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レスティア物語  作者: マリア
第四章 再会への旅路
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愛と憎しみ、そして罪

 資料の整理が終わると、一度リプリーに顔を見せに行くという。そこで用事があれば言いつかるのだとか。三度前を歩くナンシーを見ながら、カイルは口を開く。

「聞いてもいいですか? なぜ、ナンシーはリプリー様に仕えているのですか?」

 それまで一定だったナンシーの歩みが止まる。肩が、いや体全体が小刻みに震えているのが背中越しでも分かった。どうやらあまり触れてほしくない話題だったようだ。配下にされ支配されているのなら、それが望まぬ形であったならばこれは残酷な質問だろう。


『……あなたに何がっ! …………いえ、あなたには関係のないことです。もう二度と聞かないでください。あなたの採用を決めたのはリプリー様ですが、わたしの権限で解雇することも不可能ではありません』

 それまで一切表に出てくることのなかった激しい感情が一瞬垣間見え、だが、すぐに落ち着く。だが振り返った時に見えたナンシーの表情は激怒しながらもひどく悲しげだった。あの顔を見たことがある気がした。


 そう、生きるために罪を犯し、悪いと思いながらも生きていかなければならない多くの孤児達がする顔だ。罪の意識と生存本能との板挟み。自らの手で良心をズタズタにしながらも、それでも生きたいと叫ぶ彼らの叫びと似ていた。

 ただ違ったのはナンシーからはそうした強烈なまでの生への欲求が感じられなかったこと。自分自身と自分を救ってくれない他者への強烈な怒り、自分をこんな境遇にした者へ対する憎しみ。それはあっても、生きていきたいという感情が感じられなかった。

 もしナンシーがただ囚われているというだけなら話が簡単だった。だが、もしナンシーの望みがリプリーの死だけであったならば、彼女はその後自らの命を絶ってしまうのではないか。そう思えるほどに、生への希望が感じられなかった。むしろ生きていることこそを罪だと感じているような、そんな目をしていた。


「すみません、興味本位で聞くべきではありませんでした」

『いえ、自らに正直なのが良くも悪くも魔の者の性質です』

 すっかりいつもの調子に戻ったナンシーが再び歩みを進める。まさかこういうことで魔の者だと認めてもらえるとは思わなかった。逆に少々複雑な気持ちになってくる。たとえ人であったとしても同じような質問をしたかもしれない。

 人界にいた時によくヒルダが変わっていると言ったのもこういう部分だったのだろうか。意図的に本音と心情を隠すことがあっても嘘を言うことのないカイルの性情。それはある意味魔の者に近いものだったのかもしれない。


 そのまま無言で屋敷の奥まった部屋に入る。部屋に入った瞬間から、カイルの鼻によく知った、けれど好ましいとは思えない匂いが漂ってきた。

 それが何かは、リプリーが持っていたグラスを見て分かった。あれは、血だ。それも魔界の生き物の物ではない。匂いや血に秘められた魔力の質が違う。あれは、人の血だ。

 デリウスがリプリーとの取引に何を対価にしたのかと考えていたが、その答えがそこにあった。魔界では決して手に入ることのない人の血。何よりもリプリーにとって糧となるだろうそれと引き換えに彼らは忌まわしい技術とその材料を手に入れていたのだ。

『ナンシーと、新人か……。どうだ、使えそうか?』

『歳若い割に魔法に卓越しております。文字の読み書きも問題なさそうですので、それなりに重宝するかと』


 リプリーの質問にナンシーが答える。カイルは表情を硬くしつつも嫌悪が出ないように必死になって耐える。まるで最高級の美酒であるかのように味わっているリプリーを見ているだけで気分が悪くなってきそうだ。

 同時にこの部屋にクリアの分身体を潜ませられないか探ってみる。普段ここにいるのであれば動向を把握しやすい。だが、残念ながらそう簡単にはいかないようだった。

 シェイドが自分がいた部屋を自分にとって過ごしやすくしていたように、リプリーの自室もまた彼自身の魔力と薄く延ばされた影によって覆われていた。クリアは物や人には同化できても、魔力自体に同化することは出来ない。

 つまりこの部屋の床や壁にクリアが触れた時点で存在を気付かれるということだ。そしてリプリーはその気になればいつでも攻撃に移れるということだろう。この部屋自体がリプリーの体内のようなものなのだから。


『そうか。だが、いくら特異体と言えどここまで早熟なものは見たことがない。何か理由があるのか?』

 純粋な疑問だろうか、それとも探りだろうか。どちらであろうとカイルが返す答えは決まっている。

「確かに、魔人として誕生したのは三か月前です。ですが、俺は空間と時属性を持っています。だから……」

『なるほど、実年齢以上に研鑽と経験は積めるということか。ククク、思っていたより優秀ではないか。この魔界でもその二属性を持つ者はそう多くはない。やはり特異体という者は研究のし甲斐があるな』


 そう言ってカイルを見てくるリプリーの眼は、個人というより実験動物を見る目に等しかった。ぞっとして背筋が凍る思いをしながらも、どうにか後退することだけはこらえる。かつてカイルが初めて殺したあの医者を思い出す。

 彼も自分の狂った価値観と思想のために子供達を犠牲にすることを少しもためらわなかった。医療の発展のためと言いながら、多くの子供達を切り刻んだのだ。

『ククク、そうおびえることもない。貴重なサンプルだ、無下には扱わない。だが、わたしの研究に協力することを拒むことは許さん。分かったな』

「…………分かり、ました」


 これだけは断れそうにない。下手に固辞すればおそらくは血を吸われて支配されるだろう。そうなれば自由な行動はとりづらいし、命令に逆らえなくなる。ふりならばともかく、踏み込んでくるだろう魔王軍と本気でやり合うことは避けたい。

 その答えに満足したのかリプリーは再びグラスに口を付けて血を飲む。青白い肌の中、そこだけが鮮血の色に染まる唇。それを舐めとりながらリプリーは胸元の紅い石を触っていた。血のように紅い石。見ていると不安になるような、それでいて温かみを感じるような不思議な感覚だった。

 その視線に気づいたのかリプリーが石を手に取って持ち上げる。

『これが気になるか? これはな、ある意味わたしの生き方を変えたものだ。同時に、今でも答えが出ない疑問をもたらしたものでもある』


 そういったリプリーの表情は今まで見たことがないものだった。人間らしい、というのか、血の通った生き物らしい表情というべきか。まるで愛しい存在にするかのように目を細め切なげな顔をする。

『お前は、それに少し似ている。それはいつもわたしに新しいものをもたらしてくれた。……一つ聞こう、お前は、わたしが怖いか?』

 石はリプリーの手の中にあるのに、まるで別物であるかのように話す。それで気付いた。別物なのだ、その石とリプリーにあんな表情をさせるに至った存在は。そしてあの石はその存在から作られている。

 その事実に気付き、戦慄を抑えられないまま問いに答える。


「怖い、です。あなたがその気になれば俺は抵抗することもできずに殺されます」

 この部屋なら特にそうだろう。相手にとって有利過ぎる。簡単にやられるつもりはないが、時間稼ぎがせいぜいと言ったところ。勝つにはもっと相手を知り、自らを高める必要がある。

「だから、もっとあなたのことを知りたいと思います。怖がらなくて済むようになるくらい、強くなりたい、です」

 カイルの最初の言葉に少し落胆した様子のリプリーだったが、続く言葉に顔を上げ驚いた様な表情を見せる。それは隣にいたナンシーや部屋にいた他の使用人達も同じようで揃って驚きを顔に浮かべている。


 言ってから少ししまったと思った。格の違いを理解しておきながら、それに逆らうような言葉は魔の者らしくない。それは人の在り方だ。動揺していたこともあってか余計なことを口走ってしまったかもしれない。これも特異体故だと誤解してくれればいいのだが。

 だが、そんなカイルの心配をよそに、なぜかリプリーが顔と腹を押さえて笑い出す。とても楽しそうに、それでいてひどく心を逆なでされるかのような笑い声だった。

『ククククク、そうか。やはりわたしの眼に狂いはなかった。カイルと言ったな、貴様にはわたしの研究室に入る許可をくれてやろう』

 リプリーの言葉は予想外だったのか、側近らしきものが焦った様子で考え直すように進言するがリプリーは聞く耳を持たない。何かがリプリーの心の琴線に触れたのだろう。聞かなくてもそれがかつてリプリーに変化をもたらした存在と繋がることだと分かる。


 もしかすると、それは人だったのかもしれない。リプリーが魔界の禁を侵しても人界と関わろうとするのは、かつて心を通わせたのかもしれない存在を忘れられなかったからかもしれない。そうなれば、自然とナンシーがどういう存在であるのか想像がついてしまう。

 そして、それはひどく残酷で悲劇的な過去を予想させた。

「ありがとう、ございます」

 長年リプリーに付き添ってきたのだろう側近達の殺気さえこもる視線を受けながら礼を述べる。正式に研究室に入れるようになったはいいが、内部に敵を作ってしまったのも確からしい。リプリーの眼が届く場所で手を出しては来ないだろうが、それ以外では分からない。それが魔界という場所であり、それが魔の者の在り方でもあるのだから。


 今日は初日ということもあって面通しだけで下がることになった。ナンシーについて、きた道を戻る。あの部屋から出て探ったところ廊下にまではリプリーの力が及んでいないようだったので、部屋を出てすぐの天井にクリアの分身体を配置しておく。これで部屋を出入りする者を把握できる。

 部屋を出てから、というよりリプリーからあの発言があって以来どこかナンシーの様子もおかしい。いつもよりよそよそしくなったというか、無理して平静を装っているというか。違和感があるのだ。

 あの側近達のように直接的な敵意は向けられていないが、わずかににじみ出て制御しきれない魔力がカイルに対する怒りにも似た感情を孕んでいることが分かった。

 魔力感知に長けてくると、相手の魔力から大まかな感情までもが分かるようになるらしい。偽装もできるので、ある意味気功と似たような形で相手を欺くこともできるだろう。




 そこからはしばらく無言での作業が続いた。やることと言えば雑務と言えるものばかり。やはりこうしたこまごまとした気遣いは純粋な魔の者には難しいものがあるようだ。人ほど周囲の環境が整っていなくても病気になったりすることのない魔の者らしいともいえる。

 作業をしつつナンシーの様子をうかがっていたが相変わらずだった。基本的に睡眠を必要としない魔の者は働く時間でさえも昼夜関係ない。だが、あまり長時間拘束されることも望ましくはないため、八時間ほどで一日の仕事は終了となるらしい。

 その終了間際、ナンシーが暗い目をカイルに向ける。

『なぜですか?』

「?」

 問われた言葉の意味が分からず首を傾げるとナンシーは一足飛びに距離を詰めると至近距離から睨み付けてくる。その眼には嫉妬と憎しみ、そして深い悲しみが宿っていた。


『リプリー様は……あの方はわたしに対して少しも興味を示しません。あの方に仕えて十年、わたしがどんな思いで毎日を……。それなのに、あなたはただ生まれが特殊であるというだけで気に入られて……なぜ、どうしてっ!』

 それは普段感情も表情もほとんど表に出さないナンシーの血のにじむような魂の叫びだった。普段であれば今日入ったばかりの新人にこんなことを言うことは間違っているとナンシー自身も分かっている。

 また、リプリーに気に入られるということが決していいことばかりではないということも。それでも抑えることができなかった。それでも、言わずにはおれなかったのだ。


 それだけ、ナンシーが抱える思いは複雑だった。リプリーに対する感情はどちらかと言えば負の方向に傾いているだろう。できることならば自分の手で殺してしまいたいほどに憎んでいる。だが、同時にどうしようもなく求めてしまう部分があるのも確かだった。

 それは自分の中に半分流れる人の血ゆえなのか、それとも今はおぼろげになってしまった、けれどとても幸せだった幼い頃の記憶がそうさせるのか。憎みながらも求めてしまう。支配され服従させられていてもなお、父としてのリプリーを欲してしまうのだ。

 普段は心の奥底に押し込めている思い。死ぬまで決して表に出すことはないと思っていた感情だった。それなのに、カイルを見ていると、彼と接していると沈めたはずの思いが騒ぎ出す。抑えなければならない感情が浮き彫りにされる。

 ナンシー自身理解できない何かに突き動かされるようにして、感情をぶつけていた。ただの八つ当たりだ。それでもやらなければ自分自身が壊れてしまうような気がした。そうしても許されるような気がしたのだ。


 それはかつて無償の愛を注いでくれていた存在に対する信頼に似ていた。今日初めて会ったはずなのに、どこか懐かしささえ感じていた。彼の持つ雰囲気がそうさせたのか、あるいは真っ直ぐに見つめ返してくるその眼に惹きつけられたのか。

「……なんで、そんなことを。別に俺は取り入ろうとかそういう気は……」

『分かっています! あなたには他の者のようにリプリー様の関心を買う気などないことはっ! でも、だからこそわたしはっ……なぜ、なぜわたしはあんな人をこんなに……こんなにもっ』

 突然のことに敬語を忘れたカイルだったが、そんなこと気にならないくらい取り乱しているナンシー。自分でも何を言っているのか分からなくなっているようだった。

「なぁ、あんたとリプリー……様ってどういう関係なんだ?」

『わたしとあの人は…………親子、です。ただ、わたしの母親は……人間、でした』


 カイルは予測が当たっていたためそこまで大きな驚きは見せなかった。やはりという思いが広がると同時に、ナンシーが人としての心も多く残していることもまた確認できた。

「その人は……」

『死にました。わたしが……殺しました。そう、わたしが、あの人の命令で、この手で……母親をっ!』

 ナンシーは震える両手を握りしめ、人とは異なる赤い眼から涙をこぼす。今でも母親に対する思いは鮮明に残っている。大切だった、誰よりも大好きで、何よりも一緒にいてほしい存在だった。それなのに、自分自身の手でそれを壊してしまったのだ。


 父親が普通の人ではないことは物心つく頃には理解していた。普通の子供より倍以上成長の早かったナンシーは五歳にして十歳程度の体格と知能を有していた。

 母親に対してはとても優しげな様子を見せる時があるのに、母親に接する自分を見る時の冷たい目に何度震えたことだろう。いつか殺されるのではないか、そんなふうに思ったことも一度や二度ではなかった。

 だが、死んだのは自分ではなかった。あの日、全てが崩れ去った。ナンシーが六歳になろうかという時、珍しく父親の方からナンシーに近付いてきた。ひどく優しげな声で、初めて抱き上げてくれた。それがうれしくて、母親にするように抱き着いた。

 直後に首筋に走った痛みと、流れ込んできて自分を支配する抗えない力。意識はあるのに、体の自由はなく、そして言われるがままに動いた。


 今でも夢に見る。この手で母親を切り裂いた時の感触を。全身に飛び散った血の温かさと匂いを。そして、そんなことを自分にやらせた父親の耳障りな笑い声も。

 母は最期に自分に何かを言いかけ、けれど言葉になることなく息を引き取った。その眼は絶望に彩られ、悲しみの涙を流しながら、なぜか口元には笑みを刻んだまま。

 体の自由が戻ってきて、自分がやったことを自覚した瞬間ただ叫んでいた。真っ赤に染まった両手と動かない母親を見て声がかれるほど叫んで、気を失った。

 次に目覚めた時、そこは元住んでいた家ではなかった。それどころか人界でさえなかった。父親の故郷、魔界だった。そして、自分の体はすでに大人になっていた。心は子供の時に成長を止めたまま、体だけが大きくなっていたのだ。


 そこからの生活は、それまでとは一変していた。リプリーは一度としてナンシーを娘としては扱わなかった。他にもいる多くの使用人達と同じ、自分の身の回りの世話をさせるだけの人材。反抗することのできない手駒として。

 それでも、必死になって役に立てば、眼をかけてもらえるかもしれないと思っていた。娘として少しでも隙を見せてくれたなら殺せるように力を身に付けた。それでもリプリーの眼がナンシーに向けられることはなかったのだ。

 母親を殺した罪深い自分ができる唯一の償い。それは父親を道連れに自らも死を選ぶこと。それだけを思って今まで生きてきた。それなのに、そんな思いさえも揺るがす存在が目の前に現れたのだ。

 自分が得られなかった関心を、注目を注がれる存在が。それがどうしようもなく悔しかった。父親としては最低の、最悪の存在だとしてもナンシーは一度でいい、愛されたかったのだ。それさえ叶えば死んでもいいと思えるほどに。

 それは、自分でも意識していなかった思いでもあった。ただリプリーを殺すことだけを目的に生きてきた自分が、諦めたつもりで捨てきれなかった思いだった。

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