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レスティア物語  作者: マリア
第三章 遊行と躍進
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王子の切り札

 早朝から立て続けに続く緊張と重圧、どれだけ力を尽そうと解決しがたい事態がカイルをして判断を狂わせるに至ったのか。若さゆえに、道を見失ってしまったのか。それとも別の思惑があるのか。

 そう問おうとしたバレリーは、次の瞬間には自身の体が切り裂かれる激烈な痛みと音を聞きながらレナードを追うようにして地面に倒れた。不思議と痛みは一瞬で、後は何も感じない。死とはこういうものなのか、そんな感慨を覚えながら意識は闇に沈んでいった。


「そ……な。なぜ、どうしてだっ! カイルっ!」

 レイチェルは叫びながら、まだ十全には動かせない体でカイルに飛びかかる。団長・副団長を続けて失った騎士団の団員達は混乱の極みにあった。例え後ほど後悔することになったとしても、あの二人が下した決断であれば従う気でいた。

 必ずしも愛する者が犠牲になるとは限らないし、何よりブライアンが約束を守ってくれるとも思えないからだ。だが、それでもすぐには決められなかった。家族や大切な人の顔がちらつき、迷いと不安で心は千々に乱れる。


 そこに一石を投じるどころか、大嵐を引き起こしたのがカイルだ。今もレイチェルと剣を打ち合わせながらもその眼は騎士達に向けられていた。

「言っただろ? 俺の中の優先順位は決まってる」

「そこに、父様達は入らないということかっ! 見損なったぞ! そこまで恩知らずとはっ! あんな男の言葉を信じるつもりなのかっ!」

 普段は恋慕で染まる頬を怒りに染めて、レイチェルは騎士の剣の型も長年しみついた動きも関係なく、滅茶苦茶に剣を振り回す。


 カイルはその剣を適当に受け流しながら、一度ため息をつく。そして、ブライアンの死角になるような立ち位置で、レイチェルの耳元でささやくと同時にのみぞおちあたりに手を添えて、トーマやデニスに習った方法で気の力を込めた掌打を放つ。発勁と呼ばれる技だ。

 ろくに気功も使えていなかったレイチェルは、その攻撃をまともに受けて吹き飛ぶ。仲間達のいる場所に逆戻りした形になったレイチェルは、トーマに受け止められ、アミルに支えられてせき込みながらも立ち上がろうとしたが、それは叶わなかった。


 カイルはクロによって仲間達の影に仕込んでおいた細工に手を加える。仲間の居場所や状態を伝え、目印になるそれ。だが、その気になれば彼らの行動を封じることさえできるのだ。かつて何度かクロにやられたように、身動きも魔法も使えず、声さえ発せない状態に陥った仲間を一瞥すると、カイルは騎士達に向き合う。

 まだだ、まだ足りない。ブライアンを満足させるにはまだ足りないのだ。それまで彼らに口出しされたり、割り込まれては困る。何より、彼らにはきっと通じるだろうと信じて。そして、こんなことをするのは自分だけで十分だと。


「言ったはずだ、俺は目的のためなら手を汚すことも、血で汚れることも厭わない。恩知らず? それはどっちのことだ? 騎士だからと温情を与え、王族だからと処断を先送りにした。その結果がこれだ。真実を知って非難されるのはどっちだと思う? あいつの言葉を信じるつもりなんてないさ。けど、もう判断を任すこともできないと考えただけだ。なら、俺のやり方で俺のやりたいようにやる。決断できないなら、そこで見ていろ。これが、多数のために少数を切り捨てる戦いだ!」


 戦うことのできない王都の人々を救うために、騎士という少数を切り捨てる。そう明言したカイルに、騎士達は危機感を抱くと同時に戦闘態勢を取る。例えそれが必要なことであったとしても、唯々諾々とそれに従うつもりはなかった。

 国と民のため身命を捧げる騎士と言えども己の命は惜しい。いくらカイルの言い分に分があったとしても。それに、尊敬する団長・副団長を手にかけたカイルに対する少なからぬ怒りと憎しみも抱いている。あれほど目をかけてもらっていたのに、手を取り合っていたのに、あっさりと切り捨てられるのかと。


 騎士も英雄も国や民のためにある存在であることは違いない。ここに至るまでにどれほどの葛藤があったのかも計り知れない。それでも、許されざる裏切り行為に思えた。

 身構え隊列を組む騎士達に、カイルは薄く笑みを浮かべる。本来の数には到底届かないとはいえ、中庭に集結するのはいずれも上級騎士をはじめとする精鋭で数は二百を下らない。その数相手になぜそんな表情ができるのか。

 そう考えた騎士達は、次の瞬間には自重の何十倍もの負荷を受け、半ば地面にめり込むようにして叩き伏せられていた。


 カイルが最初にレナードとバレリーを潰したのは、一人で多数を相手にする場合に最も有効的な手段である魔法を潰される可能性を考慮したためだ。レナードは魔法をよけたり迎撃したりできるし、バレリーは的確な状況判断と指示で騎士達を動かせるだろう。

 だが、指示をする者がおらず、体調も万全ではなく、心も迷ったままで定まらない今の状態であれば、カイル一人でも彼らの相手ができる。

 司令塔であり最も厄介な二人さえいなければ、烏合の衆と化してしまっている彼らを魔法でまとめて片が付けられる。カイルは日々の鍛錬により一瞬で騎士の数を倍以上上回る風の刃を作り出すと、手を振り下ろすと同時に放った。


 空気を切り裂き唸る音と、悲鳴が連鎖して重なり、着弾と同時に舞い上がった土ぼこりが収まる頃、そこには地面に倒れて動かない騎士達と、ただ一人立つカイルの姿があった。レイチェルは痺れたような頭でそれを見ていた。

 レイチェルだけに聞こえるようにささやかれた言葉。それがあっても、胸の中に渦巻く不安は消えなかった。本当にこれでよかったのかと。本当にカイルの言ったことは正しいのかと。

 カイルはいつだって絶望的な状況を覆してきた。どれほどの闇の干渉にも屈しなかった。だから、今回もきっとそのための一手なのだと信じたい。信じたいが、目の前に広がる光景が心をくじこうとしてくる。


 自分達の力が及ばなかったばかりに、カイルよりも早く動くことができなかったばかりに、カイル一人に汚れ役をさせてしまっている。

 レイチェルは行動を起こす前のカイルの表情が頭から離れない。自分より人が傷つくことの方が耐えられないのに、大切に思う人を自分の手で傷つけなければならないことがどれほどの負担になっているのだろうか。

 父が倒れた姿を見て、一瞬頭に血が上って剣を向けてしまった。騎士としての誓いも忘れ、かけがえのない思いさえ塗りつぶすほどの憤怒と復讐の念に囚われてしまった。それを思えば、レイチェルはまともにカイルの顔を見ることができなかった。


 レナードやバレリー、近場にいた騎士達の返り血で体を赤く染めながら、カイルはブライアンを振り返る。ブライアンが見たくてたまらず、けれど見ることなどできないかもしれないと感じていた悲哀を宿し、絶望し、諦めた者が見せるどこか疲れたような眼を向ける。

「アッハ、アハハ、アハハハハハハ。そう、君は彼らとは違うんだね。時に犠牲が必要なことを知っているんだ。あれもこれも何て手を伸ばしたりしない。そうだよねぇ? あれだけ踏みつけられて生きてきて、分からないはずがないよね。本当に欲しいもののためなら誰だって犠牲に出来る。アハハ、僕としたことが、こんなに深くて暗い闇を見落としてたなんて」


 ブライアンは楽しそうに笑う、嗤う。仲間達から向けられる後悔と懺悔やこれから先向けられるであろう憎悪をその背に背負い、血と罪にまみれて俯きながら口を引き結ぶカイルを見て。満足そうに、嬉しそうに笑う。ひとしきり腹を抱えて笑った後、ブライアンは顔を上げる。その顔は喜悦に歪んでいた。

「さあ、もっと深い絶望を見てみようか?」

 掲げるのは起動装置でもある魔石。ここまでしてもなお約束など守る気もないブライアンにレイチェル達は揃って顔色を変える。だが、カイルは引き結んだ口の端を上げて笑みの形を作り出す。


「? もう気がふれてしまったのかい? それとも……」

「二度も同じ手に引っかかるあんたがおかしくてな。その魔石、果たして本物なのかな?」

「何っ!」

 ブライアンは一瞬で笑いが引っ込むと手に持つ魔石に視線を向ける。その瞬間、ブライアンの手の中からふっと魔石が消えうせ、盾としていた王子も姿を消した。


 条件反射の域で距離を取ろうとしたブライアンだったが、待ちに待った時が訪れ、そのためだけに力を蓄えていた黒い影が一陣の風となってブライアンの背後に駆け抜ける。最高位の妖魔の本気は容易くブライアンの思惑ごとその身を断ち切った。

 通りすがり様に振りぬかれた斬属性を付与された爪はブライアンをいくつものパーツに切り分ける。ドサドサと、壊れた人形のように地面に散らばる、ブライアンだったもの。遅れてそれぞれの切り口から血が噴き出した。


「は、は……これ、で、終わり? まだ、ま…………」

 右肩から斜めに分断されたブライアンは、それでも言葉を発する。驚くべき生命力というか、あるいは執念か。しかし、クロはみなまで言わせることなく、ブライアンの頭を踏みつぶす。

 完全に命の灯火が消えたことを感じて、ようやくカイルは息を吐く。未だ使いこなすには至らない力を多く使ったことや、極限の集中力、一度に多量の魔力を失ったことで気だるさを感じる。

 寄り添い、気遣ってくれるクロに体を預けるようにしてブライアンに背を向けた。


 ブライアンから魔石や王子を取り返したのは精霊達の活躍のおかげだ。精霊の中にはカイルやクロ、ヒルダも持つ空間属性の精霊もいる。数は少ないし、長距離になると難しいが、短距離であれば魔法のように空間扉ゲートを作り出すことなく人や物の移動ができるのだ。

 カイルによって身動きを封じられたレイチェル達の側に、しりもちをついた格好でアレクシスが呆然としている。その足元にはブライアンが持っていた魔石が転がっていた。起動した様子はない。どうにか防げたというところだろうか。


 カイルは仲間達を拘束していた影を解除する。途端にアミルはぺたんと座り込むと両手に顔をうずめて泣き出す。トーマは呆然と周囲を見回し、ダリルは初めて会った時と同じような無感情な眼を向けてくる。

 レイチェルはうつむいたまま肩を震わせており、ハンナは少し傷ついた眼でカイルを見ていた。離れた場所にいるキリルも、両手を握りしめたまま体を震わせている。


「…………カイル、わたし、わたしはっ!……」

 互いに手を伸ばしても届かない距離をあけたままレイチェルが声を上げる。カイルは気だるげな顔のまま、言葉にならない思いを伝えてくるレイチェルを見る。

「緊急時で、あいつの隙を作るために必要だった。俺一人で勝手にやってすまない。でも、俺が動くしかなかったから」

 仮にレイチェル達がカイルの思惑に乗ってくれたとしても、ブライアンはあそこまで致命的な隙を作ってはくれなかっただろう。逆に疑念を深めたかもしれない。だから、これはカイル一人でやる必要があった。

 ブライアンが誰よりも執着していたカイルが、ブライアンの望む姿を見せるしかなかったのだ。


「それでも、それでもですわ。こんな……自分で自分を傷つけるような事を……力になれなかった自分が悔しいですわ」

 アミルは自身の無力を嘆く。魔力は回復してきているとはいえ、まだ最上級魔法一発で切れてしまう程度。カイルの意図が分かっても手助けはできなかっただろう。それが悔しい。SSSランクに上がったのに、肝心な時に役立たずだ。


「何でも一人でやろうとするのは悪い癖。今回は仕方なかったかもしれないけど、心臓に悪い」

「えっと、その、カイル? 一応聞くけど……殺してない、よな?」

 ハンナは胸に手を当てて、トーマは未だ起き上がらない騎士達をキョロキョロと見ている。ダリルは何かに囚われているのか無言で、キリルも後ろから近付いてきた。

「それは……」

「おイっ! お前ら、大丈夫……カ?」

「うわー、すごいねぇ。みんな無事かな?」

 そこへエドガーとドミニク率いる魔法師団十数名が駆けつけてくる。その中には国王であるトレバースと宰相のテッドの姿もあった。なぜここに、このタイミングで駆けつけてきたのか。

 疑問は尽きなかったが、取り急ぎブライアンが持ち出した起動装置について話そうとする。だが、分かっているというように手で制せられた。


「それに関しては心配いりません。すでに手は打ってあります。それより彼らは……」

 テッドはアレクシスの足元に転がる起動装置を回収してホッと胸をなでおろす。必要な手を打っていても大本を回収できればそれに越したことはない。

 魔法師団でも医療に長けた者達ばかりを率いてきたドミニクはすぐさま騎士達の安否と救護に当たらせる。

 トレバースは状況を把握していても、凄惨な現場に顔をしかめる。そして、そんな役目を負わせてしまったカイルに声をかけようとして、それより先に声を上げた者がいた。アレクシスだ。膝を震わせながら立ち上がり、カイルを指差す。


「や、やっぱり……やっぱりお前はこの国にとって災厄をもたらす存在だ! お、お前が現れてからおかしなことばかりが起こる! そのせいで僕も、レイチェルも……エゴールだって、お前が殺したんだろう!」

 アレクシスの言葉にカイルは眉根をひそめる。かなりアレクシスの妄想が入っているが、最後の言葉は否定できない。


「確かに、エゴールは俺が殺した。けど……」

「あ、あいつは確かに僕を裏切った。それでも、僕にとって友人と呼べる存在だった! 誰もがこびへつらうか、嫌な顔をするのに、あいつだけはいつだって僕に付き合ってくれたんだ! それなのに……そうだ、僕がやらなきゃ。僕が、この国を守るんだ」

 途中まではカイルに眼を向けていたが、急にぶつぶつと自分の世界に入ってしまうアレクシス。それにはさすがに周囲も不気味なものを見るような眼を向ける。情緒不安定と言えばそうだが、おかしくなったと言われても不思議ではない異様な雰囲気だ。

「アレクシス、何を……」

 トレバースもアレクシスの謀反は知っていても、ここまで異常な様子を見れば心配になってくる。何をしでかす気なのかと。


 アレクシスは未だ抱きしめたままの聖剣をより一層引き寄せると、シェイドが封じられているだろう精霊の像をカイルに向けて投げつけてきた。

 突然の行動に驚いたカイルだったが、とっさに精霊の像を受け止める。シェイドにどんな影響があるか分からないため、なるべく衝撃を殺したはずだった。それなのに、精霊の像はカイルの手に触れた途端粉々に砕ける。

「っ! シェイド!?」

 そして、手のひらサイズの小さな像から十歳前後の姿をしたシェイドが飛び出しカイルに飛びついてきた。もう決して離れないというようにカイルの首に縋りついて抱きしめてくる。


 そんなシェイドの様子に、背中をさすろうとしたカイルは、泣きそうなシェイドの声を聞いて手が止まった。

『……カイル、ごめんね、ごめんなさい。アタシ、捕まって、それだけじゃない。利用されて……でも、これからはずっとそばにいるから。どこでも、一緒だから』

「シェイド? それって、どういう……」

「闇より暗き場所より現れし魔なる者よ、今ひとたび闇に送り返さん! 我が魔力は鎖、我が血は古の盟約、我がめいと捧げられし贄によりて扉を開け!!」


 カイルがシェイドに尋ねる前に、シェイドはカイルの中にある闇の玉の中に消えていった。そして、響き渡るアレクシスの声。王族は総じて生まれつき高い魔力を有している。どれほど鍛錬をさぼったとしても、一般人などよりはるかに高い魔力をアレクシスも有していた。

 そのアレクシスの魔力がほとばしる様に解放されたかと思えば、光る鎖となってカイルとクロに絡みつく。逃げようとしたはずだった。余裕で回避できたはずだったのに、足が地面に張り付いたかのように動かない。


 足元を見れば、先ほど砕けた精霊の像が散らばったにしては不自然なほど整然とした間隔で並んでいる。まるで魔法陣を形作るかのようにカイルと、クロの片足を囲んでいた。また、光の鎖はクロと徹底的に相性が悪いのか、絡みつかれた瞬間その場に崩れ落ちる。

 ならば自分がやらねばと体に絡みつく鎖を外すか引きちぎろうとするのだが、何の手ごたえもない。視認できるし、確かな力強さで体を戒めているのに、実体がないのかつかむことも解くこともできない。アレクシスの詠唱を聞いた限り、カイルの全く知らない、おそらくは王族にのみ伝わる魔法だ。

 もし、それが本当に詠唱の通りの効果を持つのであれば……。カイルは背筋が寒くなるような思いがして魔力暴発をさせてでもほどこうと考える。


 しかし、それよりも早く足元が沈む。影よりも濃く、墨を落としたような波紋がカイルとクロを中心に広がり、底なし沼のように呑み込んでいく。

 とっさに魔法を使おうとして、光の鎖が体の自由だけではない、魔力さえも封じていることに気付いた。魔力を外に放出することが出来ない。それはそうだろう。もしこれがカイルが考えているように、人界に現れた人では手の付けられない妖魔や魔人を封じて送り返すものであるならば、当然その抵抗を封じるようにできているのだろうから。


 古より伝えられし”盟約魔法”と呼ばれる魔法。それは用途を限定されているものの、その効果と威力の確かさは、魔法の最高位である第十階級と同等であると言われている。しかし、それはいずれも少なからぬ犠牲を、対価を必要とする。そのため、やむを得ない場合以外は使われない禁忌魔法とされている。

 黒い水たまりは底なし沼となってずぶずぶと引き込むだけではなく、無数の手が現れ、カイルとクロに絡みつく。その沼の表面に浮かんだのは……死んだはずのブライアンの顔だった。三日月のように口が裂けるほどの笑みを浮かべている。

 とっさに視線を送った先に、ブライアンの死体は……なかった。


 まさかここまでやるのか。人の命だけではなく、自分の命さえ道具扱いするというのか。例え自分が死んだとしても、それさえも利用してカイルを闇に引きずり込もうというのか。アレクシスの性格と言動を熟知し、自分では埋められない最後のパーツとした。

 王族にしか使えない魔法、けれどアレクシスだけでは全てを整えることが出来ない。それを補うように、促すように。例え前々から計画があったとしても、アレクシスの動向を知り、あるいは誘導する方法がなければこうまでうまくいくものか。アレクシスはずっと影がついて見張っていたはず。周囲に不穏な動きがあればトレバースが知らないはずがない。カイルに警告をしないはずがないのだ。ならば……。


「くっ……影だ! 影に、デリウスの内通者がいるっ!」

 アレクシスの突然の行動に固まっていた面々だったが、カイルとクロが光の鎖に囚われ、闇の沼に沈もうとしているのを見て、ハンナとキリル、トーマが駆け寄ろうとする。

 同時に、一人の影と思しき人物が、アレクシスの暴走と使った魔法に呆然としていたトレバースに襲い掛かった。しかし、いくら突発事態中に不意を突いたとはいえ、Xランクが二人側にいて思惑が成し遂げられるわけがなかった。

 ドミニクの魔法が影をからめとり、エドガーの拳が一撃で意識を奪う。そうして拘束してから、誰もがカイルとアレクシスに視線を向けた。


 アレクシスの魔法が発動した瞬間からアレクシスとカイル達を囲う障壁が形作られており、どれだけ攻撃をしようと魔法をぶつけようと揺らぐことさえなく、近づけなかった。障壁に張り付くようにして、沈んでいくカイルを見ていたハンナは、沼の表面にブライアンの顔を見て、さらにカイルの言葉を聞いて、これさえもあの男によって仕組まれたことだったと気付いた。

 魔法に造詣が深いからこそ、カイルと同じ結論に達し、その魔法がカイルをどこへ連れて行こうとするのか分かってしまった。

「カイルっ!」

 ハンナは滅多にあげることない大声でカイルを呼ぶ。このままカイルが手の届かない、さらには生存さえ絶望視される場所へと送られるのを見ているしかできないなどと耐えられなかった。


「くそっ、何なんだよこれはっ! 何がどうなってんだっ!」

 続く異常事態にトーマはやり場のない苛立ちをぶつけるように障壁を殴る。腰まで沈み込み、もはや逃れられないことを悟ったカイルは泣き出しそうなハンナと、激高するトーマ、必死な表情のキリルを見る。

 アミルは未だ涙が止まらず、ダリルは葛藤に苛まれているようだった。そして、レイチェルは……。目が合えば、いつもは真っ直ぐに見つめ返してくれた。けれど、いろんな感情がこもった眼は、刹那の間に逸らされる。まるで、見ることが出来ないというように。


 例え、思惑通りうまくいったとしても、少なからぬそしりを受ける覚悟はあった。だが、レイチェルの反応に胸が張り裂けそうになる。このまま、何も伝えられないまま、わだかまりを残したまま、ともすれば一生の別れになるのか。それは嫌だ、そんなのは許せない。例え嫌われたのだとしても、伝えておかなければならない。

「レイチェル! 混乱させて、悲しませてすまない、でも、大丈夫だ」

「な……にを……」


「レイチェルは悪くない。俺は誰にでも真っ直ぐぶつかってくるレイチェルだからこそ好きになったんだ。それに殺してなくても、傷つけたのは確かだ。だから、レイチェルの行動は間違ってない」

 カイルの言葉にレイチェルが眼を見開き、未だ倒れて動かない父を見る。仲間相手に剣を振るったことが罪ならば、傷つけたカイルの方が許されない。だから、レイチェルは正しいのだと。


「時間がないから、どうやったかは後で聞くか想像してくれ。どうやら俺達は簡単には帰ってこられない場所に送られるらしい。生きていられるかどうかも、分からない。でも俺は諦めない! 何が何でも生き抜いて、必ず帰ってくる! 待ってろ何て言わない、だから……もしまた出会えたら、その時には笑ってくれ」

 ロイドがそうだったように、別れる時も再会する時も笑顔がいい。

「キリル、親方達を頼む。ハンナも、みんなを支えてやってくれ。トーマはいつも通り元気で。アミル、これからもレイチェルの側にいてやってくれ。ダリル、自分の心に負けるなよ。みんなを巻き込んどいて、こんなことになってすまない。でも、必ず……だから、また仲間として一緒に…………」


 ドプン、とカイルの頭が沈み込み言葉が途切れる。カイルとクロを飲み込んだ闇の沼は、何事もなかったかのように収束して消えた。静寂が広がる中、弾けるように笑うアレクシスの声だけが響いていた。

 腹を抱えて哄笑するアレクシスを見ながら、レイチェルは先ほどまで確かにあった存在が、跡形もなく消えてしまったことを実感した。そばにあったはずの温もりと笑顔が、胸の中にあった大切な思いがまるで夢であったかのようだ。喪失感がじわじわと、心を侵食していく。

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