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レスティア物語  作者: マリア
第四章 再会への旅路
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魔界の洗礼

 絡みつき、まとわりつくような闇の中に沈んでいく。その間中、ずっとブライアンの笑い声がしていた。不安と恐怖に押しつぶされそうな中、負けるものかと己に喝を入れる。これから先、向かうだろう場所は地の三界の者は死後にしか行くことが出来ないと言われている”魔界”。

 魔界で生じた魔物達を除き、生きとし生けるすべての命を蝕む瘴気に満ちていると言われる領域だ。クロからもよく話を聞いていた。もし魔界に行くなら、どうすればいいのか考えたこともある。だが、果たしてそれが本当に通用するのか。


 不意に視界が開ける。何もない草原の一角に放り出され、見る限り人界とそう変わりない風景が広がっている。ただ、遠くに見える景色は赤く霞んでおり、空も青ではなく赤い。

「ここが、魔界?」

 放り出された瞬間、光の鎖は消え体の自由が戻ってくる。同時に、クロも覚醒し驚きの表情で周囲を見渡していた。それを見るに、やはりここは魔界なのだろう。そう考えたカイルは、クロに話しかけようとしたが、視界が揺れて倒れこむ。


 一呼吸ごとに焼け付くように胸が痛み、魔界の空気に触れている肌からは針で刺すような痛みが走る。何より、異物としかいいようのない魔力が入り込んで来ようとしている。

「がっ、これ、は……」

 これが、瘴気なのだろうか。目に見えるわけではないのに、分かる。明らかに自身を取り囲む空気が、環境魔力が違う。いつもなら空気中の魔力を取り込んで失った魔力の補充に充てることもできるのに、魔界に満ちる魔力は、まるで毒のようにカイルの魔力と体を侵す。


『何ということだっ! 魔界だと?』

 クロは倒れこんだカイルに覆いかぶさるようにして立つ。周囲を見渡しても全く知らない場所だ。当然だろう。クロは生まれてから冥界の門がある場所から離れたことはなかったのだから。だが、それでも千年以上魔界で生きてきたのだ。

 自分が、カイルが置かれた状況がどれほどまずいものなのか理解できる。

『カイル、前に我と話したこと覚えておるな! 成功するかは分からぬ。だが、やってみよ! そのままでは瘴気に肉体も魔力も侵食され腐れ落ちる!』


 呼吸もままならず、全身から届く危険信号でぼやける頭にクロの言葉が届く。思うように動かない体で、それでも視界に入る指先が火傷をしたように、あるいは死んだ人の肉体が腐った時のように変色し、ただれ始めているのが見えた。

 このままでは遠からず、クロの言葉通りになるだろう。カイルは自分の舌を噛んで意識を覚醒させると、戯れに魔界に行った時どうすれば瘴気に対応できるか話し合った方法を実行する。


 クロから授かった固有属性『喰』。自分が取り込んだ、あるいは触れているものを自身の糧に変えることのできる属性だ。

「……喰らえ、全ては我の糧に『暴食バイト』」

 喰属性、第一階級魔法。任意の対象を食らって取り込み、自分の魔力に変える魔法だ。今回対象とするのは、瘴気だ。


 魔界の生き物が人界においては魔力の自然回復ができないように、魔界においては魔界の生き物以外は瘴気に対応できず魔力の回復が望めない。

 だが、もし瘴気を喰らうことが出来たなら命が助かるだけではない。瘴気を魔力や体力、生命力に変えることで厳しい魔界の環境においても生きていけるのではないかと。

 半ば賭けに近い方法であったし、人界においてクロが実行できなかった方法でもある。一見なんでも喰らえるように思う喰属性だがある制約があった。それは生物の魔力は喰らえても、環境魔力を喰うことが出来ないということ。


 だから、カイルも魔界に満ちる環境魔力を喰属性で取り込むことは出来ない。クロも人界でそれができれば死にかけることもなかっただろう。そして、クロの魔力を補充できるほど周囲の存在を取り込めば、それこそ生態系を大きく崩すことになるだろう。冥王よりの慈悲で人界に来ているのに、冥王の迷惑になるようなことはできなかった。

 だからこそ、他の生物の血と魔力を糧に、そこから魔力と活力を得るようにしていた。人界と魔界の違うところは、周囲に満ちるのが魔力だけではないということ。


 魔力と密接に結びつき、魔界の生物に力を与える瘴気。見えずとも存在しているそれを取り込むことが可能か否か。それがカイルとクロの生死を分ける。

 クロは周囲に警戒を向けながらも、半ば祈るような気持ちで待つ。魔界にいればカイルから魔力を供給してもらう必要がなくなる。本当の意味で十全の力が発揮できる。だが、カイルにとっては過酷この上ない環境だ。

 まさか歯牙にもかけていなかった小物のせいで、それを利用しようとしていた悪辣な男によって再び魔界の地を踏むなど考えてもみなかった。


 カイルは魔法の維持だけに集中し、それ以外の部分は全てクロに一任する。元々人が持てるはずのない固有属性であり、扱いの難しかった魔法。今までそれを積極的に使うことはなかった。

 だが、この属性がカイルやクロの約束を果たすために重要になるかもしれないと知ってからはずっと練習を続けてきた。カイルはそれまで自身の容姿を隠すために使い続けてきた隠蔽の魔法を解き、それらの魔法制御もすべてこちらに回す。

 他に人のいない魔界の地で自分の容姿を隠す必要性を感じない。それに、そんなことに気を取られていては生きていけない。それが、よく分かった。


 魔法を発動してから、一呼吸ごとに灼熱感と痛みが治まっていく。異物感も消えて魔力への侵食も途絶えた。代わりにすさまじい勢いで魔力が回復していくのを感じていた。それほどまでに瘴気が濃いのだろう。近場では見えなくても、空や遠くの景色を赤く染めるほどに。

「……クロ」

『カイル、無事瘴気に対応できたか……』

 クロは心底ほっとしたような声を出す。カイルはクロの体の下から這い出すと立ち上がる。まだ少しふらつくがどうにか生きてはいるようだ。


 カイルは母から受け継いだ『継続』の効果を持つ魔法具に魔法を記憶しなおす。それまでの隠蔽フェイクではなく、暴食バイトに。今となってはこの魔法だけが生命線だ。何があろうと途切れることがあってはならない。普段はなるべく自力で発動し続けるようにするが、何かあった際この指輪が命を守ってくれる。

 カイルは指輪についている要である魔石を唇に当てると、内容を変更した。隠されることのなくなった銀の髪が魔界の風に吹かれてさらさらと頬をくすぐる。


 魔界に精霊は存在できない。そのため、今までずっとカイルの側にいてくれた精霊達は、盟約魔法が発動した瞬間弾き飛ばされ、皆姿を消していた。生まれて初めての精霊がいない光景は違和感しかない。専属契約を結んだシェイドは、というと顕現することは出来ないが、闇の玉の中に半ば眠るようにして引きこもることで宣言通りカイルと一緒にいてくれている。

 水鏡を作って見てみると、眼はシェイドが隠してくれたままの、青。紫眼の巫女になる前の母と同じ色だ。


「ここは、魔界で間違いないんだよな」

『うむ。この空気、景色、間違いなかろう』

「そうか……」

 一人には慣れていたはずなのに、ここ一年近くいつも誰かと一緒だった。何があっても見捨てず、帰りを待ってくれる家族がいて。知らなかったことやできなかったことを教えてくれる大人達がいて。そして、苦楽を共にして互いに競い合い高めあえる仲間が、友人達がいた。純粋な好意を寄せてくれて、心を預けられる相手がいた。

 そんな大切な人達から引き離され、精霊達もおらず、右も左も分からない場所にいる。それはひどく心細さを感じさせた。


『案ずるな、カイル。例え魔界中を駆けずり回ることになろうと、必ず帰る道を見つけてみせよう』

「……クロ、ありがとう。お前がいてくれて、本当によかった。そうだよな、帰らないと。必ず帰るって約束した。夢も半ばで、朽ちてたまるか」

『うむ、その意気だ』

 クロは満足そうにうなずく。人界では知らないことも多く頼ることが多かった。だが、魔界においてはクロがカイルを導かなければならない。

〈……何ということでござるか。まさか本当に魔界へ来ることになろうとは……〉


 カイルの頭の中に聖剣デュランダルの声が響く。ひどく嘆いているかのようだ。

「悪いな、お前まで付き合わせて。……そういえば、魔界でお前の力は使えるのか? それに、残してきた模造品は……」

 そういえばカイルがここに来てしまったなら聖剣はどうなるのだろうか。下手をすると人界から失われたということになってしまうのか。

 魔界に来た衝撃と、瘴気による浸食が落ち着いたことでそうしたことに気を廻らせられる余裕が出てくる。


〈これも聖剣としての定めでござるか……。誠に残念ながら、某の力は魔界においては……というより、人界以外の領域においてはほとんど使えぬでござるよ。ただ、模造品に関しては心配いらぬでござる。そなたが生きておる限り、消えることはないでござる〉

 ならば必要以上にトレバース達が責を負うことはないだろう。本物がないのは確かだが、抜けない偽物があれば、一応の体面は保たれる。

「ほとんど、使えない……ねぇ」


〈仕方ないでござろう。某は人界の守護のためにある存在。剣聖の選定も含め一種の盟約、理に縛られておるでござる。その分、人界においては無類の強さを誇るでござるが、他の領域ではそれが制限されてしまうのでござる〉

『ふむ、使えぬな』

〈妖魔風情に言われたくないでござる。そもそも、そなた達がもう少ししっかりしておれば……〉

 本来であれば顕現していない聖剣との意思疎通は剣聖であるカイルにしかできないのだが、使い魔のパスを通じた念話の要領で相互間の会話も可能になっていた。

 そのため、しばしばこうした衝突が起こる。どちらも気位が高いことがあってか犬猿の仲で、それは魔界の地であっても変わりないらしい。


 カイルは剣を抜くと聖剣の破壊の力を纏わせてみる。普段であれば剣を振れば斬撃の軌道にそった破壊の衝撃波を飛ばせるのだが、それはできないらしい。ただ、カイルの体や直接触れている剣には作用させられる。

 同じようにして鞘の癒しの力を使ってみる。普段よりは使いづらいが、冷たい冷涼な空気が、瘴気によって傷ついたカイルの体を癒してくれる。これも魔法と同じで離れた相手にも使えていたのだが、同じように直接触れていないと効果がないようだ。

「確かに、制限を受けてるな」


 カイルは手を握ったり開いたりして感触を確かめる。未知の場所だ。今の自分に、この領域でできることを把握しておかなければ前に進むこともできない。

『カイル、先ほど魔法を使った時に実感したかもしれぬが……』

「ああ、さすがに闇の領域って言われるだけのことはあるよな」

 カイルは苦笑する。実は先ほど水鏡を作ろうとして、何度も失敗したのだ。一番熟練度の高い生活魔法で、魔力操作も魔法制御も乱れていないのに、魔法が形にならなかった。

 その理由が魔界に満ちる環境魔力にあった。魔界にも火や水といった基本属性は存在している。しかし、人界においてそのベースが生物の持つ魔力の基礎、無だとすれば、魔界は、闇なのだ。


 例え瘴気を克服したとしても、魔力の自然回復が行われない理由がここにある。人界においては周囲の無属性の魔力を取り込んで魔力の器により自身の魔力へと変える。しかし、魔界においてはそれができない。

 クロが闇属性を宿し、闇の生き物の際たる存在でありながら闇魔法を多用しない理由がここにある。魔の者にとって闇属性とは、闇の魔力とはすべての魔法の下地になっているということだ。つまり、クロがどんな属性のどんな魔法を使ったとしても、それは全て闇の魔力が元になった魔法となる。人や魔獣のように、純粋な一属性だけの魔法を使うことが不可能なのだ。


 ところが、魔界においてはそれが基本になる。闇属性を、闇の魔力をベースとして魔法を使わなければ魔法自体が発動しない。何度目かの失敗で納得し、クロに言われていた通りに使ってみれば成功した。闇の魔力をベースにした魔法であるゆえに真っ黒い水鏡ができたのだ。

「これから先、魔法を使おうとすれば、必ず闇属性を混ぜないといけないってことか……」

 喰属性に関しては元々それを念頭に置いた修練をしてきたため、どうにか問題なく使うことが出来たのだ。そのため、継続の指輪に込める魔力も無属性ではなく闇属性でなければならない。


 妖魔であり、有する魔力の基礎が闇であるクロなら普通に魔法を使うのと同じ要領でいいが、カイルの場合ワンクッションおかなければならない。これから先出くわすだろう魔物との戦いでそれが命取りにならないだろうか。

『ふむ、これは使って慣れていくしかあるまいな。試しにやってみよ』

「ん、風刃ウインドカッターでいいかな」

 カイルは瞬時に闇の魔力を練り上げるとそこに風属性を混ぜていく。複合魔法に近いが、複合魔法は二種類以上の魔法を融合させるもので、これは下地となる魔力を変えるものなのでそうは呼べないだろう。言ってみれば変異魔法だ。


 無の魔力に風属性を乗せてもそれは風の特性のみを持つ魔法にしかならない。だが、闇の魔力に風属性を乗せれば、その両方の特性を持つ魔法になるのだ。風属性が持つ特性は切断と加速。闇属性が持つ特性は浸食と幻惑。

 その二つを合わせると、何もしなければ触れたものを切断して侵食する風の刃が生み出される。だが、それに一工夫を加えれば傷つけた者に幻惑を見せ、その効果を加速させることさえできるのだ。

 魔法の形は同じなのに、ベースとなる魔力が変わることで異なる効果を持つ魔法、まさに変異したというしかない。そして、これは全ての魔力に当てはまる。


 クロとの修練の過程で気づき、けれどまだ誰にも話していない魔法の、魔力のもう一つの可能性だ。だが、扱いが難しいことや、それによって生まれる魔法の効果が未知な部分が多いため、ある程度把握できてから周囲に相談しようかと思っていた。

 その矢先に、それを実戦運用しなければならない状況になったというわけだ。

風刃ウインドカッター

 カイルはあえて魔法名を言う。そうすることで少しでも慣れない魔法運用の助けになるように。


 カイルの伸ばした手の先からいくつかの黒い風の刃が生み出されると、即座に射出され膝まで丈のあるのある草原の草を刈り取っていく。半ばで切り取られた草の先も、残された根の部分も、切られた場所から黒く侵食されていき、ボロボロと崩れていく。

 やはり浸食というものは思った以上に危険な力だと再認識したカイルは魔法を解除したが、周囲の空気の変化に気付き身構える。

 それまで敵の気配など感じなかったのに、三百六十度囲まれるように辺りから敵意が沸き起こってくる。眉をひそめて見ていると、魔法が当たって刈り取られできた溝の両側にある草が風もないのに動き始める。


 そしておもむろに根が土から抜け出し自立歩行を始めた。根の中心辺りにはごくごく小さいが魔石が見える。次々と動き出す草原の草を見てカイルは冷や汗をかきながら思い出す。そういえば、魔界にある生物は全て魔物であるという話を。

「な、なぁ、クロ。これって……まずくないか?」

『う、うむ。そのようだな。……そういえばこうした植物系の魔物は敵対行動をしない限り大人しいが、ひとたび同種を傷つければ周囲にあるすべての魔物が敵に回ると聞いたことがある』

「なっ、納得してる場合じゃないだろっ! なんで言ってくれなかっ……それより、この数は……」

 カイルは何百何千を超え、何万という数になった魔物達に視線を向ける。うねうねざわざわわさわさとそれこそ隙間なく生い茂っている。


『我の背に乗れっ! この草原を突破する!』

 クロの言葉にカイルはクロの背に飛び乗った。魔界では無属性魔法を使えないというのが痛い。こんな時物理防御シールドが使えればこれ以上ない盾になったというのに。

「正面に道を作る、突破できるか?」

『任せておけ!』

 クロが両足と全身に力をためるのを感じて、カイルは正面数百メートルにわたり道をふさぐ魔物達に視線を向ける。


「悪いな……通らせてもらう! 火炎波ファイアーウェーブ

 侵食し燃やし尽くす黒い炎が幅三mほどの帯となって、魔物をことごとく焼き尽くしながら道を開いていく。直ぐにできた溝を埋めようと草達が動き出すが、それよりも早くクロができた道を駆け抜ける。

 何度かそれを繰り返すことで、どうにか草原を抜けることが出来た。クロの背にまたがったまま背後を振り返ると、しばらくはざわざわとしていた草達だったが、次第に元のように地面に根を差し込み戻っていく。意思はあれど、範囲を外れた相手に対する執着はさほどないらしい。

 カイルは安堵のため息をつくと同時に、本当に魔界に来たのだと、今更ながら痛感することになった。

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