面談と採用
初め、席に座った男はカイル達にさほど興味を持っていないのか見向きすらしなかった。だが、そばに寄り添っていた彼女が耳打ちするとその視線が集まった魔人達に向けられる。
誰もが背筋が寒くなる思いをしながらも、それぞれひざまずいて礼をしながら自分を売り込んでいく。同じように床に片膝をついて軽く頭を下げながら、カイルはその声を聞いていた。
本来ならもっと積極的に売り込むべきなのかもしれない。だが、先ほど感じた鳥肌が立つような感覚のせいでうまく言葉を発せそうにない。
せっかく集めた以上、一度も話をせずに追い出すことはないだろうが……そんな希望的観測を期待して波立つ心を鎮めていたカイルだったが、氷のような声が滑り込んでくる。
『お前達の理由などどうでもいい。問題はお前達が使えるかどうか、そしてこのわたしを満足させられるかどうかだ』
騒がしかった部屋が一瞬で静寂を取り戻す。大きな声ではなかったのに、それは驚くほどに響き渡っていた。
あちこちでごくりと喉を鳴らす音が聞こえてくる。誰もが緊張に体を固くする中、気配だけで立ち上がったことが分かった。
『知っているだろうが、わたしは有用な者以外に興味はない。そしてわたしの命令には絶対服従だ。それを受け入れられない者は失せろ』
傲慢なまでの物言い。けれど誰もそれを非難することは出来ない。これこそが魔界において頂点に生きる者の在り方なのだから。
時間が引き延ばされたかのような静寂の後、数人が部屋を去っていく。圧力に耐えきれなくなったか、あるいはついて行けないと感じたのか。
カイルの方は逆に冷静になっていった。そう、魔界に来て以来ある意味では恵まれていた。常にクロがいたし、途中からはクリアも一緒だった。
クロの一族にも魔王城の者達にも、様々な形があるとはいえ受け入れられていたと思う。だが、本来であれば常に危機的状況にさらされていたのだ。唯一理不尽にさらされたと言えばあの赤い豹だった。
だが、それこそが魔の者の本質。認めない者には何の価値も見出さず、踏みにじることにも痛痒を感じない。弱ければすべてを奪われ、何一つとして守れない。
今現在、カイルの実力では彼には届かないだろう。しかし、それは最初から分かっていたことだ。ならば、今やるべきこと、やれることをするだけだ。
最低でも彼らの懐に入れなければどうしようもない。今の様子を見る限り、いきなり使用人を下僕とすることはないように思われる。最悪の事態は免れるかもしれないが、その分慎重に確実にことを進める必要がある。
『ふむ、なかなか残ったようだな。顔を上げろ、立っていいぞ』
その言葉に各々顔を上げて立ち上がる。リプリーはカイル達の間を歩きながら一人一人に目線を向けていた。その際、いくつか問答をしている。
それが気に入るものなら残され、そうでない者は帰された。そして、ついにカイルの前にリプリーが立つ。
『……その姿、貴様古き高貴な血筋か? どの家の生まれだ? 名はあるか?』
「分からない。種族も……家や血筋もない。名はカイル」
『なるほど、変異種あるいは特異種か。生まれてどれくらいだ?』
カイルは他の者のように敬語を使わなかったのだが、気にした様子はない。むしろ興味深そうな目で見てくる。カイルは人としての年齢も含めて答えようかと思ったが、それにしては魔界に対する常識や知識などに乏しいだろう。
そのため、魔人化してからの年齢を教える。
「……三か月」
カイルのその答えは魔人も予想外だったのか眼を見開く。それからニヤリと口元を釣り上げた。
『ククク、なるほどな。親兄弟もなく発生する特異種は成長や進化に関しても変わった部分があるというが……。三か月で成体に近い姿と能力、これからの成長値も期待できるといったところか。いいだろう、貴様を採用してやる』
あまりにもあっさり決まったことにしばし目を丸くしていたが、カイルはすぐに片膝をついて臣下の礼を取る。
その姿を見ながら、リプリーは自分でも分からない焦燥や戸惑いを押し込め平静を装っていた。
リプリーの子供、半魔の娘が面白い魔人がいると言っていたのがこの者だろう。確かにどこか違和感というか他の魔人達にない何かを感じさせる。
立ち上がって顔を見た時、しばし目が離せなくなった。高位の魔人は総じて容姿に優れている。その者もその点だけで見れば際立っていたわけではない。だが、リプリーを惹きつける何かがあった。
種族的に性別が明確でなかったり両性であったりを除き、魔人は見た目で男女がはっきりと分かる。それだけに珍しかった。
男とも女とも見える中性的な顔、成体というにはどこか幼い面立ち。それに長く生き、多くの魔人達を見てきたがそれらのどれとも一致しない特徴。
有翼種のような翼を持ちながら獣の尾を持つ。更に古き血筋に現れる色素の薄さに、かすかに浮かぶ鱗。少なく見積もって三種以上の特徴を備えていた。
魔人だけではなく、魔の者は多くは同種との間に子を設ける。たとえ別種と交わりを持ったとしてもその両方の特徴や能力を持って生まれてくる可能性はほぼない。
それは魔界の生き物達が両親から血肉ではなく瘴気を分け与えられることで誕生することが要因だ。子をなす目的で交わると、互いの根幹ともいえる魔石がわずかずつではあるがそれぞれ子に分け与えられる。
子はその魔石を核として発生し、周囲と母体から瘴気を吸収して成長し生まれてくる。妊娠周期は種によってさまざまだ。だが、総じて強い種ほど長い間母体に留まると言われている。
逆に最下位の種などであれば数日から数時間と言ったサイクルで増えていくこともある。
瘴気さえあれば無限に新たな命が生まれ来る魔界において強者が少数で弱者が多数になるのはそうした理由からだ。特に母体となる者は子を宿している間、かなり弱体化するため安全を確保しなければならないということもある。
そして、変異種とは両親の特徴や能力を併せ持ち、かつ遥かに上回る異質な力をもつ者を指す。異端と呼ばれる者達のほとんどがこの変異種だ。
変異種が生まれる条件などははっきりしていない。だが、リプリーは長年の研究の結果ある程度の予測を立てていた。
それこそが異種族間で子をなしたとしても、両親どちらかの特徴しか持って生まれないことにも関係してくる。
魔界という場所は、良くも悪くも弱肉強食だ。それは新たに生まれる命であっても例外ではない。両親の魔石が交わった時、そこでもまたある種の生存競争が行われるのだ。つまりはどちらの種を残すのかという。
さらに、同じ種族の組み合わせ、同じ格であっても個としての実力も大きく関係している。つまりは、より強い種、あるいはより強い個の特徴と能力が残されるということ。生まれる段階で弱い種や個は淘汰されるということだ。
魔界で生き抜き、進化していくためのメカニズムといってもいい。
そうした常識、通例を凌駕するのが変異種だ。両親の実力が拮抗、あるいは何らかの原因で交わった魔石が片方を淘汰せず融合した場合、相乗効果にも等しいほどの能力の上昇がみられるのだ。
それも確実に起こるわけではない。まるで神か魔王の悪戯であるかのように、かなり低い確率で誕生する。その研究の過程で魔石を他者に埋め込むといった技術が生まれたのだ。魔石を後天的に融合できれば、理論上人工的に強力な変異種を生み出すことが出来るのだから。
あいにくとその試みはうまくいかなかった。魔の者は進化はできても変化・変異はできなかった。強力な兵隊を作るリプリーの目論見は外れてしまった。
それでも、研究は無駄にはならなかった。なぜなら、人ならばそれが可能だったから。吸血鬼特有の支配といった効果を持たせれば魔石を埋め込んだものを操ることさえできる。
そんなことをしなくても血を飲んで支配し、眷属とかせばいいリプリーにとっては無駄ともいえる技術だが、あの組織の人間どもはたいそう喜んでいたようだ。
そうやって千差万別ともいえる魔界の生き物についてあくなき研究を続けてきたリプリーだったが、それでも予測できない存在があった。それこそが特異種、あるいは特異体と呼ばれる者達。
魔の者の八割は種の交わりによって生まれてくるが、時折親も兄妹もなく誕生する者もいる。魔界の中でも瘴気が濃い場所と薄い場所があり、特に瘴気が溜まりやすい場所などがあった場合、そこから新たな命が生まれてくるのだ。
一定以上の濃度になった瘴気が結晶化して魔石となり、その魔石がさらに瘴気を吸収して肉体を構成する。
そうした場合、生まれてくる者は周囲の環境や瘴気の濃度によって変わってくると言われている。水場が近ければ水属性の者が生まれやすくなり、火山であれば火や炎を得意とする者が生まれてくる。
そのほとんどは既存の種であり、魔物の中でも中位以下であることが多い。だが、極々稀に種の常識を覆すような存在が生まれてくることがある。それこそが特異体、特異種だ。
見ただけではどの種族に属するか分からず、その能力もそれぞれ。さらには、常識外れの成長や進化をすることさえある。
その分特異体は変異種よりもさらに数が少なく、この広大で残酷な魔界において眼にする機会などほぼない。
それが向こうから飛び込んできたのだ。研究者として、何よりさらなる強さを求める者としてこれ以上ない研究対象だった。
だが、それよりもリプリーを刺激したのはその眼だった。他の物と同じように恐れを抱きながら、それでもなお真っ直ぐに見つめてくる眼。
どこかで見たことがあるような眼だった。思い出そうとすると、どこか胸の奥がチクリと痛む。すぐにそんなものは気のせいだと言い聞かせる。
そう、有るはずがないのだ。魔界でも有数の実力者であり、名をとどろかせる己が、過去の感傷で胸を痛めるなどということは。あってはならない。
リプリーは床に届きそうなマントを翻して謁見の間から出ていく。その後姿を見ながら、カイルは一息ついていた。まずは潜入成功というところだろうか。
あとは働きつつある程度の信用を得て証拠集めをすること。表向きの仕事はともかく、証拠集めに関してはクロやクリアの力を借りるのがいいだろう。
クロであれば集めた証拠を空間の中にしまっておけるし影を通じての移動も簡単だ。それに、クリアは同化を使って壁や床、天井に同化すれば誰にも気づかれることなく移動することも可能だ。
そのために準備期間ずっと練習してきた。魔王城の中、数多くの実力者であっても気づかれることなく動けたのだ。派手に動かなければ大丈夫だろう。
それに魔力感知で見る限り、魔王城のような特殊な結界は見受けられない。いざとなれば空間扉か影に潜って逃げることもできる。
『では、この屋敷で使用人になっていただく皆様に必ず守っていただきたいことを伝えます』
主人がいなくなって、人形のように微動だにせず立っていた例の魔人の女性が切り出す。最終的に残ったのは八人。内男は三人だった。
『服装は男性は執事服、女性はメイド服を着用の事。割り当てられた仕事は必ず完遂すること。リプリー様に不利益な行動をしないこと。およびこの屋敷で見聞きしたことに関して他言しないこと。これが守られる限り、あなた方を使用人として歓迎しましょう。できなければ追放させていただきます』
事務的な、冷たい口調。戸惑ったり、少なからず反感を覚えている者もいるようだが、一度リプリーを見たことで大きな不満を抱く者はいなかったようだ。
『なお、リプリー様はじめ、幾人かの使用人は下の者を自由意思で追放することが可能です。不興を買えばそれ以降姿を見せなくなっても質問は受け付けません』
なるほど、そうすることで突然誰かがいなくなったとしても不信感を抱かれにくくするということだろうか。
人よりも他者に対する関心が薄い魔人達であればそうした理屈が当たり前に通用するのかもしれない。さらに、人事権がリプリーだけにあるわけではないことを明言しておくことで責任の分散や尻尾きりも簡単にできる。
これは思っていた以上に手強いかもしれない。カイルは気を引き締めると、それぞれに指導者をあてられその場を去っていく同僚達を見送る。
そして、カイルの前にはあの魔人の女性がやってきた。
『あなたの担当はわたしになります。わたしはナンシーと申します、リプリー様の身の回りをお世話しております。あなたにもいろいろと仕事を覚えていただきます』
「あ、えっと……よろしく」
『……生まれて間もないため仕方ないのかもしれませんが、目上の方に対する言葉遣いを覚えることが先決かもしれません』
ナンシーは少しばかり呆れたような小さなため息をつく。表情はほとんど動いていないが、やはり感情が消えてしまったわけでもないのだろう。
「ずっとこうだったから、すぐには難しいかもしれないけど、やって、みます」
とりあえずは従っておいた方がいいだろう。それにナンシーがリプリーの世話役というのであれば色々とチャンスも増えてくる。
接触が多くなるので同じくらい危険度も高くなるのだろうが、少なくとも不信感を抱かれずに近づくことは出来る。
『ついてきてください。まずは何ができるかを確かめます』
ナンシーは先に立ってカイル達が入ってきたのとは違う扉を出る。先ほどリプリーが出ていった扉だ。
『リプリー様は普段研究室にこもっていることが多いです。リプリー様が不自由することのないよう動くのがわたしの役目です。屋敷の掃除や片づけはもちろんですが、雑事や事務もやっております。……文字は読み書きできますか?』
「あ、はい。一通りは」
カイルの言葉にナンシーは少し驚いた様な顔をする。高位の魔人であろうと、自分から学ぼうとしなければ文字の読み書きができない。現にリプリーの屋敷でもそれができるのは一握りの使用人だった。
『……それは、誰かに教わったのですか?』
「えっと、基本は。後は本を読んで覚えました」
『珍しい、ですね。本というと、あなたにそれを教えてくれた人はかなり高位の方ですか?』
「はい。後見人というか、面倒をみてもらいました。その方に紹介されてここに……」
これはあらかじめ打ち合わせておいたことだ。カイルのような特殊な魔人が、いくら異名持ちの古き血筋とはいえ使用人として入ることは少々不自然だ。そして、魔人としての経験が浅いのに文字の読み書きが不自由なくできることも。
ある程度までなら真実を交えながら実名などは伏せる形で伝えて構わないと。紹介というより命令だが、そこはいう必要はないだろう。
気まぐれに幼体の魔人や妖魔を拾って育てる者もいるが、ある程度成熟すると独り立ちするのが普通だ。カイルの場合かなり早いが、それも特異体故と考えてもらった方が都合がいい。
『では、魔法は? 固有能力はありますか?』
「魔法は使えます。固有能力は魔眼があります」
カイルの言葉にナンシーが眼を覗き込んでくる。そして目の奥にうっすらと浮かぶ模様を見て納得したような顔をした。
『ダブルの魔眼ですね。どちらも見たことがない模様です。言いつけられた仕事で魔法や能力を使っても構いませんが、もし粗相をした場合責任はとっていただきます。では、こちらがあなたの部屋になります』
廊下の端まで来ると、扉の前でナンシーが足を止める。促され中に入ってみるとそれなりの広さがあり、家具も揃っている。だが少々埃っぽい。まめに掃除しているわけではないようだ。
『まずはこの部屋の掃除と片づけを。終われば廊下に出て五番目の部屋におりますので声をかけてください』
ナンシーはそういうと軽く一礼をして出ていく。扉を閉じた後、とりあえず一通り部屋を見て回る。クローゼットの中には執事服が何着か入れてあった。
とりあえず着替えてみる。サイズが合うかどうか心配だったのだが、これも魔界の技術なのだろうか。カイルの体に合わせてぴったりとその大きさを変えた。おまけに尻尾や翼を出すのにも不自由しない。
姿形も様々な魔界ならではの服と言えるだろう。後で解析して再現しても面白いかもしれない。そうすればサイズを気にすることなく作れるし、成長してもちゃんと着ることが出来る。多くの孤児達に配るのに最適だろう。
こういう形式ばった服は着慣れないせいか違和感しかない。備え付けの鏡で見てみても、どこか慣れない感じだ。
部屋にあったのはクローゼットと箪笥、机にベッド。人と違って代謝の違う魔人や妖魔には排泄という概念がないためかトイレはない。綺麗好きなら毎日お風呂に入ることもあるようだが、人よりずっとその頻度は低いのだという。汗はかいても垢は出ないためだ。
カイルの場合は少し違っている。魔界に来て口にするのが魔石で、それも完全に消化してしまうためか胃腸の機能は使っているようで使っていないというような状態だった。最初の一週間ほどを除いて小以外の排泄はない。
魔人や妖魔になればこれが完全にないのだから、不自由なのか、まだ人としての部分が残っていることを喜ぶべきなのか。
クロも人と同じ食事をよくとっていたが、体の中で全て瘴気によって溶かされ消滅するらしく、本当にただ味を楽しむだけのものなのだとか。糧以外は口にしても意味がないようだ。
ただし、普通の使い魔などよりよほど世話の面では楽だった。血や泥で汚れることはあっても匂いが付くことはないし、毛が抜けることもない。クリアなど言わずもがなだ。
クリアが魔王城で行っていたのは文字通り掃除だ。スライムはなんでも喰らうことが出来る。そのため不用品やゴミなどを食べて綺麗にしていたのだとか。
喰属性を持っていれば同じことが出来るのだが、好き好んで不用品やゴミを食べようとは思わないためそれなりに重宝されていたようだ。中には魔力を大量に含むものもあったようで、もう少しでしゃべれそうな勢いで進化していた。
 




