魔王との対面
エントランスで女性の帰りを待っていると、左の通路からどしどしという足音が聞こえてくる。確か女性の説明では城仕え希望者が行く通路ではなかっただろうか。
ちらりと視線を向けてみると、三mはありそうな体躯で、筋骨隆々の魔人が肩と腕に、ぐったりとした魔人や妖魔達を乗せて歩いてくる。クロに気付くと少しいぶかしげな顔をしていたが、にっこりというよりはニヤリと笑って近づいてくる。
その際、乗せていた魔人たちを荷物のようにドサドサと落とし、何の構えもせずに距離を詰めてくる。考えなしなのか、あるいはそれでも何の問題もないと考えているのか。
『よぉ! 久しぶりだな! 狂血の! 人界に行ったって話だったが戻ってきていたのか? 魔王城にいるってことは城勤めか! 歓迎するぞ! さあ、かかってこい!!』
『……何を勘違いしているか知らぬが、我はこのような場所でそなたとやり合う気はない。今は人を待っておるところだ。その早合点とご都合解釈は変わっておらぬな。ディルグよ……それとな、今の我にはクロという名がある』
クロは一度ため息をつくと、ディルグと呼んだ魔人に視線を合わせる。ディルグはしばし目をぱちくりさせていたが、エントランスに反響するような笑い声をあげた。
『ハハハハハ! なるほど、クロか! うむ、覚えやすくていいな! 冥王様から魔王様に鞍替えするんでなければ、なんでここに……お前が誰か連れているのも珍しいが…………』
頭が真横になるほど首を傾げていたディルグだったが、カイルの存在に気付き視線を向けて固まった。あんぐりという言葉がぴったりなほど口を開けて呆けたまま止まっている。
『む? どうしたのだ? 今更こうした魔人の一人や二人、珍しくもあるまい』
魔王城にいるならば、カイルのような容姿の魔人も見慣れているだろう。そう問いかけたのだがディルグは反応を見せない。いっそのこと無視してしまおうかという考えが浮かんできたところでようやく再起動する。
そして、魔王城中に響き渡るかのような大声で、信じられないような事を言い出すと、踵を返して走り出す。
『大変だ!! きょ、狂血のが、嫁を、嫁を連れてきた!!』
『なっ! 何を言い出すのだ! 我とカイルはそのような関係では……』
どうにかクロが説明しようとするのだが、ディルグは全く聞く耳を持たない。一人で勝手に暴走してどこかに走り去ってしまった。エントランスには頭を抱えたカイルと、怒りのためかあるいは羞恥か体を震わせるクロ、そして意識を失った魔人や妖魔達が残される。
何とも言えない微妙な空気に、どう切り替えるか考えていると不意に近くに気配が現れる。抑えていても先ほどのディルグと大差ないほどの強さを感じさせる。
『ディルグが騒いでいるから何かと思えば……久しぶりだね、狂血の。君の方から訪ねてくるなんて、そんなに僕が恋しかったのかい?』
『ルアースか。相も変わらず自意識過剰だな。我は一度もそなたを歓迎したことなどなかったと思うが……』
『そんな照れ屋な君も気に入っていたんだよ。僕の話に最期まで付き合ってくれるのもね』
『守護者として門の前を動けぬのだから仕方あるまい。ただの暇つぶし程度に聞いておったまでだ』
呆れたように言うクロに対して、ルアースはやれやれといったように軽く頭を振っていた。どうやらこの言動もクロの照れ隠しであると思っているようだ。高位で実力者になるほど個性も強くなるというが、魔王城で出会った者達は皆変わっているというより独特の空気を持っている。
『守護者を辞めて人界に行ったはずの君がここにいる。何か事情がありそうだね、それにその魔人……ふむ、見た目だけで言えば高貴な血筋のようにも思えるけれど……』
ルアースはするりとカイルに近付いてくると角度を変えながらじろじろと観察してくる。かくいうルアースも魔人としては変わった容姿をしている。
白い肌に薄い金色の髪、緑の眼。耳が普通の人より少し尖っているが、見た目だけで言えば人と変わりない。人界の町中に混ざっていても分からないかもしれない。
これがクロの言っていた面倒くさいという、由緒正しい血筋の魔人だろうか。
『君、名前はあるのかな?』
「カイル、だけど?」
『ふぅん? 確かに少し変わっているけど、君がつるむほどの相手かな? それともディルグが言っていたように伴侶かな?』
『馬鹿を言うな! 我とカイルは相棒だ。そもそも、我もカイルも雄だぞ?』
クロの言葉にルアースは少し驚いた様な顔をする。
『なるほど? 君達の間に深いつながりがあるようだからてっきりそうかと……でも、そうか、ならこれは……』
ルアースの眼がキラリと光った瞬間、避ける間もなくカイルは魔王城の入り口近くの壁に叩き付けられていた。ローブの胸元をつかむルアースは、ぺろりと舌なめずりをしながらカイルを見上げてくる。
『ルアースっ! 何をする!』
すぐさまルアースに飛びかかろうとしたクロだったが、黒光りする床から生えてきた棘のある奇妙な植物に全身をからめとられる。
『少々乱暴になってしまったが、彼を殺す気はないから落ち着いてくれるかい? 君にここで本来の姿になって暴れられると困る。僕の能力は知っているだろう? そのブラックローズの茨は力では切れないよ』
クロは全身の毛を逆立てたままだったが、ひとまず落ち着きを取り戻す。クロの頭に乗っかっていたクリアもどう動くか迷っていたが、とりあえずクロに従う。
『少し前に小耳にはさんだんだよ。なんでも魔界に人が入り込んでいる可能性があるって。いつもの魔王様の冗談とばかり思っていたんだけど、でも、僕達魔の者と使い魔契約できるのは人だけだからねぇ?』
魔力感知ができなくても、高位の存在になれば本能的に相手の本質や魂の在り方を察することが出来るらしい。カイルと出会ったばかりのクロもそうであったように。
『確かに姿形だけを見れば僕達と同じように見えるけど、分かるよ? 僕の本能が、君を至高の糧になり得る存在だと認めている。面白いね? 人が魔界で生きているだけでも驚きなのに、この姿。君は一体何者だい?』
好奇心と愉悦が混ざったような表情で、楽しそうに語るルアース。つま先が付くかつかないかの高さで強く押さえつけられているカイルだったが、ルアースの手首をつかむと無詠唱で喰属性の魔法を使おうとする。
しかし、それを察知したルアースがすぐさま距離をとる。焦りもなく、顔に浮かんだ笑みは崩れない。
「さあね。自分が何者かなんてはっきり言える奴の方が少ないだろ。俺が人ってのは認める、そのことでここに来たってことも。今もその件で手続きしてもらってる途中だ。あんたがこの魔王城でどんな立場にあるかは分からないけど、あまり勝手をするのはまずいんじゃないか?」
冗談か本気か分からなくても魔王が話題に上げるような案件を勝手に処理するのはよくないだろう。少なくとも、魔王の下について魔界を統括する役割を担っている以上は。
冥王の口ぶりでは人界や地の三界だけで片付くような問題ではないだろうし、簡単にはいかなくても命の保証くらいはしてもらえるのではないかと考えていた。このまま戦いになったとして簡単に負ける気はないが、相手はクロと同等かそれ以上。
ルアースに殺気がないとはいえ、クロが捕まったままになっているのがその証拠だろう。
『そうだね、たしかに僕の一存で君をどうこうすることはできそうにないね。人にしてはなかなか度胸も据わってる。僕が知っている人と言えば、僕達の姿を見れば震えて声も出ないような者ばかりだったけど……』
「そりゃそうだろ。俺だってあんたが本気になれば動けるかどうか……。それよりクロを離してやってくれないか? 俺にもクロにも敵対の意志はない、それは分かるだろ?」
ルアースはパチンと指を弾いてクロを拘束していた茨を解除する。クロはブルリと体を震わせてからカイルを守るような位置に陣取る。
『それにしても、君が使い魔ねぇ。まぁ、ある意味君なら有り得るのかな。僕は人に付くなんて考えられないけど』
『我とて自ら望んで契約したわけではない。今でこそ相棒だが、最初は殺そうとした』
クロの言葉にルアースは興味深げな表情をする。妖魔と魔人の組み合わせでも珍しいのに、人と妖魔の絆など長い魔界の歴史上でも類を見ない。
「俺が魔界で生きていられるのもクロとの契約のおかげだ。ま、その副作用ってか代償にこんな姿になったけどな」
人外の見た目による精神的な打撃と魔界を出た後のことを思えば簡単に割り切れることではないが、魔人化によるプラス面も無視できない。ピンキリあるとはいえ、最高位の魔人と判定されるだけの力を得られたのだから。
『へぇ、なら君は報告にあった紛い物とは少し違うのかな』
「それって……」
デリウスの生み出した魔人擬きのことだろうか。尋ねようとしたカイルだったが、その前にあの女性が帰ってくる。
『お待たせしました。! ルアース様⁉︎ それにこれは、ディルグ様でしょうか……。その、魔王様がお会いになるとのことですので案内いたします。ルアース様は……』
『僕も同行するよ、楽しそうだし。魔界の重要案件なら僕がいた方がいいだろう?』
女性はルアースに気付くと驚きの表情を浮かべ、それからエントランスに転がる魔人達を見て頭痛を堪えるような動作をする。
やはり、ルアースは魔王城でもかなりの地位にあるようだ。様付けで呼ばれ、顔と名前が広く知られているらしい。ディルグもそのようで、痕跡だけで特定できるほどに有名らしい。
『かしこまりました、ではこちらに』
女性が先頭に立って案内してくれる。エントラス正面の階段を登り、廊下を何度か曲がってまた上に上がる。歩き始めてから二十分ほどかかってようやく謁見の間に着いたようだ。
黒光りする重厚そうな扉はディルクのような巨漢でも楽に入れるほど高く幅も広い。表面には猛々しくも禍々しい妖魔と魔人が描かれている。
眼の部分は怪しい赤い光を放つ石がはめ込まれている。
『要件は?』
見事な装飾に目を奪われていると、突如として扉に描かれていた魔人が言葉を発する。カイルとクリアはビクリとなるほど驚いたが、クロやルアース、女性は当たり前のような顔をしている。
魔界では扉の装飾が喋るのは常識の範疇に入るのだろうか。やや混乱気味にそんなことを思っていると、女性が答える。
『魔王様の命により、客人を連れてきました』
『……確認した、入れ』
少し間を置いて扉は一人でに開いていく。喋ることといい生きているのだろうか。そういった種の魔物がいてもおかしくはない。あるいは、聖剣と同じように意志を持つ特殊な道具か。
開かれた先は奥行きの広い大きな部屋。エントランスと同じ黒い床に、真っ赤な絨毯が玉座まで続いている。十数段ほど高い位置にある玉座はたった一つで、豪奢で寝転がれるほどに広くて大きい。
そして、その玉座の真ん中に二十代半ばくらいの男性が座っていた。
冥王に負けず劣らずの美丈夫で、けれどどこか年齢にはそぐわない気怠げな所作でダラリと腰掛けていた。
しかし、カイル達の姿を確認した途端、退屈そうな様子はなりを潜め、好奇心に目を輝かせて身を乗り出してくる。
『アハ、アハハハ、ホントに人が魔界に来ていたんだな? 冥王から話は聞いていたが、この眼で見るまでは信じられなかった。ヘェ〜、なるほどな、面白い』
カイルは中に入り、二十mほどの距離を置いて立ち止まってから、魔王から目を離していなかった。瞬きさえしていない。
それなのに、気付けば魔王が目の前にいてカイルの耳を触ったり翼や尻尾を引っ張ったりしていた。しかも、これほど近くにいるのに魔王の強さを感じ取ることが出来ない。
冥王と対峙した時もそうだったが、領域の王と呼ばれる者達は底はおろか実力の片鱗さえも読み取らせてもらえない。次元の違う絶望的な開きを感じさせる。
抵抗しようという意思さえ浮かんでこない。後天的な変化といえど、魔人化していることで本能的に魔王に逆らうことを忌避してもいる。相対すれば分かる、彼こそが魔界の王なのだということが。
『魔王様、お戯れは程々に。本題に入りましょう』
そこへもう一人、位の高そうな魔人が出てくる。髪も服も真っ白く、肌だけが褐色だ。癖なのかあえてそうしているのか、両眼は閉じられたままだ。
『ダミアンか。少しくらいいいだろう? こんなの、俺が魔王になって以来初めて見る。人が魔王城に来ただけでも珍事なのに、変化までしているんだぞ!』
魔王の言葉に、ダミアンと呼ばれた魔人は呆れたように首を振る。
『お言葉はごもっともです。私も驚いてはおります。前例も文献にもない出来事でしょう。それだけに、それに対する扱いは慎重になさりませんと』
ダミアンの言葉にカイルはかすかに眉をひそめる。言っていることは正論なのだが、カイルを人扱いしていないように思える。
魔王城にいるような魔の者にとって、人など取るに足らない存在で、物以下なのかもしれないが、面と向かってそう言われると思うところもある。
魔界にとってもカイル達の存在はイレギュラーで、歓迎すべきものではないのかもしれないが、もう少し考えて欲しいところだ。魔の者にそれを言っても詮無いことだろうか。
『やれやれ、真面目なことだな。分かると思うが、俺が魔王だ。魔界を総べている。で、お前は?』
魔王は自分の胸に手を当てて自己紹介してくれる。王には名前はないらしく、役職名が個人名も兼ねているようだ。
「俺はカイル=ランバート、こっちは使い魔のクリアと……」
カイルは自分の後にクロの頭の上にいるクリアを紹介する。そしてクロが後を引き継いで名乗る。
『クロだ。初めて見えるな、魔王様』
『例のガルムか……なら、『災厄』はお前が?』
『うむ、殺し合いを仕掛けてきた故応戦した』
魔王はクロの返事に嬉しそうな、少し残念そうな顔をする。
『暇つぶしがいなくなったのは少し残念だったな。お前達は人界に帰りたいんだったか?』
話題が本題に入ったところで、ここに至るまでの経緯を簡単に説明する。冥王から、盟約魔法が使われたことは聞いていても、人界で起こったことについては詳しくは知らなかったようだ。
ほとんどはダミアンの質問に答える形になったが、魔王も元のように玉座に座って聞いてくれた。
クリアとの契約や魔人化についても簡単に説明する。クリアのような存在はごくごく稀に生まれることがあるようだが、すぐに死んでしまうのだという。
それはそうだろう。魔界に在り、魔物でありながら魔法は使えず同種からも爪弾きにされる。クリアもカイルと出会って契約していなければ今頃存在してはいないだろう。
『ルアースの言うように、紛い物とは確かに気配が違いますね。なら、糧はなんです?』
「それは……」
『まだるっこしいな。そんなことや、危険かそうでないかなど、直に探れば済むことろう?』
魔王はおもむろに立ち上がると、一歩でカイルの目の前に立つ。思わず見上げた眼が魔王の眼と合った瞬間、意思に反して体が硬直する。驚きを表すこともできず、胸に添えられた魔王の手がズブリと体の中に沈んだ。
痛みはないのに感触だけがあり、気持ち悪さに吐きたくなるも叶わない。そして、心臓の後ろ、魔力の器の傍にある魔石に指が触れたかと思うとギュッと握り込まれる。
文字通り命を握られている感覚に、額から頰に汗が伝う。魔石を精査されている感触は、頭の中を掻き回されているようで、視界が明滅し意識が朦朧としてくる。
ちゃんと息ができているか分からなくなる頃、魔石から手が離れ体からも引き抜かれる。
体の力が抜け、そのまま倒れこみそうになったカイルだったがクロが支えてくれて、クリアが冷たい体で意識を引き戻してくれる。
『カイル、大丈夫か?』
〈主様、へいきー?〉
「あ、ああ。なんとか」
胸に手を当ててみるが、体に傷もなければ服すら破れていない。魔王がその気になれば魔石だけを抜き取ることすら可能なのだろう。生きた心地がしなかった。
『まだ出来て日が浅いが、なかなかいい魔石だな。鍛えればいい遊び相手になりそうだ。糧も瘴気とは変わっている。それとダミアン、警戒するだけ無駄だ。こいつは進んで貧乏くじを引くような人間だ、糧としては至高。意味が分かるな?』
魔王の言葉に、ダミアンは眉を寄せて考えていたが、後半を聞くとすぐに頷いた。魔の者と対極にあるほど糧としての価値は高くなる。それもまた魔界の常識だ。
当人を警戒するには値せず、むしろ周囲に気を配らなければならないということでもある。魔王城勤めの者は総じて自制心は強いが、その分鬱憤も溜まっている。そこにカイルの存在など知られれば、飢えた狼の群れに羊を放り込むようなものだ。
ただの羊ならまだいいが、無害そうな外見の下には秘めたる爪や牙があり、おまけに番犬付きとなると一騒動では済まなくなる。
ダミアンは別の意味で根回しの必要があることを悟り、ため息をつく。どちらにせよ、面倒なことに変わりはない。




