死神の鎌
カイル→デリウスサイド
夕食の後は夜通しで語り合った。夢であっても、幻を隔てない家族との語らい。冥王が課した試練はカイルに対するものだけではない。冥界の死者達もまた試されていたのだと分かった。
残してきた者達に対する後悔や未練、それらとどう向き合い対処するのかということを。その結果いかんによっては今後の水鏡使用に関して制限されることもあるのだという。生前の者と関わりすぎることは来世にも影響を与えてしまうからと。
冥王によって作り出された死者と生者の狭間に生み出された空間。死者は幻として、生者は夢として体験する刹那の邂逅だ。夢の中で夢だと気付けた生者にのみ本当の魂との交流が許される。
カイルは二人が死んでから、そしてジェーンが亡くなってからのことを話して聞かせた。みんな時に嬉しそうに、時に悲しそうにしながら聞いてくれた。特に辛い時にそばにいられなかったことに関しては心を痛めていたようだった。
冥界のことも色々聞いた。とても穏やかで、二人が望んでいた世界そのものだと。ジェーンも冥界に来てすぐ二人と合流したのだと。クロともそれなりの付き合いになるようだ。
冥界はよほどの悪人でない限り、生前の償いを済ませてしまえば、後は心穏やかに過ごせる場所だという。家族で一緒にいられるし、いなくてもそうした人達の集まりで共同生活が送れる。人だけではなく、クロのように魔獣とも一緒にいられるのだと。
「それにしても、お前が次の剣聖なぁ。トレバースの奴なにやってんだか」
そんな重たいものから遠ざけたくて秘密にしてくれと頼んだというのに。
「バースおじさんの責任も、まぁ、無いではないだろうけど、今では俺の意志で剣聖になろうって思ってるから」
「……宝玉の巫女も継がせてしまったし、これから大変ね」
死にゆく身であり、カイルの背負っているだろうもののことを思えば間違いではなかっただろうが、それでも責任を感じてしまう。
「ま、一つずつできることからやっていくさ。とりあえずは魔界を出ないとな」
「ミコ様が色々と厄介なことを引き寄せてしまうことは分かっていましたが、まさか魔界に落とされてしまうようなことがあるとは……」
この中ではジェーンが一番長い間カイルと一緒にいた。だからこそ、カイルの厄介とも奇跡ともいえる体質はよく知っていた。できることなら成人まで見届けたかったのに、叶わなかった。
「俺の息子だからなぁ、無茶するなって言っても無駄だろうが、その分守るべきものはきっちり守れよ」
「分かってる。もう失うのはこりごりだ」
「何か力になってあげられたらいいけれど……」
「たくさんもらってる。後はそれを使いこなせるかどうかだ」
「ミコ様、どうかご健勝で。見守ることしかできませんが、冥界よりお祈りしております」
「ありがとう、ジェーンさん」
夢幻の世界に朝が来て、別れの時が迫っていた。家の前でそれぞれに言葉を交わし抱き合う。例え偽りでも、この温もりは心の奥底に残り続けるだろう。
クロも真っ直ぐに見つめてくる。伝わってくるのは約束を違えるなという強い意志。しっかりと生きて、今の相棒と夢を叶えろという思いだった。
「じゃあ、行ってくる。元気でっていうのは、変かもしれないけどみんな一緒にいられるようでよかった。これからも見ててくれ。父さんや母さんが願った世界が実現できるよう、少なくとも近づけるように頑張るから」
「ああ、俺の分まで頼むな。昔の仲間に会ったら謝っといてくれ。先に逝っちまって悪かったって」
「カイル、精霊と仲良くね。そして、出来たらあの子達も助けてあげて。巫女の本当の役割が果たせるように」
父の言葉にうなずき、母の言葉を胸に刻む。そして、ジェーンと視線を交わしてから彼らに背を向ける。
過去とはしっかり向き合った。未来への思いも固まった。だからこそ、今をしっかり生きなくてはならない。
そう決意を固め、一歩を踏み出した時急激に周囲の光景が歪み、視界が闇に閉ざされていく。最後に一度振り返った時、家族は涙を流しながらも笑顔で手を振っていた。
背中に感じるのはいつもと同じクロの体温。頬に感じる冷たさはクリアの体だろうか。眼を開けるとまず冥界の門がそびえたっているのが見える。そこから近くにピントを合わせるとクロの体と、寄り添うクリアの姿。
「クロ? クリアも、俺、どれくらい寝てた?」
『起きたか。ふむ、一日と言ったところだな』
どうやら夢幻の世界と現実の世界でたった時間はほぼ同じくらいのようだ。
「冥王様は?」
<んー、一度帰ったよ。忙しいみたい>
しばらくはカイルに付いてくれていたようだが、カイルがあの世界の真実に気付くと一度冥界に帰ったようだ。幻を維持する必要がなくなったからだろうか。
『試練と言ったが、辛いことでもあったのか?』
クロはカイルの頬に残る涙の跡を舐める。冥王のやることだからそう無茶なことではないだろうと思ってはいても、心配だった。悲鳴を上げるでもなく、ただ静かに涙を流す様は胸が痛んだ。
「ん、父さんや母さん、ジェーンさんに前のクロとも会ったんだ」
カイルは眠っている間に見た夢のことを話す。何よりも望んでいて、けれど現実とは違う世界のことを。
『それは……』
クロはすぐに言葉が出てこない。それはある意味とても残酷な仕打ちではなかろうか。得られなかった幸せが叶ったのに、現実に戻ってくるにはそれを否定しなければならないのだから。
<主様、悲しいの? 主様が悲しいと、ぼくも悲しい>
クリアがしょんぼりと体を縮める。その様子にカイルはクスリと笑みを浮かべた。確かにあれがただの幻だったと知った時にはショックだったし辛かった。けれどそれ以上に嬉しくもあったのだ。
もう二度と会えないと思っていた人達と触れ合えたのだから。たくさん話をすることが出来たのだから。
いつものように一方的に語り掛けるだけではない。ちゃんと返事が返ってくる。それがどれだけ楽しかったか。夢であってももらった言葉がどれだけ心に温もりを与えてくれたか。決意を固めてくれたか分からない。
「辛いこともあったけど、でも、俺は会えてよかったと思ってる。死後の世界がとても穏やかだってことも分かったし、そのためには今を精一杯生きる必要があるってこともよく分かった。だから、俺はデリウスを許せない」
ブライアンの思惑も大きかったとはいえ、盟約魔法で魂を犠牲としたこと。人に魔石を埋め込むことで魔人化させ、魂の来世を奪ったこと。
例え間違いを犯したとしても、その魂までも人が裁いていいわけではない。人の自由にしていいわけではないのだ。人が犯してはならない領域に踏み込んでしまっているデリウス。彼らをのさばらせることは人のみならずあらゆる命を脅かすことになる。
『その通りだ。故にわたしはお前に力を授けた。その力を持って奴らの思惑を断ち切るといい』
いつの間に戻ってきたのか、冥王がすぐそばに立っていた。カイルは慌てて礼を取ろうとしたが、手で止められる。楽にしていいということらしい。
「えっと、その、力っていうのは一体……」
試練を受ける前もそう言っていた。しかし、その力が何なのかよく分からない。体にも特に変わったところはなさそうなのだが。
『手を前に出し『召喚』と唱えるといい』
「? えっと、『召喚』?」
疑問符を浮かべながらやってみると、前に出した右手に何かの力が集まり、形を作っていく。ちょうど聖剣を顕現させるときのような感覚だ。
だが、そうやって生み出されたものを見て、余計に首を傾げる。
「……草刈り鎌?」
できたのは柄の長さ三十cm、刃渡り十数センチの小さな鎌だった。どう見ても農具の草刈り鎌にしか見えない。これをどう使えというのか。
『む、やはり最初はそんなものか。その鎌は死神が持っているものと同じだ。持ち主が斬りたいと思ったもののみを斬ることが出来る。その分、扱いには気を付ける必要がある。それこそ魂のみを切り取ることも可能なのだからな』
カイルはぎょっとなって手の中にある小さな鎌を見る。こんな見てくれで、恐ろしい性能を持っているらしい。
「し、死神ってあの? それに、どう使えばいいか……」
『それはお前の意思一つだ。埋め込まれた魔石だけを断ち切ることもできよう。もし仮にそれができないほど混ざり合っていたとしても、その鎌で断ち切ればその魂は理の中において還元される。同じ魂として生まれ変わることはできずとも、新たな魂を生み出す礎となろう』
つまりはデリウスによって歪められた魂のサイクルを取り戻すことが可能だということだ。そして自らの意志ではなく魔石を埋め込まれた者達を助けることもできると。
『その鎌も秘められた能力も使い続け魂を還元するごとに大きく、強くなる』
冥王の言葉と表情からカイルはその言葉の意味するところに気付く。この魔界において魂の結晶でありながら無限に生み出される存在。魔石も還元できる魂に含まれていることを。
『あまりに悪辣すぎ、来世を与えられない魂や逃亡した亡者などは死神の鎌によって還元され新たな魂の礎となる。そして今回のように魂そのものが消滅するような事態においては魔王の同意の元、魔の者達の魂を還元させてもらっている』
『我らガルムも、そうなのだな』
『新たな守護者の魔石が届くと、一番古い代の守護者を還元している。わたしの手元に残っている魔石は十代分だ』
クロの問いに冥王が眼を伏せながら答える。不測の事態で魂が失われることがあればバランスが崩れる。それを防ぐためにもそうした対処が必要だった。
魔界は冥界の門があるだけではなく、冥界を維持するために必要な魂を生み出してくれる領域でもあったのだ。
『もっとも、魔界だけではなく天界にある冥界の門を守護する者達も同じ役割を果たしてくれている。あちらの門を守護するのは神獣であるフェンリル一族だが……』
魔界ほどではないが、天界も満ちる神気によって新たな命が生み出される。それによって、地の三界に生まれる魂を支えているのだ。
「でも、それだと俺が勝手に動いて支障はないのか?」
定められた以上の魂を還元してしまうことにはならないのだろうか。今も下位が多いとはいえ多くの魔石を保有しているが、それらを還元してしまっても大丈夫なものなのだろうか。
『よほど高位の魔石でない限り心配はいらない。特に近年はあれらの暗躍で多くの魂が消されている。だが、死神を動かすには不足している。あれらはその見極めも知っているのか、一線を越えない。故に、お前に授けるのだ』
大きな力をもっている天の三界を支える者達。だが、その分制約も多いのだろう。大々的に、そして理を歪めることなく動くにはそれに足るだけの大きな動きがなければならない。
魔人化や魔物召喚の魔法陣といい、デリウスには思っている以上のバックがいるようだ。魔界や冥界だけではなく天界の動きさえも知り得る情報源があるのかもしれない。
『こちらはこちらでやれることをやる。だからお前達もできうることをやってほしい。それが人界だけではない。他の領域やレスティアを守ることにつながるだろう』
「身近な人や助けたい人を守るので手一杯だけど、俺にやれることで力になれるっていうなら出来る限りやってみるよ」
『我もカイルと共に戦おう』
<ぼくもー! ぼくも頑張るよ>
『期せぬ形であったが、こうして会えたことを喜ばしく思う。魔王にあったらよろしく言っておいてくれ。色々言われるかもしれないが、彼も一領域の王だ。力になってくれるだろう』
冥王はそう言って右手を差し出してくる。カイルは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに握手に応じた。確かに望んだタイミングや形ではなかったかもしれないがこの出会いに感謝する気持ちは同じだった。
デリウスのたくらみを阻むために必要な力を授けてくれたことも。使いこなすにはまだまだ修練が必要だろうが、打つ手が見つかったことは確かだ。そして、そのことが彼らに利用された人々の魂を救うだけではない。レスティアを守ることにもつながる。そう思えばやる気も出てくる。
門の先に消えていく冥王の背中を見ながらカイルは拳を固めていた。託された力に恥じない働きをするためにも、必ず人界に帰る。その思いは一層強くなっていた。
センスティ王国王都センスティア襲撃から半年、その首謀者であったデリウスの組織においても新たな動きが起きていた。
「首尾はどうだ?」
「は。聖剣に関しましては前以上の警備が敷かれ、近づくことも容易ではありません。また各国における密偵や伏兵なども厳しい精査を受けているようでして。特に上層部には入り込むことが厳しくなったかと」
報告を受けた宗主は苛立たし気なため息をつく。そもそもにおいてセンスティ王国の襲撃に関してももっと時間をかけじっくりと取り組むつもりだった。
しかし、手足や眼として使っていた裏組織がつぶされ、碌な情報が入ってこないようになった。その上での構成員達の勝手な行動と暴走。
あと一歩のところまでいけたと言っても奪えなければ意味がない。そもそもにおいて相手の切り札を奪う前にこちらの札をさらしてしまったことも痛手だ。
混乱が収まらないうちに動けたならまだしも、こちらの準備も十分に整っているわけではない。警戒心を強めさせ、危機感をあおれても動けないのでは意味がないのだ。いつ誰が敵に回るか分からない。そんな恐怖は混乱のさなかにあってこそ最大限威力を発揮する。
「勝手をさせ過ぎたか……。わたしはお前達を信用している、自分の頭で考え自分の意志で行動することを尊んできた。だから、構成員としてどうあるべきか分かっているものと思っていたが、少々甘かったようだ」
「もっ、申し訳ありません。幹部としても、配下を統率することが出来ておりませんでした」
震えながら地面に付くほど深く頭を下げた配下を見下ろす男の眼は驚くほどに冷たい。同じように頭を下げる配下達をぐるりと見回す。
今更捕まったり殺されたかもしれない配下や構成員の生死などどうでもいい。どうせ末端は大した情報など持ってはいないのだから。男にとって重要なのは自分の思惑通りに事が進むこと。
そのためには今まで以上に力と統率力を見せつけて組織の結束をより高める必要がある。必要なのは大胆かつ緻密な計画と、綿密な下準備。そして、見せ場として最もふさわしい機会だ。
「貴様等の責任を問うつもりはない。だが、これからはわたしの言う通りに計画を進めてもらう。我々にとって最も重要なのは人界の覇権を握ることではない。地の三界、果ては天の三界においても支配権を得ることだ」
「「「「「はっ、承知しております。すべては我らが宗主様がレスティアの頂点に立つこと。それが我らの悲願でございます」」」」」
幹部達の斉唱に男は満足げな笑みを浮かべる。十三年前には忌々しくも阻止されてしまった計画。だが、今度こそは成功させてみせる。
そのために今まで辛酸をなめながらも力を蓄え、あらゆる力を集めてきたのだ。剣聖の息子を使う計画は消えても、それに代わるいくつもの切り札はある。数多の失敗と多くの犠牲を払いながらようやく完成したのだ。
組織にとって最大の戦力となり得る存在が。
「貴様には期待している。組織のため、そしてわたしのために力を尽くせ。それが貴様のなすべきことだ」
男は傍らに立つ全身を漆黒の鎧で覆った人物に語り掛ける。その人物は無言のまま片膝を立てて座り、騎士の礼をとる。男はそれを満足げな眼で見た。
この切り札を見た時、かつて自分を追い込んだ各国の有力者達は何を思い、何を感じるだろうか。それを考えるだけで笑いが抑えきれなくなる。
震えながら頭を下げる配下達の前で、男は大きな笑い声を上げ続けていた。
 




