を引いているとはいっても魔界に適応することなどできなかっただろう。
人の血を引くためか基本四属性と吸血鬼なら誰もが持つ血と影と闇属性を持っているという。ただ魔法に関しては独学であるためか得意ではないということだった。
魔の者なら生まれつき魔力や魔法の使い方を感覚と本能で理解しているが、そうした部分で人の血が邪魔をするようだ。魔界の格付で行くと彼女は高位と言ったところだろうか。最高位でもトップに近いリプリーとはそれこそ天と地ほどの差がある。
『わたしは、わたしはどうすればいいのでしょうか。あの人が憎い、母を殺させて、わたしを駒として扱うあの人が。でも、心のどこかで娘として見てほしいという願望もあるのです。わたしは……どうしたら…………』
力なく椅子に座り込むナンシーを見ながらどう答えるべきか迷う。このまま計画が上手くいけばいずれリプリーは倒されるだろう。カイルだってできることならこの手で決着をつけたいとも思っている。
直接彼が手を下したわけではない。だが、彼が与えた技術が間接的にとはいえ少なからぬ人々を殺す結果となった。それだけではない。今も多くの人々が彼の与えた技術の実験台になっているかもしれない。
それを思えば許すべきではないし、ここでケリをつけておくべきだ。だが、ナンシーにとっては残された唯一の肉親でもある。どれほど憎かろうと、どれほど嫌おうとも血のつながった父親であることには変わりない。
『こんなこと、あなたに言っても分かりませんね。あなたは特異体。親も兄妹もなく生まれた存在なのですから』
カイルが答えを見つける前に、自嘲するかのようにナンシーが口にする。そういう設定で入り込んだ以上否定はできない。それに家族に愛されて生まれ、血のつながらない者からも家族として受け入れられたカイルにはナンシーの気持ちは想像することしかできない。
「俺は……俺にはよく分からない。でも、どっちにしても後悔しない方を選ぶべきだと思う。どっちも正解じゃないかもしれない、他にもやり方があるかもしれない。それでも、後悔しながら生きていくのは辛いだけだ。だから、その……俺に出来ることだったら力になるから、もう泣かないでくれ」
過去の話をし始めた時から、ナンシーの眼からはとめどなく涙がこぼれていた。表情は固定されたように変わらないのに、長年の積み重ねからか無表情なのに、途切れることなく涙が零れ落ちる。
それを見ていると、ひどく悲しくなってくる。魔の者は涙を流すことがないという。彼女の涙こそが、彼女が人であることの何よりの証だと思えた。
『あなたは……本当に、変わっています。魔界に来て以来初めてですよ、誰かに気遣われたことなんて』
ナンシーは驚いた様な顔をした後、手で涙をぬぐう。未だ眼は潤んだままだったが、新たな涙がこぼれることはなかった。それを見てカイルは薄く笑みを浮かべる。
「ああ、よく言われるよ。でも、俺だって色々教えてもらったり世話になるわけだからさ、お返しってわけじゃないけど、こうやって話を聞くことくらいできるから……」
例え力になれなくても、こうして胸の内を話すことが出来るだけで楽になることもある。そこに打算がないわけではないが、本心でもあった。
ナンシーとカイルとは境遇も立場も違う。彼女は生まれながらの半魔で、カイルは後天的に魔人化した。それでも彼女に同族意識にも似た感情を感じていた。この広い魔界で同じく人の心を有する者として、放っておけなかったのだ。
『そうですか……。では、その、魔法を教えてもらえませんか?』
ナンシーは少し考えるようなそぶりをした後、真っ直ぐにカイルを見つめてくる。その眼には強い意志が感じられた。たとえ何を犠牲にしようとも目的を成し遂げようという哀しいまでに強い意志が。
「魔法? なんでまた?」
自己流とはいえ彼女も研鑽を積んできただろう。カイルだって誰かに教えてもらっていたのは一年にも満たない間だ。それで教えられることが何かあるだろうか。
『血や影や闇と言った魔法に関しては何となく使い方も分かるのですが……地水火風の四属性に関しては使い方が今一つ分からないのです』
それを聞いてなるほどと思った。魔界で魔法を使おうと思えばどうしてもベースとなる闇属性の魔力に別の属性を乗せなければならない。
元々血によって受け継がれた属性などは意識しなくてもそれができるのだろうが、人の血によって受け継がれただろう四属性に関してはやり方が分からないのかもしれない。
「いいけど……普段はどこで練習してるんだ? ああ、そういえば敬語をつかったほうがいいのか……」
『いえ、わたしと二人の時にはそれで構いません。他に誰かいる時には敬語が望ましいですが……眼を付けられないためにも』
「ああ、なるほど。でも、手遅れじゃないか? 側近みたいなやつら、スゲーにらんできたけど」
『彼らはいかにリプリー様の関心を引けるかしか頭にないのです。リプリー様のお気に入りである以上直接的に手を出してくるということはないでしょうが、用心しておいた方がいいかもしれませんね』
ナンシーの言葉にため息が漏れる。どれほど関心を引けたところで所詮は支配されている立場だ。それとも長く支配されていれば自然とそうなってくるのだろうか。
『普段魔法はこの屋敷を離れた時などに使っています。後はちょっとした魔法は屋敷の中で使うこともありますが……あなたほどの制御能力がないもので迂闊に普段使いすれば被害を出してしまう可能性もあって……』
どうやら普段は思い切り魔法を使う機会はないらしい。魔法は使えば使うほどに熟達していくし魔力の扱いもうまくなる。だが、ナンシーの最終的な目標を思えばリプリーに感知されるところで迂闊に実力を磨くわけにもいかなかったのだろう。
「それなら俺の作った空間でやるのがいいかな。あそこなら時間もいじれるから内容の割に時間もとらないし……」
『……聞くほどに理不尽というか、便利な属性ですね。わたしなどよりよほど多くの経験を積んでいるのではないですか?』
「あー、否定はできないかもなぁ。魔界で俺を鍛えてくれた人達ってみんな滅茶苦茶だったし……」
カイルが困ったように頭をかくと、ナンシーがクスリと笑う。初めて見たナンシーの笑顔だった。魔法を教えることはもちろんだが、それ以上に彼女には生きる意志を持ってもらいたかった。
たとえどのような罪を背負おうとも、例えどのような血を引きどのような力を持とうとも自分から命を捨てるような真似をしてほしくなかった。
それは彼女に対する同情からくるのかもしれない。わずか六歳で実の父親によって実の母親を殺すという過去を持つ彼女にとっては、父親と相打ちで死ぬことこそが救いになるのかもしれない。それでも、生きてほしいと思った。
たくさん辛い思いをした分、幸せになってほしいと思った。血がつながっていなくても、家族になることが出来るのだと知ってほしい。父と母とデリウスしか知らない彼女にもっと広い世界を見て知ってほしかった。
彼女が今住む魔界でさえ、彼女が知らないことがたくさんあるのだと。人とはデリウスのような者達ばかりではない。彼女の母のように優しく温かい者も多く存在しているのだと知ってもらいたい。
生きてさえいれば、いつか彼女の全てを知っても受け入れてくれる存在だっているのだと伝えたかった。
今はまだそれを伝えたとしても信じられないかもしれない。でも、少しずつでもいい。未来に、自分自身の命に希望を持ってもらいたい。体は大きくても、精神は大人に近くでも、その身の内にある心はとても幼くて不安定で。
彼女もまた子供ではいられなかった子供なのだろうから。望まずとも魔界に来てしまい、闇から抜け出す方法を見いだせずに苦しんでいるのだろうから。
カイルだって早く魔界を出て人界に戻りたい。だが、ここでナンシーを見捨ててしまったら、例え帰ることが出来たとしてもきっと後悔する。だから彼女の力になろうと考えた。少しでも彼女の未来の選択肢が増えるように。
後ほどナンシーの手が空いた時に魔法の練習をすることを約束して解散となった。これからは明日まで自由時間だ。長いように思えるが、これが魔界でも普通の雇用形態なのだという。あまり長時間拘束しすぎると反発する者が増えるということで。
あの魔王城での日々の方がよほど異常だった。何せほぼ二十四時間無休、体感にしてその数倍から数十倍の密度の時間を過ごしてきたのだから。睡眠を拡張空間の中で取るのも当たり前になっていた。
もっとも、通常睡眠を必要としない魔人を装う上では必要なことではあったので予行演習にはなっただろうか。
カイルは廊下をナンシーに教えられた順路で歩く。リプリーの研究室に続く道だった。いくら許可をもらったとはいえその日のうちに行くのは急すぎるかもしれないが、場所だけでも確かめておかなければならない。
あのリプリーがいた部屋と同じような措置を研究室にも施されていたならクリアの分身体を配置することは出来ない。そうでなかったとしても実際にその目で見てみなければ証拠集めのための対策も取りづらい。
二階に続く階段の脇の通路を行くと地下へと続く扉がある。扉を開けると狭い階段が続いていた。魔道具の照明が置かれているのでそこまで暗くはない。
一度深呼吸をしてから下に降りていく。風を使った探知は地下や密閉された空間では使いづらい。そこで新たに土属性を使った探知を編み出した。周囲を土に囲まれた地下などではおおよその間取りも把握できる。
上に立つ屋敷以上に地下空間は広いようだった。それにかなり深くに部屋が作られている。折り返し長い階段を下りてようやく廊下に降り立った。魔界特有の紅い大地が明かりに照らされて不気味な色合いをかもし出している。
思っていた以上に扉が多い。どこから手を付けるべきかと考え、とりあえず身近にあった部屋の扉を開けた。そこは実験室だろうか。様々な器具や薬品などが机や棚にところせましと置かれている。
まるでヒルダの調薬室のようだが、棚に置かれている素材などは彼女が持っているものより数段悪趣味だった。貴重な素材なのかもしれないが正直気持ち悪い。
机の上に散らばっていた資料などを流し読みしてみたがどれもカイルが求めていた資料とは違うようだ。そして残念ながらというか案の定というか地下は部屋だけではなく廊下も含めてリプリーの支配領域のようだ。
これではたとえここに資料があったとしてもクロが回収するということは不可能だろう。それをした時点で気付かれる。
影の扱いに関しては吸血鬼に分がある。クロは基本的に自分自身の影しか扱えないが、リプリーがこうして地下全体を支配できているのがいい証拠だろう。自分の影でなくても自分の魔力を注ぐことで意のままに操ることが出来るのだ。
部屋を出て向かいの部屋に入る。ここは図書室のようだ。魔王城には及ばないものの相当量の本が収められている。やはりリプリーは他の者と違い本の持つ価値というものを正しく理解しているようだった。
一通り回って部屋を出たところで予想通りというか探知で気付いていた人物と顔を合わせる。リプリーだ。何が楽しいのか薄く笑みを浮かべている。
『許可を与えたが早速来たのか』
「……仕事がひと段落したので」
ナンシーにも行き先を告げている。それにこの地下に入った時点でリプリーには分かっていただろう。自身の欲求に素直な魔の者なら不自然ではない行動だろう。
『そうか。何か面白いものはみつかったか?』
「いえ、よく分かりませんでした」
これは本当だ。本もざっと確認しただけだし実験室では何の実験をしていたのかもよく分からない。今のところ有力な資料は見つかっていない。
『貴様は他の者のようにわたしにへりくだったりはしないのだな。丁寧な言葉を使おうとわたしに屈服したわけではない。そんなものから敬語を使われるのは気に喰わない。最初の時のように普段使いの言葉で構わない』
カイルは内心で苦笑する。奇しくも娘と父に同じようなことを言われるとは思わなかった。
「けど、周りの奴らはそうは思わないだろ?」
『あんな奴らなど気にする必要などない。それともわたしの言葉に逆らうか?』
「……いや、少なくとも今は従っておくよ。俺も命は惜しいからな」
『クククっ、今は、ときたか。本当に貴様は面白い、あれとも仲良くやっているようではないか?』
「あれ?」
『ああ、あの娘、ナンシーのことだ。あれはなかなか使える奴だからな、屋敷で何かあればあれに言えばいい。大抵のことはこなせる奴だ』
まるで他人のように言うリプリーだが、ナンシーの有能さに関しては認めているようだ。ナンシーとは別の意味で読みにくい表情の中に変化はないものかと見ていたが分からなかった。
もしかすると本当にナンシーのことを娘などとは思っていないのかもしれない。ただ使えそうだったから、あるいは実験の意味を込めて魔界に連れ帰ったというところなのかもしれない。紅い石について語っていた時のような表情や感情は読み取れなかった。
「ナンシーとあなたとは、その……親子だって聞いたけど」
『……そこまで話したのか? そうだ、わたしとあれとの関係は血のつながった親子だ。だが、魔界において血などそこまで深い意味は持たない』
予想通りというか、にべもない言葉に二の句が継げない。彼にとって血のつながりなどさほど問題にならない。使えるか使えないか、それだけが判断基準なのだろう。
『あれの母親は興味深い存在だった。人など下等な生き物とばかり思っていたが、なかなかに研究しがいがある。そうだ、貴様はあれの母親に似ている。顔立ちは違うが、纏う空気、我らの本能で感じる魂というべきか。その在り方がよく似ている』
リプリーは血のような紅い眼でカイルをじっと見てくる。カイルは身動きすることもできず、その眼から眼をそらすこともできない。
吸血鬼が持つことで有名な魅了の魔眼。同性であるためか心まで縛られることはなかったが体の自由が利かなくなる。
『味見をしてみたいところだが、糧は間に合っている。支配してしまっては面白くない』
リプリーの氷のように冷たい手が顎から首筋を伝う。冷や汗が止まらないカイルの様子を楽し気に見ると首をつかむ手にわずかに力を入れた。
『好奇心旺盛なのはいいが、ほどほどにしておくことだ。それで命を落とす魔の者は多い。貴様はまだ年若い、もう少し分別をつけることだな』
そこでようやくカイルの体の自由が戻ってくる。首をつかんでいた手もいつの間にかなくなっていた。だが、直接魂を握られたかのような冷たさは未だに首というより心に残っている。
どうやらナンシーとの関係や彼女の母親のことに関してはリプリーにとってもあまり踏み込まれたくない事柄らしい。自由が戻る一瞬前に感じたのは静かな怒りだった。自分にとって侵されたくない領域に踏み込まれた者が見せる怒り。
そして、リプリー自身はなぜそんな怒りを感じるのか分かっていないようだった。だからこそその苛立ちをカイルにぶつけてきたというところだろうか。ナンシーだけではない、リプリーもまた複雑な事情と感情を抱えているようだ。
 




