変わるもの、変わらないもの
クロとカイルの深刻な様子に、クリアは両者の顔をキョロキョロと交互に見ていた。それから考え込むようにプニプニと上下に揺れていたが、結論が出たのか声を上げる。
<えっと、主様がぼく達と同じになったってことー?>
「同じっていうか、まあ、近い存在になったかもってことだな」
<それってー、いけないことなの?>
クリアに尋ねられ、カイルとクロは顔を見合わせる。そう言われると何とも言えない。不可抗力であるゆえに許されざる行いではないだろうが、少なくとも望んでそうなりたいとは思っていなかった。
クロやクリアを知る前ならともかく、魔界の生き物にも共存できる存在もいるのだと知った。だから、自分がそうなったからと言ってそこまで強烈な忌避感はない。これが魂を、魔石を食べたことへの罰だというのであれば受け入れざるを得ない。
<ぼくね、主様が何になっても、ぼくの主様だよ? 主様がぼくをクリアって呼んで、一緒にいてくれる限り、ぼくはついて行くんだ>
いまだ自分の思いを言葉では正確に言い表せないクリア。それでも精一杯伝えようとする心はパスなどなくても伝わってきた。
「……そうか。確かに俺も、クロやクリアがどんな姿形になろうと、一緒にいようって思ってるな。みんなも、そう思ってくれるかな。例え俺が、本当に人じゃなくなったとしても……」
『少なくとも、主をよく知る者達は変わらぬだろう。変わりゆくものもあれば変わらぬものもある。主の夢や願いが変わらぬ限り、主は主だ』
クロの言葉を聞いて、真っ直ぐに見つめてくるクリアを見て、カイルは決断する。例え二度と人の姿に戻れない事態になろうと、心だけは人として生きていこうと。
思い定めた目標と夢、願いだけは変わらずに持ち続けようと誓った。独りよがりな願いを残して別れてしまった仲間達と再び巡り合っても、変わらぬ絆を結べるように。変えると誓った未来を実現できるように。
「クロ、試してみる」
『カイルっ! それは……焦る必要などないのだ。冥王様か魔王様に会うことができれば、どうにかする方法もあるかもしれぬ。もし、もし戻れぬとなれば……』
「分かってる。馬鹿な真似しようとしてるかもしれないってことは。でも、もしまたあのクラスの敵と出会ったら? 今回は運がよかった。あの豹はクロが引き受けてくれたし、魔人も俺を殺さないようにしてたから。若くて経験が浅いってこともあって倒せた。でも、次はないかもしれない」
魔界に来て毎日のように数多くの魔物達と戦ってきた。だが、本当の意味で危機感を感じ、死の気配を感じたのはあの戦いが初めてだった。
正直、あの赤い豹相手に一分も戦っていられる自信はない。自分を苦しめたあの魔人でさえあの赤い豹の前には赤子同然だろう。それだけの実力の開きを感じた。だが、そうした恐るべき強敵がゴロゴロしているのが魔界なのだ。
これから自分達はそんな強者達が数多く集まるだろう冥界の門や魔都へいくのだ。もし戦いとなった時、自分の身を守れるだろうか。とてもではないが肯定できない。
魔人化できたからといって対抗できるだけの強さが得られるわけではない。だが、ギリギリの戦いにおいて、より魔界に適応した肉体と魔力は生死の分かれ目になるかもしれない。そう思えば一概に魔石の排除を望むことが出来ない。
『何が起こるか分からぬのだぞ? それに、魔人となれば人とは異なる糧がいる。それを得られねば死ぬことさえ……』
「ごめんな、クロ、クリア。こういう時、主従契約ってのは不便だよな」
『そうではないのだ……カイル、我が心配しているのは……』
「それも、分かってる。心配してもらってるのに自分勝手だと思う。でも、もし魔人化しても戻ることが出来たら……そうしたら、魔人化させられた人を元に戻す方法も分かるかもしれない」
カイルが魔人化を決断したのはもう一つ理由があった。魔力がないものに魔力を与え、適応すれば魔人の力を得られる。あの組織がそんな技術を持っていて、果たして自分達だけに使うだろうか。
適応できなかった者は、魔人となった者に従う人形と化していた。ならば手っ取り早く戦力を増強するために、そして敵を混乱させ戦力をそぐために、かつて龍の血族がそうされたように無理矢理魔石を埋め込まれるという事態は起こり得ないのか。
いくら組織の根が深く、質を重視しているとはいえ、数の違いは明らかだ。魔物召喚ができても、全てを意のままに操れるわけではないだろう。
あの組織相手では、常に最悪を考えて動くのが賢明だと、あの襲撃で思い知った。使える技術があって、実際に実験を繰り返していて、使わないということがあるだろうか。
自分の意志ではなく魔人化させられた人がいたとして、彼らを救う手立てのヒントくらいにはなるかもしれない。経緯は違っても、人の体内に魔石があるという事実は変わらないのだから。最悪魔石を排除できなくても、人に戻る方法があればそんな人達を助けられるかもしれない。
方法がなかったり、時間がなかったりして、殺すことでしか救えないなど、それこそあの組織の思うつぼだ。父であるロイドも、何度もそうした辛い決断を迫られたのだろうから。
少しでも可能性があり、それが明るい未来につながるのであれば。願いを実現させる力になるのであれば後悔しない。
『主は、そこまでの……そうか、なら我は見守ろう』
クロは肩の力を抜くとカイルの側に歩み寄る、クリアもその頭に乗ってプルプルしていた。
「……覚悟はしてても、緊張するな。…………クロ、クリア、俺が、どんな姿になっても、その……顔を背けたりしないでくれ。醜い化け物になっても、一緒に……いてくれ」
夢で見た自分の手が浮かんでくる。どんなおぞましい姿になるか分からない。それでも、魂でつながった彼らにだけは嫌悪されたくない。そばにいてほしかった。
『案ずるな。化け物など見慣れておる。我は姿形でそなたと共にいることを決めたのではない』
<ぼくと同じになるといいなー>
クロの力強い肯定とクリアの無邪気な期待。それだけで随分気が楽になる。
カイルは二人から少し離れると眼を閉じる。意識を魔石に向け、拍動を感じる。心臓のリズムとは違う小さく振動するかのような震えが大きくなったり小さくなったりしている。
そのまま、気の力を解放するのと同じような要領で魔石から生み出される魔力を全身に巡らせていく。それまでは魔石の周辺に溜め込まれていた魔力が、激流のように全身を駆け巡る。
「うっ、ぐぅ……」
堰を切られた川のような勢いに目眩と耳鳴りがして視界が暗くなる。異物としか言いようのない魔力が、元あった魔力回路の外側を覆うようにして循環し始める。同じ魔力でありながら根源の違う二つの魔力が全身に浸透するのを感じ、大きく息を吐く。
カイルは目を開ける前から変化に気付いていた。それまでは魔法を使っていても常にチリチリと肌を焼くような、魔力が刺激されるような感覚があった。
それが一切消えただけではない。そうやって自分を蝕んでいた瘴気に触れるたびに、えも言われぬ感覚と共に力があふれてくる。ゆっくりと瞼を開くと、閉じる前と変わらない位置にクロとクリアがいた。
どこか驚いた様な顔をしているものの、思わず顔を背けたくなるほどおぞましい姿ではないらしい。
カイルは一度深呼吸をしてから視線を下に向け、自分の手を見る。夢とは違って、肌の色はそう変わらない。というより、さらに白くなっただろうか。よく見てみれば、手の甲にうっすらと銀の鱗の模様が見える。
爪は先が鋭利に尖っているが白い。水鏡を作って全身を見てみる。顔の造作は変わっていない。髪は銀のままだし、眼も青い。ただ、その目の奥に何か模様が見える。水鏡ではうまく映らないので後でクロやクリアにでも聞こう。恐らくあの魔人と同じで、なにがしかの魔眼なのだろう。
耳があった場所には、ヒレのようなものがあり、耳と同じ役割を果たしている。角はなく、耳と目以外人であった時と何ら変わらないように見える。
ただし、見るまでもなく感じていたのだが、背中にそれまでにない重さと感覚がある。折りたたまれていても頭の高さを越えていたそれを、腕を伸ばすような要領で広げてみる。
片翼だけで二mは超えているだろうか。クロの体毛のように真っ黒い、けれど先の魔人とは違って、蝙蝠のような羽ではなく鳥に近い一対の翼が生えていた。前に伸ばしてみて触ると、かすかに感触がある。自分の体の一部であることに違いはないらしい。
そして、なぜかクロと同じ、犬や狼と同じ形をした黒い尻尾がある。自分で動かすこともできれば、感情によって勝手に動くこともあるようだ。良くトーマがしていたように、フリフリと動かしてみる。
『……うむ、思っておったよりまともだな。というより、ふむ……』
カイルが自身の変化を確かめ終わったくらいでクロも変身の衝撃から返ってきたようだ。カイルの周囲を歩きながら何かを考えている。
クリアはカイルの肩に飛び乗ると翼に触ってみたり、耳をつついてみたり、背中を滑り降り、尻尾に掴まってみたりして遊んでいる。カイルもそんなクリアの相手をしながら、クロを見た。
クロの言う通り、カイル自身思っていた以上にまともだったので安堵していた。見ても分からないくらい変貌したならば、仲間と再会してもいきなり攻撃されそうだと考えていた。
『体に変調はないか? 何かを異常に欲するとか、飢えや乾きは?』
「今のところない、と思う。ただ……」
『何だ? 魔の者なら本能で己の糧を知ることが出来るのだが……』
「あー、えっと、合ってるかどうかは分からないけど、もしかしたら、魔人化した俺の糧って瘴気そのもの、かも」
新種ともいえる魔人。それゆえに糧は千差万別だろう。だが、もし魔人化した際の姿形や糧に人であった時の性格や血筋、周囲の環境や好みなどが反映されているのだとすれば。
エゴールはオードソックスな魔人の姿だったが、内面の荒々しさと同じく炎を使っていた。さらに人を苦しめることに喜びを見出していたことから、それが糧ともなった。
カイルの場合も、ある程度は当てはまる。銀の鱗や耳は龍の血族ゆえだろうし、翼は母から受け継いだ属性からだろうか。尻尾は魂の結びつきがあるクロからだろうし、褐色の肌が多い魔人の中にあって色素が薄いのはクリアの影響か。
ならば、糧はカイルが魔界に来てから常に摂取し続けてきた瘴気であると考えられる。現に空腹も乾きも感じない。むしろ瘴気に触れているだけで調子がいい。
『なんと……。我ら魔の者は瘴気により生かされておるが、瘴気を糧とするなど聞いたことがない。なぜなら、瘴気は我らを構成する主原料だからだ。瘴気を糧になどすれば、下手をすれば己の身を己で食うようなもの。あり得ぬはずなのだが……』
魔界であるならばまだいい。周囲が常に瘴気に満ち溢れているのだから。だが、もし瘴気のほとんどない人界に行ったならどうなるだろうか。常に共食いを続けなければ生きていけないということになる。そして、そうなれば当然人界の魔物もゲートも少なくなる。調整ができなくなるということだ。
生まれついての魔の者であれば決してあり得ない糧。瘴気で構成されたのではない肉体を持つゆえにそれが可能になったのだろうか。
「ともかく、元に戻れるかどうか試してみる」
糧が何であれ、今重要なのはこの状態から元に戻れるかどうかだ。魔石から生み出されたとはいえ魔力は魔力だ。魔力操作で操ることは出来るだろう。
全身を廻る無属性の魔力回路を覆う魔力の流れを止めていく。新しくできた回路自体は消えないが、その中を流れる魔力が再び魔石とその周辺に凝縮されていく。
魔人化と同時に解除されていた暴食を、完全に抑え込む前に発動させる。ただし、使うのは魔石によって生み出されている魔力の方だ。そうしなければいくらなんでも生み出される魔力が許容量を超えてしまうだろう。これから先は両方の魔力を適度に使い分ける必要がありそうだ。
瘴気が肌を焼く感覚と共に、変化していた体が元に戻る。カイルは安堵のため息をつくと、その場に座り込んだ。思っていた以上に体に力が入っていたらしい。
『……問題はなさそうだな……最も、現段階では、だが』
クロはカイルの周りをぐるりと回って異常がないか確かめた後、隣に座り込む。無事に戻れたのは何よりだし、魔人化していた間感じた力は高位の魔人に匹敵するほど。確かにあれならば魔都へ行っても大丈夫かもしれない。
さすがに人の姿のままで行けば、いくら魔王の膝元と言えど安全は保障できなかった。その分、自分が守ろうと考えていたのだ。もしくは空間の中に入っていてもらおうかと。
しかし、魔人化した姿であれば堂々と入れるだろう。少なくとも侮られるということはない。
<主様すごいねー。ぼくも早く普通にしゃべれるようになりたいなー>
クリアはカイルの膝の上に乗って跳ねている。スライムの体では発声器官などないので、進化したとして声が出せるかどうかは分からない。だが、元の格が下であるほど進化の派生先は多いという。クリアが妖魔や魔人のように話せるようになる日も遠くはないかもしれない。
「魔石って、魂みたいなものってことだけど、俺の場合どうなるんだろうな?」
エゴールなどのように魔石を破壊されれば魔人化ができなくなるだけで済むのか、あるいは魔界の生き物と同じように死に直結してしまうのか。自然とも人為的とも言い難い発生原因だけにその辺がはっきりしない。
『ふむ、それは我にも分からぬ。だが、隠しておいた方がよかろう。我らであれば魔力や瘴気で覆い隠せるが……』
瘴気の結晶であり魂でもある魔石は、魔力の器でもあるため強い魔力を有している。魔物も魔人も感覚的に魔法を使うため魔力感知と言った技能は有していない。
だが、あの魔人がそうであったように最大の弱点でもあるため格が上がるほど自らの魔石を隠す。それに移動も可能なようで、同じ種であっても魔石の位置が違うということはままある。
闇属性の魔法に隠蔽する方法はあるが、闇属性のエキスパートでもある魔界の生き物には効果が低いかもしれない。もしシェイドと交信できたならば相反する存在である精霊に隠してもらうののがいいだろうが、今は休眠状態だ。
ならば、取る手段は一つ。今まで戦闘中には積極的に使ったことのない聖剣の鞘のもう一つの力、守護を使う。
守護とは対象と定めたものを条件指定を付けた上で守ることが出来る力だ。聖剣の力が及ぶ範囲内であれば、力が続く限り何者からも攻撃は受けない。
鉄壁に思えるのだが、問題もある。それは守護対象となった者は攻撃もまたできないということだ。そして条件を細かくするほど制御が難しく、対象が多いほど消費する力も大きくなる。
共に戦うのであれば癒しの力、守るのであれば守護の力と使い分ける必要がある。魔石を守護の力で守っている限り誰にもそれを悟られることはないだろう。ただし、その魔石から生み出される魔力は別だ。
普通なら守護する対象を体の一部に指定したりしない。そこだけ無事で、命は落とすなんて事態になりかねないから。
ただ、歴代の剣聖の中には変わり者もいた。扱える守護の力が弱かったため、一部しか守ることができなかったのだ。だが、それを活用する方法を編み出した。
それは攻撃を受ける箇所に守護の力を纏うことで、全身どこでも最強の盾であり鎧とすることが出来たということ。わざわざ重くてかさばる盾や鎧を持たなくても、自分の体で代用する方法を編み出したのだ。
カイルの場合はその逆で、一部だけに守護の力を纏うことの方が難しかった。本気ではなかったとはいえ赤い豹の一撃を受けてもあの程度で済んだのはそのおかげだ。攻撃が速すぎて完全ではなかったため多少ダメージは入ったが、命を落とすことも重傷を負うこともなかった。
今は瞬時に必要な場所に守護の力を纏えるような訓練も行っている。まだうまく出来ず、生傷が絶えないが使いこなせば防具屋泣かせになるだろう。
今回も魔石のみを守護対象にする。見られないよう、気付かれないよう、触れられないように。魔力と融合した瘴気と魔力は通すように条件を付ける。
これで魔石を守りながら、魔石から生み出された魔力は利用できる形になった。少々裏技気味だが、持っている力は使わなければ腐るだけだ。カイルの命はもはや自分だけの物ではない。直接的にはクロとクリア。間接的にも多くの人に影響を与えてしまうだろう。
発表はされていないが剣聖として父の跡を継ぎたいと思っているし、少なくとも、聖剣だけは人界に戻さなければならない。聖剣は人のために、人界のためにあるものだろうから。
クロにもたれて眼を閉じて思う。人界にいる家族や友人達、仲間はどうしているだろうかと。切羽詰って一杯一杯で、短い言葉しか残せなかった。願いを押し付けた、彼らも今頃違う空を見上げながら思ってくれているだろうか、と。
そして、いまだ満足な対応ができていない孤児達。人界に戻って、彼らのためにどう動くべきか。考えを巡らせながら眠りについた。




